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エピソード:声楽授業(6)ローマ編(サンタ・チェチリア) [ L.Magiera著:RR]

8月6日の記事の続きです。
大好きな先生エドヴィージャ・ギバウド が亡くなり、ルッジェーロは、悲しみをこらえて、ボローニャの両親の元に帰ってきました。

さて、新しい先生をどうするかを助言するのは、やはり、今では家族の古い友人のモリナーリ・プラデッリでした。
「今度は、方針を変更します、ママ」ルッジェーロは母ドーラの機嫌をとるためにおどけてみせました。母は、いつも息子が離れて行く時ちょっと落胆しました。
「太陽がいっぱいのローマに戻ります。今度はきっとママは満足すると思います、音楽院に入学するために試験を受けて、ディプロマをもらって卒業します!」(ほんとかな?)

そして、サンタ・チェチリア音楽院の入学試験はとてもうまくいきました。
レナート・ファザーノ学長はじめ、新しい声楽の教師マリア・テレザ・ペディコーニ 、そして他の委員達は、彼の芸術性と声の天分に感嘆したのでした。
ペディコーニ先生は、ギバウドによって展開された教授法を引き継ぎました。レパートリーの選択、呼吸に対する同じ概念、フレージングと表現力に関して同じ芸術的意図を持っていました。

ルッジェーロはローマの素晴しいところをいろいろ見つけました。
太陽の溢れる穏やかな気候、この街には、joie de vivre(生きる喜び)満ちていましたし、食欲をそそり、好奇心をかき立てる、刺激的なローマの料理もありました。ここには、俳優、歌手、ダンサー等、すべての芸術家が集まって来ていました。ルッジェーロのようなオペラの芸術家は、多くの敬意と尊敬の的でした。このちょっとボエミアンな雰囲気がとても好きでした。ただ一つの困ったことは、猫達の夜の集会で小鳥や動物達の犠牲とともに夜は大騒ぎでした。しかし、ルッジェーロは最も古典的な方法、蝋燭で耳に栓をして、対策を講じていました。

またもやサンタ・チェチリア音楽院で、ある問題が生じていました。
歌の勉強は、各学期最高の成績で順風満帆で前進していました。ところが、この新しい生徒が決して副課のピアノと体育の授業に現れなかったので、教師達は学長に抗議したのです。
ルッジェーロにとっては、これらの学科のボイコットにはそれなりに理由がありました。それはとても単純です。つまり、すでに数年ピアノを勉強していたしバスケットボールの全国ジュニア代表だったので、今から彼にとって役にたたない授業を受ける時間はないと考えたのです。けれども、官僚の権威主義は、情け容赦しません。サンタ・チェチリア音楽院も例外ではありませんでした。学長は彼に釈明を求めるために彼を呼び出さざるを得なかったのでした。−続くー
(あらら、ディプロマを取るというお母さんとの約束はどうなるのでしょうね!)
       ..........................................................................
写真左上)"Conservatorio di Musica Santa Cecilia" Via dei Greci:
すごくいい場所にありますね、スペイン広場のすぐ近くですよ。(写真右上、地図参照) クリックするとたくさん写真が見られます。エントランスは貧相ですけど中は素敵!これがイタリアの建物なんですよね。

ついでの話:
※マリア・テレザ・ペディコーニ Maria-Teresa Pediconi
岡村 喬生(1931.10.25 Tokyo)の恩師でもあります。
「実は、彼は私と同門で、おとうと弟子にあたる。想えば今から20年以上も前、私が恩師ペディコーニ先生のレッスンを受けている時、同じバスの、背の高い、歌をまだ始めたばかりの青年が横でおとなしく聴いていたのが目に浮かぶ。真摯なその青年がライモンディだった。今は、押しも押されもしない、イタリアを代表する世界的なバス。偉くなったものである。」−バス歌手雑感 岡村喬生ー


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コメント 6

euridice

興味深いお話、おもしろいです^^!
by euridice (2005-08-08 06:43) 

keyaki

いつも読んで頂いてありがとう!
ライモンディは、年齢のわりには、今の家庭に近いものを感じて、こういう子供っているよな〜なんて思ったりしてます。
でも、日本では一般的にお父さんが「歌なんかで飯が喰えるか!」というパターンでしょうけど、反対ですね。
お母さんの方が、かなり卒業資格にこだわっているようで、面白いですね。かえって家庭が裕福だと、息子に苦労させたくない・・・というのはあるかもしれませんね。
by keyaki (2005-08-08 09:14) 

TARO

ちょっと驚きました。あのサンタ・。チェチーリア音楽院の入り口が、こんなショボいとは・・・
たしかに中は素敵ですが。
by TARO (2005-08-08 10:18) 

せり

で、ディプロマはどうなったんですか?興味深々です。続きが早く読みたいわ!
ついでの岡村喬生さんの話にもびっくりです。
昔時々テレビで拝見しましたが、大好きでした。
by せり (2005-08-08 11:15) 

にぃにぃ

>今から彼にとって役にたたない授業を受ける時間はないと…
こういう、”自分で考えて自分のやり方で行動する”性格は生得のもののようですね。
でもお母さんの心配、分かるような気がします。
活発な上の2人じゃなくて、一番おとなしくて内気だった末の息子がよりにもよって!
みたいな。
ライモンディの経歴は紹介文によってそれぞれ微妙に違うので、どれが本当なのか分からなくなっていたところなので、とても興味深いです。続きを楽しみにしています(^o^)
by にぃにぃ (2005-08-08 23:16) 

keyaki

>TAROさん、
日本はすぐに建て替えてしまいますが、イタリアでは、外は数百年前のままで、中だけレスタウロして使うんですよね。あの一画が全部音楽院ですから、かなり立派なものですね。

>せりさん
私も興味津々なんです。インタビュー記事で「必修の体育をやるのを拒否したため学長と仲違いし・・・」という記述を見つけて、読まずにほったらかしていた本をなんとか読んでます。
岡村喬生さんとはちょうど10才違うんですね。1958年か1959年頃のことでしょうね。ちなみに岡村喬生さんはサンタチェチリア音楽院声楽科卒業になってますね。留学生ですから、副課とか体育は免除だったと思いますけど。

>にぃにぃさん
>ライモンディの経歴は紹介文によってそれぞれ微妙に違う
そうなんですよね。「サンタチェチリア音楽院を最優秀の成績で卒業」という記述もありますよね。
by keyaki (2005-08-09 02:27) 

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