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1965年ライブ《Verdi:ジェルザレム》 [ロンバルディ/ジェルザレム]

R. ライモンディ、23歳の時のライブCDリリース!     
ジェルザレム GERUSALEMME(イタリア語)
レイラ・ジェンチェル (Elena)Tolosa伯爵の娘
ジャコモ・アラガル(Gastone)Elenaを愛している
レナート・ブルゾン (Il Conte di Tolosa)
ルッジェロ・ライモンディ (Ruggero)Tolosa伯爵の弟
アイーダ・ メネゲッリ (Isaura)
マッシミリアーノ・ マラスピーナ (Ademaro)教皇特使
、ヴェリアーノ・ルケッティ (Raimondo)Gastoneの従者
アレッサンドロ・マッダレーナ (L'Ermiro di Ramala)
エットーレ・グラチス指揮/テアトロフェニーチェ管弦楽団、合唱団
(1965年5月14日ミュンヘン録音)
1963年にフェニーチェ座で上演されたこのプロダクションは、ヨーロッパ各国で引越し公演を行い成功をおさめました。これは、1965年にドイツのWiesbaden(ヴィースバーデン)5月祭で上演した後の、ミュンヘンでのライブ録音(5月14日)です。恐らくゲネプロの録音ではないかとおもいます。(1963年のルッジェロ役は、ジャンジャコモ・グエルフィ)
この時のR.ライモンディについては、前にもちょっとご紹介した面白い話がありますので、再度記事にします。まさかこの公演のライブ録音が聞けるとは思ってもいませんでした。上の写真でもわかるように海賊盤?の女王ソプラノのレイラ・ジェンチェルあってのリリースだとおもいますが、この先世界的に活躍するレナート・ブルゾンジャコモ・アラガル 、ヴェリアーノ・ルケッティも出演しています。

1964年9月、22歳のライモンディはボローニャ音楽院在学中にスポーレトのコンクールに優勝、そのまま音楽院を中退してオペラ歌手としの道を歩みはじめます。ローマ歌劇場のオーディションを受け代役要員として契約し、先輩達のリハーサルに参加して勉強をしていましたが、12月についにチャンスが訪れます。そのへんのいきさつはこちら RRのエピソード:オペラ歌手デビュー(21)一か八かのプロチダ
 そしてめでたく1965年に、フェニーチェ座の専属歌手として5年契約を結びます。一年目は、まず、4月にストラヴィンスキーの《オイディプス王》のティレジアス、5月にヴェルディの《ジェルザレム》のルッジェーロ、12月には《ファルスタッフ》のピストーラと《運命の力》のグアルディアーノ神父です。当時は、こんなものだったのか、R.ライモンディが特別扱いだったのかわかりませんが、専属歌手でもちょこまか使われるのではなく、勉強を兼ねた実習生のような待遇だったようにみえます。フェニーチェ座のインテンダントのマリオ・ラブロカが大切に育てようとしていたことには間違いないようです。
 さて、《ジェルザレム》のルッジェーロの役は、小さい役とはいえませんが、この時の演出がジャン・ヴィラールで、その助手を務めていたのが、なんとあのピエロ・ファジョーニだったのです。俳優でもあったファジョーニから舞台でいかに適切に動くかということを学ぶことになった運命的な出会いが、この《ジェルザレム》でした。
ピエロ・ファジョーニR.ライモンディと出会ったときのことを詳しく書いています。


 フェニーチェ座でライモンディと一緒に初めて仕事をしたのは、《ジェルザレム》《ファルスタッフ》の小さな役だった。直ぐ後に初めての大役《ファウスト》のメフィストフェレが続くのだが。1965年の5月から1966年の2月までの数ヶ月の非常に厳しい仕事によって、我々は意気投合した。ルッジェーロは23才、私は28才という若さも手伝って、それぞれのポジションを楽しんだ。決して我々の間には意見の隔たりとか相違、または対抗意識は存在せず、我々の可能性の発見に対する愉快な競争において兄弟のような同志的な繋がりがあった。
 このような若者同士の関係なくして、決して《ボリス・ゴドノフ》《ドン・キショット》のようなオペラで到達した完成度の高い結果を達成することはできなかっただろう。
 この当時のライモンディは、舞台での天分ともいえる歌唱力、声の表現力と威力、それに反して、あの肉体的に不十分なコントロールのコントラストによって、強く印象づけられた。事実、彼は、運動競技と様々なスポーツの実践の経験が充分にあったが、自然な動きができなかった。彼の背の高さはともかく、舞台でのある程度の自然な動きよりも、彼の非常な内気さが優位に立ち、彼の身体を緊張させた。結局、すばらしい声であったが、対立する身体の虜だった。
 時々、非常に難しい音楽のパッセージで、ルッジェーロにこの敵対行動が身体の動き、たとえば、ゆっくりと剣を鞘から抜いたりするような初歩的な仕草までも不自然にした。《ジェルザレム》のリハーサルの時、私は彼に近づいてこう言ったのを覚えている。「剣を手で握って歌うことだけを考えていていいよ。君のために私が剣を鞘から引き抜くから」このように言いながら、剣の柄を握りしめた彼の手の上に私の手を置いて、必要な瞬間を待った。私はなにもできなかった! 私にとってもまた剣を引き抜くことは不可能だった。難しく骨の折れるあの音符を歌っている間、ルッジェーロの腕は、ドン・ジョヴァンニのところにやって来た石の招待客のように硬直していた!※当時ファジョーニはジャン・ヴィラールの演出助手
 私は、彼を愕然として見つめた。その時、私は《サウンドトラック》を支えるために横隔膜を収縮させて必要な最大限に力をふり絞らなければならない中で、また、おそらく内気を克服するために 彼のエネルギーの大部分は彼の身体をこわばらせる付帯的で不毛な緊張によって分散されたことを理解した。
 それは、ライモンディに関しては、彼の独特の性格との対立によってより以上に強く印象づけたかもしれないが、他の若い新人に見られる同じ様な横隔膜の収縮と身体の動きが分離できないためと考えられた。しかし問題は、早く克服されなければならなかった。ピアノの側で何年も声のこと以外はなにも考えないことによって引き起こされた弊害は、後戻りさせることはできない。強力な馬力の車であっても推進装置の管理だけで......クラッチの管理をしてなければ、出発の時にエンジンを"全速力で回転"させても車は動かない! 
 いずれにせよ我々の間には一連の問題に取り組み、お互いに認め合ったことで友好関係が生まれた。最初の結果は、《ファルスタッフ》で判断された。ピストーラ役のルッジェーロは、マエストロ・ラブロカを納得させる演劇的な進歩を達成した。 そこで、ラブロカは私に魅力的な提案をした。「この若者は、舞台上でもっと自由に動ければ、イタリアで1番の新しいバス歌手になる可能性がある。もし君が彼に教える自信があれば、メフィストフェレをやらせようと思うんだが。彼を危険にさらさないように、もう少し待ったほうがいいかもしれないが、どうだろう。」
  私は、ライモンディのために一ヶ月間フェニーチェからは遠いが、気兼ねなく練習するためにローマの自宅で稽古するという条件で大喜びで引き受けた。私は、彼の舞台上のコンプレックスの一部は、新しい役を習得するために同僚の先輩達の前で、彼にとって難しい立ち稽古をしなければならないことへの困惑によるものだと分かっていた。劇場ではすでに準備され、成功させることは絶対不可欠だったし、その自信はあった
 私達は私の自宅で練習を始めた。《オラツィオ・コスタ・ローマ演劇アカデミア"Orazio Costa All'Accademia d'Arte Drammatica di Roma"》で私が習った《パントマイムのメソッド》を基本に多くの若い歌手達に効果的であった教育方法を考案した。..............
   Leone Magiera著"RUGGERO RAIMONDI"《ファジョーニの序文》より 
参考: 《ジェルザレムGERUSALEMME》は、1847年11月26日、パリ・オペラ座初演の《イェルザレム JÉRUSALEM》(仏語)をカリスト・バッシがイタリア語に翻訳したもので、初演は、1850年12月26日、ミラノ・スカラ座。
最近はフランス語の《イェルザレム JÉRUSALEM》の上演が多いようです。

▼レイラ・ジェンチェル (レラ・ゲンチャ、レイラ・ゲンジェル):1928.10.10生まれ、トルコ出身。1950年アンカラでデビュー、イタリアデビューは1953年ナポリ、1957年スカラ座デビュー。
▼レナート・ブルゾン:1936.01.13- イタリア(Br)
▼ジャコモ・アラガル:1939.06.06- バルセロナ(T)
▼ヴェリアーノ・ルケッティ:1939.03.12- イタリア(T)

関連記事::
▼2005-11-02 ザッカリア. .ほか(2)パガーノ-
▼2005-11-03最新の「ロンバルディ」と余談


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コメント 8

TARO

凄いキャスティングですね。この時点ではみんな若手だったんでしょうけれど、アラガル、ブルゾン、ライモンディ、ルケッティ全員一流になりましたからね。いかに当時のフェニーチェ座が見る目(聴く耳?)を持っていたかということでしょうか。
by TARO (2006-04-28 22:58) 

keyaki

ドイツに引越し公演なんてしてたんですね。
みんな若手も若手ですよね。
ライモンディ23歳、ブルゾン29歳、アラガルとルケッティ25歳ですよ!
この頃は、劇場が歌手を育てるという役割をきっちり果たしていたようですね。今はどうなんでしょうね。
by keyaki (2006-04-29 00:52) 

助六

こんな上演としかも録音まであったんですねぇ。CDは今回初出ですか?本当に「予言的」キャスティングですね。63年のフェニーチェでのガヴァッツェーニ指揮新演出上演も録音が残ってて、ゲンチャー、アラガルは同じだけど、ブルゾンの代わりがサヴォルディ、ライモンディがG・グエルフィ、ルケッティがギッティだから本上演の方が今となっては忘れられた歌手が多いキャスティングですね。その上演出も御大ヴィラールだったとは!
当時59-73年は芸術監督ラブローカ、事実上の主席指揮者グラーチスの時代で戦後フェニーチェの最盛期と言われてるようですが、このキャスティング見るとご両人とも耳利きだったんでしょうね。ラブローカは作曲家出身で現代音楽祭のヴェネツィア・ビエンナーレ・ムジカの監督も兼務して、サザーランド主演60年「アルチーナ」、スコット、クラウス出演の61年「夢遊病の女」とか古典上演の他、ノーノ「イントレランツァ」(61年)やマデルナ「ヒュぺーリオン」(64年)の世界初演とか現代ものでも成果をあげてます。RAIのフルトヴェングラー指揮「指環」を組織したのも彼ですが、40年代終わりのスカラ時代にはカラスの起用を拒絶してるそうだから、難しいんですねぇ。
グラーチスも実力派とされ、フェニーチェでは評価高かったみたいですがどうですか?

ライモンディはご存知のように69年ローマで原曲の「ロンバルディア人」をガヴァッツェーニ指揮で歌った後、95年4月には確かトリノでカンパネッラ指揮「ジェリュザレム」の仏語上演まで歌ってます。
最近は仏語版「ジェリュザレム」も結構上演されるようになって、ヴィーンも90年代後半レパートリーに入れてて、それを01年ヴェルディ年にメータ指揮でスカラに引越し公演で持ってたりしてましたね。やはりバレエ含めズタズタにカットされることが多いようで、84年のパリ上演でもそうだったらしいけど、00年にジェノヴァがプラッソン指揮サルトリ、ヴィラロエルらで批判的校訂版で上演して注目されてましたね。演奏は不評だったみたいだけど。

ゲンツァー(ほんとに何て発音するんでしょうね)は確かに「海賊盤の女王」だけど、この天才的ドニゼッティ歌手(あの奇跡的「ロベルト・デヴェルー」!)をメジャー・レコード会社が不当に無視してきたことに対し、その後の歴史が「海賊盤」という形で贖罪してるのだと思います。彼女はトルコ人だけど、母親はポーランド人らしい。勉強はイタリア人教師と殆ど母国でしたようですね。私は欧州滞在のタイミングが数年ずれてれば、ゲンツァーとオリヴェロのリサイタルにはギリギリ間にあったはずなので今でも残念です。
by 助六 (2006-04-29 08:51) 

Bowles

Gencerは「ゲンジェル」と発音するのが正しいようです。
by Bowles (2006-04-29 09:47) 

keyaki

ジェンチェル、ゲンチャ、ゲンジェルという表記を見つけましたが、ゲンツァーもありですね。各国でどう言っているのか違っているんでしょうね。
イタリアではそのまま読めばジェンチェルですけど、「ゲンジェル」が一般的ということなんですか。

ライモンディの名前は、ルッジェーロかルッジェロという表記が正しいとおもいますが、音楽関係ではない本で、ルゲーロとなっていて、苦笑。ゲロゲロ、、(笑
by keyaki (2006-04-29 17:56) 

keyaki

助六さん、初出だとおもいます。どこからでてきたのかしら?というかんじです。ゲネプロなので劇場ということでしょうか。
これってファジョーニが話していた公演だ!というので、すぐに買いに走りました。

ウィーンではフランス語版イエルザレムを1998年に歌っています。
>00年にジェノヴァがプラッソン指揮サルトリ、ヴィラロエルらで批判的校訂版で上演して注目されてました
これは、ヴィラロエルでしたが、他の出演はちょっと違うようですが、DVDで出てます。エルマンノ・オルミの原演出なんですけど、ロジャーが、隠者になって、こんなに髪も白くなって、、とか歌っているのに、一幕と全く同じで、ありゃりゃだし、最後だって、みんな棒立ち状態で歌っているだけ、トリノのほうが、よさそうなのに、、と残念です。
by keyaki (2006-04-29 18:31) 

Bowles

>「ゲンジェル」が一般的ということなんですか。

トルコの発音だと、ということらしいです。本人に確かめたらそうだった、という話も聞いたような...。

あのジェノヴァのはホント、ひどかったですね...。
by Bowles (2006-05-01 22:45) 

keyaki

Bowles さん、ありがとうございます。

>あのジェノヴァのはホント、ひどかったですね...。
助六さんがおっしゃている「批判的校訂版」ということで価値があるわけですね。
「批判的校訂版」というのがあるのも知りませんでしたが。

ヴィラロエルは、美人なんですけど、なにをやっても同じというか、ですから、そういうのが役柄にピッタリな時は違和感ないのですが、、、歌もそこそここなしてますというかんじでしたけど。DVDになっているコヴェントガーデンのトロヴァトーレでも、マンリーコとルーナ伯爵が人妻を争っているかんじでしたが、このエレーナもまさに有閑マダム(死語?)人妻風でした。はっきりいえば、いつも同じ化粧なんです! あれは絶対、メイクさんにやらせないで自分で化粧しているとしか思えない。
by keyaki (2006-05-02 11:00) 

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