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オペラ歌手さんのホームページ☆★バルバラ・フリットリ [RRと女声歌手]

 オペラ歌手の公式ホームページ、かなり普及してきています。若い歌手の場合は、自身の売り込み目的もあるようですが、すでに成功して順調に仕事がくるような歌手の場合は、ファンサービスと自分の記録ということでしょうか。
 ドミンゴのホームページは、かなり前からありますが、さすがメモ魔を自認するだけあって、過去の公演記録がすべて網羅されていて、検索機能付きで、私も大いに利用させてもらいました。ドミンゴとライモンディとの共演に関しては、洩れがないと思います。ところが、最近リニューアルして、見た目はおしゃれになりましたが、過去の公演記録がバッサリ削除されて、ロールデビューと劇場デビューだけになってしまいました。あまり詳細だとなんか問題でもあるのかしら....

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レイラ・ゲンジェルの《アイーダ》★☆RRとの共演記録 [RRと女声歌手]

 前の記事名ソプラノ Leyla Gencerのインタビューのビデオクリップを紹介しましたが、その中から1966年ヴェローナの《アイーダ》の部分だけ拾ってみました。ラダメスはベルゴンツィです。ちょっと首から上が、「殿中でござる」ってかんじもしますし、なんとなく歌舞伎役者(勘三郎タイプも)っぽいですね。この時代の歌手の所作は、けっこう優雅ですね。※カルロ・ベルゴンツィ Carlo Bergonzi (1924.07.13- )

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レイラ・ゲンジェル(1928.10.10- )のインタビュービデオ [RRと女声歌手]

追記)♪ビデオクリップが視聴できない場合は、Firefoxでお試しください。
 イタリアのオペラのサイト、オペラクリックに往年の名ソプラノ Leyla Gencerのインタビューのビデオクリップが掲載されています。こちらから、ダウンロードして見られます。約50分で、ミラノのご自宅でのインタビューと、アイーダ、トロヴァトーレの映像等も挿入されています。
 ゲンジェルは、1950年代から1980年代前半までプリマドンナとして活躍し、イタリアでは、非常に人気が高いのですが、日本ではあまり知られていません。おそらく、大手レーベルの録音がないためで、ライブ盤が出回るようになって、日本でも評価されるようになったようです。
 

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マリエッラ・デヴィーア、夫のベルツァーリ氏急死 [RRと女声歌手]

 ソプラノのマリエッラ・デヴィーアの夫のサンドロ・ベルツァーリが5月23日に亡くなりました。58歳でした。イタリアのフォーラムで知り、ネットで調べましたが、入院して数日後に亡くなったということで、病名等はわかりません。告別式は、5月25日、ローマのポポロ広場のChiesa degli Artisti で行われました。

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モンセラート・カバリエ(3):RRとの共演記録 [RRと女声歌手]

5月8日の記事の余談でふれましたが、M.アルバレスはメト来シーズンで《ホフマン物語》を歌うと発表されていましたが、《カルメン》のホセに変更になりました。カルメンはボロディナだそうです。(5.13追記)


"ベッリーニ海賊1幕冒頭,嵐の場面/MP3"

 カバリエ(1933.04.12生 )の4月25日の記事の続きです。たいした役じゃない役ばっかりで、忙しいだけで埋もれていた時代が突然終り、1965年に歌った《ルクレツィア・ボルジア》の成功で、国際的な活躍がはじまります。
 この頃、R.ライモンディは、プロデビューしたばかりで、新人バス歌手として、着々と実績を積み、1968年に《ルクレツィア・ボルジア》で共演、ライモンディは27歳、世界の劇場からお呼びがかかりはじめた頃です。その後、舞台、レコーディングと共演することになります。
 ベッリーニの《海賊 Il Pirata》では、カバリエの夫のベルナベ・マルティ(ジャケット写真)がテノール役を歌っています。カバリエは、結婚のエピソードを次のように語っています。
 「まだ埋もれた歌手だった頃よ。1963年蝶々夫人で共演しているうちに愛し合うようになったわけ。ピンカートンに結婚してもらえた蝶々夫人はたぶん、私一人じゃないかしら。.......夫は、1976年から歌ってないわ。アーモンドの栽培、ワイン造り、それに家畜の飼育、それが夫の仕事よ。彼の農園にいると楽しいわ」(スカラ座の名歌手達より抜粋)
ベルナベ・マルティ:カバリエの夫、1967年生まれの息子と1972年生まれの娘がいる。娘は、ソプラノ歌手のモンセラート・マルティ
♪音声ファイル:ベッリーニ《海賊 Il Pirata》の第一幕冒頭、嵐の場面。合唱の部分は、ヴェルディのオテロに似てますね。バスはチョイ役ですが、ソリストの第一声が、バス=ライモンディなんです


★ルッジェーロ・ライモンディとの共演★
★1968年10月:ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》ロンドン、ボニング指揮
★1973年3月:ベッリーニ《ノルマ》メトロポリタン歌劇場、チラリオ指揮
★1976年1,2,3,4月:ヴェルディ《アイーダ》ミラノ・スカラ座、シッパーズ指揮
★1980年8月:ヴェルディ《レクイエム》ヴェローナ・アレーナ、ムーティ指揮
★1983年10月:メトロポリタン歌劇場100周年記ガラ
★1988年1月:ロッシーニ《ランスへの旅》ウィーン国立歌劇場、アバド指揮
★1989年5月:ロッシーニ《ランスへの旅》ウィーン国立歌劇場、アバド指揮
★1989年10月:ロッシーニ《ランスへの旅》日本公演、アバド指揮詳細
★1992年7月:Glyndebourneガラコンサート(DVD発売)

♪ルッジェーロ・ライモンディとの録音♪
ヴェルディ:レクイエム Bellini: Il Pirata Vincenzo Bellini: Norma Verdi;Don Carlo Verdi: I Masnadieri Puccini: La Boheme Verdi: Aida
♪1969年8月/1970年6月:ヴェルディ《レクイエム》ロンドン、バルビローリ指揮
♪1970年7月:ベッリーニ《海賊》 ローマRAIスタジオ、ガヴァツェーニ指揮 
♪1971年7月:ヴェルディ《ドン・カルロ》ロンドン、ジュリーニ指揮
♪1972年9月:ベッリーニ《ノルマ》ロンドン、チラリオ指揮関連記事
♪1974年8月:ヴェルディ《群盗》ロンドン、ガルデッリ指揮
♪1974年:プッチーニ《ボエーム》ロンドン、ショルティ指揮
♪1976年:ヴェルディ《アイーダ》ミラノ・スカラ座、シッパーズ指揮(ライブ録音)


参考:NHKアーカイブス(NHKで放送された公演)
■イタリア歌劇公演 「アドリアーナ・ルクヴルール」全曲 1977年9月11日 教育
■芸術劇場 モンセラット・カバリエ・リサイタル 1982年11月21日 教育

関連記事:
モンセラート・カバリエ(2):ルクレツィア・ボルジア
モンセラート・カバリエ(1):アヴェマリア
モンセラート・カバリエの"Mein Schatzli"
モンセラート・カバリエ:クラーケントルプ公爵夫人って誰?!?
《ルクレツィア・ボルジア》4番目の夫ドン・アルフォンソ:中くらいの役(2)
突然走る王様《ランスへの旅》アバド指揮
3種類の14声のコンチェルタート ペーザロ、ウィーン、ベルリン
《ランスへの旅》14声によるコンチェルタートいろいろ(2)とおまけ



モンセラート・カバリエ(2):ルクレツィア・ボルジア [RRと女声歌手]

♪なんという偶然、一夜にしてカバリエがベルカント歌手として有名になったあの伝説の《ルクレツィア・ボルジア》が聴けます。関心のある方は、ずーっと下の方へどうぞ!(修了しました)
 カバリエ自身の言葉によると『たいした役じゃない役ばっかりで、忙しいだけで埋もれていた時代』、それが、突然終り、国際的な活躍がはじまるきっかけになった公演が、1965年4月、カーネギーホールでの演奏会形式の《ルクレツィア・ボルジア》でした。
 この公演に出演することになった経緯は、マリリン・ホーンが歌うことになっていたのですが、彼女が出産のためキャンセル、そこで、カバリエに出演依頼が舞い込んだのです。

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モンセラート・カバリエ(1):アヴェマリア [RRと女声歌手]

 モンセラート・カバリエ Montserrat Caballéが、注目され、世界の歌劇場に立つようになるのは、32歳と意外に遅いのですが、それまでの苦労話をちょっとご紹介します。


 カバリエは、1933年4月12日、バルセロナで生まれました。父が内戦で負傷後、病弱になったこともあり、貧しい家庭でしたが、両親は、レコードを買ったり、コンサートに行くためにあらゆる節約をするほどのクラシック愛好家でした。8歳の頃から、音楽、ピアノとかソルフェージュを習いに、両親の友人のところにレッスンに通っていました。オペラ歌手になろうと決心したのは、家族の助けになるような収入が得られるのではないかと考えたからだそうです。そこで、学費を払ってくれる人をさがして、バルセロナの大富豪ベルとランド氏の援助を受けて、バルセロナ音楽院に入学します。

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モンセラート・カバリエの"Mein Schatzli" [RRと女声歌手]


 モンセラート・カバリエが、ウィーン国立歌劇場の《連隊の娘》にクラーケントルプ公爵夫人役で特別出演して、歌も披露したことを記事にしたところ、TAROさんから、あのスイスの歌、『「シェツリ」はカバリエ得意の曲で、何かのコンサートのライブ録音で(一度ならず)聴いたことがあります。』というコメントをもらいました。
 そこで、さっそく調べてみました。見つけました! このスイスのヨーデルソング"G'Schätzli,"は、カバリエがリサイタルのアンコールでよく歌っていたものと記述がありました。更に、実際にアンコールで歌っているのも見つけましたので、ご紹介します。

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モンセラート・カバリエ:クラーケントルプ公爵夫人って誰?!? [RRと女声歌手]

 4月12日は、モンセラート・カバリエのお誕生日、74歳だそうです。当日は、ウィーンでドニゼッティのフランス語版《連隊の娘》に出演中で、共演者、観客の皆さんから盛大な祝福を受けたそうです。74歳の数日前の公演の録画がありますので、ご紹介します。
 カバリエは、クラーケントルプ公爵夫人の役です、

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アンナ・カテリーナ・アントナッチ [RRと女声歌手]

♪ビデオクリップを見るには、QuickTime7以上が必要です。ウィンドウズの方はこちらからどうぞ→http://www.apple.com/jp/quicktime/download/win.html
♪edcさんのブログで、コメントで話題になったアントナッチのケイト(蝶々夫人)が見られます(追記2007.4.17)
 フランスのオペラサイト、ODBオペラに アンナ・カテリーナ・アントナッチのインタビューが掲載されています。写真もたくさんあります。昨年末には、コヴェントガーデンで、《カルメン》を歌って話題になりましたし、パリでも《皇帝ティートの慈悲》《ユダヤの女》に出演して好評だったようです。
 アントナッチは、1961年4月5日、フェラーラで生まれ、ボローニャ音楽院で勉強。ボローニャ歌劇場の合唱団員として研鑽を積むと同時に脇役もこなす。1980年代後半に、いくつかの国際コンクールで優勝、頭角を現す。レパトリーは、モンテベルディ、ヘンデル、チマローザから、ロッシーニの諸役、フランスオペラ等、幅広い。
 インタビューの中で、ライモンディについても、ちょっと話題になっています。その部分だけ紹介します。
右上の写真をクリックすると、1991年ローマ、ピド指揮、ウーゴ・デ・アナ演出、ロッシーニ《エルミオーネ》リハーサルのビデオクリップに飛びます。アントナッチ、ウーゴ・デ・アナ、ブレイクが、ちょっと見られます。→削除しました(2007.7.17)

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ヴェルディ《イエルサレム》 [RRと女声歌手]

追記)なんと偶然ですが、トリノの公演のヒロイン役のソプラノ歌手マリア・ドラゴーニ(写真左下)の《ノルマ》がCSで放送されます。edcさん、情報ありがとうございます。

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ヴェルディの《ロンバルディ》《イエルザレム》《ジェルザレム》の関係を簡単に説明します。
《イェルザレム JÉRUSALEM:1847.11.26パリ・オペラ座初演》《ジェルザレムGERUSALEMME:1850.12.26ミラノ・スカラ座》は仏語と伊語の違い。《イエルザレム》作曲の経緯は、新作をパリ・オペラに依頼されたが、全くの新作は時間的に無理だったので、《ロンバルディ》を全面的に改訂することにしたのです。台本はかなり変えていますが、音楽は転用されている部分が多く、違うものだが似ているというような奇妙なかんじです。
お話しからいいますと《ロンバルディ》は、ことの発端からその後に続く話が、2代にわたっていてかなりややこしのですが、《イェルザレム 》は、簡単になってはいるのですが、ロジェ(伊語版ではルッジェーロ、ロンバルディではパガーノにあたる)の嫉妬の動機が、なんとも不可思議。詳しくは、オペラ御殿をご覧下さい。簡単なあらすじもあります。
1995年トリノの《イエルザレム》のリハーサルのビデオクリップを、ご紹介します。

ケルビーニ作曲《メデア》:Leyla Gencerのメデア [RRと女声歌手]

edcさんのブログでケルビーニ作曲の《メデア》が三回シリーズ(1)(2)(3)でとりあげられています。忘れられそうになると上演されるオペラのようです。歌える歌手が出現するのか、歌いたい歌手が出現するのか、そろそろやりますかぁ、ということなんでしょうか。edcさんのブログの(3)で紹介されているように、最近では、リスボンでギリシャ人歌手のテオドシュが歌ったそうです。

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レナータ・スコット(1934- )☆シチリアの晩鐘アリア [RRと女声歌手]

R.ライモンディと共演した女性歌手シリーズ第5弾、ソプラノのレナータ・スコット
R.ライモンディがデビューしたときはすでにプリマでしたので、共演させていただいたというべきかもしれませんが。
《ロンバルディ》《シチリアの晩鐘》《ファウスト》のライブ録音がリリースされています。
写真左上)は、得意中の得意《蝶々夫人》

1934年2月24日、イタリアのサヴォーナで生まれる。子供の頃から歌うことが大好きでだったが、劇場に行くような余裕のある家庭ではなく、ラジオでもオペラを聴いたことはなかった。彼女の歌の才能に気づいた母方の伯父が、12才の時にはじめてオペラ劇場に連れて行き、ティート・ゴッビの《リゴレット》を見る。(ジルダは誰だったのか記憶にないそうです)

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ダニエラ・デッシー(1957- ) [RRと女声歌手]

R.ライモンディと共演している女性歌手、第4弾、ソプラノのダニエラ・デッシー

1957年ジェノヴァ生まれ。パルマ音楽院とシエナのキジアナ音楽院で声楽とピアノを学ぶ。1978年のデビュー以来、世界の主要なオペラハウスで歌い、レパートリーは、モンテベルディからプロコフィエフまで60に及ぶ。
《ファルスタッフ》のアリーチェ、《シモン・ボッカネグラ》のアメリア、《ドン・カルロ》のエリザベッタ、《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・エルヴィラ、《ホフマン物語》のアントニア《トスカ》、《オテロ》のデズデモナでR.ライモンディと共演している。

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カーティア・リッチャレッリ(1946-) [RRと女声歌手]

※お願い! リッチャレッリが歌っている歌はなんでしょうか? ベルカントオペラに詳しい方よろしくおねがいします。(追記2006.1.9)ありがとうございます。

R.ライモンディと共演している女性歌手、第2弾、カーティア・リッチャレッリ
私が彼女を初めて見たのはゼッフィレッリ監督の映画《オテロ》のデズデモナ、とても美しくはかな気でイメージにピッタリでした。

◇1972年ミラノ・スカラ座、 アバド指揮《レクィエム》
◇1976年スカラ座(ロンドン公演)、アバド指揮《レクィエム》
◇1980年パリ・オペラ座、デルボー指揮《カルメン》
◇1980年ジュネーヴ、シュタイン指揮、ベジャール演出《ドン・ジョヴァンニ》

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キリ・テ・カナワ(1944-) [RRと女声歌手]

euridice さんのブログで、ペーター・ホフマンと共演した女性歌手を記事にされていましたので、そのアイデアを拝借して、R.ライモンディと共演している女性歌手を取り上げてみたいと思います。残念ながら、テノール歌手のように相思相愛という役はありませんが、、、
まず、私がオペラを見るようになったきっかけをつくってくれたジョセフ・ロージー監督の映画《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・エルヴィラ役のキリ・テ・カナワ
euridice さんのブログでも取り上げられています。

R.ライモンディとの共演は、《ドン・ジョヴァンニ》だけのようです。
◇1975年パリ・オペラ座、 C.マッケラス指揮、エファーディング演出(パリ・オペラ座には巨額の税金が投入され、その上チケット入手難ということもあり、国民の不満を緩和する目的で初日がTV中継された。パリ・オペラ座からのTV中継は12年ぶりだったが、大成功をおさめたそうです。)

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メゾソプラノから ソプラノ・ドラマティコに華麗に転身 [RRと女声歌手]

一人で、騒いでいましたが、ネット放送、無事に聴くことができました。メトの放送と重なったので、そちらを聴いた方も多いでしょうね。この公演は、メゾソプラノのVioleta Urmanaが、「トスカ」でソプラノ・ドラマティコとしてもデビューということで注目されていました。

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Violeta Urmana ハイブリッド歌手?? [RRと女声歌手]

今年、2005年のフィレンツェ5月音楽祭は、テバルディ追悼記念公演「トスカ」での幕開けとなります。
ヴィオレータ・ウルマナ、マークス・ハドック、ルッジェロー・ライモンディの予定です。

マークス・ハドックは、フォン・オッターで話題を呼んだマクヴィカー演出の「カルメン」のホセ、2000年オランジュ音楽祭の「ホフマン物語」のホフマン役のテノールです。

ヴィオレータ・ウルマナはトスカ初役、今NYメトで、ドン・カルロのエボリを歌っています。ええ??ーーということでちょっと調べてみましたら、レパートリーが凄いことになってます。今後はソプラノの諸役も歌っていくようです。

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