SSブログ

(2)ライモンディ、16年ぶりにパリ・オペラガルニエへ [RRとパリ・オペラ座]

「ドン・ジョヴァンニ」「ファルスタッフ」の次にユーグ・ガルが企画したのは、ライモンディのための新作オペラでした。作曲はロルフ・リーバーマンに依頼しました。
ライモンディは、この新作を勉強するために1986年7月は空けていましたが、楽譜を受けとることはできませんでした。リーバーマン作曲の"La Forêt" (原作オストロフスキー「森林」)の楽譜が彼の元に届いたのは12月、すでにボローニャで「アルジェのイタリア女」の公演がはじまっていました。
結局、ライモンディは、1988年3月のリハーサルがはじまる三日前に「できない」ということで、キャンセルしたのです。彼のために書かれた"La Forêt"をどたんばでキャンセルしたことと、それに続く長い裁判沙汰により、ライモンディは、新しい役の習得が遅いという悪い評判までたてられてしまったのでした。
"La Forêt"は、ジャン=フィリップ・クルティスがライモンディの後任を務めつつがなく上演されました。
よくある直前キャンセルのようにもおもえますが、どうして裁判沙汰にまでなってしまったのか? 契約不履行ということでしょうが、裁判沙汰になるのが普通なのでしょうか?

ライモンディがこのことについて話しているインタビューの一部を転載します。
「ライモンディは、彼のために特別に書かれた役、に関してリーバーマンとの関係が壊れたことで、傷ついたことを認めている。1986年の7月はそれを勉強するためによけてあったのに、ボローニャでの「アルジェのイタリア女」デビューした12月まで楽譜を受けとれなかった。ジュネーヴで7月に、楽譜が間に合わなかったら、辞退しなければならないことになる恐れがあると警告し、1月にJanine Reiss(大劇場の音楽研究主任)に私の問題を全部話した。私はまだやるつもりだった。3月のはじめリハーサルがはじまる三日前、できないとわかった。病気だと言うべきだった。それでも、Ostrovskyを読んだとき、リーバーマンの音楽の中にあらわれる性格に対して※Malfortuneについて非常に異なる考えを持ったと言わなければならない。 リーバーマンとユーグ・ガルの見解を理解したが、わからないことは、この出来事について彼らがやった宣伝だ。やりすぎだった。
彼は覚えるのが遅いことを認める。私は技術屋ではないし、人物像を創造しないで、音楽を覚えるのは難しいと思う......(1994年5月Andrew Clark)


写真)左リーバーマン、見えませんが、右にライモンディがいます。1981年ライモンディの特別番組のゲストで出演
※ロルフ・リーバーマン(スイス、作曲家 1910ー1999)1973年から1980年までパリ・オペラ座のインテンダン。その間、ライモンディもパリ・オペラ座で活躍する。ロージー監督『ドン・ジョヴァンニ』はリーバーマンの企画である。
※Malfortune:ライモンディが歌うはずだった役名。原作では《旅回りの悲劇役者ネスチャスリーフツェフ》
※原作「森林」のあらすじ
ロシアの劇作家オストロフスキーの5幕の喜劇。1870年作。翌71年初演。
森林の領地で安逸な生活を送る女地主グルムイシスカヤのところに、旅回りの悲劇役者ネスチャスリーフツェフ(不幸者の意)が路傍で知り合った喜劇役者スチャストリーフツェフを連れてやってくる。悲劇役者は15年前に家を出された甥だった。 女地主の偽善と怠惰に対して、演劇に情熱を燃やす青年が対照的に描かれている。
「演劇 映画テレビ舞踏オペラ百科」平凡社より


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 3

TARO

なるほどねえ。そんなことが隠されていたとは。
まさしく役の名前のようにmal-fortuneだったのですねぇ・・・
この記事は当然(3)に続くんですよね。ユーグ・ガルのその後が。ワクワク

ところで偉大なジャニーヌ・レイス女史は、ジュネーヴ大歌劇場の音楽研究主任でもあったんですね。フランス語オペラは、どこも彼女に頼りっきりですね。
by TARO (2005-02-08 11:35) 

keyaki

>まさしく役の名前のようにmal-fortuneだったのですねぇ・・・
ほんとうにそうですね。リーバーマンとは、とてもいい関係だったわけですから、残念なことですね。
裁判がどうなったのかはよくわからないんですよ。それらしきことが書いてある、インタビューがあるのですが、フランス語なんです。どなたか訳してくださらないかしらね。

>ジャニーヌ・レイス女史
彼女は、大物歌手さん達の指導をされているようですね。
上の写真の番組でも出演して、ピアノを弾きながらライモンディと一緒に歌ったりしてました。
リンク先の写真ですが、彼女がピアノを弾いてます。このときはどういう立場だったんでしょうね。
http://www.geocities.jp/cantante_espressiva/karajan.html#karajanphoto
by keyaki (2005-02-08 22:24) 

TARO

おや、イタリア・オペラでですか。歌手のリサイタルのピアノ伴奏者としても有名ですが、この時はコレペティのような役割をしてたということなんでしょうか?

彼女は小澤の「カルメン」で、凄い迫力でシコフのそばにつきっきりというメイキング映像が有名ですよね。
by TARO (2005-02-09 00:19) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。