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ビルバオ(2)カップチッリとライモンディ [ L.Magiera著:RR]

2006-03-14の記事の続きです。
レオーネ・マジエラは、オペラの指揮のためにビルバオに向かいます。なんとそこでR.ライモンディが、彼の指揮で《ナブッコ》のザッカリアを歌うことになっていて思いがけず再会することができたのです。
ナブッコは、先輩のピエロ・カップチッリでした。
カップチッリ(1929 11.9- 2005.7.11)については、2005-07-12の記事:訃報、Piero Cappuccilli が亡くなりました・・・ .をご覧ください。

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ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ [ L.Magiera著:RR]

TAROさんのブログの記事 ビルバオ 〜名画と名曲・44というテーマを見て、「あっビルバオだ!」そこで便乗記事を書くことにしました。というのは、このスペインのバスク地方の都市の名前を知ったのは、R..ライモンディが若い頃にビルバオのオペラ公演に参加しているからなのです。このことが、レオーネ・マジエラ著"Ruggero Raimondi"にも書かれていますので、ご紹介します。
1961年ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)はルッジェーロ(19才)の声楽の教師となり、ここではじめて出会い、年齢が近いこともあり、子弟というよりは友人のように親しくなったのです。(つい先日もローマでマジエラ氏のピアノ伴奏でチャリティーコンサートを開いています)
RRのエピソード:声楽授業(12)〜(21)にそのへんの経緯が書いてあります。

(私=レオーネ・マジエラ、1969年9月のことですからR.ライモンディ27才、マジエラ33才。マジエラの妻はミレッラ・フレーニ)

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6.第3章:ミラノで最初の勉強(2)カンポガッリアーニ先生 [ L.Magiera著:RR]

6.第3章:ミラノで最初の勉強(1)会計士高等専門学校自主退学の続き
 11時頃に音楽院に着いた。マエストロとの約束の時間よりちょっと早かった。少しどきどきしながら声楽の教室の二重扉を軽くノックした。返事はなかったが、戸口から覗いてみることにした。2番目の扉も慎重にそっと開けて、誰も彼を注目していないと感じたので、一番後の席に座った。
 この教室には、少なくとも20人の生徒がいた。カンポガッリアーニはピアノの前に座って、女生徒に歌のレッスンをしていた。彼女は、ちょっと生意気な感じがした。それは恐らく顔の真中の上に向いたつんととがった鼻のせいだと思うが、栗色の髪の上品な人だった。

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6.第3章:ミラノでの最初の勉強(1)会計士高等専門学校自主退学 [ L.Magiera著:RR]

このフレーズが、父に罰金を払わせたが、変声期が終わったこともわかった
5.第2章:声の発展の続き

 テアトロ・コムナーレでの公演の数々、即興的なショーと学校の勉強の間で、ルッジェーロは、声だけ成長したわけではなかった。
 ピエール・クレシェンツィ会計士高等専門学校に入学した時、彼の父とほとんど同じくらい背が高く、クラスの女生徒達の憧れの的だった。

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5.第2章:声の発展 [ L.Magiera著:RR]

4.第1章:召命(ピアノレッスン)の続き
声変り、他の家族達は、そのことに全く無関心だったが、それはチェーザレとルッジェーロの頭上に刃を向けてぶら下がっている正真正銘のダモクレスの剣にほかならなかった。しかし心配していたダメージはなかった。反対に、声変りによって少年の声は、更に強くなり音域が拡がった。そして、同様の効果は、怖がられている扁桃腺の手術によって生じることもあるようだ。医者はもっと先に延期しなければならないと考えているようだが。

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4.第1章:召命(ピアノレッスン) [ L.Magiera著:RR]

父チェーザレは、ルッジェーロに歌の才能があるのではないかと期待します。相談したいと思っていた、指揮者のモリナーリ・プラデッリが、偶然店にやって来ます。しかも、家の鍵がないのでホテルに泊まるという話を聞き、咄嗟に、靴の見本市が開催されているから、ホテルは満室だ・・とうそをついたのです。

 「もし私の招待を受けて下さるのでしたら、あなたが手荷物を取り戻すまで、快適な設備の整った来客用の部屋を提供することが出来ます。」
 「ご親切にありがとう、シニョーレ。ご家族のみなさんにご迷惑ではないかと心配ですが....」

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3.第1章:召命(父チェーザレとモリナーリ・プラデッリ) [ L.Magiera著:RR]

戦争も終わり、ルッジェーロは小学校に通い始めます。相変わらずオペラのレコードが大好きで、ゴッビの"Credo"を覚えて、家族の前で歌って聞かせたのです。父のチェーザレは吃驚、将来オペラ歌手に・・・と期待して、友人のボンジョヴァンニに相談します。

 「モリナーリ・プラデッリに助言をお願いしてみたらどうかな。でも、彼をあまりよく知らないし、電話で尋ねるのは、冒険だね。君も知ってるでしょう、マエストロが気難しい人だって......」

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2.第1章:召命(幼年期2〜6才) [ L.Magiera著:RR]

1944年1月29日のボローニャ大空襲で、父チェーザレは妻と息子3人を連れて、ヴィディチアティコのおじさんをたよって疎開します。ルッジェーロ、2才の時です。

幸運にも、アペニーノ・トスカナーエミリアの心地よい土地ヴィディチアティコでは、何の心配もなく遊ぶことができた。そのことは、子供の思い出の中に残った。この年、幼いルッジェーロは、その土地の農民の子供達とも仲良くなり、心地よいボローニャの丘陵地帯の香りと色彩の中で平穏に過ごした。

 根っからの音楽愛好家のチェーザレは、このような非常事態でさえも古い蓄音機を持って来ることを忘れなかった。そして夕方には、ヴィディチアティコの山荘で、山岳地帯の静けさの中、エンリコ・カルーソー、ベニアミーノ・ジーリ、アウレリアノ・ペルティーレの高音とティート・ゴッビ、ボリス・クリストフ、エツィオ・ピンツァの声のつやのある響きを聴いた。

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1.第一章:召命(ルッジェーロの誕生、戦争..) [ L.Magiera著:RR]

☆L.Magiera著"Ruggero Raimondi"、16才で声楽の勉強を始めた頃からオペラ歌手デビューまで記事にしましたが、読んで下さった方ありがとうございます。今度は、最初からぼちぼち読んでいくつもりです。

 1941年10月3日の午後、チェーザレ・ライモンディが自宅の階段を上っていると、空襲警報が鳴り始めた。彼の家は、城壁の外、ポルタ・マッジーニを出て100メートルも行かない所にある質素ながらも品のある住宅だった。

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RRのエピソード:オペラ歌手デビュー(21)一か八かのプロチダ [ L.Magiera著:RR]


10月17日の記事の続き。
1964年ルッジェーロ(23才)は、ローマ歌劇場で、インフルエンザにかかったロッシ=レメニの代役として出演することになりました。なんと大役プロチダです。1964年12月23日のことです。
....................................................................
「シチリアの晩鐘」のプロチダは、愛国心に燃えたシチリア独立運動の志士で、亡命先からパレルモに帰ってくる。2幕の最初に登場。短い序曲の後、"O patoria"に続き有名なアリア"O tu Palermo"を歌う。1幕は出番がない。"O patoria"の最初の部分は無伴奏のためオケでごまかすことができないところがみそです。右のガヴァッツェーニ大先生の写真の下の音声ファイルをクリックするとその部分を試聴できますので、聴いて読んで頂くと状況がよくわかるかと思います。

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RRのエピソード:いよいよ歌手デビュー(20)スポレート〜ローマ歌劇場へ [ L.Magiera著:RR]

10月13日の記事の続き。
1964年ボローニャ音楽院での勉強も3年目となる。ルッジェーロ(22才)は、音楽院の発表会は大成功で拍手喝采を受けます。次はスポーレートでのコンクールに挑戦です。
(私=レオーネ・マジエラ)

予想通りに、ルッジェーロは、スポレートのコンクールで優勝した。そして『ボーエーム』で、ウンブリアの市民劇場でオペラデビュー、1964年9月23日22才だった。新人として最高のコッリーネだった。ピエルヴェナンツィが、その時、友人のプリニオ・クラバッシ"Vecchio Zimarra"を最高のモデルとして彼に聴かせたと私は信じている。というのは、クラバッシの"Folgore,Morte!"は前に書いたがピエルヴェナンツィには不満で期待通りの成果を上げなかったが、コッリーネについては、最高にすばらしい詩的で示唆に富むコッリーネを創り出しているとピエルヴェナンツィは考えていた。

さて、新学期が始まった。もしかしたら、私の第4コース(4年生)の学生名簿にルッジェーロの名前が登録されているのではないかと捜したが、もはや、音楽院で彼を見かけることはなかった。特にアーダとブルーナの落胆は大きかった。そして、新任の学長のゼッキも同様だった。彼は、あの忘れられない発表会の後、彼の大ファンになっていた。
(ということは、卒業資格=ディプロマはとらなかったということですね。お母さんもあきらめているでしょう)

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RRのエピソード:声楽授業(19)ボローニャ音楽院-8- [ L.Magiera著:RR]

★質問! フランチェスコの愛称? 別名? はケッコ"Checco"ですか?  まじめな質問ですのでヨロシク

9月15日の記事の続き。
1964年ボローニャ音楽院での勉強も3年目となる。ルッジェーロ(22才)は、音楽院の発表会でドン・ジョヴァンニのセレナータ" De vieni alla finestra "グノーのファウストの"Tu che fai l'addormentata"を歌うことになります。

(私=レオーネ・マジエラ)
ついにオーケストラリハーサルの日がやって来た。
すでに、音楽院のレベルで、器楽奏者と歌手の間の奇妙な壁が存在した。前者は、後者が音楽に関して無知であると確信していた。

 器楽奏者は、歌手は音楽的に無知、つまり、厳しく進まなければならない一連の基礎的な勉強をおろそかにしているし、調子外れで、正しいリズムを保つ能力がないとか、その上、天文学的なギャラと、彼等の実際の価値に全く不釣り合いな尊敬を受けるという特権を持っていると思い込んでいる。
 歌手達は、このような少なからず辛辣で皮肉な攻撃をする器楽奏者に対して、歌によって、その思い込みを払拭する他はない。

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RRのエピソード:声楽授業(18)ボローニャ音楽院-7- [ L.Magiera著:RR]

9月10日の記事の続き。
1964年ボローニャ音楽院での勉強も3年目、ルッジェーロ(22才)は、音楽院の発表会でドン・ジョヴァンニのセレナータ" De vieni alla finestra "グノーのファウストの"Tu che fai l'addormentata"を歌うことになった。
(私=レオーネ・マジエラ)

《ボローニャ音楽院でのデビュー》
G.B.Martini音楽院では、5月という月は、ひどく興奮した雰囲気で始まった。テアトロ・コムナーレでの発表会の日が迫って来ていた。選ばれた若者達すなわち音楽院の花形は、先生と監督によって、愛情を込めて指導され、おまけに、幸運でなかったクラスの仲間の同志的熱狂によって見守られた。もちろん、彼等も音楽院内にあるホール、サラ・ボッシのいつもの気楽な雰囲気の中で発表会をすることになるのだが、、。

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RRのエピソード:声楽授業(17)ボローニャ音楽院-6- [ L.Magiera著:RR]

文中にフランス語の慣用句?諺?があります。どう訳していいのか悩んだ末、そのままにしています。どなたか教えて頂けると嬉しいです。
   ...................................................................
9月8日の記事の続き。
1961年ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)はルッジェーロ(19才)の声楽の教師となる。1963年、ボローニャ音楽院での勉強も2年目となる。

(私=レオーネ・マジエラ)
そうこうしている間にも、私達は、音楽院で、二つの楽譜、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」グノーの「ファウスト」を熱心に勉強した。これらのオペラの両方とも、ルッジェーロは、声の美しさと登場人物との一体化で、私を唖然とさせるくらい完璧なものであった。
ある日、私は、彼に言った。「君のお母さんは、"紙っ切れ"(ディプロマ)のことはあきらめなければならないかもしれませんよ」

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RRのエピソード:声楽授業(16)ボローニャ音楽院-5- [ L.Magiera著:RR]

9月4日の記事の続き。
1961年ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)はルッジェーロ(19才)の声楽の教師となり、ある日彼の家に招待されます。

(私=レオーネ・マジエラ)

数ヶ月後、私は、ルッジェーロの家の正餐に招待され、それに応じた。私は、学生の波乱に富んだ過去に特別な兆しを感じたし、教育に関する彼の経歴の一部始終を知ることに関心があった。このことについては、この本の初めの部分に全部まとめて紹介した。

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RRのエピソード:声楽授業(15)ボローニャ音楽院-4- [ L.Magiera著:RR]

9月1日の記事の続き。
ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)の教室にルッジェーロ・ライモンディが(19才)やってきました。スマートで背が高く、ハンサムな青年で、女子生徒は、そわそわ、、、

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RRのエピソード:声楽授業(14)ボローニャ音楽院-3- [ L.Magiera著:RR]

8月28日の記事の続き。
ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)は、学長に、ボローニャの街で有名な音楽愛好家チェーザレ・ライモンディの息子ルッジェーロ(19才)の声楽教師をするように命令された上、彼の才能を潰さないように念を押されます。

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RRのエピソード:声楽授業(13)ボローニャ音楽院-2- [ L.Magiera著:RR]

8月27日の記事の続き。
ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(私)は、ある日、学長室に呼び出されます。どうして呼ばれたのかわからないマジエラと学長代理リディア・プロイエッティ女史との会話が続きます

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RRのエピソード:声楽授業(12)ボローニャ音楽院-1- [ L.Magiera著:RR]

8月18日の記事の続き。
1961年19才の時のことです。ルッジェーロは、大好きなローマを引き払ってボローニャに戻ったようです。ここで、レオーネ・マジエラと出会います。文中で『私』というのはマジエラです。(マジエラ氏のことは8月21日の記事をどうぞ)

はじめてルッジェーロ・ライモンディに会ったのは、私が26才の頃である。
私達の出会いは、ボーローニャ音楽院の第14教室、思い出せないほど昔の声楽の特別な個人レッスンの時間だった。私は、数年前に、大学教授の国家資格を獲得して、このような若さで勤めていた。
ボーローニャ音楽院は、チェントロ(街の中心)の"Due Torri"から、100メートルのところにある、古くて荘厳な建物で、かつては、聖アウグスティノ修道会の教会と修道院だったが、1804年にナポレオン・ボナパルトによって音楽学校になった。主な建物は当時のまま残っている。
非凡な音楽家達が、これらの教室で教えたり学んだりしたのである。ロッシーニは、15年間顧問だったし、ドニゼッティは多くの重要な自筆の楽譜を残した。隣接する市立図書館には、「セビリアの理髪師」の完全な総譜も保管されている。

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RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ [ L.Magiera著:RR]

RRのエピソードとして、ぼつぼつご紹介している「Ruggero Raimondi」の著者レオーネ・マジエラについて調べてみました。
まず、マジエラ氏とは、何者かですが、一番最近では、「パヴァロッティのさよなら公演」で、彼を支えていた、指揮者でピアニストです。

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