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くるみの佃煮 [雑談]

この年になって、生まれてはじめて「くるみの佃煮」なるものを食べました。もともと甘い佃煮はあまり好きではないので、知らなかったのかしらね!?
先日、娘が新潟方面にスノーボードに行って「ママ、お土産、クルミの佃煮」「ええーークルミの佃煮! なにそれ!」 ということでおそるおそる食べてみたら、美味しいではないですか。
それで、うちにはケーキ用にクルミは常備していますので、自己流でつくってみました。買ったのより美味しいと評判は上々です。

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ドン・カルロの最後は・・・ [ドン・カルロ]

ウィーン国立歌劇場のHPでレパートリーのビデオクリップが見られます。映画の予告編のようでなかなか面白いです。
その中で、おやっとおもったのが 「ドン・カルロ」、これは1989年ピッツィ演出のものじゃないですか。 このビデオクリップは何年の公演かは知りませんがシコフ、フルラネット(あとは知らない歌手ですが、お分かりの方は教えてくださいネ)のものです。
舞台衣装はプレミエの時のアバド指揮のリマ、フレーニ、ブルゾン、ライモンディのと同じです。最後の場面が見られるのですが、なんとドン・カルロが短剣で自殺してしまいます。それに、エリザベッタも後追い自殺をしているようにも見えますし、後追い自殺をしようとしたが、気絶したようにも見えます。????
1989年のプレミエの時は、自殺しているようにはみえませんが、暗いのでよくわかりません。(※写真をクリックすると録画が見られますリンク切れ)
この最後の場面はいろんな演出があります。しかし、あれれーーどうなったの?というくらいあっというまに終わってしまって、よくわからないこともあったりです。ほとんど、Deus ex machinaってやつでしょうか。

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猿の惑星?ルイ・ヴィトン?リゴレット? [リゴレット]

時々覗いているブログで、ミュンヘンの新演出のリゴレットが話題になっていました。 ま、読み替えの演出はめずらしいわけでもないのですが、ドリス・デーリエェェェェ!、あれ、この人、ライモンディがキャンセルした"Cosi fan tutte"の演出家じゃないですか。
ということで、ちょっと野次馬根性で、ミュンヘンのHPなんか見てきました。ビデオもあったりします。
あれまぁーーーーーお好きにどうぞですね。 ウヒャーー歌手さん納得して出演してんの?なーーんて思いますよね。リゴレットは人間の宇宙飛行士だから喜んでいるのかもしれませんけど。
ドリス・デーリエのオペラの演出は、"Cosi fan tutte"がヒッピー、その次は東京の女子高生でウルトラマンも出て来る「トゥーランドット」、そして猿の惑星の「リゴレット」、リゴレットは宇宙飛行士だそうです。

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カラヤンの《トロヴァトーレ》DVDの写真の不思議 [その他のオペラ]

1978年カラヤンの《トロヴァトーレ》のDVDの箱のマンリーコ(ドミンゴ)の写真か絵かしりませんが、明らかに中身とは違っています。
中身の写真をアップします。(写真右) オペラのDVDは"ドミンゴ"というだけで売れるのでしょうか。このときのドミンゴは若くて、今時のオペラ=ドミンゴとおもっている人達には、識別不能かもしれません。それで、TDKは、ドミンゴとわかるように作ったのかなぁ。どうでもいいことですけどね。ちょっと気になりました。
CDですといつの写真なのというようなのも多いですけど、少なくとも中身が映像ですから、それと一致したものでないとおかしいとおもいます。

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シェーン博士/切り裂きジャック(佐藤しのぶ版Lulu ) [オペラ生舞台鑑賞記録]

新国最終日に行ってきました。なんと2時開演、5時前には終わってましたので、早く帰って、夕飯のしたくでもしなさい・・・という配慮かしら?大きな御世話だわ、2時はちょっと早すぎです。一階の10列目でしたが、前後の席が空いていて、とってもリラックスして見られました。

1番眠くなる時間帯ですので、睡魔に襲われるのではと心配しましたが、シェーン博士/切り裂きジャッククラウディオ・オテッリに注目!という情報を得ていましたので、とっても楽しめました。それに、他の歌手さん達、自分のせいで2幕版になったんじゃないヨということを証明するような熱演でした。
クラウディオ・オテッリは、最初はどうどうとしてかっこいいシェーン博士、それから立場が逆転してルルにまとわりつく情けないシェーン博士、「ここにはタオルもねえのかよ〜」といって、トイレで血のついたナイフを洗うフテブテシイ切り裂きジャック、全部よかったです。
さて佐藤しのぶルルはどうだったかというと見た目は悪くはないですよ、でもなんといいますか彼女だけ異質なかんじでした。さすがに日本を代表するプリマドンナ(新国冊子紹介文)でございますわ。
シェーン博士/切り裂きジャックをウィーンから連れてくるのなら、ルルも一緒に連れて来てほしかったです。エレクトラ同様、良い意味で話題のプロダクションになったとおもいます。
それにしても、3幕カットだけでなく、かなり端折っていたのではないですか? シェーン博士からの手紙をルルが読む場面はなかったし、ルル絡みでもっとあーーだこーーだとあった部分が、サラーーっと流されていたような気がします。今回ばかりは事前にDVDを見ていきましたので、ちっとはわかるんです。
舞台は白を基調にした現代のモダーンな邸宅内で、そこにおかれていたあの有名な建築家コルビジュの椅子"LC4シェーズロングポニー"が効果的に使われてました。

写真)我が家の"LC4シェーズロングポニー" ポニー柄の猫に占領されています。この猫ちゃんは3年前に亡くなりました。
"LC4シェーズロング"これをきっかけに売れるかもしれませんね。
この椅子も含めて、コルビジェの家具類は、カッシーナというイタリアの家具メーカーがかつては独占的に製造販売していました。
しかし、何年頃かは知りませんが、カッシーナでなくても製造してもいい?ことになったらしく、ネット通販とか、輸入家具を扱っている○塚家具でも買えます。
この椅子のお値段は、ネットですと7万円代から、お店ですと12万くらいからでしょうか。お手頃価格です。
カッシーナの製造したものは、50万円くらいします。(カッシーナのものを扱っているデパートでも取り寄せ可)


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歌と演技 [オペラの話題]

えうりでぃちぇさんのブログで、とりあげられていますので、私も便乗します。
オペラはいろいろな要素を含んでいますので、人それぞれ鑑賞のしかたも千差万別ですね。
オペラを楽しむようになって、声派だの演技派だの目と耳が分離した人達がたくさんいることを知りました。声と演技両方あってこそのオペラだとおもうのですが。
私のご贔屓のルッジェーロ・ライモンディは、歌役者と呼ばれるにふさわしい、オペラ歌手です。(オペラ界でもこれは定説かな?)ライモンディに関する記事とかインタビューでの、演技、演劇に関する部分をご紹介します。


ルッジェーロ・ライモンディの「私にとっては歌うことより演じることのほうがより重要だ。声が必要不可欠なのは当たり前のことだ」との発言は、傲慢に響きかねない。他のたいていの歌手がこういう発言をすれば、おそらくは相当傲慢に聞こえるのではないだろうか。しかし、ライモンディにとってはこれこそが、彼の芸術的才能とキャリアの鍵なのだ。彼の声、すなわち、なめらかで豊かなバッソ・カンタンテは、独特の響きを有している。これは、シェピやギャウロフの古典的なバスにはないものである。しかし、現代の歌手仲間からライモンディを本当に区別するものは、その演技である。舞台での存在感、カリスマ性と呼んでもよい。ライモンディはこういうものを豊かに備えている。彼はステージ・アニマル、つまり生まれついての演技者(パフォーマー)だ。ーーー
ライモンディが25年前にはじめてイギリスで歌ったとき、それはグラインドボーンのドン・ジョヴァンニの題名役だったが、彼はたったの27歳だった。しかし、アラン・ブリスの言葉によれば(オペラ誌 1969年7月)「すばらしい才能に恵まれた歌手。背が高く、堂々として、ハンサムで見事に動く歌手」だった。ーーー
彼は、魅力的かつ魅惑的、歌っていないときでさえ目を離せないといった種類の演技者である。ーーー
彼の例外的な視覚的特質によって、キャサリーン・マルフィターノ、プラシド・ドミンゴとの、ローマからの生放送トスカで、スカルピアに選ばれたのは自然なことだった。普通舞台で見せる以上に、繊細で人間的で官能的な人物として、警視総監を演じて見せた。ライモンディはまた映画、La Vie est un roman (1983)、で歌わない演劇の役柄を演じている数少ないオペラ歌手のひとりである。ーーー (1994年アンドリュー・クラーク)

歌手の演技は、ライモンディにとって殊に得意な話題である。「研究する役を初めて選ぶときには、常に、まず第一に言葉、その後で、音楽を見ます。時には、言葉のほうが音楽より重要です。というのは、言葉こそが人物の演劇的な意味を示しているからです。それで、その人物を把握するまでは、音楽を自分のものにすることはできません。」(1993年ケート・ハーディ)

ひとつひとつの語、ひとつひとつの音符に表情を与えなければいけません。「表現的に歌うこと」という言葉は魔法の言葉です。同様に重要だったことは、俳優である、ファジョーニから習ったこと、すなわち、舞台でいかに適切に動くかということです。とても若かったその当時、歌手は単に音楽家であるだけではなくて、上演の音楽でない多くの面についても、考えなければならないことを理解する事が、私には、とても重要な事だったと思います。結局の所、歌手は機械ではなく、命も人生もある人間であり、その肉体と人格のすべてを巻込んで舞台で演じるべきなのです。(2001年)

写真)ロージーの映画で彼は、自分自身を演じている。
客仲間の一人が彼に聞いた。「映画の為にオペラを去りたがっているという噂があるが、・・・勇気がありますね」
彼は「私はドン・ジョヴァンニみたいなものです。危険は嫌なものではありません」と答える。


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「コジ ファン トゥッテ」三度目の正直 [コジ・ファン・トゥッテ]

ライモンディは、常々《ドン・ジョヴァンニ》《フィガロの結婚の伯爵》《così fan tutteのドン・アルフォンソ》を全部歌いたいと言っていました。 ドン・ジョヴァンニは、1967年(26才)から400公演以上、フィガロの結婚の伯爵は、1983年からレパートリーに加えました。
cosìのドン・アルフォンソですが、若い時には歌うつもりはなく、最後にレパートリーに加えるという計画だったようです。《若い役》ではないということでしょう。
しかし、オペラは、なかなか思い通りにいくものではないですね。劇場側にこの演目を歌いたいといって、受け入れられるとは限らないようです。

◆第1のチャンス
cosìのドン・アルフォンソを歌うチャンスが来たのが、2000年のザルツブルグ夏の音楽祭。
予定では、指揮はアバド、演出はノイエンフェルス、ところがアバドがキャンセル。 表向きの理由は、第一に、ウィーン・フィルのローテーション制に対する不満、第二に『コジ』の舞台美術(Reinhard vo de Thannen)が演出家のノイエンフェルスと協議したのと全然違う、ということでした。(これは表向きの理由という説もあるようです)
このキャンセルが発表されたのが、2000年の1月1日なので「アバドの2000年問題」というらしいです。
その時点では、ライモンディがキャンセルということはなかったのですが、結果的にライモンディもキャンセルしました。
れいの、パリ版椿姫のジェルモンを手術のため降板してますので、リハビリも必要ですから、7月復帰は難しかったのでしょう。(アバド指揮だったら無理してでも出たのかな?)
チケットを買ってしまって仕方なく見に行ったRRファンの影の声:あんなのに出なくて正解だわ!

◆第2のチャンス
2001年6月ベルリンで歌う予定になっていました。しかし、演出絡みなのか不明ですが、キャンセル。
この"così fan tutte"は、2002年の再演の舞台がDVD化されています。
所謂「読み替え」の演出で、ヒッピーが出てきますから1960年代ということでしょうね。言葉とのズレを無視すれば、なかなか楽しめる演出だとおもいます。ドリス・デーリエ演出、恋愛コメディーを得意とする女性映画監督兼作家だそうです。ライモンディは、「読み替え」は嫌いと言っていますが、すべて拒否というわけではないので、自分には合わないということで降りたのかな?? 
※この時のキャンセルの理由が判明しましたので追記)しました。(2005.7.20)

◆第3のチャンス
さて、いよいよ三度目の正直、2004年2月17日フェッラーラ、アバド指揮でついにドン・アルフォンソを歌うことができました。1月末までトスカでしたから、声の調整はできるのかとか、またキャンセルにならないかとか、チケットを手に入れたファンの方達は気をもんでました。イタリアではアバドが振るとなるとチケットを手に入れるのがなかなか大変なんだそうです。
マルトーネの演出は、あのロージー監督の映画のドン・ジョヴァンニを彷彿とさせるシーンもあり、哲学者ドン・アルフォンソが、あたかも地獄からやってきたドン・ジョヴァンニのようにも見えるという演出だったそうです。
◆第4のチャンス
いよいよ2005年7月エクサンプロヴァンス音楽祭パトリス・シェロー演出の"così fan tutte"です。
指揮ダニエル・ハーディング、Erin Wall、エリナ・ガランチャ、Stèphane Degout 、Shawn Mathey、バーバラ・ボニー、ライモンディ


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追記2005.7.20)
RR:ベルリンの「コジ」は、舞台を60年代米のヒッピー部落に移し、衣装は花模様とかいったものでした。この作品をこうした文脈に移したら、「コジ」の基礎にある緊張関係や道徳的禁忌は全て事実上消え失せてしまいます。少量の大麻で、全ての問題は解決するという訳ですよ。この種のセンセーショナリズムが段々受けつつあります。
−練習の半ばで降板されたのですか?
RR:そうです。契約を解除しました。何で参加したくないか説明しましてね。幸い訴えられなかったですけどね。
「Classica−Repertoire」第74号、05年7−8月合併号/インタビュアー:ジェレミー・ルソー(Jeremie Rousseau)/05年3月31日、チューリッヒにて
このインタビュー記事は助六さんからの情報で、日本語に訳して教えてくださいました。本当にありがとうございます。長年の疑問が解決しました。


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シェローが語る「オペラの演出とオペラ歌手について」 [オペラの演出]

シェロー演出のオペラ(主なもの)
1974年《ホフマン物語》(10月この成功により《リング》演出が決定)
1976-80年《リング》(LD)
1978年《ホフマン物語》(再演DVDで発売)
1979年《ルル》(DVD)
1985年《モーツァルトのルーチョ・シッラ》
1994年《ヴォツェック》
1994年《ドン・ジョヴァンニ》ザルツブルグ夏の音楽祭
(左写真)
2005年《così fan tutte》(予定)

興味深いインタビュー記事をedcさんからもらいましたのでご紹介します。(1995年音楽関係の雑誌から)
ザルツブルグ音楽祭の《ドン・ジョヴァンニ》は、モーツァルトのオペラ自体の難しさと、出演者(オペラ歌手)で苦労した。

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(3)ライモンディ、16年ぶりにパリ・オペラガルニエへ [RRとパリ・オペラ座]

"La Forêt" 事件の裁判の結果については、1999年のジュネーヴでの公演(リサイタル)の時のインタビュー「ライモンディ、13年ぶりにジュネーヴに帰る!」で、ちょっと触れられています。
「調停は複雑な内容で、ライモンディには厳しいものであったようですが、それでも、彼は、自分は正しかったと信じている・・・」仏語ですので、怪しいかもしれません。
ところで、パリ・オペラ座にも、1989年7月の「バスティーユ・オペラ座柿落しガラコンサート」以来出演していません。
もちろん世界各国の劇場で活躍していますし、映画の撮影もありましたし、パリ・オペラ座に出演しなくても不思議でも何でもないのですが、でもなにかあるのではないかとかんじました。
案の定、なんとジュネーヴ大劇場のインテンダントだったユーグ・ガルが、1995年からパリ・オペラ座(バスティーユ、ガルニエ)のインテンダントに就任、2004年7月まで、足掛け10年にわたって、このポストで、辣腕をふるっていたのです。
意図したことか偶然かはわかりませんが、とにかく「ライモンディ、16年ぶりにパリ・オペラガルニエへ」なのです。
7月のエクサンプロヴァンス音楽祭のシェロー演出"così fan tutte"が、9月からパリ・ガルニエでも上演されます。
シェローは扮する俳優をみてから役の性格を決めるというのが持論のようですから、どのようなドン・アルフォンソになるのか楽しみです。(キャンセルしないように、元気で出演できるように祈っています)
ライモンディは昔から、モーツァルト三部作「ドン・ジョヴァンニ、フィガロの結婚(伯爵)、コジ」にはこだわりがあります。彼によれば、「伯爵はドン・ジョヴァンニの父であり、ドン・アルフォンソはよみがえった(土にかえった)ドン・ジョヴァンニなのだ。」そうです。

予定は、ニュース&公演予定にアップしました。
写真)"così fan tutte"舞台


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(2)ライモンディ、16年ぶりにパリ・オペラガルニエへ [RRとパリ・オペラ座]

「ドン・ジョヴァンニ」「ファルスタッフ」の次にユーグ・ガルが企画したのは、ライモンディのための新作オペラでした。作曲はロルフ・リーバーマンに依頼しました。
ライモンディは、この新作を勉強するために1986年7月は空けていましたが、楽譜を受けとることはできませんでした。リーバーマン作曲の"La Forêt" (原作オストロフスキー「森林」)の楽譜が彼の元に届いたのは12月、すでにボローニャで「アルジェのイタリア女」の公演がはじまっていました。
結局、ライモンディは、1988年3月のリハーサルがはじまる三日前に「できない」ということで、キャンセルしたのです。彼のために書かれた"La Forêt"をどたんばでキャンセルしたことと、それに続く長い裁判沙汰により、ライモンディは、新しい役の習得が遅いという悪い評判までたてられてしまったのでした。
"La Forêt"は、ジャン=フィリップ・クルティスがライモンディの後任を務めつつがなく上演されました。
よくある直前キャンセルのようにもおもえますが、どうして裁判沙汰にまでなってしまったのか? 契約不履行ということでしょうが、裁判沙汰になるのが普通なのでしょうか?

ライモンディがこのことについて話しているインタビューの一部を転載します。
「ライモンディは、彼のために特別に書かれた役、に関してリーバーマンとの関係が壊れたことで、傷ついたことを認めている。1986年の7月はそれを勉強するためによけてあったのに、ボローニャでの「アルジェのイタリア女」デビューした12月まで楽譜を受けとれなかった。ジュネーヴで7月に、楽譜が間に合わなかったら、辞退しなければならないことになる恐れがあると警告し、1月にJanine Reiss(大劇場の音楽研究主任)に私の問題を全部話した。私はまだやるつもりだった。3月のはじめリハーサルがはじまる三日前、できないとわかった。病気だと言うべきだった。それでも、Ostrovskyを読んだとき、リーバーマンの音楽の中にあらわれる性格に対して※Malfortuneについて非常に異なる考えを持ったと言わなければならない。 リーバーマンとユーグ・ガルの見解を理解したが、わからないことは、この出来事について彼らがやった宣伝だ。やりすぎだった。
彼は覚えるのが遅いことを認める。私は技術屋ではないし、人物像を創造しないで、音楽を覚えるのは難しいと思う......(1994年5月Andrew Clark)


写真)左リーバーマン、見えませんが、右にライモンディがいます。1981年ライモンディの特別番組のゲストで出演
※ロルフ・リーバーマン(スイス、作曲家 1910ー1999)1973年から1980年までパリ・オペラ座のインテンダン。その間、ライモンディもパリ・オペラ座で活躍する。ロージー監督『ドン・ジョヴァンニ』はリーバーマンの企画である。
※Malfortune:ライモンディが歌うはずだった役名。原作では《旅回りの悲劇役者ネスチャスリーフツェフ》
※原作「森林」のあらすじ
ロシアの劇作家オストロフスキーの5幕の喜劇。1870年作。翌71年初演。
森林の領地で安逸な生活を送る女地主グルムイシスカヤのところに、旅回りの悲劇役者ネスチャスリーフツェフ(不幸者の意)が路傍で知り合った喜劇役者スチャストリーフツェフを連れてやってくる。悲劇役者は15年前に家を出された甥だった。 女地主の偽善と怠惰に対して、演劇に情熱を燃やす青年が対照的に描かれている。
「演劇 映画テレビ舞踏オペラ百科」平凡社より


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