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エピソード:声楽授業(7)ローマ編(ついにサンタ・チェチリア自主退学) [ L.Magiera著:RR]

8月7日の記事の続きです。
ルッジェーロは歌の勉強には必要ないからと勝手にピアノと体育をボイコット! ついに学長に呼び出されます。

一回目の時は、ファザーノ学長は、彼の理由を認めて、各教師達に会うことを勧告しました。ルッジェーロは約束しましたが、実行しませんでした。

空いている時間には、歌劇場の暗闇の中にもぐり込んでオペラシーズンの舞台稽古を見学することの方が、もっと役に立つことと考えたのです。
門衛所のチーフを指揮者のモリナーリ・プラデッリから紹介してもらって、いつも目をつむってもらって、劇場に入り込みました。
こうしてガブリエレ・サンティーニトゥーリオ・セラフィンのような著名な指揮者の演奏に接することができました。その上、先輩のローランド・パネライのコネで、ホールでの練習さえも気づかれないように部屋の隅に隠れて見ることに成功しました。
サンティーニセラフィンは、ロッシ=レメニ、パネライ、コレッリ、マックニール、マリオ・デル・モナコ等、最高の歌手に対しても要求が多く、決して妥協しませんでした。音を立てないように隠れてリハーサルを見ながら、ルッジェーロはエットーレ・カンポガッリアーニ先生のレッスンを再び聴講しているような感じを受けました。マエストロ達は、登場人物の精神の状態を表面化しなければならないことから言葉に強勢をつけることを要求しました。そこには劇的な状況の緊張がありました、、、、
このように、最初のリハーサルから「清教徒」「エルナーニ」と「イリス」が誕生する過程を見ることができたのです。
マスカーニのオペラ「イリス」は、Luigi OttoliniClara Petrellaで、ホールでのリハーサルをこっそり隠れて見ることが出来たましたが、見つかってしまいました。彼らは、彼と彼の勉強に興味と理解をを示しましたが、留まることは許されませんでした。 Petrellaは、 特別美しい声でも、現代的な抑揚(イントネーション)を持っていませんでしたが、偉大な価値の歌役者でした。そして彼女のイリスの演技(解釈)は、"Piovraのアリア"で特にルッジェーロに注目に値する印象を与えたのです。

ペディコーニ先生は、「リハーサルの演奏には、学ぶべきことがたくさんあります」と、歌劇場のリハーサルの件を好意的に見てくれました。
「しかし、気をつけなさい、補足的な教科で、無理を言っては行けません」と警告しました。なぜならば ファザーノ学長は過度の正当な理由のない欠席者に非常に厳しくすることができる立場だったからでした。

もう一つ他のやっかいごとが、ルッジェーロの勉強を妨害するようになってきました。
ある月から気管支に不調をきたしていたのです。しつこい風邪、涙目、喉の炎症、小さな病気の連続でした。歌わなければならない人にとってはとても煩わしいことです。
幸運にもペディコーニ先生が、すぐにとてもいいアレルギー専門医を紹介してくて、猫アレルギーと診断されました。そのため、残念ながら、客というよりは友達としてもてなされていたCalcagno家を出なければならなくなったのです。そこで、ルッジェーロは、他の定住先を探しているところでした。その時、ファザーノ学長から二度目の呼び出しを受けたのです。

今回は、学長の口調は厳しいものでした。
「生徒ライモンディ君」学長は、軍隊口調で言いました。
「もしピアノと体育の授業を受けなければ放校処分もやむを得ないことになるんだが!」
「迷惑をかけるつもりはありません。学長殿!」ルッジェーロは怒って、嘲笑気味に言い返しました。「私の自発的な意志で退学します」   ー続くー

(あらら、2年間はサンタチェチリアで勉強したようですから、多分18才ですね。男の子は反抗期が遅いから、反抗期だったのかしら?? )

メモ:
◇レナート・ファザーノ:1902.08.21-1979.08.03 [イタリア]指揮者、"Virtuoso di Roma"の指揮者として有名
◇ガブリエレ.サンティーニ:1886.01.20-1964.11.13 [イタリア]指揮者
◇トゥリオ・セラフィン:1878.09.01-1968.02.02 [イタリア]指揮者
◇モリナーリ・プラデッリ:1911.07.04-1996.08.07 [イタリア]指揮者
◇クララ・ペトレッラ:Clara Petrella 1918.03.28-1987.11.19 [イタリア]ソプラノ
◇ルイジ・オットリーニ:Luigi Ottolini1928.08.23- [イタリア]テノール
◇ローランド・パネライ:Rolando Panerai 1924.10.17- [イタリア]バリトン
※CDについて:
ファザーノ学長と大先輩のパネライの写真があったので参考までに載せてみました。このCDの録音は1957年だそうです。


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コメント 4

TARO

あ、ファザーノ学長というのはヴィルトゥオージ・ディ・ローマの指揮者のファザーノだったのですか。
アンナ・モッフォ、奇麗ですね。
by TARO (2005-08-09 23:56) 

keyaki

さすがTAROさん、
>ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ
知りませんでした。
どういうグループなんですか。バロック音楽関係のようですけど。
by keyaki (2005-08-10 01:49) 

TARO

ヴィルトゥオージ・ディ・ローマは、バロック音楽を中心にした室内オーケストラで、日本ではローマ合奏団の呼び名で知られています。
60~70年代のイ・ムジチ全盛時代に、ヴェネツィアのイ・ソリスティ・ヴェネティ(クラウディオ・シモーネ指揮)と共に、いわばイ・ムジチのライバルのように見られていました。

イタリア以外だと、パイヤール、オーリアコンブ指揮トゥールーズ、マリナー指揮アカデミー、ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルトなどなど、あの頃はこの手の室内オケが花盛りでした。
まだピリオド楽器のオーケストラがポピュラーになる前の話ですね。
by TARO (2005-08-10 22:57) 

keyaki

>60~70年代のイ・ムジチ全盛時代
あの頃は、私もバロック音楽のLPとか買ってますね。流行ってたんですね。
ヴェネツィアのイ・ソリスティ・ヴェネティ(クラウディオ・シモーネ指揮)って、ライモンディのトスティとかのイタリア歌曲の伴奏してますよ。
by keyaki (2005-08-11 22:34) 

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