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オペラ歌手のオペラ演出:R.ライモンディの場合(1) [オペラの演出]

注)ゼルリーナ役と、もう一人のドン・ジョヴァンニを追記しました(2006.8.23)
オペラの演出をしている歌手、これも調べれば、けっこうありそうですが、どうでしょう。
R.ライモンディのオペラ演出:
■1986年ナンシー《ドン・ジョヴァンニ》演出+ドン・ジョヴァンニ
■1992年ナンシー《セビリアの理髪師》演出+ドン・バジリオ
■1996年アテネメガロン《ドン・ジョヴァンニ》
■2003年モンテカルロ《ドン・カルロ》演出+フィリッポ

※右の写真は、ソリン・コリバン とエレーナ・ケレシディ

まず、アテネでの《ドン・ジョヴァンニ》について:
この時は、演出だけで、出演していません。他は、全部、出演も兼ねています。情報不足でどのような演出だったのか全くわかりませんし、出演者もドン・ジョヴァンニ、レポレッロ、ドンナ・アンナだけはなんとかつきとめたという状態です。詳細はわかりませんが、どうやら、 1994年に"ドン・ジョヴァンニを探して"という国際コンクール を開催して、キャストを選んだようです。



新演出《ドン・ジョヴァンニ》
グスタフ・クーン指揮
ルッジェーロ・ライモンディ演出、Marc Bohan衣裳

キャスト

ドン・ジョヴァンニ:ソリン・コリバン (優勝者)
     Lucas de Jong(左写真)
レポレロ:クリストフォロ・スタンボリス (優勝者
ドンナ・アンナ: エレーナ・ケレシディ
ゼルリーナ:天羽明恵 Amou Akie

あとのキャストはわかりません

1996年3月 2, 4, 5, 6, 7, 8日
メガロン・アテネ
※もう一人ドン・ジョヴァンニを発見、日程からみてもダブルキャストだったようです。
ゼルリーナは天羽さんではないかという情報をもらいましたので追記しました。

ソリン・コリバン SORIN COLIBAN(バス・バリトン)
1971年ルーマニアのブカレストで生まれる。ブカレストの音楽院卒業後、"The quest for Don Giovanni"の国際コンクールで優勝、1996年にルッジェーロ・ライモンディ演出の《ドン・ジョヴァンニ》のタイトルロールで、国際的キャリアをスタートさせた。.........
※ゲオルギュー、アラーニャ、ライモンディの映画《トスカ》では、シャローネとして出演している。この人です真ん中がシャローネ、右はスポレッタ

Lucas de Jong(バリトン)
1962年オーストラリア、メルボルンで生まれる。1974年、12歳でトスカの「羊飼いの少年」でデビュー。1984年メルボルン音楽院を卒業後、オペラオーストリアをメインに活躍。1994年グライドボーンで《フィガロの結婚》の伯爵を歌い、1996年にルッジェーロ・ライモンディ演出の《ドン・ジョヴァンニ》のタイトルロールをアテネで歌う。.........現在、オーストリアを中心に活躍中。

エレーナ・ケレシディ Elena Kelessidi(ソプラノ)
カザフスタン生まれのギリシャ人で、Alma-Ataの音楽院で勉強した後、ギリシャに行き、アテネ国立歌劇場でコンスタンツェと1996年メガロン・アテネのルッジェーロ・ライモンディ演出《ドン・ジョヴァンニ》で、ドンナ・アンナを歌いその後、国際的に活躍する。ロイヤル・オペラには、ドン・カルロの天の声でデビュー、その後、ヴィオレッタを歌い、国際的に注目される。.........
※ネットを一巡したところ、コヴェントガーデンとかミュンヘンで、彼女の舞台に接した方達の評判は上々のようです。

クリストフォロス・スタンボリス Christophoros Stamboglis (バス)
アテネ出身、1981年から地元の音楽院で勉強をはじめる。2年後にマリア・カラス奨学金を獲得し、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校に留学する。卒業後も、シェリル・ミルンズ他、フランス、ロンドンで、マスタークラスを受講、1994年にギリシャの偉大なバリトン、コスタス・パスカリスの下で、勉強を終えた。オペラデビューは、1987年にロンドンで《フィガロの結婚》のフィガロ、その後、アテネを中心にレポレッロ、ドン・アルフォンソ、フェスコ等バスの諸役を歌う。1996年には、国際コンクール"The quest for Don Giovanni"の優勝者として、ルッジェーロ・ライモンディ演出、グスタフ・クーンの指揮の下、レポレッロを歌った。.........


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コメント 13

助六

ライモンディも随分演出やってるんですね。

すぐ思い付くものをメモしておきます。あんまり思い浮かびませんが。

―シュヴァルツコプフ: ブリュッセル「ばらの騎士」 1981
―パヴァロッティ: フェニーチェ「ファヴォリータ」ヴァーレット他 1988
―シリヤ: ブリュッセル「ローエングリン」 1990
さすがヴィーラントの薫陶を受けたドラマ派、モルチエが敢えて起用したカイあってか、歌手の演出としては例外的に好評だったと記憶します。ブレーンがよかったのかな。勿論観てませんが。
―ファスベンダー: 自ら総監督務めるインスブルックでもう何でもやってるみたい。ハノーファーやブラウンシュヴァイクでも。

新国の
―ヴァイクル「マイスタージンガー」(どうでした?)、
―ツェドニク「こうもり」には、芸術監督さん臆面なく自分のヴィーン人脈日本で喰わしてるなぁとか思ってしまいましたが、後者はよかったとのことで何よりでした。ウィンナ・オペレッタなんかは、ジャンルのローカル性、台詞の問題もあって外国人には最も上演が難しい分野でしょうから、日本人歌手や日本語交えて客がシラケずに笑える舞台作るだけでも大変なことでしょう。パリ・オペラ座が出した仏語混ぜた「こうもり」2演出(フォアマンとセロー)なんか、両方沈没ものでしたしねぇ。
by 助六 (2006-08-19 07:52) 

euridice

オペラ歌手にしろ俳優にしろ、演出や監督、あるいは指揮者、やってみたいと思うんでしょうね。いろいろ言われる側から、言う側になりたいんでしょうね^^; それに特定の技術がなくてもとりあえずやれるみたいだし・・・ 管理職になりたい気分と同じかなぁ.....
by euridice (2006-08-19 08:26) 

ヴァラリン

へーっ、RRさん演出もなさっているんですね。
とりあえず思いつくものは…助六さんの書式に従って(笑)

-ルネ・コロ: ダルムシュタット「パルジファル」1986 自ら出演したようです。
        ウルム「低地地方」1991 同じく自ら出演したようです。
        ハレ(旧東独の小さな街です「トリスタンとイゾルデ」2004-05 これは、旅先で偶然チラシを見ました(^^;

-テオ・アダム: ドレスデン「パルジファル」何年なのかはわかりませんが、2002年頃までやっていたはずです。
他にもベルリン国立歌劇場で「魔笛」
(これは多分、今のプロダクションの前のものかなぁ?今のが'94からなので、それよりも前-まだ壁があった頃のものかも。詳しい方がいらっしゃれば、フォローお願いします)

>いろいろ言われる側から、言う側になりたいんでしょうね^^; 
きっとそうなんでしょうね(笑) すべてを掌握したいから…とか。
by ヴァラリン (2006-08-19 09:07) 

keyaki

パヴァロッティが演出ですか、吃驚、だって、まっ、いいですけど、、、

私が思いついたのは、ヴァイクル、ツェドニク、テオ・アダム、あとは、ブルゾンですけど、日本でもサントリーホールで半演奏会形式で、ファルスタッフ、自ら歌ってもいますし、イタリアのどこだったかで、やっぱりファルスタッフの演出をしているようです。

>助六さん
新国のヴァイクルのマイスタージンガーは、とてもわかりやすくて私のような、マイスタージンガーお初組にはよかったです。

>euridice さん
>言う側になりたいんでしょうね^^;
ライモンディの場合は、演出家に自分のアイデアを出しているようですから、言いたいことは、言ってるんでしょうけどね。

>ヴァラリン さん
この写真の歌手さん、れいのミュンヘンのリューのようですよ。
by keyaki (2006-08-19 10:03) 

きのけん

>1986年:ナンシー

 現在では名称が変わりまして、「ナンシー市&ロレーヌ地方歌劇場」となっているようですが、当時の「ナンシー大劇場」は、なにせストラスブールのライン歌劇場の陰に隠れ、あまり目立たなかったとはいうものの、なかなかの質を備えたオペラ座でした。1970年代後半から1980年代初めにかけてここの総監督だったジャン=アルベール・カルチエは、その後パリ・シャトレ座の初代総監督となり、さらに国立歌劇場のガルニエ・オペラの方の総責任者になった人。
 ひょっとして、僕が見た《マイスタジンガー》の最上の舞台がここのものではなかったかな?…。マインツ歌劇場との共同制作で、当時、新しい歌手の発掘にヴォルフガンク・ワーグナーなんかも通って来てましたね。その《マイスタジンガー》のうら若きベクメサーが、その10年後くらいかな?…、突然バイロイトに登場しちゃったり(アイケ・ヴィルム=シュルテ)、同じく《タンホイザー》に出てたジャニンヌ・アルトマイヤーが翌々年くらいからバイロイトのジークリンデになっちゃったり…、結構穴場的な劇場でしたね。ここでこの時期の制作なら、ライモンディ演出といったって、多分、ただの客寄せパンダじゃなかったと思います。
きのけん
by きのけん (2006-08-20 02:26) 

keyaki

きのけんさん、ナンシーの情報ありがとうございます。
ところで、1976年にナンシーで、プレートル指揮で《ドン・ジョヴァンニ》を歌っていますが、演出がDucreuxという情報なんですが、Ducreuxは、 Louis Ducreuxでいいのでしょうか。また、このルイ・デュクルーは、「田舎の日曜日」とかに出ている俳優と同一人物ですか?

きのけんさんは、ライモンディ演出の《ドン・ジョヴァンニ》はご覧になってないんですね、残念! 
by keyaki (2006-08-20 11:15) 

Sasha

keyakiさん、いつもお世話になっております。
古い話でもよろしければ、1973年、すでに舞台を引退していたマリア・カラスがディ・ステファノと組んで「シチリア島の夕べの祈り」を、新装成ったトリノの「新テアトロ・レージョ」の杮落としで演出したことがありますね。エレーナ公女はカバイヴァンスカ。無論、ご存知のようにこれを機に「演出家」として再出発、とはいきませんでしたが...(ところで、「永遠のマリア・カラス」にはディ・ステファノとの交際のことはまったく触れられていませんね。元妻の暴露本だけで十分ではありますけれど)
by Sasha (2006-08-21 11:05) 

keyaki

Sashaさん、
その話どっかで読んだことがありますよ、確か、マリア・カラスの指名だったんですよね、歌はもちろんですけど芝居ができるということで。ディ・ステファノと組んでというのは、彼がアリーゴを歌ったということですよね。(まさか、二人で演出なんてことはないもんね)
そう、そう、この話、カバイヴァンスカのインタビューに、マリア・カラスはそのとき、とても優しくて、思いやりも忍耐力もおありで、ご機嫌がよろしくて、幸福に浸っていらしたようで、きっと恋をしてらしたのですわ、ホホホ、、なんて言ってますね。
この頃ですよね、二人で世界ツァーで回っていたのは、いいお友達だったんでしょうね。 Sasha さんは、1974年の日本でのリサイタルには行かれたんでしたっけ? 
by keyaki (2006-08-21 20:19) 

助六

そうそう大物を忘れてました。73年トリノの「シチリア」の演出はカラスの要望でディ・ステーファノと連名だったそうです。
57年の「仮面」以来共演してなっかた二人でしたが、72年にステーファノから匿名の花束が届けられ、オナシスから捨てられたカラスと娘が病魔に冒されていたステーファノは急速に接近し、2人はケンカも重ねながらも、カラスは演出への協力依頼でステーファノを喜ばせたい気持ちもあったようです。

75年に横浜で「マダム・バタフライ世界コンクール実行委員会」だったかを称する主催者(切符払戻し等でトラブルを起こしたと記憶します)の企画で、「トスカ」でカラスのオペラ上演復帰が予告されましたが、結局キャンセル、カバリエが代役として来日した騒動がありました。この時も演出としてステーファノが記されていたと思います。評判は散々で事実上ステーファノは何もしてないだろうなんて言われてましたね。このキャンセルの裏にはオナシスとの再会、再びケンカと和解の繰り返し、そしてオナシスの死と言う事情もあったと言われます。

序に脇からで恐縮ですが、デュクルーは俳優・演出家で、マルセイユ、モンテ・カルロ、ナンシー(73-77)のオペラ監督を務めた人です。「田舎の日曜日」で名演技を見せていたのも彼です。
by 助六 (2006-08-22 10:07) 

Sasha

助六さんの詳細解説に感嘆しております。
keyakiさん、カラスの唯一の来日リサイタル、さすがに行ってはいませんが、FM放送されたものをエアチェックしたカセットテープ(!懐旧の情抑えがたし、ですなあ)は、今でも家のどこかにありそうです。Y.T.先生が解説してましたねぇ。(まあその...残念ながら当時の私でもわかってしまいましたが、往時のカラスではないことは...)
by Sasha (2006-08-22 14:16) 

keyaki

助六さん、デュクルーの件ありがとうございます。

>演出はカラスの要望でディ・ステーファノと連名
そんなぁ、連名ってなぁに、ですね。

ディ・ステーファノといえば、強盗事件で、奥さんは元気になったようですが、彼は、まだ意識を回復してないんじゃなかったかと?

Sasha さん
じゃなかったですか。でもしっかりFMで聴いたんですね。年季がちがいますね。私より一つ上の友人が聴きにいったそうですが、「気の毒だった、、」と言ってましたね。誰の耳にもそうだったということですね。
by keyaki (2006-08-22 16:23) 

junki

どうも恐れながらコメントさせていただきます。こちらのアテネ、私の記憶が正しければ、我が国の誇る天羽さんがツェルリーナを歌われた筈です。
by junki (2006-08-23 04:26) 

keyaki

junkiさん、ありがとうございます。
天羽さんの経歴には書かれていませんが、時期的に推理すると指揮者のグスタフ・クーンの推薦かな、と思います。
by keyaki (2006-08-23 14:36) 

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