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モーツァルト生誕250周年 [RR関連]

1756年1月27日午後8時ザルツブルグで生まれ、1791年12月5日午前零時55分その生涯を閉じる。(時間まで分かっているんですね,知りませんでした)
今年はモーツァルト生誕250周年ということで、各劇場でもなんらかの記念行事を行っているようです。新国立劇場でも、スタンプラリーをやってるんです。《フィガロの結婚》《コジ・ファン・トゥッテ》、前の記事の《魔笛》でシール3枚、モーツァルトイヤーロゴ入りボールペンをゲットしました。5枚貼ってもらうと抽選でもうちょっといいプレゼント(レストランでのディナー等)もあるようですが、抽選ではなくて、ワイン1本でいいから、全員にお願いしたいナ。

15年前の1991年は、モーツァルト没後200年。BSでのオペラ放送は今より充実していたと思います。関連イベントとして、ウィーン芸術週間期間中に上演されたアバド指揮、ジョナサン・ミラー演出の《フィガロの結婚》もBSで放送されました。妙に生活感あふれたホームコメディーに仕上がっていて、とてもリアルで楽しい演出です。(左写真フィナーレ)
今年のウィーン芸術週間には、ハーディング指揮、シェロー演出の《コジ・ファン・トゥッテ》が上演される予定です。(右写真フィナーレ)
昨年7月にエクサンプロヴァンス音楽祭で、10月にはパリで上演されたものです。
R.ライモンディのモーツァルトのレパートリーは、ドン・ジョヴァンニ、《フィガロの結婚》のフィガロと伯爵、《コジ・ファン・トゥッテ》のドン・アルフォンソ。彼は、この三作品を一連のものととらえ、こだわり続けてきました。
「若い女性への愛欲を募らせながらも妻を裏切ることに内心恐れを抱く《フィガロの結婚》の中の伯爵は、ドン・ジョヴァンニによって既成のモラルから解放された自由人に脱皮する。さらに老哲学者は前二者の歩んだ煉獄、地獄から戻って、知性を武器に男女の愛をさめた目でながめるのです。この三人は、親子関係にあると思う・・・・」1991年インタビューより

※1991年ウィーン芸術週間 アバド指揮「フィガロの結婚」キャスト詳細&3幕一部
※"COSI` FAN TUTTE"ドン・アルフォンソ役経緯公演記録&キャスト詳細
※1991年ウィーン芸術週間 アバド指揮、リュック・ボンディ演出「ドン・ジョヴァンニ」
この公演は1991年にも再演された

関連記事:
2005-04-16追記)「フィガロの結婚」のフィガロ役と伯爵役
2005-04-15Mozart「フィガロの結婚」のフィガロと伯爵 

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2005-10-10ドン・ジョヴァンニ歌手の「ドン・ジョヴァンニ」
2005-07-0632才の時のドン・ジョヴァンニ
2005-04-19RRと指揮者(1)コリン・デイヴィス(ピアノリハーサル)
2005-04-08モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ 」1967ー2005


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コメント 14

Orfeo

keyakiさん、こんにちは。
新国のスタンプラリー、なんかショボイですね。
やはり経営難?(笑)
ライモンディの《フィガロの結婚》、TBさせていただきます。
by Orfeo (2006-02-02 18:46) 

keyaki

>新国のスタンプラリー、なんかショボイですね
うらやましくないでしょ! (笑)
「ザルツブルグにペアでご招待!」なんてあってもいいと思いますけど、税金もかかわっていますし、地方の方には、申し訳ないですし、、ネ。

TBありがとうございます。
面白いコメントがついていて、またまた笑わせて頂きました。
by keyaki (2006-02-02 22:19) 

TARO

なるほど。この1991年のインタビューだと、ライモンディが3役の関連をどうとらえているのか、かなり分かりやすいですね。
以前に読んだのは超難解な表現で。(笑
by TARO (2006-02-02 23:59) 

わ、いいものを見せていただきました♪フィガロのフィナーレ大好きです。その上サイドバーのフィガロもびっくり、フィガロ役も持ち役なんですね
by (2006-02-03 00:44) 

keyaki

「伯爵はドン・ジョヴァンニの父であり、ドン・アルフォンソは土にかえったドン・ジョヴァンニなのだ。」ですね。(笑)
by keyaki (2006-02-03 00:59) 

keyaki

りょーさん、so-netすごく重くて、コメントつけるのも四苦八苦ですよね。
>フィガロ役も持ち役なんですね
そうなんですよ。
一般的には、伯爵はバリトン、フィガロはバス(バス・バリトン)ということになっているそうです。
ですから、ライモンディも1967年から1987年まではフィガロを歌っています。彼の尊敬する演出家レンネルトに「伯爵を歌うべきだ」と言われたことと、単純な性格のフィガロより、伯爵の方が演技面で興味があるとかで、ちょっとダブってますが、1983年以降は伯爵を歌ってます。

>サイドバーのフィガロ
この歌の時は、客席を明るくしてるんですよね、フィガロが客席の人達に向かって「すこしは目を開けて、女がどんなものか見きわめた方がいいよ!」なんて語りかけているかんじですね。前の方に座っていたらドキドキですね!
by keyaki (2006-02-03 01:27) 

euridice

>女がどんなものか見きわめた方がいいよ!
魔笛しかり、コシ・ファン・トゥッテしかり・・
男の女への恨みつらみ?^^! コンプレックスは計り知れないものがあるようです・・=`ε´=)
by euridice (2006-02-03 07:45) 

>>客席を明るくしてるんですよね
あのアリアをこんなふうに明るく歌ってるのって聴いたことなかったので、一瞬これどの役だ?と考えてしまいました。新鮮ですー。しかし、、、パンプスとブラウスがバッチリ決まっちゃうのが凄いですねー。見とれちゃいました。
by (2006-02-03 09:14) 

keyaki

りょー さん
私も、ライモンディ=伯爵というイメージでしたから、フィガロ??でした。
このアリアの前のレチタティーヴォでは、落ち込んでブツブツ情けないフィガロですが、このアリアでは、客席に向かって、
「人ごとだと思っているだろうけど、明日は我が身かもよ〜」なんて居直って歌ってますよね。一階席の前の方は、だいたい夫婦とか恋人同士で来ているでしょうから、指された人とか目が合っちゃった人は、思わず目を伏せたかも、、(笑)

ポネルのニュープロダクションで、全キャスト粒ぞろいです。
by keyaki (2006-02-03 10:11) 

keyaki

euridice さん
フィガロ→ドン・ジョヴァンニ→コジ→魔笛
年代順にすると、だんだんひどくなってますね。(笑
どこかのBBSで子供が見に来てない魔笛は魔笛じゃない、、というような趣旨の投稿がありましたが、どうなんですかね。子供が見てもいいけど、やっぱり大人のものでしょう。ストレーレルの意見に全面的に賛成です。
by keyaki (2006-02-03 10:19) 

TARO

ホントに最近のソネット、重いです。それでも重いだけならまだいいんだけど、夜は3回に1回ぐらいしか入れないです。

>土にかえった

この部分、オリジナル(イタリア語?)ではどう言ってるのか、わかります?
by TARO (2006-02-03 12:14) 

keyaki

TAROさん、オリジナルは英語です。Andrew Clarkといって、けっこう有名な辛口評論家?のようです。
The Count is father to Don Giovanni, and Don Alfonso is Don Giovanni returned to earth.
そのまんまじゃん、でしょ。もっと適切な訳があればよろしくお願いします。
この文の前後もコピペしておきます。
It was Rennert who first suggested in 1973 that Raimondi should sing the Count in Le nozze di Figaro, but for various reasons another ten years were to pass before he made his role-debut in Geneva, in a memorable partnership with Maria Ewing's Susanna. After that, he had no desire to return to the part of Figaro. 'Figaro is a loser, he has only three colours in the way he acts. The Count is full of colours and postures—in front of the Countess, in front of Susanna, in front of Cherubino . . . He's always trying to get to the bottom of the intrigue, and that ' makes him more interesting. He's so sure of himself that when he starts to suspect his wife might not be faithful, his world of certainty starts to collapse. The part is full of humanity and humour—but it's not buffo. The Count is dangerous, and Figaro is a story of suspicion. It's also a story about the end of love. The Count and Countess go back to each other because convention demands it, but the love is finished. Rosina was a difficult catch, because Bartolo had virtually imprisoned her. The moment the Count has her, his interest falls, he's looking for the next one—Barbarina, Susanna and no doubt another after her. The Count is father to Don Giovanni, and Don Alfonso is Don Giovanni returned to earth.'
Raimondi's Count is seen to good effect on the video of Jonathan Miller's 1991 Vienna Festival production. Would that his Escamillo had also been filmed in the opera house rather than on location, given the calibre of his performance in the Abbado-Faggioni production in Milan in 1984. His exceptional visual qualities made him the natural choice for Scarpia in the live' transmission of Tosca from Rome with Catherine Malfitano and Placido Domingo—a performance which revealed the police chief as a far more subtle, human and sensual character than is usually portrayed on stage. Raimondi is also one of the few established opera singers to have played a 'straight' acting role on film—in La Vie est un roman (1983). He says he would consider repeating the experience if he ever gave up singing.
by keyaki (2006-02-03 19:31) 

TARO

「地上に戻った」とか「地上に帰った」とかはどうかなと。
詩的じゃないけど、わかりやすいような。
1991のインタビューで、ようやくこの表現の意味する所が分かりました。
by TARO (2006-02-04 01:30) 

keyaki

TAROさん、ありがとうございます。
土に帰るというと、意味がちょいと違いますものね。
ドン・ジョヴァンニは、地獄に落ちたようですから、そこから娑婆に戻ったのがドン・アルフォンソというわけですね。
by keyaki (2006-02-04 22:20) 

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