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6.第3章:ミラノで最初の勉強(2)カンポガッリアーニ先生 [ L.Magiera著:RR]

6.第3章:ミラノで最初の勉強(1)会計士高等専門学校自主退学の続き
 11時頃に音楽院に着いた。マエストロとの約束の時間よりちょっと早かった。少しどきどきしながら声楽の教室の二重扉を軽くノックした。返事はなかったが、戸口から覗いてみることにした。2番目の扉も慎重にそっと開けて、誰も彼を注目していないと感じたので、一番後の席に座った。
 この教室には、少なくとも20人の生徒がいた。カンポガッリアーニはピアノの前に座って、女生徒に歌のレッスンをしていた。彼女は、ちょっと生意気な感じがした。それは恐らく顔の真中の上に向いたつんととがった鼻のせいだと思うが、栗色の髪の上品な人だった。
 その女生徒はとても上手に歌っていた。Chalpentireの"Louise"から"Depius le jour"の半分までいっていた。ルッジェーロは父のレコードでジャニーヌ・ミショーによる演奏で聴いたことがあるアリアだった。
 しかし、演奏解釈のなんと違うことか! ミショーは上手に歌っているが、ルッジェーロより4〜5才年上に見えるこの若い女生徒の演奏を特徴づけるあの官能的色彩、あの印象的鋭敏さ、首尾一貫した確かさをメロディーに与えていなかった。
 カンポガッリアーニは、演奏の途中で全く口だししなかった。その曲の最後、アンソロジーの"Si"のところで、手短ににコメントした。
 「すばらしい、君は、Viotti di Vercelliのために、本当によく準備しましたね。残念ながら、今まで1位を受賞したイタリア人歌手はいないのだが、君はそのことを知っているかな?」
 「きっとミレッラが、最初の受賞者になると思うな。」と"Ah dispar vision"を歌う準備をしながら筋肉質の身体で、ルッジェーロとほぼ同じ背丈の若いテノールが口をはさんだ。※この若いテノールはパヴァロッティで、フレーニと一緒にレッスンに通っていたのは有名な話です。この時、パヴァロッティと背丈がほぼ同じということは、ライモンディは、16才から更に20㎝くらい伸びたということですね
 「 僕もそう思う...」とルッジェーロは、彼のアイドル、チェーザレ・ヴァレッティの素晴らしい歌を思い出しながら内心思った。
 しかし、この若者の演奏は、息を飲むほど素晴らしくルッジェーロをびっくりさせた。声は、美しくかん高く響いた。ヴァレッティのとは明らかに違っていたが、その歌は、やはり豊かで魅惑的だった。
 「君も素晴らしい、大きなテノール君」カンポガッリアーニはふざけて言った。この時はじめて、ルッジェーロに気づいた。

 「おや、君は誰だね?  ああ、きっと君は、モリナーリ・プラデッリが話していたジャンニ・ライモンディの兄弟で、ボローニャのあの少年だね。」
 ルッジェーロは、遠い親戚でもなんでもない同郷の同じ姓の有名なテノールがいることを意識した。
「マエストロ・プラデッリの紹介できましたが、ジャンニ・ライモンディの兄弟でも親戚でもありません。ルッジェーロといいます。」
 「わかりました、ルッジェーロ。それでは、ここにいる皆さんに紹介しましょう。ミレッラ・フレーニ、ルチアーノ・パヴァロッティ、イルヴァ・リガブエ、ルイジ・アルヴァ、イヴォ・ヴィンコ、フィオレンツァ・コッソット....」
 ルッジェーロは、礼儀正しくみんなと握手した。その時は、出席者の誰の名前も聞いたことがなかったが、最初の二人のようにみんなが歌ったとしたら、このクラスで、受け入れられるのは容易なことではないと思った。それにイルヴァ・リガブエは、27才の目も眩むような美しいシニョーラで、しかもモーツァルトの2つのアリアをすばらしく的確なスタイルと美しさで歌ってびっくりするほど印象的だった。

 「さあ、それではジャンニ、こちらに来て、、、、おっと、失礼、なんて言う名前だったかな?」
 「ルッジェーロ、ルッジェーロ・ライモンディです。」
 「何を歌ってくれますか?」
 「"Suore che riposate"を歌ってもいいですか? 」※「悪魔ロベルト」の歌
 「ちょっ、ちょっとまって、君は、いくつかね。」
 「16才です。マエストロ」
 「だったら、もっと静かで、穏やかで、メロディーの美しいカンタービレな曲を歌わなくてはね。"外套の歌Vecchia Zimarra "とか、ファヴォリータの"星は空にSplendon piu` belle in ciel le stelle"はどう? 歌えるかな?」
 「はい、多分、2番目のは覚えています。でも僕にはその曲は・・・」
 「大丈夫、大丈夫。歌えると信じてますよ。」とカンポガッリアーニ先生は、ハ長調で短い前奏を弾きながら笑った。先輩全員の注意が、彼に向けられたが、ルッジェーロは、実に堂々と歌った。ドニゼッティのメロディーは、下の"fa"が他の音と同じように美しくなかったかもしれないが、楽々と流よどみなく流れ出た。最後の"fa""mi"の音符のような 低音の声域は、彼にとってしばしば満足のいくものとはいえなかった。
 しかしカンポガッリアーニは、そのことをあまり重要とは考えていなかったようだ。
 「とてもよかった。今は、このジャンルに専念しなさい。当分の間は、ヴェルディとマイヤベーアは禁止ですよ!」

 「それでは、マエストロ、このクラスに入れますか? 」とルッジェーロは、希望に胸を膨らませて尋ねた。
 「そうか、そのことでちょっと問題があるんだな。君も知っているだろうが、登録の期限がすでに終わっているし、それに音楽院では官僚主義が、幅を利かせているんだ。だけど、今年は聴講生としてここに残ることができるということだな。」
 「聴講生ってどういう意味ですか? マエストロ」
 「つまり、クラスの全部の授業にいつでも出席する権利があるが、レッスンは受けられないということなんだ。」

 ルッジェーロは、ちょっとがっかりしたが、彼の失望を面に出さないように気をつけた。このような満員のクラスでは、彼が勉強するための時間はほとんど残っていないだろうという感じを受けた。何か言いたかったが、マエストロは、すでにパオリーノのアリア"Pria che spunti in ciel l'aurora"をアルヴァとレッスンをはじめていた。
 「数ヶ月のうちにピッコロ・スカラで、ジョルジョ・ストレーレルの演出でこれを歌うそうよ。」ブロンドの髪の美しい人が、耳元で彼にささやいた。「グラツィエラ・シュッティとローランド・パネライト一緒なんですって」
 しかし、これらの名前は、まだ、ルッジェーロにとってたいした意味はなかった。

 彼が最初に感じた印象は的中した。この年度の授業で3回、しかも数分間歌っただけだった。そしていつも"Splendon piu` belle in ciel le stelle"だった。

 しかし、授業は、目新しくて刺激的で、注目に値するものだった。この教室の「生徒達」はほとんどが普通の入学者ではなかった。たとえば、数ヶ月後には、ミラノ小劇場(Piccola Scala)でジョルジョ・ストレーレルのもとで歌うことになっている、ルイジ・アルヴァ、ローランド・パネライ、グラツィエラ・シュッティもその勉強のために来ていた。
 ミラノで過ごしたこの期間は、彼の芸術的且つ文化的向上に非常に役立った。-続く- Leone Magiera著"RUGGERO RAIMONDI"

※ミラノのヴェルディ音楽院:Conservatorio di Musica "Giuseppe Verdi"


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サンフランシスコ人

訃報:ミレッラ・フレーニ

http://www.seattletimes.com/entertainment/famed-italian-soprano-mirella-freni-dies-at-age-84/

Renowned Italian soprano Mirella Freni dies at age 84

Feb. 9, 2020 at 11:43 am
Updated Feb. 9, 2020 at 1:16 pm
by サンフランシスコ人 (2020-02-10 06:27) 

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