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元祖!ジョナサン・ミラー演出《フィガロの結婚》その1 [フィガロの結婚]

えうりでぃちぇさんの記事『モーツァルト「フィガロの結婚」フィレンツェ2003年』に便乗して、元祖!ジョナサン・ミラー演出、1991年の《フィガロの結婚》です。
1991年5月「モーツァルト・イヤー」の一番の呼び物は、ウィーン芸術週間での《フィガロの結婚》だった。斬新な演出、ENOでのマフィア版《リゴレット》とか、フィレンツェの《トスカ》で、センセーションを巻き起こしたことで知られるジョナサン・ミラーの演出とくれば、なにかやるに違いない、と前衛的な舞台を期待していた向きに、肩すかしを食わせた。時代設定を変えるわけでなく、正統な《フィガロの結婚》だった。これは、かつてケン・ラッセルが、ウィーン国立歌劇場で、グノーの《ファウスト》を意外にオーソドックスな路線で演出して、大騒ぎをしようと手ぐすねひいていた人たちに肩すかしを食わせたのに似ている。
この肩透かしといわれたケン・ラッセルの《ファウスト》とジョナサン・ミラーの《フィガロの結婚》、両方にライモンディがかかわっているのが偶然ではないのではないかと思えます。なぜなら、ライモンディは、観客にショックを与えるようなセンセーショナルな演出には賛成できないし、時事問題にするべきではないというのが持論だからです。
劇場でブーイングの嵐を起こそうとしていた人たちにとっては、がっかりで、いい気味ということですが、下手な細工をしなくても、元来、革命のオペラと言われているように政治的にも道徳的にも危ない面を抱えたオペラであり、ジョナサン・ミラーの演出は、その一部を強調するようなことはせず、喜劇性、官能性、悲哀という人間性溢れるリアルな舞台となっています。
「モーツァルトのオペラではショッキングな演出はしないし、できない。また私は歌手たちに馬鹿げた演技もさせない。なにかセンセーショナルなことを狙うのでない限り、そんなことをする必要もない。私は、人間のふるまいが、説得力を持ってリアルに描かれている舞台をつくりたいだけだ」とジョナサン・ミラーは語っています。(1994年ウィーン国立歌劇場プログラム参照)
この演出は、1991年ウィーン、1994年フェラーラ、ウィーン、東京で上演されていますが、いずれも指揮はアバド、伯爵はライモンディです。そしてこれらの公演は、オペラにはめずらしく、キャスティングずれもなく、ジョナサン・ミラーも「キャストの面でも、私はとてもラッキーだった。たくさんの素晴らしい歌役者を得た.......」と語っています。
えうりでぃちぇさんご紹介の2003年フィレンツの公演も、ジョナサン・ミラーの演出で、全く同じではありませんが、舞台もよく似ていますし、伯爵夫妻の子供がいたりで、ディテールも似ています。似ているのでついつい比較したくなりますが、どうなんでしょう......
▼左上写真)ビデオクリップ:1幕、伯爵登場の場面
▼肩透かしグノーの《ファウスト》


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euridice

TB、どうも〜〜〜です^^!

私としては、こっちのほうが好きです。
by euridice (2006-10-19 09:12) 

Orfeo

TB、ありがとうございます。
私としても、これが好きです^^;;
by Orfeo (2006-10-19 13:28) 

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