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シェローが語る「オペラの演出とオペラ歌手について」 [オペラの演出]

シェロー演出のオペラ(主なもの)
1974年《ホフマン物語》(10月この成功により《リング》演出が決定)
1976-80年《リング》(LD)
1978年《ホフマン物語》(再演DVDで発売)
1979年《ルル》(DVD)
1985年《モーツァルトのルーチョ・シッラ》
1994年《ヴォツェック》
1994年《ドン・ジョヴァンニ》ザルツブルグ夏の音楽祭
(左写真)
2005年《così fan tutte》(予定)

興味深いインタビュー記事をedcさんからもらいましたのでご紹介します。(1995年音楽関係の雑誌から)
ザルツブルグ音楽祭の《ドン・ジョヴァンニ》は、モーツァルトのオペラ自体の難しさと、出演者(オペラ歌手)で苦労した。

シェローによれば、オペラ歌手は三つのカテゴリーに分類される。
1.リハーサルのときもよくて、本番もいい。つまり、リハーサルで決めたことには忠実でありながら、更にその先まで進もうと努力してくれる人。
バイロイトの《リング》の歌手全員、《ドン・ジョヴァンニ》では、フルラネット、マルフィターノ、クベルリ等

2.演出にはまったく興味がなく、歌うことだけに関心があって、その歌っている人物像の中にロジックがあるかとか、演技をどうするかということに全く関心がない歌手。こういう歌手とは、仕事を初めからしない。

3.リハーサルの最初のときは、大袈裟なほどあなたと仕事ができて嬉しいなどと非常に協力的なのに、だんだん私の言うことを無視するようになり、本番では演技なんかどうでもいいと思う。これが一番悪いカテゴリーで、このカテゴリーに××××は属している。
こういう歌手は、なるべくたくさん本番とリサイタルをやって、お金を稼ぐことしか考えていない。

××××は伏せ字になっていますが、歌手の名前が入るのでしょうか。《ドン・ジョヴァンニ》の演出のことを言っていますので、誰のことを言っているのかなぁ。多分売れっ子歌手のことだろうから彼のことかな?

音楽にかかわるオペラの演出をすることで学ぶこともあるが、オペラには悪い習慣があるので、自ら進んでオペラの演出をしたいとは思わない。
1.リハーサルの期間が短い
2.歌手の中にリハーサるをいやがる歌手がいる
3.同じ演出を違う歌手で再演する
シェローの場合、再演の場合も立ち会い、キャストの変わる毎に歌手に合わせて演出を手直しするそうです。

《リング》《ルル》《ヴォツェック》はやりやすかったが、《ドン・ジョヴァンニ》は難しくて、もうオペラの演出はやりたくないと思ったそうです。10年たてば、また挑戦してみようという気になるということでしょうね。
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シェロー監督の映画《ソンフレール-兄との約束-》公開の記者会見で、オペラの演出について語っている部分を転載させて頂きます。全文はhttp://www.moviola.jp/son-frere/interview.htm

映画の可能性を信じる監督ですが、映画の立場からみて想像するに、わがままで自己主張の強い歌手を目の前にどうしてオペラをやろうとする気持ちになったのでしょうか?きっかけはありますか?

今回、10年振りにオペラの演出をしたのは、その欲求があったというよりは、10年間離れていたオペラとの関係や、僕はまだ能力があるだろうか、出来るだろうかということを確かめたいという思いからだと思います。それはやはりやってみないと分からないですからね。ひょっとしたらオペラの演出家としての僕自身はもう死んでしまったのかもしれない、そういうことを確かめたかったのです。

オペラの歌手に関しては、ちょっと僕の考えていることと違いますね。オペラの歌手には一生懸命仕事をする、常に努力を続けている人が多く、とても謙虚な人が多いと僕は思っています。もちろん役者ではありませんから、役者としてはアマチュアの要素を含んでいるところもありますが、とても間口が広いというか、受け入れようとするオープンなところがあって、それは時には普通の役者よりも優れているといえます。もちろん、わがままな人というのはどんな世界にもいるわけで、オペラの歌手に限らず、役者だって監督だってそういう人はいますよね。でもオペラの歌手で言えば、歌いながら演じるわけですから、アスレチックのような二重の才能を持たなければならず、とても厳しい仕事だと思っています。


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TARO

たしかにシェローは再演の度に、自分で立ち会って舞台を引き締めるようですね。「ヴォツェック」日本公演も一緒についてきたそうで。
その「ヴォツェック」もLD時代は映像で出ていたんですが、DVD化されてないのかな?。

ところでこの記事私も昔読んだ記憶がありますが、彼じゃなくて彼女という可能性もありますね。どっちだろうと、その時思ったんですが・・・
by TARO (2005-02-13 01:20) 

ヴァラリン

keyakiさん、こちらからお願いしたのに、早速リンクして頂いてありがとうございましたm(__)m
私の方、週明けに貼らせて頂きますね。(週末はなるべくPCに近寄らないようにしてるので・・^^;)

ところで伏せ字の箇所、気になります~(><;誰、ダレだろう・・?^^;
by ヴァラリン (2005-02-13 10:09) 

keyaki

ほんと気になりますね、ヴァラリンさん。

レポレッロかツェルリーナということですよね。
女性歌手にたいして、お金を稼ぐことしか考えてないって......いうかなぁ....ということで私は、BTだと思ったのですが。いかにも大雑把な感じで、ハイハイハイハイっていいながら勝手なことをしそう...なーーんてなんの根拠もない直感です。それに一時期ちょっとやりすぎじゃないというくらい露出度高くなかったですか?
今日はこの劇場でレポレッロ、明日はドン・ジョヴァンニみたいに。
TAROさんは女声歌手に詳しいでしょうから、ツェルリーナについてそういう噂をきいていらっしゃるのかな、そんなかんじがしなくもないですけど、"お金儲け"がひっかかります。
こういう伏せ字は、困りますね。
今だったら、オペラ関連のBBSで"誰なんだ!"と大騒ぎかもしれませんね。
by keyaki (2005-02-13 10:53) 

TARO

いや、噂は何も聞いてないんですけどね。ただBTは翌年の再演も参加してるのに対して、ツェルリーナは翌年はカサローヴァに変わってるので、もしかして何かあったのかなあと思って。それ以外の根拠は何もないんです。キャラからいくとBTっぽいですけどね。(笑
by TARO (2005-02-13 13:29) 

keyaki

そうなんですね。私もそうかなぁ...とおもいましたが...
BTさんとCBさんのファンの方から反論とかあると面白いのですが。
by keyaki (2005-02-13 13:57) 

どる!

はじめまして。こんばんはー。

伏せ字の件。『亜門日記 極私的オペラ考』(宮本亜門,音楽之友社,1996)に収録されている、宮本/シェローの対談が出所ですね? この記事、初出は『音楽の友』1995年2月号です。

。。。で、CBです(w
by どる! (2005-02-13 23:12) 

どる。。。

あー。書き落とした。上記の単行本では、伏せ字じゃないんですよ。
「チェチーリア・バルトリ」と明記されてます。
by どる。。。 (2005-02-13 23:16) 

Esclarmonde

ああこんなところでどぅるちゃまハケーン.
by Esclarmonde (2005-02-13 23:23) 

keyaki

どる!ちゃま、ありがと!
フランス人は女性の悪口は言わないと思ってました。残念!
BTさん、大変失礼いたしました。
by keyaki (2005-02-14 00:54) 

euridice

あら、こちらも判明、一件落着ですね。
そういえば単行本、出てましたね〜〜
立ち読みしたはずだけど、記憶にありませんでした。

まあ、言いそうな気も〜〜 大げさなお世辞。
抱きつかんばかりに・・・ ^^;で、けいこの進行につれて
さめてきて、気分がカワル・・・ 私のかつての上司だったら、
肩をすくめて、La Donna e Mobile だから〜〜シカタナイネ
って言うところでしょ。
by euridice (2005-02-14 08:51) 

keyaki

>立ち読みしたはずだけど、記憶にありませんでした。

××××と伏せ字にされるとかえって注目しますし、知りたくなりますね。はっきり、チェチリア・バルトリと書いてあれば、へぇーーで終わりなのに。
それに、フランス語を日本語に訳したときの問題もありそう。チェチリア・バルトリはどちらかというと(2)のカテゴリーのような気もしますけど。
オペラって、インテンダント、指揮者、演出家、歌手の力関係で、どういうものになるのかってとこですね。
by keyaki (2005-02-14 10:16) 

きのけん

…そういえば、それで思い出しましたけど、あのザルツブルクの《ドン・ジョヴァンニ》の時、バルトリがシェローについて、やたら歯の浮くようなお世辞を言ってるインタビューを読んだことがあります。ただの1度だって一緒に仕事したことないのに、よく言うよな…ってなインタビューでした。あれで言うこと聞かなかったら、そりゃシェローだって、なんだこいつ!と思うよな。

彼と一緒に仕事をしたうちで最も見事だった歌手は誰だろうな?…。ハインツ・ツェートニク(《指輪》のローゲとミーメ)、ヴァルトラウト・マイヤー(《ヴォツェック》のマリー)、テレサ・ストラータス(《ルル》)、ギネス・ジョーンズ(《指輪》のブリュンヒルデ)、ペーター・ホフマン(《ワルキューレ》のジークムント)、ゾルタン・ケーレメン(《指輪》のアルベリヒ)、フランツ・マツーラ(《指輪》のグンターと《ルル》のシェーン博士
+引き裂きジャック)、ジョゼ・ヴァン・ダム(《ホフマン物語》の悪魔三役)、そしてシェロー自身(《ジークフリート》のジークフリート;ルネ・コロがオートバイ事故で足を負傷した時、あの演出では代役を出せないもんで、コロがピット内で歌い、舞台でシェローが演技を担当した:僕もヘンな回に当たったもんだよね)。
きのけん
by きのけん (2005-07-18 08:33) 

きのけん

>シェローはいわゆるオペラ演出家ではありませんから、度々一緒などという歌手はいないでしょう。

それはその通りですが、《ルル》はバイロイトで《指輪》上演期間中に準備されたものなので、同じ歌手が沢山出てます。また、同時期バイトイトに出ていた人も幾人か《ルル》に参加してますね。
そういや、ペーター・ホフマンがパリのシャンゼリゼ劇場でアリア・コンサートをやった時にシェローもちゃんと来てました。
きのけん
by きのけん (2005-07-18 08:45) 

きのけん

>シェローがオペラ演出家として大注目!されたのは、なんと言っても1976年〜1980年バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」の演出でしょう。

それ以前に2本あります。
シェローはルイ・ル・グラン高校の演劇部時代からジョルジョ・ストレーレルに非常に可愛がられてまして、一時期ストレーレルのミラノ・ピッコロ座に身を寄せていましたが(当時のイタリアの演劇書には「最も有望なイタリア人新人演出家」なんて書いてあります)、その時代ストレーレルの勧めで、スポレトの二世界フェスティヴァルにロッシーニ《アルジェのイタリア女》(指揮ト−マス・シッパーズ)を発表し (1969)、その次が、本格的なオペラ・デビューと言えるオッフェンバックの《ホフマン物語》(1974:指揮ジョルジュ・プレートル:レジーヌ・クレスパン、ニコライ・ゲッダ、トム・クラウゼ…:パリ)。これは、オペラの台本をE・T・A・ホフマンの原作に基づきシェローが書き直したシェロー版と言われるヴァージョンで、このヴァージョンを録音しているのがシルヴァン・カンブルラン指揮ブリュッセル=モネー座盤です。それから《指輪》、《ルル》(1979)と続きます。僕が追っかけだしたのは《ホフマン物語》の1978年の再演時からで、この回から悪魔三役がジョゼ・ヴァン・ダムに代わりました。1980年代はモーツァルト《ルチオ・シッラ》1本だけ。スカラ座=ナンテール・アマンディエ劇場=ブリュッセル・モネー座の共同制作です(指揮カンブルラン)。1990年代も1本だけでザルツブルクの《ドン・ジョヴァンニ》。そして、今回の《コジ》で全部です。
きのけん
by きのけん (2005-07-18 09:32) 

きのけん

…そう、《ヴォツェック》を忘れてました。ゲネプロ含めて5度も見たのに!(爆)…。

>keyakiさんもシェローに大注目!。

…していいと思いますよ。これまでの演劇部門の演出からして、主役になるのはアルフォンゾに違いないから。ライモンディの選択は、多分シェロー側からのたっての要求に違いない!…。他の連中はどうでもいいから、例外的な演技巧者をアルフォンゾにということで…。
きのけん
by きのけん (2005-07-18 09:53) 

keyaki

きのけんさん、貴重な話をありがとうございます。
>演劇部門の演出からして、主役になるのはアルフォンゾに違いないから
なるほど、ライモンディ自身もそういう演出でないとやりたくなかったんでしょうね。

シェローの「ホフマン物語」は、ケネス・リーゲルのをDVDで見ました。やっぱり画質は悪いです。他の「ホフマン」とは全く違いますね。ニクラウスが男で歌わなかったですよね。(記憶で書いてますので違っているかも)
1995年からライモンディも「ホフマン物語」をレパートリーに加えましたので、映像はほとんど見てます。
by keyaki (2005-07-19 01:42) 

きのけん

 そうです。これもシェローのOKを取ってないソースで、照明が暗すぎて、こちらでは当時中継録画がTVで放映されなかった代物です。ただし《ルル》は、シェローの師匠格に当たるベルナール・ソーベルというちゃんとした演出家が撮ったフィルムで、あれだけは正規のものです。ただ、画面が青っぽいのが気になるけど…。
ひょっとして、こういうソースというのは劇場で再演の時の資料用に保管しておいた映像を横流ししたものなんじゃないの?…。
ケネス・リーゲルはこの時評判がよくて、一躍映画《ドン・ジョヴァンニ》に抜擢される、《ルル》に抜擢される…とすごかったんですが、この人そんなにいいかなあ?(笑)…。
 それから、これはただ単なる噂だっただけの可能性が強いんですが、小澤征爾がフランス国立管で録音した時 (1988)、悪魔3役をルッジェロがやるという噂がありました。でも 1995年からとなると、当時はまだ準備ができていなかった可能性の方が強いな。僕はてっきり、ガブリエル・バッキエ+ジェイムズ・モリス+フスティノ・ディアスってラインアップは、いかにも慌てて寄せ集めた感じで、ルッジェロの代役だと今の今まで信じていたんですが…。そんな話って聞いたことありません?。
 …そう、あれがシェロー版というやつで、勿論ニクロースも男。コシュニーユとかいうE・T・A・ホフマンに無い役があっさり削られ、二人のバレリーナの天使みたいなのがホフマンに付き添って行きます。
きのけん
by きのけん (2005-07-20 08:08) 

keyaki

きのけんさん
>小澤征爾がフランス国立管で録音した時 (1988)、悪魔3役をルッジェロがやるという噂がありました。
知りませんでした。
これはレコーディングのみですよね。RRは、レコーディング嫌いですから、レコーディングだけならお断りという可能性はありますね。
1988年だったら関係ないでしょうけど、ユーグ・ガルの企画とかではないですよね。
時期尚早で、断った可能性もありますね。
ファルスタッフもストレーレルがせっかく声をかけたのに断ってますからね。

>ケネス・リーゲル
シュイスキーもですよね。
by keyaki (2005-07-21 02:01) 

きのけん

>ユーグ・ガルの企画とかではないですよね。

違います。国立放送局と国立歌劇場はまったく別の運営ですから。
それからどっかに出てきたギャル(仏語では「ガル」も「ギャル」も発音としてはまったく同じ)とライモンディの関係も、あまり信憑性がないかもよ。というのも、ギャルは総監督として戻ってくるまでの間、パリのオペラ座への影響力は皆無でしたから。バスチーユ建築計画が立った時も、社会党文化省は専らモルチエに来てもらいたくて、モルチエばかり話題になっていて、二番手が当時リヨン歌劇場の総監督だったジャン=ピエール・ブロスマン(現シャトレ座総監督)で、この二人からあっさり蹴られて、そうやく、そういう奴もいたなあ…と、ギャルに話が行ったんですが、ギャルも蹴った。
 当時、僕はジュネーヴでギャルに会ってますが、バスチーユなんて、あんなホールはとてもオペラをやる場所じゃない、なんて剣もほろろだったのをよく憶えてます。まあ、それは、バスチーユに較べ、ジュネーヴ大劇場というのは、ちょうどいい規模ですねえ…なんちゅう僕のおべっかに応えてのコメントだったんですが(笑)。その数年後にホイホイ戻ってきたのには、調子いい野郎だなあと…。でも多少真意はあったようで、それまで旧歌劇場ガルニエ宮はバレエを中心に使われていたんです。これを元に戻して、ガルニエで本格的にオペラ公演を復活させたのはギャルの功績でなんです。でも、僕は今だに知らないんですが、ギャルってスイス人なの、フランス人なの?…。僕にはローザンヌで育ったんだ、なんて言ってたけど。
 それから《ホヴァンシチーナ》はスカラ座の《ボリス》時代に話だけはあったと思いますよ。というのも、僕は見てないですが、アバド指揮=リュービモフ演出チームが《ホヴァンシチーナ》上演の計画を立てたのはあの《ボリス》の翌シーズンか翌々シーズンくらいだったでしょ。当然ライモンディにも話が行ってるはづだぜ。
きのけん
by きのけん (2005-07-24 06:56) 

keyaki

きのけんさん
>ライモンディの関係も、あまり信憑性がないかもよ
告訴までした、されたわけですから、お互いに絶対出たくない、出したくないってことじゃないですか。
1995年くらいまでは、バスティーユがいやだったのかもしれませんね。10年くらいはご無沙汰しちゃうってことはありますから。でも16年は長過ぎますよ。
それで、ガルがいなくなったとたんに出演ですよ。関連がないなんて思えなくないですか。

>《ホヴァンシチーナ》
ロシア語で新しい役を覚えるのがイヤだったようですね。《ホヴァンシチーナ》やるとしたら、ギャウロフがやった役ですよね。やらなくていいわ。笑)
by keyaki (2005-07-25 03:12) 

助六

きのけんさん、

ガル氏はバイエルン人の父と仏人の母の間にオンフルールで生まれていて、国籍は常に仏のようです。戸籍名には、Rainerとか独風のprenomも付いているらしいですが。中学時代までローザンヌで過ごし、その後仏に戻ったようです。父親の仕事(技術者)の関係でしょうか(小生の憶測)。

ところでセガリーニ氏はどういう育ちの方なのでしょう?
仏国籍を持っているのでしょうが、生まれはパルマ近郊らしいし、高校時代はミラノで過ごしたとラジオで話していたことがあります。仏誌では、etudes de lettresのために20歳位で仏に移住とか見ました。彼の仏語は事実上完璧だけど、仏人に訊いてみても、極僅かながら外国出身と判る訛りがあると言いますよね。やはり母国語は伊語のようですね。
by 助六 (2005-07-25 06:30) 

助六

フランスでは伝説化しているリーバーマン時代パリ・オペラ座のいくつかのプロダクションの録画が、日本でのみHMVからDVD化されて04-05年ごろ発売されたものの、権利問題の関係からか1年程度で日本市場からも消えてしまったことがあったそうで、仏ファンの垂涎の的になっています。

75年のラヴェッリ演出「ファウスト」、79年のシェロー演出「ルル」、80年のストレーレル演出「フィガロ」、ショルティ指揮「オテロ」、サンティ指揮ライモンディ出演「ナブッコ」、ファッジョーニ演出ライモンディ出演「カルメン」など錚々たるライナップだったそうですが、画質・音質は劣悪だったようです。

検索したらkeyakiさんのこの記事がヒットしました。(笑)
何か事情をご存じありませんか?
by 助六 (2011-10-24 07:56) 

keyaki

助六さん
ライモンディ絡みのもの(カルメンとナブッコ)しか分かりませんが、「画質・音質」は「劣悪」とまではいかないですけど......おそらくすべてテレビからの録画だと思います。当時の録画はこんなものでしたよね。多分全部ドリームライフからの発売だと思います。YouTubeもありますし、こういう需要は減ってきているので権利関係のクリアにお金をかけても商売にならないと思います。ドリームライフ・クラシックスという会社は存続しているようですが.....

カルメンは、もともとソニーからLDで発売されましたが、画質・音質もソニーが発売するようなものではなかったので、ソニーは再販もしないし、DVDにもしませんでした。それをドリームライフがDVD化したわけです。

>日本でのみHMVからDVD化されて04-05年ごろ発売
発売はドリームライフで、HMVだけでなく普通に販売されてました。
権利関係で発売中止ではなく高画質・高音質の時代になって売れなくなったので、再販しなかったの可能性もありますね。
ドリームライフは、日本のオペラファンの間では、画質・音質劣悪は周知のことで、アメリカのハウスofオペラとかプレミエオペラと大差ないんですが、日本語字幕付きというのがありがたかったです。
by keyaki (2011-10-24 10:01) 

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