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《ドン・カルロ》ドミンゴ、カップチッリ、岡村喬生:ヴェローナ音楽祭1969☆MP3 [ドン・カルロ]

 なにかと話題になっている《ドン・カルロ》ですが、興味深い録音が手に入りました。岡村喬生著「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」に書かれている、1969年ヴェローナ夏の音楽祭《ドン・カルロ》の公演です。
 『ドミンゴが、ドン・カルロでヨーロッパイタリアデビューを果たし、エリザベッタがカバリエ、エボリがコッソット、ロドリーゴがカップチッリ等々、世界の一流が揃い、それにフィリッポのペトコフと私(岡村喬生)の、二人の新人バスが名を連ねていた。......』と書かれています。
※Verona Arena(1969.7.2録音):Eliahu Inbal指揮
Caballè,Domingo,Cossotto,Cappuccilli,Petkov,Foiani,Okamura


♪音声ファイル:
★1幕:サン・ジュスト修道院の中
サン・ジュスト修道院の聖堂、愛するエリザベッタを失った苦悩をいやすべく救いを求め祈るカルロ。

ドミンゴのカルロ、岡村喬生の修道僧、カップチッリのロドリーゴ:
カルロ登場:
ロドリーゴ登場:

☆またまたしつこく、21世紀の新しいドン・カルロとして一押しのヴィットリオ・グリゴーロのも並べておきます.......28才のドミンゴとどうかな....
ヴィットリオ・グリゴーロのカルロ、Nicolas Testéの修道僧、マイケルズ・ムーアのロドリーゴ:
カルロ登場:
ロドリーゴ登場:

★岡村喬生著「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」に書かれている、ヴェローナで歌えるチャンスをものにした経緯がとても面白いので、抜粋します。

『リンツの第一バスとして3年目を迎えたある日、ヴェローナの芸術監督のメディチ氏が突然やってきた。来年のヴェローナ音楽祭でトゥーランドットを歌う歌手を探していて、リンツで歌う予定のソプラノを聞きにきたのだ。メディチ氏は、ドイツ語がダメで、劇場側にはイタリア語ができる人がいなかったため、両方できる私が通訳をすることになった。(ニルソンとダブルキャストの歌手を探していたようです)
 私は、このチャンスを逃す手はないと、この劇場の第一バス歌手ですが、ぜひとも歌を聞いてもらいたい....とメディチ氏にお願いして、強引にオーディションをしてもらった。すると、メディチ氏が、私はトゥーランドットを探しに来ましたが、来年ヴェローナで、《トゥーランドット》の他に、《アイーダ》と《ドン・カルロ》をやります。《ドン・カルロ》のカルロ5世(修道僧)の役がまだ決まっていませんが、あなたにピッタリだとおもいます。歌ってくれますか.....小さい役とはいえ、幕開けにアリアもある重要な役だし、しかも夢のヴェローナ、異存があるわけはない、でも、ずうずうしく、フィリッポは? ブルガリアのペトコフという新人と契約しました。宗教裁判長や、ランフィスは? 他のバス役はすべて決まっています。おそかったか....だが、カルロ5世で御の字だ。念のためヴェローナでカルロ5世のアリアをもう一度聞かせてもらってから契約します....とメディチ氏。
 いろいろな偶然が重なり、ついにヴェローナに出られることになった。ヴェローナは素晴しかった。ドミンゴが、ドン・カルロでヨーロッパイタリアデビューを果たし、エリザベッタがカバリエ、エボリがコッソット、ロドリーゴがカップチッリ等々、世界の一流が揃い、それにフィリッポのペトコフと私の、二人の新人バスが名を連ねていた。......
 多分ヴェローナでは初めてであろう東洋人歌手で、しかも新人、そんな私が、世界の超一流に混じってどんな評価を得るか、心配だったが、幸いなことに批評は大変良かった。ほとんどの紙面が、最後にではあるが、主役の一人として私を扱ってくれた。田舎劇場で歌ってきた私は大いに自信をつけた。ヴェローナでの最大の収穫は、この自信であった。
 切符は連日売切れ。3万人の大観衆の万雷の拍手。町はオペラ一色に塗りつぶされ、私のブロマイドまで世界的なスターたちのそれと混ざって売られている。リンツとは何たる違いだろう。なんとかいつもこういう晴れの大舞台で歌いたい。
 しかし夢のうようなヴェローナでの6週間が過ぎて、私はこれから2年間の契約を結んでいるドイツの北の果ての町キールへ、すぐ向かわねばならなかった。』

※岡村氏は、「フィリッポは?」なんて聞いていますが、この時は、フィリッポはまだうまく歌えなかっそうです。こちらの記事にドイツの北の果ての田舎町キールの劇場で、ついにフィリッポを歌った経緯を紹介しています。→『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』《ドン・カルロ》フィリッポII

関連記事:ヴェルディとアレーナ・ディ・ヴェローナ(1913〜2000)

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babyfairy

凄い方ですね、岡村喬生さん。
あの当時、まだ東洋人のオペラ歌手自体が珍しかったでしょうに。その上、凄い声の歌手達が目白押しでしたしね。
by babyfairy (2008-12-17 05:49) 

euridice

岡村喬生さんのカルロ5世(修道僧)が聴けるなんて、感激です^^+

2人のドン・カルロ。それでもプロ?みたいな歌が少なくない中で
どちらも安心のプロ歌唱ですね。
第一印象として、いい!と感じたのは、グリゴーロです。
録音状態の違いもあるでしょうけど、グリゴーロのほうが
声が鮮明で張りがあって、さらに、口跡が明瞭で言語的に美しいと感じます。


by euridice (2008-12-17 06:16) 

keyaki

babyfairyさん
岡村喬生さんは、早稲田卒で、オペラ歌手を目指してイタリアに国費留学、サンタ・チェチリアでルッジェーロ・ライモンディと同じ先生に習っていて、レッスンの時に、彼と遭遇したそうです。ライモンディは、まだ、16か17才、岡村氏は、ちゃんと卒業してますが、ライモンディは学長と喧嘩して、ボローニャに戻っちゃうんですよ。

過去記事から.....
※マリア・テレザ・ペディコーニ Maria-Teresa Pediconi
岡村 喬生(1931.10.25 Tokyo)の恩師でもあります。
「実は、彼(RR)は私と同門で、おとうと弟子にあたる。想えば今から20年以上も前、私が恩師ペディコーニ先生のレッスンを受けている時、同じバスの、背の高い、歌をまだ始めたばかりの青年が横でおとなしく聴いていたのが目に浮かぶ。真摯なその青年がライモンディだった。今は、押しも押されもしない、イタリアを代表する世界的なバス。偉くなったものである。」
by keyaki (2008-12-17 09:50) 

keyaki

euridiceさん
グリゴーロ君の放送をアップしてくれた人ですよ。
説明が書いてありましたが、このときカバリエは、転倒して、足にギプスをしての出演、ドミンゴはイタリアデビューだったそうです。
岡村さんの著書ではヨーロッパデビューとなってますが、ドミンゴは、1967年にハンブルグとウィーンで歌っていて、ドン・カルロもすでにウィーンでうたっているんです。この後、ドミンゴは、ミラノ・スカラ座にエルナーニでデビューしたんです。

岡村さんの修道僧、最初の部分からアップしようかとも思ったんですが、ちょっと長くなるのでカットしましたが、本にもブラヴォー屋さんの話しが書いてありましたが、大声でブラヴォーーーーーを叫んだ人がいました。(笑

やっぱり、ドミンゴも声に特徴があるんですよね。歌唱的には、グリゴーロの方が上でしょう。グリゴーロが「ドミンゴからは、情熱を」と言っているように、情熱的ですね。スカラ座抜擢のニールは、情熱が感じられません.....失敗しないように卒なく歌うことが彼には重要なんでしょう。だから、聞いていて、つまんないです。
by keyaki (2008-12-17 10:12) 

ペーターのファンです。

ドミンゴの声は若い頃から特徴的だったんですね。
グリゴーロは声が年齢と見た目よりも成熟していますが、ドミンゴはちょっと老成したような感じに聞こえます。録音のせいかもしれませんが。

声も歌唱もグリゴーロの方が良いと思います。

by ペーターのファンです。 (2008-12-17 21:00) 

keyaki

ペーターのファンさん
声は、年をとっても代わりませんね。
ドミンゴは、10代から歌っているし、テルアヴィヴでは、連日メチャクチャ歌っていたそうですから、28才までに他の歌手の何倍も歌ってるんじゃないかしら。
ドミンゴもグリゴーロの才能を認めてるみたいだし、グリゴーロもお父さんのようなもの、と言ってますので、長生きしてもらわにゃ...(笑
by keyaki (2008-12-18 01:16) 

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