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ボチェッリとオペラ (1) 前置き:グリゴーロとの関係など... [ボチェッリとオペラ]

 アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli、1958.9.22- イタリア)は、(本物の)オペラ歌手か!? と聞かれれば、オペラ歌手ではない...と躊躇なく答えます。
 オペラ歌手とは、(歌)劇場の舞台でプロとしてオペラを歌い演じる歌手で、アリアだけを歌う歌手は、オペラ歌手ではありません。実際に彼がオペラの舞台に立っていることも知っていますが、あくまで余興でしょ...という認識しか持ち合わせていません。
 このところ私が注目している(本物の)オペラ歌手ヴィットリオ・グリゴーロ(1977.2.19- イタリア)の情報をネットでさがしているとボチェッリの名前をよく目にします。
 たとえば、グリゴーロが2006年3月にリリースしたポップスのアルバムが、イギリスのヒットチャートで、ボチェッリと共にベストテン入りをしたことで話題になったり(右の写真をクリックすると記事が読めます)、どちらもパヴァロッティと縁があったり、グリゴーロがボチェッリと衝突したとメディが報じたり(注1).....ボチェッリを今のように有名にしたプロデューサー兼マネージャーが、今はグリゴーロのマネージャーになっているとか(注2)......今まで、ボチェッリには関心がなかったのですが、私が把握している以上にオペラにも出演していますので、「ボチェッリとオペラ」について調べてみることにしました。

その前に、ボチェッリとグリゴーロ、二人のパヴァロッティとのかかわりを簡単にまとめてみます。

 グリゴーロは13歳でパヴァロッティと共演しています。ローマ歌劇場の《トスカ》で、羊飼いの役で出演して、パヴァロッティをいたく感動させたということで、その時、グリゴーロに付けられたニックネームが『パヴァロッティーノ』でした(グリゴーロ自身がその話しをしている→ビデオクリップ) 。グリゴーロが大人になって、オペラ歌手の道を選んだ時から、このメディアの付けたニックネーム『パヴァロッティーノ』が復活しました。そして、今では、『パヴァロッティの後継者』と言われています。

 ボチェッリとパヴァロッティの接点は、パヴァロッティが1994年にはじめた『パヴァロッティ&フレンズ』です。ボチェッリは、子供の頃から、オペラ歌手になるのが夢だったそうですが、12歳で失明して断念、弁護士になりますが、歌手への夢は捨て難く、レストランでピアノの弾き語りなんかをやっていたそうです。そこでズッケロ(Zucchero)と知り合い、当時のズッケロのマネージャーのミケーレ・トルペディーネと会ったわけです。そして、彼がボチェッリを世界的に有名なポップ歌手にしたのです。1994年の『パヴァロッティ&フレンズ』に出演することになったのもズッケロとトルペディーネのお蔭ということです。もちろんパヴァロッティは、ボチェッリの声が気に入ったので、出演させたのですが、パヴァロッティは、ボチェッリをオペラ歌手とは思っていませんでした。普通に考えてもあの『パヴァロッティ&フレンズ』は、本物のオペラ歌手はパヴァロッティ自身だけであとは全部オペラ以外のジャンルの歌手たちで構成されているのが特徴ですから。パヴァロッティは、「あのボチェッリがオペラ歌手になりたがっているそうだけど....」と笑っていたようです。

注1)『グリゴーロはポップスターとオペラのアイドルの両方になりたいと思っている。彼はすでにクロスオーバーのスター、アンドレア・ボチェエリと衝突した。ボチェッリは最近、テノールたるもの、クラシックのアリアに専念するべきだと言明したのだ。グリゴーロは、ボチェッリは老化現象が進んでいるに違いないと反論した。「アンドレアが登場したとき、新しい歌に興奮した。その情熱はもう消えてしまったのだろう」 ......若い虎がパヴァロッティの王冠を獲得(2006.3.5)より』
これは、グリゴーロがボチェッリに直接喧嘩を売ったとかではなく、恐らく、インタビューで、ボチェッリの発言をどう思うかと意見を求められての答えだと思います。


注2)ミケーレ・トルペディーネは、もともとズッケロのマネージャーで、ズッケロを通じてボチェッリと出会い、15年間ボチェッリのプロデューサー兼マネージャーで、ボチェッリを世界のトップ歌手にしたのは、彼の功績です。ボチェッリがオペラの舞台に立つことに執着したことがお互いの関係を解消する原因だったのかもしれません。2007年6月にグリゴーロのマネージャーの一人になっていますが、グリゴーロとの出会いについて次のように語っています。『2006年9月に、ニューヨークで、マディソン・スクエア・ガーデンでボチェッリに同伴していた時にヴィットリオ・グリゴーロに気づきました。彼は、テレビディレクターのロザンナ・マーニやトニー・レニスと一緒にいました。私は、「新しいパヴァロッティの相続人」と書かれていたニューヨークタイムズのヴィットリオに関する記事を読んでいました。彼にコンタクトをとりたいとトニー・レニスに頼んで、ローマで彼と会いました。数ヶ月後に、ヴィットリオが、ワシントンでドミンゴ指揮の《ボエーム》を歌うことになっていたので、パヴァロッティに一緒に会いに行きました。ルチアーノが亡くなる数日前でしたが、ベッドからいろいろ彼に助言を与えて、「自分の若い頃を思い出させる...」と感慨深げに彼に言っていました。』
なんかほろりとしますね。亡くなる直前にグリゴーロに会って、自分の若い頃を思い出したなんて.....

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グリゴーロは、自分はクロスオーバー歌手ではないし、ボチェッリやワトソンとは違うと主張している。その通りだと思います。
パヴァロッティとヴィットリオ・グリゴーロ(パヴァロッティーノ)

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