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RRと指揮者(9)ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ [ボリス・ゴドノフ]

ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(Mstislav Rostropovich 1927.3.27 ソ連)
7才からチェロを学びはじめわずか10才でサン=サーンスのチェロ協奏曲を弾いた。1943年モスクワ音楽院入学。1951、53年スターリン賞受賞。1955年歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤと結婚、1956-74年モスクワ音楽院教授就任。1963年レーニン賞受賞。1966年ソ連邦人民芸術家の称号を受ける。1968年には、「エウゲニ・オネーギン」で指揮者としてもデビュー、このへんまで順風満帆。
1970年社会主義を批判した作家ソルジェニーツインを自宅に匿い、助けたことにより「反体制」とみなされ、亡命(1974年)を余儀なくされる。1977年アメリカへ渡り、ナショナル交響楽団(ワシントン)音楽監督兼首席常任指揮者就任。1978年国籍も剥奪。16年後の1990年、ゴルバチョフの時代にようやく、名誉と国籍が回復された。

Moussorgski: Boris Godounov / Rostropovitch (1989 film)ライモンディとはレコーディングでの共演です。「ボリス・ゴドノフ」の映画を製作するための録音で、1987年にワシントンDCで行われました。その2年後、やっと撮影に入り、上映の運びとなりました。ところが封切り直前に、原作歪曲という理由でロストロポーヴィッチがカットを要求し訴訟事件に発展、裁判所の判断で上映OKになるというゴタゴタがありました。日本では、多分あまりにもマイナーなオペラということもあり上映されませんでした。
映画は、アンジェイ・ズラフスキイ監督の社会主義批判が前面に出ており、暴力的で、ポルノチックな場面満載です。この訴訟は、当時は、まだソ連崩壊前で、ロストロポーヴィッチにしてみれば、いずれは、故国に帰りたいという思いもあり、ソ連当局へのパフォーマンスという説もあります。撮影には協力的であったわけですから・・・・。(ロストロポーヴィッチがカットを要求したシーンは、夫人のガリーナ・ヴィシィシネフスカヤが歌っているシーンで、かなりどぎついポルノっぽい場面。もちろん、夫人は声だけ。居酒屋の女将とポーランドのマリーナ)

ついでの話:
ロストロポーヴィッチは、1989年11月9日ベルリンの壁崩壊の時には涙が止まらず、矢も楯もたまらず11日にはジェット機をチャーターしてパリからベルリンまで飛んで行き、バッハを弾いたそうです。

参考)
※ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1926.10.25-レニングラード)ソプラノ歌手で、ロストロポーヴィッチ夫人
1955年 、「プラハの春」音楽祭でロストロポーヴィッチと出会う。 ボリショイ劇場のプリマドンナであったヴィシネフスカヤにロストロポーヴィッチが一目ぼれ、結婚して娘二人をもうける。
1966年 ソヴィエト社会主義共和国連邦人民芸術家の称号を与えられる。
その後、ロストロポーヴィッチ夫妻はブレジネフへの公開状で芸術の自由を訴え、政府の言論の自由の制限を公然と批判、これに対し当局は1978年夫妻の市民権を剥奪する。1974年に故国を去り、アメリカに移住した。

※ビデオクリップ(約4分):「ボリス・ゴドノフ」の録音風景と、映画の一部。
R.ライモンディとロストロポーヴィッチの禅問答のような会話がほほえましいです。
映画については、後日ブログに記事を書くつもりです。


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コメント 9

にぃにぃ

わぁ!!ありがとうございます o(^o^)o
この映画を昔どれだけ探したことか。その頃はPCなんて使えなかったからもう
ひたすら足で、首都圏内のCD屋さんをさまよいました。メーカーにTELしまくっ
たりして頑張ったんですけど、結局抜粋版CDしか手に入りませんでした。
これだけは是非映画で観たいと思っています。でも日本未公開なんですか・・・
字幕はなさそうですね。ついていけるか、不安
インタヴュー中、ライモンディが話してるのは、ロシア語でしょうか?(フランス語
のようにも聞こえますが?)
by にぃにぃ (2005-05-18 21:08) 

keyaki

説明はイタリア語で、ロストロと喋っているのはフランス語ですね。ロストロが最初になんか言ってますが、あれは、ロシア語かな?

>結局抜粋版CDしか手に入りませんでした
なぜか最近抜粋がリリースされましたね。
リンクしてますが、全曲盤はアマゾンで注文できますよ。
by keyaki (2005-05-19 01:38) 

TARO

ポルノっぽいというほどではないですね。マリーナが全裸で(いわゆるヘアヌード)飛び跳ねてるくらいなもんで。

ヴィシネフスカヤ本人だと思われるのが嫌だったんでしょうけど、あれを見てヴィシネフスカヤと勘違いするような人は、そもそもヴィシネフスカヤとは誰かを知らない人だと思うんですが。
by TARO (2005-05-19 02:03) 

keyaki

>マリーナが全裸で(いわゆるヘアヌード)飛び跳ねてるくらいなもんで。
TAROさんも映画だと冷静ですね、なーーんちゃって。
マリーナは、若くてかわいいし、なんか笑えますが、あの居酒屋の女将のシーンは、いやだとおもいますけど・・・・
でも、やっぱり本気とは思えませんね。いずれは祖国に帰りたいという望郷の念が強くて、ソ連当局に対するパフォーマンスなんじゃないかな。なんでも、ボリスがスターリンで、ピーメンがホメイニらしいです。
ミラノ・スカラ座のアバド指揮の「ボリス」を演出したリュビーモフも、このあと出国停止になったようですし、ソ連当局がこういう芸術的な分野をどう判断しているか、想像もつきません。もしかしたら、「ボリス」の場合は、リムスキー=コルサコフ版以外に関わると「反体制」とみられるのかもしれませんね。
by keyaki (2005-05-19 09:35) 

TARO

なにをおっしゃる keyaki さん。映画じゃなくても冷静ですよ~ん。

リュビモフって一時出国停止になってたんですか。
そういえばソ連が崩壊したあとですが、銀座のホテル西洋のところの劇場で「ハムレット」やりましたね。「トゥー・ビー・オア・ノットトゥー・ビ」のところを、ハムレットだけじゃなく次々と出演者が言っていったり、いかにもリュビモフらしく変わった演出でしたけど。
by TARO (2005-05-19 23:43) 

keyaki

>リュビモフって一時出国停止になってたんですか。
彼は、まず、スカラ開幕公演のアバドの『ボリス』('79.12〜'80.1)のあと、パリ・オペラ座のライモンディの『ボリス』('80.6)を演出するはずだったそうです。ところが、スカラのが、ロシア・レアリズムに反するとかで、出国ビザを拒否したそうです。
どんな演出だったのかわかりませんが、ソ連当局には「革新的」で気に入らなかったんですね。KGBがチェックしているということですよね、怖いですね。
ロストロにしても亡命したとはいえ、KGBが張り付いていたのかもしれませんし、当局を刺激したくなかったので、形式的に訴訟を起こしたというのが真相かもしれませんね。
ほんとうに、こういう芸術分野の締め付けって共産主義と何の関係があるのか????ですね。
by keyaki (2005-05-20 09:47) 

euridice

ショスタコーヴィッチの交響曲5番「革命」、当局が気にいるようにかいたという話。思うつぼで、大成功だったそうです。でも、真の作曲意図は別のところにあったと本人が後に語ったとか。オペラや歌なら、まあ、反体制だとかなんとか言われる可能性はわかりますが、共産主義的交響曲とか、資本主義的交響曲とか、分類できるのって、要するに好き嫌いの問題かしら???? 

それにしても、こういうのってコワイです。そういえば、
ジョージ・オーウェルの「1984」がオペラ化されたんですね。Sardanapalusさんのブログ、FOOD FOR SOUL に鑑賞記があります。
by euridice (2005-05-20 10:04) 

TARO

>スカラのが、ロシア・レアリズムに反する

へぇー、ほんとにまあ・・・
ボリショイの「ボリス」も来日公演で見ましたけど、たしかにまあリアリズムというかナチュラリズムの舞台でしたね。舞台装置は実に豪華でしたが。

亡命したといってもロストロさんほどの有名人で、発言するたびにジャーナリズムが取り上げるひとなら、KGBはついていたのかもしれませんね、たしかに。
by TARO (2005-05-20 22:37) 

にぃにぃ

映画『アマデウス』(84’米)の製作の際も、撮影現場には常にエキストラにまぎれたKGBの諜報員が監視していたとか。(撮影は当時社会主義体制をとっ
ていたポーランドで行われた)
>ジョージ・オーウェルの「1984」
84年なんてつい最近のような気がするんですけど、こうして考えると不思議な
気持ちになります (*_*?)
by にぃにぃ (2005-05-21 02:33) 

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