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ガルニエの”Cosi fan tutte”はじまりました [コジ・ファン・トゥッテ]

9月12日から、シェロー演出の”Cosi fan tutte”がはじまりました。10月15日まで11回上演されます。指揮はハーディングからクーンに変更になるというハプニングがあり、歌手さん達には、大きな負担だったとおもいます。
初日を見た方の感想は
RR is wonderfull!
RUGGERO!
YOU ARE THE BEST!

たくさんのBravo! だったそうです。
追記)谷中オペラさんのブログに、ガルニエの”Cosi fan tutte”のレポートが出ましたので、ご紹介します。(2005.9.27)
追記)パリ音楽日誌さんのブログの9月18日の記事 にガルニエの”Cosi fan tutte”のレポートが出ています。(2005.9.28)

現地時間9月17日(土)に France musiqueに出演するようです。

19:03 > Soirées lyriques
par Jérémie Rousseau
Avec : Ruggero Raimondi : baryton-basse
20:05

??このジェレミー・ルソーは、前に助六さんに教えて頂いたインタビュアーですね。その時のインタビューを放送するということかしら、それとも生インタビュー??(そのインタビューの一部)

※公演日程:9/12, 15, 18, 22, 26, 29 10/5, 7, 10, 13, 15
※写真)ガルニエとAixの舞台
 ガルニエの写真をクリックすると大きな写真とRRのドン・アルフォンソが見られます


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ヴァラリン

オケとの戦い?は一応終結したんですね。
指揮者は、10月5日からのバスティーユでの《ボエーム》と同じ方だと思っていたら、《ボエーム》の指揮者がクーン氏からDaniel Oren(オーレン?)と、29日のみMaurizio Barbacini に変更になってました。なんだか、嫌な予感…
…これも、あの騒動のためでしょうねーー;

私としては、コッリーネの変更なしに、ちゃんと彼が歌う時に放送さえしてもらえれば、それでいいんですけど(^^;←わがまま自己中。

RRさんのアルフォンゾ、早く映像で見たいです^^!
by ヴァラリン (2005-09-14 03:54) 

Esclarmonde

ラ・スカラ「白鳥の湖」のDVDを買いました.
アルチンボルディでの公演でしたが・・・・狭い
あんなに狭い劇場でスカラの演目を上演してたのでしょうか?
マシュー・ボーンがスカラでオペラ演出の噂もありますね.
by Esclarmonde (2005-09-14 07:21) 

Bowles

>1時間もインタビューなんでしょうか??

毎週オペラが始まる前の一時間は、欧州全体の話題の公演を、一部
録音を紹介しながら取り上げる、一種の「時評」のようなものなので、
残念ながらR.R.の登場は15分程度かと思います。

France Musiquesの予定ではCosiは10月15日(現地時間)に生中継、
もうひとつ噂の(!!)Bohemeは11月12日に10月7日の公演が放送される
ようです。ただし間際になっての変更がよくあるので、また確認して
くださいね。
by Bowles (2005-09-14 08:44) 

Bowles

生中継の件は、当然もうご存じでしたね。
失礼しました。
by Bowles (2005-09-14 08:46) 

keyaki

Bowlesさん、いつもありがとうございます。
なるほど、フランス語はわかりませんが、ライモンディの声はわかりますので、忘れないように録音しなくては、、、

>生中継の件は、当然もうご存じでしたね。
運良く、オペラキャストさんに教えて頂きました。楽日に生中継とは!先が長いです。
by keyaki (2005-09-14 09:00) 

keyaki

>ヴァラリンさん
そうですよね、一部重なってましたものね。
ほんとに、蓋を開けてみるまでわかりませんね。
公演がはじまったら、ネットで写真とか見つかるかもしれませんし、楽しみですね。
by keyaki (2005-09-14 09:13) 

keyaki

>Esclarmondeさん
>アルチンボルディでの公演
のオペラ放送や、DVDけっこう見ましたが、特別気にならなかったですね。
バレエだと狭く感じるのでしょうか?

スカラも体制が変わって、いろいろ話題があるようですね。
開幕公演は、ガルニエのコジを降板した(させられた?)ダニエル・ハーディングの指揮なんですよね!
by keyaki (2005-09-14 09:19) 

ヴァラリン

Bowlesさん
>もうひとつ噂の(!!)Boheme
すみません(^^; こちらも、keyakiさんから情報を頂いて、自分のおうちにもこっそりと書いておきました。
でも、気にかけて下さってありがとうございます。
10月に入ったら、すぐに放送があるかしら?と取らぬ狸の皮算用(^^;をしてたのですが…待ち遠しいです。

keyakiさん:
>公演がはじまったら、ネットで写真とか見つかるかもしれませんし、楽しみですね。

ハイ(^^) でもあんまり気合を入れすぎないようにしなくちゃ、と思いながら、楽しみにしてます。
by ヴァラリン (2005-09-14 10:15) 

助六

「ルモンド」と「フィガロ」がエクスの時と同一に批評家による批評を出しました。エクスでハーディングの指揮もシェローの演出も酷評したご両人共、指揮はハーディングのセカセカに替わり、クーンになって息使いを回復し、演出も面白みは依然皆無にしても、はるかに改善されたという趣旨です。RRに言及しているのは「ルモンド」のみで、「(エクスでよりも)上質の、ドン・アルフォンソのメランコリーに彩られた傲慢さを存分に発揮」と好意的です。
小生は明日観ます。気が向けばコメント致します。
by 助六 (2005-09-15 10:02) 

keyaki

わぁ、楽しみです。
>気が向けばコメント致します。
良くなかった時は、気が向きませんものね。
助六さんの気が向くような、良い公演でありますように、、

私が引用した、この第一報の方は、ガランチャがお気に入りで、明日は、彼女の誕生日だから、花束を届ける、、、なんて書いてました。
ガランチャは、新国でホフマン物語のミューズ&ニクラウスでしたが、宝塚の男装の麗人という感じで、とてもよかったです。
by keyaki (2005-09-15 18:56) 

おさかな♪

RRさんはこんな素敵なオペラハウスで歌われるんですね♪
人気者のRRさん、きっと客席との一体感も素晴らしいのだろうなぁと思います。
by おさかな♪ (2005-09-15 21:36) 

NO NAME

ガランチャ、今日が誕生日だったんですか!私も彼女目当てで行ったようなものです。昨年11月パリの「チェネレントラ」で初めて聴いて、第一声から稀に聞く真のメッツォの深く豊かな声で、おまけに大柄の美人だから強い印象を受けました。今晩も私見では彼女が一番良かったと思います。モーツァルトも良いけれど、ロッシーニも様式的に違和感なく歌う器用な人だと思います。
「コジ」は、個人的感想に過ぎませんが、私としては指揮・演出・歌全て中レヴェル、可も不可もなしといったところ。悪い上演ではないけれど、特に記憶に残る出来とも思えませんでした。クーンは、小生「カプリッチョ」で好演を聴いたことがあり印象は悪くないのだけれど、今回は特に悪い所もないけど、微温的で「ルーティン」と言われても仕方ないかなという感じでした。小生はハーディングは、90年代半ば19歳の時、ラトルの急な代役でバーミンガム市響を振ったのを聴いたのが最初で(確かこれが公式コンサート・デビューでした)、その後98年エクスの「ドン・ジョヴァンニ」、02年ブレーメン室内管と「メサイア」、今年パリの「ねじの回転」を聴きましたが、感心したのは「ねじの回転」だけなので(19歳の時の指揮は、緊急代役でこの年齢にしては、はっきり自分の意図をオケに伝えているのに驚き、良く憶えていますが)、個人的にはクーンでもどちらでも良いと思っていました。仏人常連さん達の間では「ルーティーン指揮者クーンより、ハーディングの実験性のある指揮の方が良かった」という意見と「似非革新のハーディングより伝統的モーツァルティアンのクーンに替わって結構」という意見に割れていました。
シェローの演出は、膝を叩く様な解釈やアイデアはまあ皆無。小生、彼は、70年代までのプランション経由のブレヒト流「イデオロギー批判」読解に替わって、84年の「ルーチョ・シッラ
by NO NAME (2005-09-16 08:10) 

keyaki

おさかな♪さん nice! 1ありがとう!
パリには、バスティーユに新しいオペラハウスもありますが、やっぱり、ガルニエの方が素敵ですね。地下にはオペラ座の怪人もいるでしょうし、、、、
RRさんは、1970年から1980年の前半にかけて、ここの常連さんだったんですよ。久しぶりで嬉しかったと思います。
by keyaki (2005-09-16 08:34) 

keyaki

助六さん(ですよね!)レポートありがとうございます。
途中で切れてますが、字数制限??続きをぜひお願いします。
>中レベル
それは残念でしたが、最悪!ではなくて何よりでした。
でも、お目当てのガランチャが、好調で、大満足というところですね。
ガランチャの誕生日は、1976年9月16日だそうです。
ガランチャのインタビューと今までの公演記録、今後の予定と充実のサイトをレポートのお礼にご紹介します。
http://site.operadatabase.com.site.hmt-pro.com/modules.php?name=Content&pa=showpage&pid=79&page=1
by keyaki (2005-09-16 09:22) 

助六

《送稿ミスしました。続きです。》

」以降「仏古典主義」方向に転換したと考えていますが(芝居のことは良く解りませんので、この辺のことはきのけんさんにコメントして頂ければ最高なのですが)、今回もその方向で大変クラシカルで美しい舞台ではあります。でも94年の「ドン・ジョヴァンニ」ではまだ健在だった、舞台上縦横に歌手を動かし「物理的空間」を「演劇的空間」に変質させていくような、空間を分節する手際の冴えとか、92・93・97年の「ヴォツェック」で見せたようなドラマの勘所を鋭く抉り取っていくような切れ味は、どうも鈍ってきているというのが個人的な印象です。唯、1幕の恋人達の別離の場などで、大袈裟に人物を動かすことなく僅かの身振りで音楽に密着したメランコリックな演劇的形象を創り出していく手腕には、やはり瞠目させられましたし、勿論オペラ上演の一般的水準に比べれば、今回の舞台もその演劇的完成度の高さは例外的と言えるでしょうけれど。
歌手は、Wallはフィオルディリージを歌える声は無くてちょっと物足りない。先年「アリアドネ」のハルレキンで見事だったグリエルモのDegoutも、デスピーナのBonneyも今回は声楽的に些か引っ込み気味。フェルランドのMatheyもそれなりに美しい歌を歌うものの、tenorinoと言いますかもう少し声があったらというところ。RRは、ご承知のようにパリへの出演は少ないので、小生が聴いたオペラは、86年パリの「ドン・キショット」、80年代終わり位のヴィーンの「ランスへの旅」、90年代初め位のローマの「ドン・ジョヴァンニ」位ですが、「ジョヴァンニ」の時はまだまだ「腐ってもマダイ」という感じで男らしい色気を充分残していた声も、今は正直な所「腐ってもヘダイ」と申しますか、言葉のアーティキュレーションの表現性は依然見事だけど「soave sia il vento」のレガートで露呈する声の衰えは、痛々しいと言わざるを得ない気がしました。個人的には、アルフォンソの役をキャリア末期の「語る」タイプの歌手に配当する習慣は好みでなく、壮年期の充分「歌う」力のある声に充てる方が良いと考えているということもありますが(60台半ばのフィッシャー=ディスカウがアルフォンソを演奏会形式で歌うのを聴いた事がありますが、これは流石にレチタティーヴォの言葉の緻密な表現性で他の若い歌手達を完全に喰ってしまう圧倒的な出来でしたが、まあこれは例外)。やはりガランチャが声も歌も美しい。
客の反応は、歌手全員とクーン、シェローにそこそこの(ガランチャにだけ一際大きな)ブラヴォーが出、ブーはゼロ。カーテン・コール(なぜかボニーは出て来なかった)は一回だけで熱狂とはとても言えない雰囲気でした。初日はより大きな喝采があった様です。結局、エクス上演について「フィガロ」紙の批評家氏が書いていた「はっきり言おう。ドイツの中劇場のレパートリー上演のレヴェル」とかいう評価にも一理あるかなとか思いました。
つい駄弁長くなりすみません。
by 助六 (2005-09-16 09:38) 

助六

書き忘れました。RRにも「一際大きな」ブラヴォーが掛かりました!
by 助六 (2005-09-16 09:42) 

keyaki

助六さん、ありがとうございます。
ま、年齢には勝てないのは当然ですが、彼のようなオペラ歌手はそうそういないと思いますので、ファンとしては末永く舞台で活躍して欲しいと思っています。
by keyaki (2005-09-17 12:08) 

Bowles

オ、ララ〜!
嬉しい誤算、ふたを開けてみれば、様々な音源もまじえながらの
みっちり中身のつまった独占一時間番組だったようですね。一応
録音したので、こちらは明日またゆっくり聞いてみます。私とし
てはとりあえず、本命の珍しいドゥトゥーシュのオペラが聴けたので、寝ることにしますね。
by Bowles (2005-09-18 05:07) 

keyaki

>オ、ララ〜!
番組中、RRも2、3回言ってましたが、これって、マンマミア!の軽いやつかしら? 「おや、まあ!」くらいかな?
フランス語(他のもですが)全くダメな私も、間に歌が入ってましたから、なんとなく最後まで聞いてしまいました。
チェネレントラなんてめずらしいCDをかけてましたが、こんなのいつ録音したのかな?、、とか言ってましたか?
実演で歌ってない理由もなんか言ったような???
あと、スカラ座でもコジをやるなんて言ってましたか?
全部想像です。

記事にしましたので、もし面白い話等ありましたら、教えて頂けると嬉しいです。
by keyaki (2005-09-18 10:26) 

きのけん

 なんか助六さんにリクエストされちゃって(2005-09-16 09:38)、実は弱ってるんだけど(苦笑)、ひょっとして、エクス版とガルニエ版はまったくの別物なんじゃなくって?…。だってエクス版の中継の初っ緒をARTEで見た限り、あんなに、歌手たちが客席側から登場して、舞台と掛け合いするなんてことはガルニエじゃ絶対にできないぜ。

 なにせ、エクスはリスネルだから、パリのみならず、あの制作を総監督を兼任しているスカラ座やウィーン(芸術週間)なんかにも廻そうという魂胆に違いないんで、結局エクス用のとツアー用のと二つ作ったんじゃない?…。昔よくあったじゃない。東ベルリンの州立歌劇場がシャンゼリゼ劇場に客演する時持ってくるのはツアー用の簡易舞台だったり…。向こうで見ると、全然違う装置でやってたりしてね(笑)…。シェローにしたって昔国立民衆劇場の頃、エドワード・マーロウ《パリの大虐殺》で舞台に実物大のプールを作っちゃったもんで、制作を他の劇場に廻せなくなって予算に大穴が開いちゃったり…。

>小生、彼は、70年代までのプランション経由のブレヒト流「イデオロ
>ギー批判」読解に替わって、84年の「ルーチョ・シッラ」以降「仏古
>典主義」方向に転換したと考えていますが

 僕がシェローの芝居を追い掛けていたのは 1975年のマリヴォー《いさかい》から1990年代初めのボート・シュトラウス《時間と部屋》までの全演出(芝居+オペラ+映画)ですが、おっしゃる「イデオロギー批判」読解とやらをシェローが自らの演出の中核に据えているのをただの一本だに見たことがありません。強いて言えばバイロイトの《指輪》ということになりましょうが、あれだって、見ている方が勝手な先入見でそう言っているだけなんで、登場人物が労働者服を着ているから「マルクス主義」的だなどと言うのは、短絡もいいとこ、笑止以外のなにものでもないわけ。日本のさる音楽評論家先生で、あれは「構造主義的演出」(大爆笑!)だなんて書いたのがいたけど、もういい加減にしてくれよな、と言いたくなりますよね。ウソだと思うなら、まさにその「構造主義」の旗手ミシェル・フーコーがこの《指輪》について渡邊守章と対談してるのがあるから一度覗いてみるといいよ。

 実は演劇科の学生時代に、まさにそのロジェ・プランションと直接議論したことがありまして、非常に気になっていた、まさにおっしゃるその点を質したことがあるんです。そしたら、やはり彼の世代でも、「イデオロギー批判」読解とやらはあっさり全否定でしたよ。彼が僕に答えた言葉をそのまま引用すると、ブレヒトで最もくだらないのが彼の政治思想なんで、あれはスターリン主義の〜彼の言葉をそのまま引用します〜"connerie"以外のなにものでもない。だいたい芝居が「読解」だの「解釈」だのだけで出来ると思っているのが大間違いなんで…、彼の劇作も全然ダメ!。ただし、演出家としてのブレヒトは、それとは裏腹に、真に超天才といえるものだった。我々の誰しも、演出家としてのブレヒトからは最大級の影響を被ったが、彼の政治イデオロギーなどから影響はまったく受けていない。

 というのは、僕との間のちょっとカッカした論争だったから、多少間引いてとる必要があるんですが、シェローはプランションよりさらに1,2世代下の人なんで、もっと政治イデオロギーとは無縁ですね。むしろ、最初からそういうのを徹底的に批判する立場なんだよね。シェローが1960年代末に提起した民衆劇場批判は政治と演劇を短絡する旧世代芝居屋たちへの激烈な批判でもあったわけ。

 もし、ご興味があったら、僕のサイトの『ユリイカ』評論集の中に入っているハイナー・ミュラー項のジャン・ジュルドゥイユのインタビューをご参照になると、その辺りの話がかなり詳しく出てきます。
http://perso.wanadoo.fr/kinoken2/eureka/eureka_init.html

Orfeo-blogのバイロイト版《トリスタン》項にもリンクが貼ってあります。

 もちろん「古典主義的方向」というのももっと不可解。《ルーチョ・シッラ》を作ったシーズンというのは、ナンテールのアマンディエ劇場では十八世紀演劇特集で(モルチエは今年これを真似してます。ちなみに《ルーチョ・シッラ》の共同制作元の一つブリュッセル・モネー座の当時の総監督がまさにそのモルチエ自身!)、《ルーチョ・シッラ》の他にシェローが演出したのはマリヴォー《偽の侍女》とハイナー・ミュラーの《四重奏》(ラクロ『危険な関係』の脚色)。それから、この辺りから一連のベルナール=マリ・コルテス劇が始まりますよね。だから「古典主義的方向」とは正反対の方向に進みつつあったんだ。それからアマンディエ劇場付属演劇学校がスタートして、その第一作がチェーホフ《プラトノフ》だったでしょ。実は、シェローがやりたかったのはその映画版で、だから《フランス館》だよね。

 ただ、助六さんが「古典主義的方向」というのは、僕が察するに、これはもう見事きわまりない身体性の演劇だった《ルーチョ・シッラ》というより、彼がアマンディエ劇場で最後に作った《ハムレット》から受けた印象じゃないかと思うんだ。そう、あれはシェローにしては異常にクラシックだったけれど、この時期になると、もうシェローは芝居やオペラにウンザリしだしていて、アマンディエ劇場も辞める気になっていたし、どんどん映画の方に進んで行っちゃう。だから、多分、彼がアマンディエ劇場を辞任したのはバレンボイムに連帯したからだけではないんだね。彼自身が芝居やオペラから映画に進みたがっていた。だから、ある意味でちょうどいい切っ掛けだったんだよ。アマンディエ劇場に付属の映画スタジオまで作って、だんだん芝居やオペラの方が片手間になってくるわけ。だいたいからして、あの学校の生徒たち、ほぼ全員映画に進んでるでしょ。僕がシェローを追い掛けなくなっちゃったのがちょうどこの辺りからなんです。つまり、ナンテールのアマンディエ劇場を辞任した時点で、シェローは演劇部門から手を退いたという考えなんです。以後の仕事は、とても 1970-80年代のあの奇跡的とも言える充実ぶりの足許にさえ及ばない。僕はあのアマンディエ劇場から歩いて10分くらいのところに住んでましてね。当時は入り浸ってたんだ(笑)。

 新オペラ座(バスチーユ)計画準備会の時なんかすごかったですよ!バレンボイムが来て、ブーレーズが来て、ペーター・シュタインが来て、モルチエがいて、クリストフ・フォン・ドホナーニまでいて(笑)…。

 僕は《コジ》やドストイエフスキー独演会なんかよりは、来週ロードショウがスタートする《ガブリエル》の方がよっぽど興味あるけどねえ…。
きのけん
by きのけん (2005-09-24 20:01) 

きのけん

「(…)ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグは常にこの方向を開拓し、発明し続ける。すなわち、身体の姿勢と位置、床で起こっていること、仰臥の姿勢を活かすこと、その相関運動の速度と激しさ。そこから生ずる映画の儀式性あるいは演劇性。《蘭の果肉》が既にそうだったが、さらに、そして特に《傷ついた男》のシェローはその意味できわめて強靱なものを持っている。(…)」
(ジル・ドゥルーズ『映画2:映像=時間』)

 《ルーチョ・シッラ》をご覧になったらしい助六さんは、こう引用するとピンと来るでしょう。《ルーチョ・シッラ》での、まるで現代舞踊の踊り手のように動いていた歌手たちのあの床演技の驚くばかりの見事さを忘れたとは言わせません。例えばイプセン《ペール・ギュント》など、このことは、彼の芝居の方の仕事を知っているともっとよく判る。シェロー劇では、役者が舞台の床に寝っ転がったり、横臥の姿勢をとると、何事かとてつもないことが起こる予感がする。そして、事実とてつもないことが起こる。

 思い出して欲しいなあ…《ルル》の結末。フランツ・マツーラのジャックに刺殺されたテレサ・ストラータスがレスリングのブリッジの姿勢をとって死ぬ。その上にイヴォンヌ・ミントンのゲシュヴィッツ夫人が重なって倒れる場面。《ワルキューレ》で遠くから聞こえてくるフンディンクの角笛にパニック状態に陥ったハンナローレ・ボーデ(僕が実際に見た年:その翌年からジャニンヌ・アルトマイヤ)が猛烈な叫び声を上げ、気を失う。彼女に重なるようにペーター・ホフマンが倒れかかる。二人が眠り込んでしまったところに、うっすら煙幕が流れギネス・ジョーンズのブリュンヒルデが死の告知に現れる…。彼女がペーター・ホフマンの衣裳を脱がせ、上半身裸にして白い死装束をまとわせる…。そうです、《指輪》というのは、方々で床演技を誘発する機会に満ち溢れているという意味でシェロー劇にまたとない素材を提供するものなんです。《ヴォッツエック》でヴァルトラウト・マイヤーがレイプされそうになる場面の激烈さも思い出してください。

 ただ、やっぱしあれは「オペラ」なんだな。マリヴォー《偽の侍女》でムショ帰りの獰猛な下男ミシェル・ピッコリと悪いことなら何でもしそうな若旦那ディディエ・サンドルがジェーン・バーキンのお姫様に襲いかかる場面の凄さ!…。
きのけん
by きのけん (2005-09-26 06:32) 

ヴァラリン

10月5日が初演のバスティーユでの《ボエーム》ですが、直前に来て、また指揮者変更…という事態になっているようです。心配…(ToT)
状況を知りたいので、記事をUPしました。ガルニエの《コジ》とも無関係ではないので(^^;こちらの記事をリンクさせて頂きました。

こちらをお読みになっていらっしゃるかたで、もし事情をご存知の方がいらっしゃったら、http://valencienne.tea-nifty.com/brot/2005/10/post_796a.html まで情報を頂けるとありがたいです。宜しくお願いします。
by ヴァラリン (2005-10-02 22:21) 

助六

>きのけんさん
素人のマの抜けた質問に懇切・詳細にお答え頂き、真に有難うございました。おまけに当方はアクセスさぼってて、見逃していた始末でお返事遅れて申し訳ありません。さすがに豊富なご経験に基づいた具体的(「身体性」の描写、眼に浮かぶようです!)かつ明晰な分析で、アタマの中が一挙にスッキリした思いです。プロの執筆者の方をタダ働きさせてしまい申し訳なく思っていますが、こうした演劇的文脈の明快な説明は、我々普通の聴衆の眼には触れにくいと思いますので(小生が見逃しているだけかも知れませんが)、きのけんさんのような方にタダで(!)出て来て頂けると我々は大変助かってしまいます。欧州でも音楽関係者で芝居のこともきちんと知っている方は少ないですものね。
シェローでもプランションでも「政治的・社会的異化」とでも呼ばれる類の契機はないか、仮にあったとしてもエピソード的なものに過ぎなかったというご説明には、なるほどと大いに納得が行きました。「イデオロギー批判 Ideologiekritik」なる言葉は小生のものではなく、独のヴァーグナー本が、戦後のヴァーグナー演出の2潮流として、「象徴的」手法により無時間的・普遍的次元の劇を目指す傾向と、「リアリズム」の手法により時間的・歴史的次元の劇を目指す傾向を挙げ、前者にヴィーラント・ヴァーグナー、後者にフェルゼンシュタイン・シューレやシェローを分類し、後者の内容としてヴァーグナー劇を、それが成立した19世紀西欧という具体的時間と場所に戻し、作品がそこから生じた近代社会の思想的・政治的基盤を顕在化させるという「劇『解釈』の手法」を「イデオロギー批判」と呼んでいたのを漠然と拝借したものです。ですから「イデオロギー批判」とは、一応劇の表面には出ていない社会的・思想的・政治的契機を浮かび上がらせる(=政治的・社会的に『異化』する)「方法」上の問題を指し、「政治思想」「マルクス主義」といった「内容」上の問題を指すものではありません。「イデオロギー」という言葉が目障りでしたら、「社会的異化」でも「政治的読解」でも「基層探求」でも何でも適当に言い換えて構いません。先刻ご承知のことでしょうが、一応念のため。シェローと言うとやはり日本の音楽好きや独の批評家には「指輪」の「異化」イメージが強く、きのけんさんがご説明下さったようなシェローの演劇活動全体の文脈は、良く知られていないところがあると思います。「ドン・ジョヴァンニ」の独紙評も「拍子抜け」という感じのものが多かったですものね。
プランションもきのけんさんが引用して下っている言葉から判断すると、ブレヒトの「演出」と「政治思想」は区別し、後者を糾弾しているということの様ですが、「演出」と演出理論としての面もある「異化理論」の関係、「異化理論」と「政治思想」の関係はイマイチはっきりしないキライもあります。「演出理論」から離れたブレヒトの「政治思想」なるものが存在するのかどうかは知りませんが。プランションもブレヒトの「政治思想」ならぬ「演出理論」に深く影響されたところはやはりあるのではと想像しますが、彼は回想録でもブレヒトを(演出理論も!)コキおろしてますよね。これは(1)彼にとって(シェローにとって同様)、(方法論上の)「ブレヒト的契機」は気になると同時に目障りな「克服さるべき契機」に過ぎなかった のが最大の理由だとは想像しますが、(2)人は自分が一番負っている源泉は意識的・無意識的に隠したがる (3)きのけんさんの質問の鋭さにヒルんで開き直った 面もあるような気も致します。
シェローもプランションより1-2世代下とは言え、68年前後に演劇活動を始めた世代として、方法論上のブレヒト的契機に無関心ではなかった面もあるのかも知れません。モノの本には、65年の「Fuentovejuna」なんかが挙げられてますよね。まあ書いてる人も観てないかも知れないし、「先入見」の可能性もありますが。「指輪」演出については、シェロー自身がTVインタヴューでその「政治的・社会的」次元について、自分の独創ではなくJ・ヘルツの先例があると語っているのを聞いたことがあります。80年代後半のインタヴューだったから、シェロー自身の「こじつけ」「後知恵」だったのかも知れませんが。
もうひとつ(万一お眼に触れたらの話ですが)お訊きしてしまってよろしいでしょうか。「政治的・社会的読解」の類が、フリードリッヒ、クプファー、ヘルツらフェルゼンシュタイン・シューレの連中に存在するとして、それはどこに由来するものなのでしょうか。フェルゼンシュタイン自身はブレヒトと接触はあったようだけど、残されたヴィデオ・記録から判断する限り、政治的次元は皆無ですよね。フリードリッヒら弟子世代の創出で、それはベルリーナー・アンサンブルの影響と考えて良いのでしょうか?

>keyakiさん
軒を勝手に占領してしまった形で済みません。きのけんさんのコメントは、皆さんの役に立つからということでご容赦下さい。
by 助六 (2005-10-08 09:28) 

きのけん

>助六さんへの回答:

>「政治的・社会的読解」の類が、フリードリッヒ、クプファー、ヘルツらフェルゼンシュタイン・シューレの連中に存在するとして、それはどこに由来するものなのでしょうか。

 実は、これをやり出すと、ちょっとキリがなくなるんで、適当なところでカンベンして欲しいんですけど、助六さんのご質問は、まさに僕がプランションに直接した質問と、寸分違わないものなんです(笑)。それを彼自身は、結局のところオマエだって御大ブレヒト同様、スターリン主義者なんだろうと言われたように受け取って、上のような多少過激な答え方をしたと思うんです。まあ、そういうことが理解できるようになったのは硬派ブレヒト主義者ベルナール・ソーベルがロバート・ウィルソンをベタ褒めしている(《浜辺のアインシュタイン》に関して「ブレヒト劇を正統に継承しているのはウィルソン  だぜ、ギッチョンチョン!」)に接してからなんですが…。確かに、プランションからストレーレル、ベノ・ベッソン、ベルナール・ソーベルからアントワーヌ・ヴィテーズくらいまでの世代の演出家は、ブレヒトから、その政治思想まで含めて引き受けちゃったところがあります。この中でブレヒト時代のベルリナー・アンサンブルに居たことがあるのはベッソンとソーベルですが、ソーベルは今なお共産党員でしょう。ただ、それ以後の人たちというのは、ブレヒトという「父親」殺しを通じて出てきたようなところがあるんで、その辺りを頭に入れておかないと読み違える可能性がありますね。

 同様に、第一世代の人たちでも、やはり本当に優れた連中(上に名前を出した連中)というのは「政治的読解」とやらをそのままは信じていない連中でしょう。例えば、ストレーレルがモーツァルトの《フィガロの結婚》(彼がボーマルシェの方を演出していないのが意味深長ですが…)に「政治的」なものを組み込むとどうなるかというと、それはケルビーノという両性具備のやたらエロティックな形象を通じてなんです。あいつがそこいらじゅうで社会規範というものを攪乱していく(具体的には初演時のフレデリカ・フォン・シュターデよりも再演時のテレサ・ベルガンサの時:だからロージーのツェルリーナには多少無理してまでベルガンサが選ばれているんです)。それがあの三幕末のスポットライトが交錯する花吹雪で、本当に革命が起こっちゃうんですわ!…。ショルティがまた、そのことをものの見事に理解していて、あそこでまさにモーレツなクレッシェンドにアッチェレランドをかけるわけ…。うん、あれはもの凄かった!。あの優雅なメヌエットが徐々に、それこそ古楽器のスタッカート奏法、それもその極端なヤツに変わっていくんだよ!…。げーぇ!何が起こったんだ?という感じだよね。さすがの彼でもレコードじゃ、あんな過激な真似はしてないやね。つまり頭で理解させるのではなくて、「革命」を感じさせちゃうわけよ!…。それが、潮が引いていくみたいにしてバルバリーナのあのアリアに直接続くじゃない!…。いやー、モーツァルトは知ってたんだよ、あの続きの『罪ある母』を!…。伯爵夫人がケルビーノの子供を宿していて、ケルビーノは兵隊に行って死んじゃう。ストレーレルは、観客がそんな続きがあるなんてことを全然知らなくても、あのアリアの極端な悲調で、何かあると感じてくれればいいわけ。それをはっきり言っちゃうのがポネルやフリードリヒなんだよね。

 そう、そこへいくと、ボーマルシェのオリジナルは言葉で説明しちゃうもんで、ストレーレルには気に食わなかったんだね(多分)。そこへいくと、例えばジャン=ピエール・ポネルとかゲッツ・フリードリヒはもっと単細胞に、ありありと政治的解釈を見せちゃうわけ。ポネルの《…結婚》がまさにそうなのよ(カラヤン指揮版ザルツブルク)。あいつはまづ貴族と平民、次に男と女という対立項を顕さまに挿入して、これは階級闘争の話ですよ、と「解読」を強要してくるわけ(ハンブルクのフリードリヒも同様)。ところが、ストレーレルになると、それを衣裳スタイルの違い、十七世紀の宮廷衣裳(つまり一時代前の衣裳)と十八世紀の衣裳の差異から、実に微妙に見せるわけよ。あすこで十七世紀、つまりモリエール時代の衣裳を着てるのが伯爵、伯爵夫人、バルトロ、バジリオ、マルチェリーナ…で、十八世紀、つまりボーマルシェ時代の衣裳を着てるのがフィガロ、スザンナ、ケルビーノ、バルバリーナ…で、ストレーレルとしてはそういうのを政治的なメッセージとして観客に伝わらなくてもいいわけ。

 これ以上書き始めるとあまりに長くなっちゃうんで、この辺りで如何でしょう?…。

 お訊ねの点は、上のジュルドゥイユ・インタビュー以外でも、バイロイトのクプファー=バレンボイム版《指輪》の機会に、演劇誌『テアトロ』元編集長だった演劇評論家、野村喬氏と各幕毎にやった対談をアップロードしてあるので、覗いてみて…。

http://perso.wanadoo.fr/kinoken2/intv/intv_contents/bayreuth_91/intv_nomura_ken.html

きのけん
by きのけん (2005-10-11 03:45) 

助六

きのけんさん、
お忙しいところを、早速正面から例によって明快極まりなくお答え頂き、感激いたしました。
ストレーレルにおいて「政治的契機」とは、一体どういう形で存在しているのか、以前から気になってはいましたが、一挙に納得が行き、溜飲が下がった思いです。
お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。本当に有難うございました。
by 助六 (2005-10-11 06:13) 

keyaki

きのけんさん、助六さん、お二人のやりとり、私も興味深く読ませて頂きました。(知識がないので、よくわかってはいないのですが)
ストレーレルの「フィガロの結婚」は、ショルティが、自分の都合で、最初から参加しなかったのに、なぜかへそを曲げて、打合せのテンポを勝手に変えて、また演出し直しみたいな状況になって、歌手にとってもいい迷惑だった、、、みたいなことがストレーレルの本に書かれていました。

きのけんさん、事後承諾になりますが、10月10日の記事に「ロージー監督の追悼の評論」をリンクさせていただきました。
by keyaki (2005-10-11 16:53) 

きのけん

 実は、あの二人初演の時大喧嘩したんです。だから、ショルティ側の自伝を見ると、逆のことが書いてあるんだよね(笑)。その「ショルティが、自分の都合で」というのはショルティが風邪をひいて高熱を発していたことになってる。パリに来てみたら、演出がもう全部出来てて、自分が意見を差し挟む余地がまったくなかった、と言ってます。あの連中の言うことは話半分に聞いておかないと(笑)…。

 なにせストレーレルというのは演劇界ではカラヤン並みの帝王様だから方々で大喧嘩してるんだ。その「帝王」同士がやった《魔笛》(ザルツブルク)でも大喧嘩で、ストレーレルの『人間の演劇』でさかんにカラヤンの悪口を書いてますよ。スカラ座の《ローエングリン》ではルネ・コロと喧嘩して追い出しちゃったし、アバドとも大喧嘩。パリでは《三文オペラ》でシャトレ座のリスネル総監督と大喧嘩(リハーサルが間に合わないんで〜イタリアじゃしょっちゅうある〜初日を延期しろというのをリスネルが拒否した)、マゼールとも大喧嘩寸前になって(《フィデリオ》)マゼールの方が折れたらしいし…。そうだ、パリの《後宮からの誘拐》でジェイムズ・コンロンを追い出したこともあるよ。

 でも、あの人がエバるのは、演出家には珍しく楽譜がちゃんと読めて、絶対音階まで持ってたからなんだよ。だから音楽面にまで口を出してくるもんで、指揮者としちゃ、やり難いよねえ…。その点、ポネルも楽譜が読めるのがすごい自慢だったけれど、彼の助手(コレペ)に訊いたら、そんなことはない、オレたちが読んでやってるんだ…ということでしたが(笑)…。
きのけん
==============
上の投稿に辿り着いた過程は:
1/http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=cineken2
No. 402 (keyakiさん)>No. 403(きのけん)

続きは:
2/ Orfeo-blog :
http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2005/10/post_d136.html#c4354743
以上。
by きのけん (2005-10-11 19:29) 

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