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RRと指揮者(10)ジョルジュ・プレートル★☆ドン・キショット [RRと指揮者]

ジョルジュ・プレートル (Georges Prêtre 1924.8.14  フランスWaziers)Massenet: Don Quichotte
世界の主要歌劇場(ミラノ・スカラ座、コヴェントガーデン、NYメト)で活躍。1960年代末の一時期パリ・オペラ座の音楽監督も務めたが、70年代はむしろパリ以外のミラノ・スカラ座、NYメト等で活躍。1984年マッシモ・ボジャンキノ(元スカラ座総監督)のパリ・オペラ座総監督の就任によりパリに戻り、活躍した。
keyakiの知りたがり病:プレートルは、一時期、パリで振るとブーの大騒ぎになっていたそうですが、なにが原因だったんでしょうか?リーバーマンともうまくいってなかったようです。ご存知の方いらっしゃいますか?
参考)ジョルジュ・プレートル指揮の主な公演記録(1968ー1989)

1968年5月
(スカラ座)
ヴェルディ
トゥーランドット
RRはミラノ・スカラ座初出演
1975年10月
(バイエルン)
ヴェルディ
ドン・カルロ
シェンク演出
リッチャレッリ ファスベンダー
1980年10月
(バイエルン)
グノー
ファウスト
ピッツィ演出
リマ/アラガル フレーニ ブレンデル
1981年3月
(バイエルン)
グノー
ファウスト
ピッツィ演出
アラガル フレーニ ブレンデル
1982年7月
(フェニーチェ座)
マスネ
ドン・キショット
ファジョーニ演出
ツィンマーマン、バキエ
1986年12月
(パリ・オペラ座)
マスネ
ドン・キショット
ファジョーニ演出
シュヴァルツ、バキエ
1989年7月13日
(バスティーユ)
バスティーユ・オペラ座
柿落しガラ
スター歌手10人による
フランス・オペラ抜粋ガラコン

ついでの話し:
上のアマゾンにリンクしているCDは、劇場再建の資金のためフェニーチェ歌劇場のライヴ録音レーベルMondoMusicaからリリースされました。ファンにとっては嬉しいライブです。
ビデオクリップ(約4分):1986年12月パリ・オペラ座『ドン・キショット』


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コメント 4

きのけん

>keyakiのの知りたがり病:
>プレートルは、一時期、パリで振るとブーの大騒ぎになっていたそうですが、なにが原因だったんでしょうか?リーバーマンともうまくいってなかったようです。

 ひょっとして、これって僕のプレートル・インタヴュー(1)からのネタですか?…。もしそうでしたら、まさにその件の箇所に、マエストロ自身の要請により出さないでくれと言われて、『レコ芸』はもちろん、サイトの全文版にも収録していない発言があるんです。もう時効だろうからこっちでバラしちゃいますけど、プレートル自身は、当時彼がオペラ座のピットに登場する毎に執拗にブーを叫んでいた一隊はリバーマンが組織していたものだと確信してました。

(1):http://perso.Orange.fr/kinoken2/intv/intv_contents/intv_pretre.html#bogianckino

 僕の質問で「また七十年代を通じ、パリの音楽界にはプレートルさんに対する執拗な反感があったような気がするのですが」という箇所で、彼はえらく苦々しい顔をして、「リバーマン!」と言ったんですよ。それから、彼の答「でもあの「陰謀」は私に対してだけでなく、フランス人アーティスト全員に対するものだったのです」に付け加えて、それを計画的に組織したのはリバーマンだったともはっきり言いました。それが、「其の話はしたくない」に続いたわけ。
 僕自身その現場に一度出くわしてます。あれは確か、スカラ座から持ってきたジョルジュ・ラヴェリ演出版《蝶々夫人》のリハーサルの時だったと思いますが、リハーサルでオケを指揮中のプレートルの真後ろにリバーマンが来て、小声で何か囁いたんです〔後でいの知り合いの楽員に訊いたら、オケの音が大き過ぎるってなことだったらしい)。そしたら、プレートルが突然逆上して後ろを振り向いて、そんなことはオレの仕事なんで、お前の知ったことか!と大声で叫んで、皆びっくりしちゃったんですよ。リバーマンは、やれやれまた始まったよ!ってな顔をしてすぐに退散しちゃいましたけど。
 あまり厭な顔をして「リバーマン」と言うもんで、その時は敢えて反論しませんでしたが、そんなことはないんじゃないかと?…。プレートル自身、何度もリバーマンに招かれて、例えば、シェロー演出の《ホフマン物語》その他結構重要な制作を初演してるし、フランス人ならブーレーズはもちろんのこと、ミシェル・プラッソンやセルジュ・ボード、シルヴァン・カンブルランなんかだって、何度も出てるわけで…。リバーマンにとってプレートルは、彼が優遇したショルティ、ベーム、ブーレーズ、小澤、マゼール、ベルティーニ、パターネ etc…と並ぶ one of themだったはづですが、ひょっとしてプレートルにとっては one of themだったことが気に入らなかったのかも?…。
 初めてスカラ座で彼を聴いた時、プレートルがピットに出てくるなり、ブラヴォーの大合唱が始まっちゃったのにはちょっと呆れましたが(笑)。ええーっ、パリと随分違うもんだな!…なんて(笑)。逆にパリで大喝采のアバドなんて、またあいつかよう!…なんてシカとされてんだよね。まさに故郷に予言者なし!…。
きのけん
by きのけん (2006-07-11 01:48) 

keyaki

きのけんさん、
>プレートル・インタヴュー(1)からのネタですか?…。
そのはずです。私、きのけんさんの隠れファンなので、プレートルのインタビューも読んでますから。
フランス人って、芸術家に関しては外国人好きなのかもしれませんね。

プレートルいえば、RAIに面白い昔のビデオがあったんですけど、行ってみましたが今はないようで、みつけられませんでした。
私の怪しげな記憶では、プレートルが、多分郊外にある別荘に自家用飛行機で、やってきて、海水パンツで、セメントを運んだり、自分一人で、せっせとプールを作ってました。で、完成したプールで遊んでました。
あと、フレーニにプレートルについてインタビューしてましたが、フレーニが子供みたいに足をぶらぶらさせながら、「とってもすばらしいマエストロだわ、、」なんて言っていたような、、、これっていつ頃の映像だったんでしょうね。一時間くらいの番組でしたけど。
それがどうした、と言われそうですが、つまりイタリアで人気があったんですね、ってことなんすけど。
by keyaki (2006-07-11 19:10) 

CHARLIN

はじめまして。
プレートル氏は昔から大好きな指揮者で、昔の活躍を知っている(といってもリアルタイムではないですが)者としては、氏が70〜80年代にかけて余りにも日本では取り上げられることがないのを不満に思っていました。
こちらのコメントを読ませて頂き、納得する反面、やはりもっと本国フランスで活躍して欲しかったという残念な気持ちもあります。
ただ、ニューイヤー以来の人気ぶりにはホッとしておりますが。
お話しにあるプレートル氏のビデオ、日本ではLDでも発売され手元にあります。おっしゃられている通りで、半裸の氏がバーベキューを焼いたりもして家族サービスをして、微笑ましい限りです。また、パリ?でのボレロ、ドビュッシーの聖セバスチャン、カルメンのリハーサル等も入っていました。
ただ、おっしゃられている通りイタリア制作なので、イタリア語のアナウンスが続き、フランス語が聴き取りにくいのが困ります。
まだ、お探しのようであれば、DVDにダビングしたものを宜しければ差し上げますけど。
by CHARLIN (2010-05-03 13:43) 

keyaki

CHARLINさん
はじめまして。コメントありがとうございます。

>日本ではLDでも発売され手元にあります
そうなんですか...ということは日本語字幕付きということですか?

もしご迷惑でなければ
keyakix@xg8.so-net.ne.jp
にメールをいただけますでしょうか。
by keyaki (2010-05-03 14:43) 

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