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バーリのバジリカで《大聖堂の殺人》 [大聖堂の殺人]

ルッジェーロ・ライモンディのスケジュール追加です。


2006年12月22日、南イタリアのバーリのバジリカ・ディ・サンニコラで、イルデブランド・ピッツェッティ作曲《大聖堂の殺人》が演奏されます。
指揮は、ピエル・ジョルジョ・モランディ、共演は、パオレッタ・マーロック他。

プーリア州の州都バーリの中心街にあるペトルッツェッリ劇場は、およそ100年ほどの歴史をもつりっぱなオペラ劇場でしたが、1991年10月26日夜中から27日未明に火災に見舞われ、閉鎖されました。皮肉にも直前には、火刑の場面で幕切れとなる《ノルマ》が上演されていたそうです。再建は難航していますが、来年2007年12月の再開を目指しています。バーリの劇場のサイトPetruzzelli e Teatri di Bariはこちらですが、現在はTeatro Piccinniでオペラとダンスの公演が行われています。上記のバジリカでも、ムーティ指揮でミラノ・スカラ管弦楽団が演奏したこともあります。
写真は、美しいアドリア海の海岸線に沿って建つBasilica di San Nicola

ついでの話:ニーノ・ロータとリッカルド・ムーティ
ムーティは1941年7月28日ナポリで生まれましたが、モルフェッタ(バーリの近く)で育ちました。高校時代は、地元高校に通いながら、バーリ音楽院にも通学していました。その時の校長がなんとあのニーノ・ロータだったのです。しかし、家族が翌年ナポリに引越すことになりましたので、1959年にナポリ音楽院に入り、1962年にはミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で勉強を続け、1970年代前半から若手指揮者として活躍を始めたのです。

※ニーノ・ロータ(1911.12.3 - 1979.4.10)北イタリアのミラノ出身。ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽院に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻。大学卒業後音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。

■大聖堂の殺人ASSASSINIO NELLA CATTEDRALE 公演記録
■関連記事:
2005-12-19の記事で曲の紹介とビデオクリップがみられます


バーリからギリシャに船が出ています。真夜中に出航して、翌朝には着きます。 


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コメント 4

助六

ライモンディ、この曲に執心みたいですね。珍しい曲への意欲には頭が下がりますね。オラトリオっぽいところもあるから、教会でやるのは一案でしょうね。

バーリや周辺のロマネスク教会(トラーニが素晴らしい!ここで結婚式挙げるのがシックだそう)巡って、ギリシャに渡ったことがあります。サン・ニコラがあるカスバみたいな白い迷路状の旧市街はかつてはスリの巣窟と言われたけど、EU補助金で洗浄し今は特に問題なく歩けます。でも黒装束で家の前に腰を下ろす老女たちのグループ、路地を駆け回る子供たち、窓から見える名産パスタのオレキエッテを打つ若く美しい女性とか、21世紀の欧州にまだこんなところが!と驚愕に値する光景でした。
プーリア人はシャイでかつ人なつっこく大好きです。同じ南でもシチリア人やカラブリア人とは随分違う印象を受けました。帰路オレキエッテとオリーブ油を両手一杯ぶら下げて飛行機に向かったら、皆が賞賛してくれましたよ!

ペトルッツェッリは尚焦げ跡露な無残な姿をさらしてましたが、何とマクドナルドの壁一面に劇場内部の美しい写真が掲げてあったので、「綺麗だけど、どっちの劇場?」と訊いたら、従業員の女の子が「燃えたペトルッツェッリの方」と嬉しそうに話してくれました。何でも総監督自身が個人的負債償還のために、再建工事で動くカネを狙ってマフィアに放火させたとかいう信じ難い話みたいですが。結局最高裁まで行って無罪らしいけど。ここはメッセーニ家の個人所有の劇場という事情で、再建費用を巡る国との交渉が長引いて、この再建遅延になったみたいですね。
88年にペトルッツェッリが、ロンコーニ演出リッチェレッリ主演のピッチーニの「タウリスのイフィゲネイア」を持ってきて、シャトレで公演したのを観たことがありますよ。珍しい劇場の珍しい作品でありがたかったです。
by 助六 (2006-08-15 08:15) 

keyaki

助六さん
突然決まったようですので、もしかしたら、ペトルッツェッリ劇場再建に協力の資金集めかな、、とか想像しています。
このちかくに現代の聖人ピオ神父の教会やコンヴェントがあるので、全く縁のない土地というわけでもないようですし、、
ライモンディの親戚には、司祭とか修道院長とかがいて、両親の代父がピオ神父で、ライモンディも子供の頃、会ったそうです。

ペトルッツェッリは、なんでも、土地は市のもので、市から譲渡された土地に実業家のペトルッツェッリ氏が劇場を建てたものだそうですが、譲渡の条件に、火事等で崩壊した場合は、3年以内に修復作業を終えなければ、市がその土地を引き取る、、、とかの契約で、ペトルッツェッリの相続人に再建費用がないのを知っていて、放火したとかですよね。
たしか、フェニーチェの時も、マフィアが絡んでいる話が出ましたね。まあ、日本のように、延焼することがないので、放火の罪は軽いのかしら?確か日本は殺人よりも放火のほうが重罪でしたよね。
by keyaki (2006-08-15 22:20) 

きのけん

 このオペラって、ひょっとしてT=S・エリオットの作品よりは、同じ題材を扱ったジャン・アヌーイの戯曲『ベケット』を直接の原作としているのでは?…。
 というのも、この戯曲、オペラが作曲された時期、フランスの国立民衆劇場の主要レパートリーに入ってまして、ジャン・ヴィラールの演出によりアヴィニョン演劇祭で何度も上演されてるんです。現在ではほぼ忘れ去られてしまったような作品で、僕だって実際の上演なんか1度だに見たことがないですが、当時イタリアの作曲家が関心を持ったということは、おおいにあり得ますね。

 そういや、バーリのペトルッツェーリ劇場はパリに客演したことがありますよ。 1987年シャトレ座で上演されたピッチンニ(グルックと例の「音楽が先か?、詩が先か?」という論争をやったあいつですね)の《イフィジェニア》で、演出がルカ・ロンコーニ、指揮がドナト・レンゼッティ、主役はカティア・リッチャレッリでした。
 この秋、《パリの秋芸術祭》が大がかりなロンコーニ特集を組みまして、シェローのアマンディエ劇場が彼の芝居を3本、コメディー・フランセーズがシェイクスピア《ヴェニスの商人》の新制作を発表しまして、これを Orfeoさんも見てるんだけど、彼はピッチンニの方はご覧にならなかったかな?…。
きのけん
by きのけん (2006-08-17 02:28) 

keyaki

きのけんさん、
日本語訳が出ていて、薄っぺらい本ですので買いましたけど、T=S・エリオットの詩劇と、ほとんど同じなんですよ。
ジャン・アヌーイの戯曲『ベケット』に刺激されたということはあるかもしれませんね。

2003年のローマでの公演もクリスマスの時期で、別の劇場では、「椿姫」だったかな、の公演で、そっちのほうが、客の入りがよかったとかで、ライモンディさん、不満をもらしてました。クリスマスにおこった暗殺とはいえ、クリスマスの時期にこういう演目は、見たくないよねぇ、なんて意見もありましたけど。今回は、一日だけですので、大丈夫だと思います。
by keyaki (2006-08-18 21:16) 

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