藤原の「アドリアーナ・ルクヴルール」 [オペラ生舞台鑑賞記録]
RRのエピソード:声楽授業(13)ボローニャ音楽院-2- [ L.Magiera著:RR]
8月27日の記事の続き。
ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(私)は、ある日、学長室に呼び出されます。どうして呼ばれたのかわからないマジエラと学長代理リディア・プロイエッティ女史との会話が続きます
RRのエピソード:声楽授業(12)ボローニャ音楽院-1- [ L.Magiera著:RR]
8月18日の記事の続き。
1961年19才の時のことです。ルッジェーロは、大好きなローマを引き払ってボローニャに戻ったようです。ここで、レオーネ・マジエラと出会います。文中で『私』というのはマジエラです。(マジエラ氏のことは8月21日の記事をどうぞ)
はじめてルッジェーロ・ライモンディに会ったのは、私が26才の頃である。
私達の出会いは、ボーローニャ音楽院の第14教室、思い出せないほど昔の声楽の特別な個人レッスンの時間だった。私は、数年前に、大学教授の国家資格を獲得して、このような若さで勤めていた。
ボーローニャ音楽院は、チェントロ(街の中心)の"Due Torri"から、100メートルのところにある、古くて荘厳な建物で、かつては、聖アウグスティノ修道会の教会と修道院だったが、1804年にナポレオン・ボナパルトによって音楽学校になった。主な建物は当時のまま残っている。
非凡な音楽家達が、これらの教室で教えたり学んだりしたのである。ロッシーニは、15年間顧問だったし、ドニゼッティは多くの重要な自筆の楽譜を残した。隣接する市立図書館には、「セビリアの理髪師」の完全な総譜も保管されている。
ライモンディの本 [オペラ関連書籍&雑誌]
ライモンディの本は3冊出版されていますが、ついに全部手に入れました。昨日最後の一冊がウィーンの古本屋さんから届きました。
J.M.Ankenbrand著"Ruggero Raimondi Mensh und Maske"(ドイツ語)
(ハードカバー、B5、164頁 1987年出版)
RRのエピソード:声楽授業(11)レオーネ・マジエラ [ L.Magiera著:RR]
RRのエピソードとして、ぼつぼつご紹介している「Ruggero Raimondi」の著者レオーネ・マジエラについて調べてみました。
まず、マジエラ氏とは、何者かですが、一番最近では、「パヴァロッティのさよなら公演」で、彼を支えていた、指揮者でピアニストです。
エピソード:声楽授業(10) vocalizzo の重要性 [ L.Magiera著:RR]
R・ライモンディの声楽の勉強のエピソードで、度々出てくる"母音唱法=vocalizzo"について、レオーネ・マジエラ氏が、著書「ルッジェーロ・ライモンディ」の中で触れていますので、ちょっとご紹介します。
"vocalizzo "の重要性
ある人達は、"vocalizzo"が、本当に重要であるかどうかを質問してきます。
エピソード:声楽授業(9)ローマ編(ピエルヴェナンツィ先生の初レッスン) [ L.Magiera著:RR]
8月12日の記事の続き。ルッジェーロが、18か19才(1959年ー1960年)頃の話です。バリトンのタッデイが紹介してくれたピエルヴェナンツィ先生の初レッスンの続きです。
ピエルヴェナンツィは、数分間だまって彼をじっと見つめていました。神の啓示を待っているように それから、彼に、だしぬけに命じました。
「さあ、"Folgore,Morte!"を歌いなさい。」と言いながら、こぶしで"シ♭"の鍵盤を激しく叩きました。(参考:楽譜下)