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エピソード:声楽授業初日(2)そこに至るまで [ L.Magiera著:RR]

先日の記事で、10才から父と一緒に歌劇場通いが始まったことをご紹介しました。

ある時、ボイトの「メフィストフェレ」を見に行き、タイトルロールのジュリオ・ネーリの驚異的な力強い響きに親子共々興奮気味。凄い声だったね、と話しながら、夜道を我が家へ急ぎます。(家は、地図左の薄紫の丸印、劇場は地図右上の青色の印)
ルッジェーロは、
"Ecco il mondo"高音の"F"のアクートが気になり、父に、調子笛を持って来ているかを尋ねます。
「もちろんポケットにあるよ」
「パパ、ファの音をお願い」と言って、父からファの音をもらいます。ルッジェーロは、大きく息を吸って、高音のファの音を長く力強く響かせます。
「パパ、音は正しい?」と時々尋ねて、父が
「ああ、正確だよ」
と答えると
「やったぁーー万歳!変声期が終わったぁ、音域が広がったみたいだよ」と、ますます、力強く正確で大きな声でファのアクートを繰り返しました。
翌朝、警察所長が訪ねて来て、罰金の命令書を渡されます。
「チェーザレ、あなたとルッジェーロは、昨夜、どんないたずらをしたのかしら」と母が尋ねると
「言わなきゃだめかなぁ、しかし私の人生でこんなに喜んで払う罰金なんてそうあるもんじゃないよ」と父は笑顔で答えたのです。

ライモンディの家は、ボローニャのチェントロ、Piazza Maggioreの近くの"Via della Zecca"にあります。(via Castiglioneにも店舗がある)この地域は、中世の町並みが残っていて、建物の側面にアーケード(柱廊)があり、大きめの建物は中にも通り抜けのできる回廊があります。こういうところで大きな声を出すと住民の眠りの妨げになるので、騒ぐのは禁止されているということです。今で言うところの迷惑防止条例ですね。(上の地図を参考にして下さい)


※男の子の声変わりは、12才から14才位といわれています。

※2002年来日時のインタビューで、ジュリオ・ネーリについて語っています。とても印象に残った歌手の一人だったようです。
「音色の美しさがイタリア歌手の特徴でもあります。ーーーシェピはピンツァに近い非常に暗い音色を持っていましたし、ジュリオ・ネーリというフィレンツェ出身の2メートルの長身のバス歌手の暗い音色も忘れ難いものでした。バスの音色というのは、ドラマティコとカンタービレと、その上のバス=バリトンに分類されますが、ネーリはドラマティコ、シェピはカンタービレ、僕ははじめからバリトンの役も歌えないことはないバス=バリトンの声だったのです。」(國士潤一 音楽之友)


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コメント 4

Bowles

ライモンディの実家って、ホント、ボローニャのどチェントロですね!!
Via della Zeccaって、いつも泊まるサン・ペトローニョ脇のホテルに
タクシーで入っていく時に通る道、だと思います。あそこからテアートロ
までは約10分、というところでしょうか。ライモンディ三兄弟の写真は
自宅のすぐ近く、パラッツォ・コムナーレの建物のVia Ugo Bassi側で
撮ったものですね。このあたりも全然変わっていません。

Via Castiglioneは、ずっとはしっこのほうにおいしいジェラート屋さんが
あるので、これまたよく歩きます。ライモンディの実家の店舗って、ひょ
っとしたら香水や化粧品関係のお店ですか?というのは、あるお店の写真で、
R.R.そっくりのご主人をみかけたことがあるもので...。
by Bowles (2005-07-25 09:54) 

keyaki

Bowlesさん、
イタリアのチェントロは変わりませんものね。日本とは大違いですね。
>あそこからテアートロまでは約10分
ほんとうに近いですね、庭みたいなものですか。笑)
ライモンディの実家は、縫製工場も経営してたようですけど、ボローニャ市内に店舗も2、3あるようです。ブティックかな?とおもっています。
Via Castiglioneのお店、
>R.R.そっくりのご主人
甥かもしれませんね。
次回、ボローニャ訪問の際は、ぜひチェックして下さい。
by keyaki (2005-07-25 20:43) 

おさかな♪

わぁ~、「+」(協会のマーク)が沢山あって、イタリアの地図って感じがしました。RRさんのファの音と、keyakiさんのセンスにNice!
by おさかな♪ (2005-07-31 13:06) 

keyaki

おさかな♪さん Nice!ありがと!
イタリアの町は、チェントロのチェントロにピアッツア(広場)があって、そのピアッツアには、ドゥオーモ(教会)とコムーネ(市庁舎)があって、とてもわかりやすいですね。それが中世の頃から同じなんですよね。
RRさんが、子供の頃は、3時頃まで、レストランやバールが開いていて、そこでみんながお喋りしたりで、町全体が家族みたいだったそうです。
by keyaki (2005-08-01 02:07) 

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