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オペラの演出と映画監督 [オペラの演出]

「オペラの演出をした映画監督」というテーマでまとめてみようかと思いましたが、ひとくくりにできないことに気づきました。しかし、乗りかかった船ですので、まずは、ライモンディとちょっとでも関わりのある監督から紹介します。
■ジョセフ・ロージー(1909.1.14〜1984.06.22 アメリカ、1953年イギリス)
パリ・オペラ座1980年6月《ボリス・ゴドノフ》

演出するはずだったリュビーモフの出国をソ連が突然拒否、リーバーマンは、前年オペラ映画《ドン・ジョヴァンニ》を監督したロージーに依頼。ロージーは、元々演劇出身の映画監督であるが、常日頃オペラというものが、オケピットによって、舞台と客席が切り離されていることに不満があった。そこで、オケピットに蓋をして、そこを主要舞台とし、オーケストラは、舞台の奥上方にひっこめるという画期的で、実験的な演出となった。
左上ビデオクリップをご覧下さい。舞台後方のネギ坊主の形をした籠の中に指揮者とオーケストラが入っています。歌手達はいたるとことにおいてあるモニターで指揮を見ます。
▼きのけんさんのジョゼフ・ロージー作品紹介サイトこの《ボリス・ゴドノフ》も掲載されています。
参考記事:オペラの演出(ジョセフ・ロージー監督)


■エルマンノ・オルミ(1931.7.24〜イタリア ベルガモ)
アバドは、《オテロ》を1年間オルミと共に研究し、まずベルリンで1995年11月30日と12月3日に半舞台形式でジャコミーニ、フリットリ、ブルゾンで上演。1996年ザルツブルグ春の音楽祭では、ドミンゴ、フリットリ、ライモンディで、1997年5月にはトリノで、クーラ、フリットリ、ライモンディというキャストで上演した。『エルマンノ・オルミは、海に囲まれた島に象徴的な意味を持たせ、登場人物達たちの孤独感を強調しました。』とアバドが語っています。
上の写真からビデオクリップに飛びます。オルミ監督の熱心な演技指導に、クーラもフリットリもたじたじ、歌手に勝手にどうぞ・・ということはなさそうです。
参考記事:オペラの演出(アバド&エルマンノ・オルミ)

■ケン・ラッセル(1927.6.3〜イギリス)
1985年《ファウスト》

ウィーンでは1985年のために、魅力的なメフィストが求められていた。それにケン・ラッセルの想像力が燃え上がった。ライモンディが承諾の返事をした....
詳細はこちらケン・ラッセル演出、グノー《ファウスト》

■ジュリアーノ・モンタルド(1930.2.22〜イタリア ジェノヴァ)
アレーナ・ディ・ヴェローナ1983年《トゥーランドット》、1998年《トスカ》

ライモンディは、1998年、2002年《トスカ》に出演。
2002年の写真が見られますアレーナ・ディ・ヴェローナのフォトギャラリー

■パトリス・シェロー(1944.11.2 〜)
19歳の頃から舞台監督として活躍していますので、「オペラの演出をした映画監督」というよりは、舞台演劇がメインで、俳優、映画監督でオペラの演出もしている、というのが正しいのかもしれませんが、日本では映画監督として知られていますので、まあ、いいでしょうか。
2005年エクサンプロヴァンス音楽祭の《così fan tutte》は、10年ぶりのシェローの演出ということで話題をよびました。ドン・アルフォンソ役のR.ライモンディもシェローとの仕事を非常に楽しんでいるようです。また今秋、パリ・ガルニエとウィーンで再演されます。
シェローもライモンディもお互いに一緒に仕事をしてみたいと思っていたということで、とにかく楽しかったそうですが、ライモンディがシェローの演技指導について語っている部分を一部ご紹介します。
「パトリスは、.......ポーズの取り方についてもずいぶん細かい指導をしていたね。私にはベルトに手を突っ込んで歌う癖があるが、俺の演出じゃあ絶対に許さん!どこに手を置こうがかまわんが、オペラ歌手お決まりの格好だけはさせん、もしそんな格好をしたら、歌うたいめ!と怒鳴りつけてやるからな、とね。だから、彼が人物の身体面についても気を遣っているんだということがわかってきたんだ。徐々に、彼のルールに従うようになり、結局、そのすべてがドン・アルフォンソという人物の役作りに役立ったんだ。シニカルで哲学的なドン・アルフォンソという人物のね。」
シェローは、1974年から《ホフマン物語》《リング》《ルル》《モーツァルトのルーチョ・シッラ》《ヴォツェック》《ドン・ジョヴァンニ》、2005年の《così fan tutte》まで、10年おきくらいにオペラの演出を手がけています。詳細はこちらの記事シェローが語る「オペラの演出とオペラ歌手について」をどうぞ。
参考記事:シェロー:ドキュメンタリーOPERA-FILM《ドン・ジョヴァンニ》

■フランコ・ゼッフィレッリ(1923.2.12 -フィレンツェ )
オペラの演出家をやりながらも、いつも映画を撮りたいと思っていたようです。
ライモンディは、1972年の映画《ブラザー・サン シスター・ムーン 》にカメオ出演、オペラでは《ドン・ジョヴァンニ》に出演していますが、ライモンディ自身の経験によれば、「ギュンター・レンネルトはだれよりもgiocosoと演劇をうまく結びつけたが、それに対して、ゼッフィレッリは舞台装置の美しさに捕われていた。」ということです。なんとなく分かるような気がします。

■ブノア・ジャコ(1947.2.5〜パリ)
オペラは好きではないと言うことでしたが、2001年公開の映画《トスカ》を監督したことにより、オペラの演出を依頼され、2004年コヴェント・ガーデンで《ウェルテル》を演出、おとなしいものだったそうです。
参考記事:ブノワ・ジャコ監督「トスカ」BS2で放送!ビデオクリップがあります。

■ルイジ・コメンチーニ(1916.06.8〜イタリア)
パリ・オペラ座で、1986年9月27日ー《ドン・カルロ》フランス語5幕初演版を演出する予定でしたが実現しませんでした。その経緯を2冊の本から抜粋します。
演出は当初、映画界の巨匠ルイジ・コメンチーニに予定されていたが、総支配人マルティノーティと意見が合わずに降りたため、歌手陣もライモンディ、コトルバシュ、ブレンデル、スチルウェルという著名歌手が次々キャンセルした。竹原正三著「パリ・オペラ座」より抜粋
もう一つの記述は、「一言多い人」(総支配人マルティノーティのこと)という章で、
.....ルッジェーロ・ライモンディが歌う《ドン・カルロ》の舞台担当に予定されていたルイジ・コメンチーニを予告無しに解雇することは得策だっただろうか? コメンチーニは、ダニエル・トスカン・デュ・プランティエの義父で、トスカンは、オペラ座の理事の一人であり、オペラの狭い世界では否定できない影響力を持ち、非常に多くの友人がいて、ライモンディはその最も近しい人だったことを忘れてはならない。ついにライモンディはこの《ドン・カルロ》を歌いには来ず、船は浸水によって沈んでしまった。....ミシェル・サラザン著木村博江役「パリ・オペラ座」より抜粋

■ドリス・デーリエ(1955.5.26〜ドイツ)現代ドイツを代表する女性監督
2001年6月、R.ライモンディは、デーリエの演出に納得できないため、《così fan tutte》のドン・アルフォンソ役をキャンセル。理由を次のように語っている。
ライモンディ:ベルリンの「コジ」は、舞台を60年代米のヒッピー部落に置き換えたもので、この作品をこうした文脈に移したら、「コジ」の基礎にある緊張関係や道徳的禁忌は全て事実上消え失せてしまいます。少量の大麻で、全ての問題は解決するという訳ですよ。この種のセンセーショナリズムが段々受けつつあります。
−練習の半ばで降板されたのですか?
ライモンディ:そうです。契約を解除しました。何で参加したくないか説明しましてね。幸い訴えられなかったですけど。(インタビュアー:ジェレミー・ルソー/2005年3月31日、チューリッヒにて)
この《così fan tutte》は、ベルリンでは、評判も上々で、2002年の再演がDVDで発売されています。デーリエ監督は、その後、ニッポンのアニメ版《トゥーランドット》、お猿の惑星版《リゴレット》と、成果があったかどうか知りませんが、若者の集客を目指した演出に終始します。
参考記事:「コジ ファン トゥッテ」三度目の正直
猿の惑星?ルイ・ヴィトン?リゴレット?


ライモンディと関係はないが、この映画監督もオペラを演出している、とすぐに思いつく人たち
■ルキーノ・ヴィスコンティ(1906.11.2. - 1976.3.17 ミラノ)
《椿姫》《ドン・カルロ》《トロヴァトーレ》《エグモント》 オペラ演出家としても、映画監督としても知名度がありますので、別格でしょうか。
映画《郵便配達は二度ベルを鳴らす》《揺れる大地》《夏の嵐》《山猫》《ベニスに死す》、、、
■マウロ・ボロニーニ(1922.6.28〜2001.5.14 イタリア ピストイア)
《ノルマ》《トスカ》
映画は《わが青春のフロレンス》が有名
■ジョン・シュレシンジャー(1926.2.16〜2003.6.25ロンドン)
1981年プレートル指揮《ホフマン物語》、1985年ショルティ指揮《ばらの騎士》、1989年ザルツブルグ、ショルティ指揮《仮面舞踏会》
映画の代表作は《真夜中のカウボーイ》《マラソンマン》
■アンドレイ・タルコフスキー(1932.4.4〜 1986.12.28 ソ連ー亡命)
《ボリス・ゴドノフ》
映画《惑星ソラリス》《ノスタルジア》、、
■リリアナ・カヴァーニ(1933.1.12. - イタリア)
《椿姫》《仮面舞踏会》《カヴァレリア・ルスティカーナ》《トーリードのイフィジェニー》《ウェルテル》 「立派な舞台装置&衣裳付きのコンサート形式」という感想もありますが、ムーティと組んでいることが多いせいでしょうか。
映画代表作《愛の嵐》、《フランチェスコ》ミッキー・ロークはミスキャストですよね、、、
■ダニエル・シュミット(1941.12.26〜2006.8.5)
少年の頃からのオペラ狂いで、念願のオペラ演出というべきか。ジュネーヴ大劇場、チューリッヒ歌劇場で1984年〜2005年まで7演目詳細
映画《ラ・パロマ》《トスカの接吻》《デジャヴ》等
■バズ・ラーマン(1962.9.17〜オーストラリア)
1990年、シドニーでオペラ《ラ・ボエーム》を成功させた。その後、1992年に《ダンシング・ヒーロー》を撮っているので、オペラ演出が先ってことですか。世評の高い《ロミオ&ジュリエット》《 ムーラン・ルージュ》より《ダンシング・ヒーロー》 が好き.....

以下フランスでオペラを演出した映画監督(きのけんさん情報)
映画監督のオペラ演出については、国際的知名度が、舞台演出とは段違いなので、客寄せパンダといいますか、話題性で演出させる場合が多いようで、一部好評なものもあるが、ほとんどはよくないそうです。
■ヴェルナー・ヘルツォーク:パリ《オランダ人》、バイロイト《ローエングリン》、スカラ《湖上の美人》
■イシュトヴァン・サーボ(ハンガリー):パリ《タンホイザー》
■吉田喜重(1933.2.16 - ):リヨン《蝶々夫人》
■勅使河原 宏(1927.1.28. - 2001.4.14):リヨン《トゥーランドット》
■ロマン・ポランスキ:リヨン《ホフマン物語》
■アンドレイ・コンチャロフスキー(1937.8.20-ロシア):パリ《スペードの女王》
■ヴェルナー・シュレーター(1945.7.4- ):パリ、小澤征爾《トスカ》
■コリーヌ・セロー(1947.10.29- パリ):パリ《こうもり》《セビリアの理髪師》


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Esclarmonde

ジョセフ・ロージーにはhttp://www.imdb.com/title/tt0067144/
The Go-betweenという素晴らしい映画がありました.
吉田喜重?昔,岡田茉莉子 主演のATG映画をたくさん見ましたが,はっきり言って????な監督さんです.
かつて,監督さんは(特に松竹),女優を女房にするのがステイタスでしたが,女優を超えた監督さんは篠田正浩ぐらい?
吉田-岡田は岡田茉莉子の勝ち
実相寺昭雄だって,15年ぐらい前までは原知佐子のほうが有名でしたね.
by Esclarmonde (2006-08-12 22:23) 

keyaki

>The Go-between
見てません。Esclarmondeさんのお薦めでしたらぜひ見なくては。邦題は「恋」なんですね。こちらに時々出没してくださるきのけんさんのサイトでも最高傑作と書いてあります。まだDVDになってないようですが、ぜひ見たいです。

>女優を女房にするのがステイタス
一緒にいる時間が長いとだんだんすきになるんでしょうね。
最近ですと、周防監督と女優さんというかバレリーナの草刈民代。
オペラの演出家と歌手というケースもありますね。
by keyaki (2006-08-13 01:02) 

TARO

ちょっと!ちょっと!(<ザ・たっち風に)
「ファウスト」の演出家をお忘れでは?

シェローとゼッフィレッリは舞台のキャリアで大家となってからの映画進出なので、オペラ演出家が映画も監督という印象が強かったですね、少なくとも最初のうちは。
ヴィスコンティは調べてみるとほぼ同時期のようですね。
イタリア人だとマウロ・ボロニーニ(わが青春のフロレンス)がスカラ座の「ノルマ」や、今秋来日公演を行うローマ歌劇場の「トスカ」を演出してますね。
リナ・ウェルトミュラー(流されて)もどこだかで「カルメン」を演出してます。

ルイジ・コメンチーニがトスカンさんの義父だったとは。つまりトスカンさんの奥さんガコメンチーニの娘と言うことですよね。来日したフィレンツェ歌劇場の「椿姫」の演出はクリスティーナ・コメンチーニですが、この人じゃないですよね?
by TARO (2006-08-13 01:57) 

keyaki

>「ファウスト」の演出家をお忘れでは?
やっぱりね、なんか忘れているような気が、、、サイドバーにもDVDをのせているのに、なんたるサンタルチア。

>イタリア人だとマウロ・ボロニーニ(わが青春のフロレンス)
イタリア人だとボロボロでてきそうですね。
(わが青春のフロレンス)のマッシモ・ラニエリも最近はオペラの演出をよくやってるようですし。

>つまりトスカンさんの奥さんガコメンチーニの娘と言うことですよね
そうです。妹の作家で映画監督のフランチェスカさんみたいです。
トスカンさんって4回結婚してますね。
最初の奥さんは、アイルランドで殺されてるんですよ、犯人はまだわかってないみたいです。お子さんは二人。
2番目の奥さんがフランチェスカ・コメンチーニで、1982年に結婚して、お子さんはカルロ君、1987年離婚。
3番目の奥さんとは死に別れ。
4番目最後の奥さんとの間にトスカちゃんとマキシム君で、お子さんは全部で5人。

しかし、この時の《ドン・カルロ》はひどいものだったそうです。キャンセルした歌手さんたちは、みなさんライモンディと親しいお仲間ですものね。ライモンディさんが出ないんだったら、、、ということだったんでしょうか。いろいろあるんですね。
by keyaki (2006-08-13 03:00) 

euridice

>なんたるサンタルチア
ええと、この記事には関係ないんですけど、ひとつ「だじゃれクイズ」

昨夜のTV。「よく噛む」ことが健康につながるという芸能人をならべたクイズ系教養番組です。そこである場面の裏で鳴っていた音楽に、はてなマークでしたが、はあ、だじゃれ? と思い至りました。「裏で鳴っていた音楽は何でしょう??」見た方、気がつきましたか?

それからkeyakiさん、もうひとつ抜けてるものがあります。
by euridice (2006-08-13 07:15) 

keyaki

>「だじゃれクイズ」
そのTV見てないです。
「よく噛む」のだじゃれ、、、♪南の島の大王は、その名もなんたらのカメハメハ、、、♪かいね。
あとは、♪もしもしカメよ、カメさんよ♪ なんてこたぁないっしょ、いくらなんでも。

>もうひとつ抜けてるものがあります
私の頭じゃなくて?(笑
ライモンディさんが関係してるヤツでですかぁ。
全然、おもいつかない、どうしよう、
ヌリア・エスペルは、女優さんだけど、映画も撮ってるの?
フランチェスコ・ロージは、オペラの演出はしてないし、
ゲッツ・フリードリヒって、もしかして映画監督?
ヒントお願いしまぁす。
by keyaki (2006-08-13 08:31) 

Orfeo

keyakiさん、こんにちは。
お盆シーズンに力作レポートですね^^;;
こうまとめて下さると、分かりやすくていいなあ・・・。
ウチで扱ったぶんでいうと、あと、コリーヌ・セローってのもいますよ。
by Orfeo (2006-08-13 09:39) 

euridice

>「よく噛む」のだじゃれ、、、
「よく噛む」ことが健康にいい理由は?

>>もうひとつ抜けてるもの
RRさんには関係ありません。
「モノ」です。「ヒト」じゃありません。
by euridice (2006-08-13 09:46) 

keyaki

>>>もうひとつ抜けてるもの
わかった、わかった、わかりました。
シェローの《リング》、当たり前だから、忘れたのかしら、失礼しました。

カメハメハじゃないの?
>「よく噛む」ことが健康にいい理由は?
脳の刺激になるから、ボケ防止になる。
食べ物の消化吸収を助ける
満腹感が得られるのでダイエット効果がある
唾液の分泌がよくなるので、歯の病気にもなりにくい
顎の発達を助ける

まさか、椿姫ってことはないですよね。
by keyaki (2006-08-13 11:34) 

TARO

>シェローの《リング》

ううむ、衝撃的な忘れ物と言えるでしょう。
でも人だと思ったので、keyakiさんの上演記録をくまなく探してみましたよ。一人みつけました。同姓同名でなければこの人も映画監督です。
ヒント>サッコとヴァンゼッティ

映画監督というわけではありませんが、ジョナサン・ミラーはシェイクスピア物のTV用作品を沢山作ってますね。リュック・ボンディも映画を監督したことがあるとどこかで読んだような気がするのですが、記憶違いかもしれません。

Come Come Everybody とか?
by TARO (2006-08-13 11:53) 

keyaki

Orfeoさん
さっそく追記しました。
夫婦でやってるんですね。アラビアンナイト版《セビリアの理髪師》がDVDで発売されるんですね。
by keyaki (2006-08-13 12:13) 

keyaki

>TAROさん
調べて下さってありがとうごいます。
同一人物のようです。ディミトローヴァとマルティヌッチのトゥーランドットもジュリアーノ・モンタルドですね。
by keyaki (2006-08-13 12:30) 

euridice

keyakiさん、Taroさん
>カメハメハ
>もしもしカメよ
>Come Come Everybody
こういうのなら、すぐにだじゃれってわかるんですが・・・

>まさか、椿姫ってことはないですよね。
こたえは私のブログで。
by euridice (2006-08-13 23:18) 

助六

うわ、これだけまとめて頂けるととても便利ですね。

RRとは関係ないけど、小生が思いついたものを備忘用にメモとしきます。みんなで考えましょう(笑)。

マンキーウィッツ: メト「ボエーム」
ヒューストン: スカラ「Miniere di Zolfo 硫黄鉱山?」(ベネット)
フリードキン: フィレンツェ「ヴォッツェック」、トリノ「アイーダ」
フォアマン: パリ「こうもり」
ハイトナー(まあ彼は舞台演出家が映画も撮った感じでしょうけど): ロンドンROH「ノット・ガーデン」(ティぺット)、ENO「魔笛」、パリ「ジュリアス・シーザー」、ミュンヘン「ドン・ジョヴァンニ」
シュレーンドルフ: パリ・ベルリンDOB「死の家より」
ハーネケ: パリ「ドン・ジョヴァンニ」
シュリンゲンジーフ: バイロイト「パルジファル」
チャン・イモウ: フィレンツェ「トゥーランドット」

以上、TAROさんのとこで、ちょっと話題になったことが;
http://taroscafe.cocolog-nifty.com/taroscafe/2006/01/_40_1e21.html

トスカンさんの最初の奥さんは女優さんのマリー=クリスチーヌ・バローさんだったと思います。2人目が件のコメンチーニさん、3人目がアイルランドで暗殺された(未だに未解決)ソフィー・ブニオルさん、4人目が現夫人メリタ・ニコリッチさん。

86-89年のパリ・オペラ座総監督マルティノティは、元々仏共産党の日刊紙「ユマニテ」に批評書いてた人で、ポネルの助手から上がってリヨンやエクスでバロック・オペラの演出で注目され、パリの他カールスルーエなんかでも演出出してました。ボジャンキーノがフィレンツェ市長に転出して任期切れ前にパリ・オペラ座監督を辞任したので、その後任でオペラ座のトップになったけど、就任後は独裁色を強め、衝突・部下首切りとか多かったみたい。この辺の内情はきのけんさんが詳しくご存知でしょう。
件の86年「ドン・カルロス」5幕仏語版も前任者ボジャンキーノの企画だったと思います。歌手は結局ラグランジュ、ミルチェーヴァ、デュプイ、アレン、コプチャクといった面々で、冴えなかった。バレーはなかったけど、ほぼ67年初演版に近いものを聞けたのがまあ唯一の収穫、演出はその後ドレスデンで「アリアドネ」とかハンブルクで「オランダ人」とかやるスイスのマレッリでしたけど、確かにダメでしたね。舞台美術家上がりの人じゃないかと思うんですけど。
by 助六 (2006-08-14 11:05) 

Orfeo

ウチで扱った中からもう一人追加。
ザルツブルクでカラヤンが振るはずだった『仮面舞踏会』を演出した、ジョン・シュレシンジャー、ってのはどうでしょう?この人、好きなんですよね^^;;
by Orfeo (2006-08-14 12:05) 

keyaki

Orfeo さん
>ジョン・シュレシンジャー
あっ、有名なのを忘れてましたね。コヴェントガーデンの《ホフマン物語》もいいですね。
by keyaki (2006-08-14 13:50) 

keyaki

助六 さん、やっぱり、続々出てきますね。
まとめて追加させていただきます。

映画監督がオペラの演出というのは、TAROさんのブログで話題になったんでしたね。

沈没したドン・カルロをご覧になっていたんですね。トーマス・アレンは、キャンセルしないで、孤軍奮闘したようですが、竹原氏によれば、よくなかったとか。
マルティノティは、イタリア人というか、イタリア人色を排除したかったのかしら。

トスカンさんの結婚歴、そうです。間違ってました。
再確認のため、まとめてみます。
1.女優のマリー=クリスチーヌ・バローさんと結婚(一男一女)
クリスチーヌ・バローはその後、ロジェ・ヴァディムと結婚
2.1982年、フランチェスカ・コメンチーニさんと結婚(息子一人)1987年離婚
3.1990年、ソフィー・ブニオルさんと結婚(1996年12月23日アイルランドで殺害)
4.1998年、メリタ・ニコリッチさんと結婚(一男一女で、女の子にトスカと言う名前を付けている)

犯人はわかっているが、警察が告発していない、、ってどういうことでしょう。故トスカン氏は、アイルランド警察を訴えていたようですけど。
by keyaki (2006-08-14 17:03) 

きのけん

 前記事(ダニエル・シュミット)へのコメントの続きです。

> 助六さん:

1/ あれっ?、イシュトヴァン・サーボ演出、タマシュ・ヴァザレリ美術の《タンホイザー》の時、助六さん未だパリへいらしてなかったですか?…。初日直前にオペラ座がストをやったため、気を悪くしたクリストフ・フォン・ドホナーニがキャンセルしてウーヴェ・ムントになったヤツ。(82-83?)

2/ フォアマン: パリ「こうもり」

 《アマデウス》の監督と混同してません?…。こちらはリチャード・フォアマン、ニューヨークの前衛劇団オントロジカル・ヒステリック・シアターの主宰者で、当時《パリの秋芸術祭》とソーベルのジュヌヴィリエ市立劇場が、ウィルソンに続く世代のNY前衛芝居屋として肩入れしてた奴ですな。出演者全員がステップ踏んで輪になって踊る…という幼稚園みたいなやつ(笑)。

>ジョゼフ・ロージー:
1/ ロージーも若い頃芝居の演出家で、ブレヒトの『ガリレオの生涯』のアメリカ西海岸初演を演出したのが彼氏(英訳チャールズ・ロートン)。彼は若い頃、ヨーロッパに留学してて、当時ヨーロッパの演劇の最先端をつぶさに見聞しているという本格派、ブレヒトとはロシアで知り合ったらしい…。この人だけは、演劇のことをものすごく良く知ってる人です。だから、あの舞台も、映画では絶対に不可能なことをやってるでしょ。当時《人形の家》や《カリレイ》と《ドン・ジョヴァンニ》を通じ、彼の裡で演劇への関心が再燃してきたちょうどその時期に当たりますね。指揮は、プロジェクトが立ち上がった時点からリハーサルの最終段階まで小澤征爾の予定でした。
 《恋 (The Go-Between)》(カンヌ映画祭大賞)は、彼の最高傑作じゃないかと思うんですが、惜しむらくはネガを修復してないんで、フランスでも、相当悲惨なプリントで上映されてます。これはロードショウ時に見て、その画の美しさに仰天したものなんですが、今やってるプリントは、始まって15分くらい経つ辺りから最後まで、変色して赤茶けちゃって、もう見るに耐えない。同じジェリー・フィッシャーのキャメラで同時期リチャード・フライシャーが、同じく英国のマナー(田舎の館)を舞台に撮った《見えない恐怖》(英、1971)の方は、見事に修復してあって、ああ、そうそう、こういう色調だった…なんて思い出したばかり。晩秋の紅葉の美しいカラーにほんの僅かセピア色が混じっている、恍惚となるように美しい色調でした。

>ヴィスコンティはオペラ進出が随分早いですよね。カラス=ジュリーニとの《椿姫》以前にも、パーセルの《妖精の女王》をフィレンツェのボボリ宮殿の庭園を使ってやってるらしい。僕のルカ・ロンコーニ論の中で、ロンコーニが、オレはあの真似をしたんじゃないぞ!…なんて言ってますね(笑)。

keyakiさん:
> あっ、それからゼッフィレッリはヴィスコンティの助監督から出てきた人で、僕の「アントン・ブルックナー 《夏の嵐》」(>orfeo.blog)をご覧になると、助監督にディノ・リージ、ジャン=ピエール・モッキーなんかと一緒にゼフィレッリがクレジットされてるでしょ…。あの人はもともとは映画の人なの。
きのけん
by きのけん (2006-08-14 22:08) 

きのけん

>吉田義重

 …演出、ケント・ナガノ指揮《蝶々夫人》をリヨン歌劇場は日本に持っていくつもりだったんです。ところが、まさにその吉田義重が猛反対した。なにせ、やれ暗黒舞踏だ、やれ磯崎新だ、やれ山本耀司だ…であからさまに「日本」で売った演出だったから…。僕がリヨンで見てても、おおい!…なんて感じだったから、日本で見せるのはこっ恥ずかしかったんじゃないかと思います(笑)。東京の夏音楽祭が大慌てで代わりに呼んだのがモンペリエ歌劇場のルネ・ヤーコプス指揮モンテヴェルディ《ウリッセの帰郷》でした。
きのけん
by きのけん (2006-08-14 22:21) 

たか

実際のオペラ舞台の演出をしているかどうかはよく知らないのですが、オペラ映画を製作した有名な映画監督としては秋のソナタで有名なスウェーデンのベイルマン監督がいると思います。映画魔笛はロージー監督のドンジョバンニと並んで80年頃の映画館でよく見かけましたね。今見返すとスウェーデン語なのでちょっとギョッとしますが(^^;
by たか (2006-08-14 23:45) 

keyaki

きのけんさん、
続々出てきましたので、一覧表を作って、記事にしょうと作成中ですが、《アマデウス》のフォアマンははずしてもいいということですね。
ヴィスコンティの助手だっのは、ゼッフィレッリもそうですけど、フランチェスコ・ロージもそうでしたね。

>吉田喜重
日本での再演を拒んだ、、とは、同胞には恥ずかしくて見せられないなんて、その方が恥ずかしいですね。
by keyaki (2006-08-15 01:29) 

keyaki

たかさん
ベイルマンの《魔笛》はedcさんやOrfeさんのブログで取り上げてましたね。
魔笛の方が、ドン・ジョヴァンニより先なので、座談会で、さかんにあれを引き合いに出す人がいて、リーバーマンが、あれはオペラ映画とはいえない、映画としても通用するオペラ映画を作るとさかんに言ってました。あれと比べてもらっちゃ困るね、まったく違うものだから、とかなんとか言ってました。
by keyaki (2006-08-15 03:01) 

きのけん

>ベルイマン

 ロージー同様、この人もちゃんとした芝居の演出家です。僕は全然好きじゃないんだけど、一度はシェイクスピアを、もう一度はモリエールを見たことがあります。
 《魔笛》については…どうなんだろ?…僕は、僕のインタビューでのトスカンさんの意見に賛成ですね。リバーマンは2度ほど、一度はハンブルクで(代わりはピーター・ユスティノフで指揮がショルティ)、2度目はパリの《魔笛》(指揮ベーム)の演出をベルイマンから断られてますね。なんかそれを根にもっていた感じだよね。
 orfeo/blogの《魔笛》にはここ↓からどうぞ。
>http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2006/03/post_2b1b.html

きのけん
by きのけん (2006-08-15 06:29) 

きのけん

>吉田義重

 多分、一旦作っちゃってから嫌悪感に駆られたんじゃないかな?…あまり派手に「日本!」をやり過ぎちゃったもんで…。こら、日本人に見せるのはちょっと恥ずかしい!…てんでね(笑)。その点、彼はまだ羞恥心ってものがある。
 その逆だったのが勅使河原宏で、草月流生け花のお弟子さんたちが大挙して観光バスで押し寄せて来ちゃったもんで、こちとらビックリ仰天!(笑)。まあ、こっちの方は中国の話だし、「日本!」ってな感じを売り物にはしてなかったですよ。ただ、草月流お得意の竹ばっかり出たけど…。
きのけん
by きのけん (2006-08-15 06:43) 

助六

フォアマンは、正に「アマデウス」のフォアマンと混同してました。当時知人が「あの演出やったフォアマンなんだよ」と言ったのを鵜呑みにしてました。綴りも違いますね。きのけんさん、訂正ありがとうございました。keyakiさん、失礼致しました。

トスカン事件では、近くに住むイギリス人フリー・ジャーナリストのベイリーが当初から疑われ、アイルランド警察も2度拘束・聴取してますが、逮捕されないまま放免されています。
イギリスやアイルランドの新聞が、ベイリーから「俺がやった」と聞いたとする証言を元に犯人だと主張しているのですが、本人は否定を続け、ベイリーを当日目撃したとする重要証人もその後前言を覆したため、警察は何の証拠も見つけられず手を下せずにいるとのこと。動機も物証もなく、「女性に暴力的な男」という嫌疑材料しかないかららしい。遺族も英紙報道を根拠に民事訴訟を検討したものの断念してますから、法的には動きようがないということなんでしょうね。
by 助六 (2006-08-15 08:18) 

TARO

一覧表を作るんでしたら、シャーフとコッポラも加えてあげてください。

ヨハンネス(ヨハネス)・シャーフ  コヴェントガーデンでモーツァルトのダ・ポンテ・オペラを演出、来日公演でもやってます。その他多数。映画はエンデ原作の「モモ」(1986)など。Trotta という作品は1972年のカンヌ映画祭に出品されていますが、受賞は逸しました。(ちなみにこの年の受賞作品はフランチェスコ・ロージの「黒い砂漠」など。)

フランシス・フォード・コッポラ  1973年にサンフランシスコ・オペラでアイネムの「老女の訪問」を演出しているようです。

あ、それから前に「ヴィスコンティが同時期」と書いたのは、オペラのキャリアという意味じゃなくて舞台(演劇)のキャリアという意味です。
正確には映画の処女作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が43年公開。初の舞台演出は45年でコクトーの「恐るべき親たち」。

ゼッフィレッリは映画の人というよりは、ヴィスコンティの最も才能のある助手として映画・舞台をとわず、ルキーノのサポートをしていたという感じではないでしょうか。
ちょうど良いネタなので手持ちの資料から、ゼッフィレッリがヴィスコンティ演出に協力したものをリストしてみようと思います。今日は無理なので近日中に。
by TARO (2006-08-15 12:49) 

きのけん

>助六さん:

うっふっふ…ごくたまには僕だって助六情報を訂正できることもあるんだ!(笑)…光栄!。これ、ご覧にならなかったですか?…。イシュトヴァン・サーボの《タンホイザー》と同時期だったと思いますが…。当時僕は以前より結構リチャード・フォアマンを追い掛けてまして、期待して行ったら、なんか完全にはぐらかされましたけど(笑)…。

 やっぱり続々と出てきますな。本当にリストを作るつもり?…。上のリチャード・フォアマンも、なにせ「前衛アーティスト」だから映画くらい撮ってるかも知れないですし(>IMDbにもリストアップされてないものだって沢山あります)、純然たる芝居の演出家ベルナール・ソーベル(ケルビーニ《水運び人》、ダラピッコラ《囚人》、ストラスブールのヤナーチェク・ツィクルス)なんかが1本だけ映画を撮っていたり…。
 それにしてもフランシス・フォード・コッポラまで手を出しているというのには驚きましたねえ!…。なんか、オペラ座の支配人で、たいした企画力を持ってない奴というのは軒並み、客寄せパンダとして有名映画監督を起用するみたいね(笑)。
 あと、上の助六さんのリストに追加して、ニキータ・ミハルコフ(《スペードの女王》…は芝居もやってます:マルチェロ・マシトロヤンニ主演チェーホフ 《プラトノフ》がパリに来た)、ここ以前ここにも出たヴェルナー・シュレーター(《トスカ》)、ヴェルナー・ヘルツォーク(《ローエングリン》&《オランダ人》)、ロマン・ポランスキ(《ホフマン物語》くらいが僕自身実際に舞台を見たヤツかな?…。

 あっ、それからジャン=ルイ・マルティノッティはポネルの「助手」というよりブレーンだった奴です。つまり彼に入れ知恵してやる奴。ドイツで(…というかブレヒト演劇の伝統では)「ドラマトゥルク」としてクレジットされている仕事ですよね。これをやるのは普通、大学の哲学の先生が多いですね。日本語訳は「文芸部」というんだそう。シェローなんかでも初期、フランソワ・ルニョーという哲学者を「ドラマトゥルク」に使ってましたけど、あまりに解釈先行型の芝居になっちゃうんで、これを毛嫌いする演出家も沢山います。芝居ってのはあくまで身体表現が根本なんだ、として文学的解釈を嫌う、例えばアントワーヌ・ヴィテーズなんかは意地でも「ドラマトゥルク」なんか付けなかったですね。
きのけん
by きのけん (2006-08-15 14:44) 

きのけん

 …まだ実物を見たヤツがあった!。リリアナ・カヴァーニ。

 …と TAROさんのコメントで思い出したんだけど、そういや、1960年代中頃、イタリアの言謂「前衛芸術家」たちが集まって「前衛芸術宣言」とかいうのを発表したことがありまして、ルカ・ロンコーニ、このリリアナ・カヴァーニだとか、ルチアノ・ベリオ夫人キャシー・バーバリアンまで参加してるんですが、その中で、まさにそのゼッフィレッリが保守反動の象徴としてやり玉に掲げられてるんですわ。なるほど…となると、彼は映画とオペラだけじゃなくて、以前より芝居もやっていた可能性があるなあ…。「ルキーノのサポートをしていたという感じ」というのは結構合ってるかもね。

keyakiさんのお陰で一つ訂正:
《夏の嵐》の助監督「ディノ・リージ」は誤りで、ご指摘の「フランチェスコ・ロージ」の方です。ヴィルナ・リージでないことは確か(笑)。
きのけん

PS:まだある。多分、ピーター・セラーズ。確か、ゴダールの《リア王》に出演していた時、自分でも映画を撮る、なんて言っていた記憶があります(>助六さんサポートを!)。
 …もうきりないぜ!(笑)。
by きのけん (2006-08-15 15:40) 

きのけん

 …といった辺りで、ようやく記事左上のヴィデオのダウンロード完了。すっかり忘れてて、ありゃー!なんて(笑)、見ることができましたが、うわー!これじゃあ解らんなあ…。
 別項のハリー・クプファー版《指輪》もまさにその通りなんですが…、演劇部門の優れた演出家が手掛けた舞台というのは、なかなかヴィデオで捉え難いものなんです。映画部門では、奥行きというのはヴァーチャルな奥行きですが、演劇部門では実物の立体だから、それにこの《ボリス》の舞台美術をやったのがジル・アイヨーという建築家なんだよね。そもそも発想からして立体的なんだよ。あの背後に舞台美術みたいにして見える巨大な王冠(舞台中空くらいの位置です)の中にはオケが入ってる。通常あるオケ・ピットを埋めた場所が歌手たちの出てくる演技空間で、そのすぐ足許から平土間の客席が始まってるという空間構造です。
 それから、通常の中継ビデオに較べ、画面のアングルが多種多様なのは、そういう舞台構造なもんで、指揮者が歌手に対し背中を向けてて(リハーサルの最後の段階で小澤が背中を傷めちゃったのはそのためだという)、客席を向いてる歌手たちにも指揮者が見えないもんで、舞台上はビデオ・キャメラ(…とモニター)だらけ!…。だから、普通キャメラを置けるはづのないところからだって撮ってるでしょ。演劇部門と異なりオペラが不自由なところですね。通常の額縁舞台以外の空間構造にしようと思っても、実際面で上手くいかない。
 僕ら、上の方の安い席で見ている分には完璧だったですが、この構造では平土間で聴くと、オケと歌手との間の音量のバランスが完全に崩れちゃったそう。だって、オケが奥の舞台中空に置かれているわけだからね。ただ、上の方で見てると、もう完璧、いつもよりいい具合だったんだよね。オケは鮮明によく聴こえるし、歌手は通常の舞台より前、特にオケより前の位置にいるわけだから、音の壁に遮られず、よく聴こえるし…。そう、ライモンディさんの声なんか、この時くらい生々しく聴けたことってなかったですよ。
 これを見てて、その後真似した奴がおりましてね。ピエール・オーディという車のメーカーみたいな名前の奴ですが、アムステルダムの《指輪》で同じことをやりやがった。
 詳しくは、こっち↓からどうぞ。

>http://perso.orange.fr/kinoken2/k2_archive/arch_wagner/ring_ams99/ring_ams99_init.html

きのけん
by きのけん (2006-08-15 17:57) 

たか

>きのけんさん
ハンブルクの魔笛は実演ではショルティが振ったのですか。リーバーマンはパリでもよくショルティを起用していたように記憶しているのですがショルティはお気に入りだったのでしょうか?
リーバーマンはピーター・ユスティノフ演出の魔笛を映画にしていますね(指揮はシュタイン)。ベイルマンの魔笛よりも早い71年の製作なのに、映画としてはベイルマンの作品の方がヒットしてしまったのでリーバーマンとしても今度のドンジョバンニでは負けられないという気持ちが強かったのでしょう。
ところで、このピーター・ユスティノフは「ナイル川殺人事件」で名探偵ポアロを演じた名俳優でイギリスでは「サー」の称号を与えられているそうですが、映画監督もしたそうです。作品名は分かりませんでしたが、一応この企画の主旨である「オペラを演出する映画監督」の一人ということになりそうです。どうみても本業は俳優のようですけどね。
by たか (2006-08-15 20:57) 

たか

>ピーター・ユスティノフ
映画監督作品分かりました。72年の「HAMMERSMITH IS OUT」です。直訳すると「ハンマースミス氏は不在です」ということでしょうか。ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞しているので大監督ですね。失礼しました(^^;
他にも60年代を中心に何本か監督作品があるようです。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/bin/search/a3/n22/proaward/
by たか (2006-08-15 21:14) 

TARO

ユスティノフの60年代作品のうちの1本は、驚いたことに、というべきか否か Billy Buddなのです。なにかオペラと縁のある方ですね。ただしこの作品の日本語題名は「奴隷戦艦」ですが。
by TARO (2006-08-16 00:01) 

きのけん

>たかさん:

 今ちょっと本を物置にしまっちゃってるんで、即座に確認がとれないんで申し訳ないんですが、ハンブルクの《魔笛》は初演時がショルティのはづです。『ロリフ・リバーマンと共に音楽劇を』(確か、原題は "Musiktheater mit Rolf Liebermann"、ハンブルク刊)という本に、三人の子供たちと一緒に、ショルティがピアノを弾きながら練習をつけてる写真も出てました。周知の通りショルティという人はリハーサルの初期段階から自分でコレペをやるのを常にしてましたね。

 ロルフ・リバーマンがハンブルクからパリ国立歌劇場に移った時、パリの音楽界にもたらした根本的な改革が二つあると思います。

1/一つは、オペラに演劇界の最先端で活躍しているような演出家たちを〜ここが最も重要な点ですが〜彼等が最も乗りに乗って仕事をしている時期にオペラに誘い込んだ点。普通、トウが立っちゃってから、もう本職の演劇部門での仕事がいちおう終わってから…というか、先が見えてからオペラに進出してくるのが普通のところ(フランスではアヴィニョン演劇祭の創立者ジャン・ヴィラール、ジャン=ルイ・バローなど)、シェローにせよ、ペーター・シュタイン、グリューバーからジョルジュ・ラヴェリ、テリー・ハンズ、ユーリ・リュービモフ(…は実現しなかった)まで、否ストレーレルも含めて…彼等の最上の時期に呼んでるんですよね。これはすごい見識ですよ!…。

2/お訊ねの点ですが、リバーマン着任からパリの音楽界では指揮者の陣容が一変しました。ハンブルクでしょっちゅう一緒に仕事をしていた一連の指揮者たちを大挙してパリに呼び込んできたんです。ただ、ショルティの場合はちょっと問題がありまして、なにせカラヤンの後任としてパリ管の音楽監督だったでしょ。普通、パリの他団体の責任者や専属契約を結んでいる特別招待指揮者たちはパリの他の団体を振れないんです(…そこがミュンヒェンやベルリンとの違い)。それに例外を設けさせてまでしてショルティをオペラに呼んじゃったわけよ。リバーマンがこの特例を作ってまでオペラ座に呼んだのは、ショルティの他、ロリン・マゼール(フランス国立管)、小澤征爾(パリ管>フランス国立管)とピエール・ブーレーズ(…は別格だけど)くらいじゃないですか?…(いづれもハンブルクとは関係なし)。まあ、マゼールはリバーマンに呼ばれたお陰でフランス国立管の責任者(第一招待指揮者>音楽監督)に就任したみたいなもんだけど…。バレンボイム時代のパリ管の常連たち(ズービン・メータ、ジュリーニ、そうか!アバドも特例かな?…、クーベリック等)、オペラには一切出ませんでした。
 リバーマンがハンブルクから呼んできた他の指揮者には、カール・ベーム(…は大昔からパリに出てましたが)、ヨーゼフ・クリップス、ホルスト・シュタイン、ガリー・ベルティーニ、ペーター・マーク、ヤノシュ・クルカ、マレク・ヤノフスキ(…はその後パリに居着いちゃいましたね)、クリストフ・フォン・ドホナーニ、ミヒャエル・ギーレン、チャールズ・マッケラス、ジョン・プリチャード、ネッロ・サンティ、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾなど。
 この連中が大挙して押し掛けてきたもんで、旧来の常連指揮者たちがおおいに気を悪くしたらしいことは、僕のジョルジュ・プレートル・インタビューで彼がリバーマンをクサしている箇所をご参照ください。ただ、リバーマンの名誉のために言っておきますが、彼が重用したフランス人指揮者には、ブーレーズの他、プレートルご自身(笑)、セルジュ・ボード、ミシェル・プラッソン、アラン・ロンバール、シルヴァン・カンブルランなど結構います。
以上
きのけん
by きのけん (2006-08-16 16:29) 

たか

>きのけんさん
貴重な情報ありがとうございます。そうそうたる顔ぶれですね。ベルティーニが意外とフランスで振っているのはそういう理由があったのですね。一部のフランス人のインテリって昔からドイツシンパだったりするので(例えばコルトー)ベームやクリップスがフランスで受け入れられたのは理解できます。シュタインの評判はどうでしたか?この人本当は大変な実力者だったと思います。
by たか (2006-08-16 20:39) 

きのけん

>たかさん:

 …あの連中、全部リバーマンが連れてきちゃったんだからねえ!…。そりゃ、それまで自分をパリの主みたいに思ってただろうプレートル辺りが気を悪くするわけだよね(笑)。僕のジャン・ムイエール(ヴィア・ノヴァSQ)のインタビューを見ると、あっちじゃあっちで、パリ管のバレンボイムに対し、同じような悪口言ってますよ(笑)。
 ベルティーニはパリ音楽院出身だから、割とパリに縁が深いし、亡くなるまでずっとパリに住んでたでしょ。日本へもパリから通ってましたよ。あと、チェリビダッケもパリから汽車でミュンヒェンに通ってました。ベルティーニにパリのメジャー団体から一度もお声がかからなかったのが今もって不思議なんですが…。

>一部のフランス人のインテリって昔からドイツシンパだったりするので

 例えば、ピエール・ブーレーズは今もってバーデン・バーデンに住んでますよ。独仏交流の伝統ってのは、昔から根強いものがありますねえ…。ドイツだったら、汎ゲルマンのトーマス・マンに対しハインリッヒ・マンとか、ライン近辺の文学者たち、ハイネだとか、クライストだとか…がやたらフランス文化に詳しいでしょ。それから、フランス側ではワーグナー関係ね。この件に関し、もしご興味がおありでしたら以下のニュージーランド・ワーグナー協会の会長であるフランス文学研究者ヒース・リースさんとの対談(リンク:↓)をご覧ください。なにせウチのとっておきのワインを飲みながらだったから(写真を見るとシャトーヌフ・デュ・パープらしいな!)、最後は二人とも酔っ払っちゃってて(笑)途中でチョン切れてますけど。

>http://perso.orange.fr/kinoken2/intv/intv_contents/intv_heath.html

>ホルスト・シュタイン

 ホルスト・シュタインはリバーマンのお気に入りで、何度も登場してましたけど、惜しむらくは楽員たちとの相性が悪かった。つまり、彼は、何が何でも自分の考えているようなドイツの音をオペラ座管から出そうとしてやたら強引なの。それでいっぺんで反抗されちゃった。その点、海千山千…というか、色々な国での指揮経験が豊かなベームとかショルティってのは、なるたけオペラ座管(当時はどの団体よりもフランス臭かったですよ>助六さん)の持ち味を活かそうとするんで、楽員受けも結構いいわけ。ベームなんかでも、パリではいちおう「お客さん」だから、ミュンヒェンの時みたいに楽員たちを罵ったりせんしね(笑)。
 驚いたのはヤノフスキで、最初来た時(《コジ》&《エレクトラ》)ではシュタイン式にドイツの音を強要して、いっぺんで反抗されて大失敗したわけよ。それが数年経って、その次に呼ばれた時は(《オランダ人》&《トリスタン》)、それが一変してて、ああー、こういうワーグナーってドイツじゃ聴けない!っていう具合に変わってたんだよ。この時です、僕が、あっこの人すごい!って思ったのが…。
 でも、フランスの団体でも、オイゲン・ヨッフムなんかだと、どうういうわけだか?、なんかやたら自然にドイツの音がしちゃうんだよね(ブルックナー&ブラームス)。フランス国立管の楽員たちなんか、自分たちで、えっ?…なんて驚いてるんだよね。不思議なもんですね。サヴァリッシュなんかだと、上から押しつけてるなあ…なんて感じがするんだけど、ヨッフム爺さんだけは、全然強圧的じゃないのに、ちゃんとドイツの音がするんだ。
きのけん
by きのけん (2006-08-18 03:51) 

きのけん

 もう一つ、是非とも追加↑。
>クリップス
 ヨーゼフ・クリップス!。この人よ、当時オペラ座管の楽員たちが、それこそ、涙を流さんばかりに、よかった!って言ってたの。彼氏オペラ座管とは《コジ》一度だけのはづだけど、連中、もう、泣きそうになって、よかった!って言うのよねえ…(僕は間に合わなかった!)。あれ、誰だっけ?…、フルートのマクサンス・ラリュー?…、首席Vnのジャン=ピエール・サブーレ?…。後にその話をジャン=クロード・マルゴワールさんにしたら、そうそう、僕がパリ音楽院管でオーボエを吹いてた時にも来て、もう最高に良かったって…(>インタビュー:マルゴワール)。
きのけん
by きのけん (2006-08-18 04:13) 

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