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ウィーン国立歌劇場公演記録 1945-2005 [オペラ関連書籍&雑誌]

!開けて、がっかり玉手箱!中途半端な公演記録でした!
注文していた"Chronik der Wiener Staatsoper 1945-2005"が届きました。ウィーン国立歌劇場は、レパートリーシステムとやらで、連日公演があるため、メモ魔のドミンゴのように、きっちり出演記録をつけていない限り、完全に把握するのは難しい。この本があれば、すべて解決と思いましたが、残念! ほとんど役に立ちませんでした。
掲載されているのは、なんの役で、何回出演したかとその舞台の最初と最後の年月日だけ、出演年月日はなぜか書いてありません。出演回数がわかるのであれば、当然、出演年月日も分るはずなのに省略されています。従って、指揮者、演出家、共演者を把握するのは不可能です......よね。
結局、R.ライモンディに関しての収穫は、1999年に《オテロ》に3回出演していたことがわかったことだけでした。パソコンでデータベース化すれば、完全なものを作るのは簡単だとおもうのですが、いずれやるつもりなのでしょうか。
※せっかくですから、見てほしいことがあれば、遠慮なくおっしゃってください。

参考までにどのような内容かご覧下さい。

歌った役柄の回数とその最初と最後の年月日だけ。ここに出演年月日が書いてあれば、時間をかけさえすれば共演者も把握することができるのに!

《オテロ》のキャスト一覧。アルファベット順にずらずらと並べてあって、その回数が記載されているだけ。この太字になっているのはなにかしら???ね。

メモ:2006.5.6 ドイツアマゾンマーケットプレイスで注文、2006.5.15受け取り


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ソステヌート

こんばんは!明日から、会社へ行ける体調が整えられました。単に、貴方のお陰だと思っています。「アイーダの会」のK氏には、昨晩、電話して、ライモンディーの話をしました。彼は、ライモンディが好みの声楽家であり、CDのみならず、DVD、LDも揃えているそうです。そこで、イタリアオペラとドイツオペラらの違いについて、話ました。イタリアオペラは、歌手次第、ドイツオペラは、オケと演出が重要だと言っていました。貴方にドニゼッティの話を是非とも、ブログで採り上げてもらいたいと思います。http://un-poco.at.webry.info/
by ソステヌート (2006-05-16 18:28) 

Sardanapalus

うは、なんじゃこりゃ。見にくい、分かりにくい!こんなのじゃ役に立たないですねぇ。何年かに渡って同じ役に出続けている場合、全ての共演者を探すのはほぼ無理じゃないですか。わざわざ本にする意味が無いですね。

>太字になっているのはなにかしら
おそらくその演出初演のキャスト&指揮者だと思います。単に予想ですけど…それっぽくないですか?(「ビリー・バッド」の項目で、ボー・スコウフスが太字でキーンリーサイドの公演回数が7回だったらこの説で正しいはずです。)
by Sardanapalus (2006-05-16 20:57) 

keyaki

ソステヌートさん、お元気になられてなによりです。
ライモンディは、お年を召してからは、「ドン・パスクアーレ」とか「愛の妙薬」のようなブッファに傾いています。若い頃は、「ルクレチア・ボルジア」とか「ファヴォリータ」を歌っています。「ドン・パスクアーレ」はDVDになる予定です。
by keyaki (2006-05-16 21:51) 

keyaki

Sardanapalus さん、
>わざわざ本にする意味が無いですね。
その通りですよね。この本、前のは買ってないですけど、1995年までのがあって、今回2005年までのが出たので買ってみたのですが、なんだかねーーです。どういう人達の役に立つ本なのかしら?出演回数なんて数えてくれなくても、出演年月日をちゃんと書いてくれれば、自分で数えますよね。

>おそらくその演出初演のキャスト&指揮者だと思います
あっ、そうか、そうだとおもいます。
明日「ビリー・バッド」で確認してみます。
by keyaki (2006-05-16 22:02) 

みど

うううううううううううすごいですね。。。。。
ドニゼッティについてのこと、みどもみたいなぁぁ。。。
ドンパスもみてみたいけど、ルクレツィアボルジアとかも気になります。。。。
by みど (2006-05-17 00:19) 

TARO

というか回数を数えられるんだったら、当然詳細な公演記録があるんでしょうから、METのようにデータベース化してネットで公開して欲しいですね。
上の方の太字はウィーンデビューの演目ということですね?69年の「シモン」がデビューだったんですか。

しかしさすがウィーンだけあって特にイヤーゴとデズデモナの顔ぶれは壮観ですね。
by TARO (2006-05-17 01:47) 

euridice

>METのようにデータベース化してネットで公開して欲しい
ほんとに.... 検索の威力は絶対にかないませんものね。

まあ、ないよりいいんじゃないかしら?
それなりに楽しめるでしょう^^;
by euridice (2006-05-17 07:54) 

keyaki

みどさん、愛の妙薬のアディーナなんてピッタリだとおもいますよ。
Nice!ありがと!
by keyaki (2006-05-17 19:46) 

keyaki

Sardanapalusさん、あってました!
ボー・スコウフスが太字で13回、キーンリーサイドの公演回数は、2002年までですので4回になってました。
キーンリーサイドのウィーンデビューは、ボエームのマルチェッロなんですね。
by keyaki (2006-05-17 19:56) 

keyaki

euridiceさん
バイトを雇って、ひたすら入力すればいいだけだと思いますけどね。もう10年以上まえになりますが、会社とかで、パソコンについていけない人達のことが問題になってましたけど、ウィーン歌劇場の経営陣はコンピューターアレルギーなのかしら?

>まあ、ないよりいいんじゃないかしら?
>それなりに楽しめるでしょう^^;
そうなんですけど、あっちこっち調べていたら、間違いを発見したような気がします。
回数とか絶対数え間違いがあると思いますし、漏れもありますね。手作業でやったとしたら。
by keyaki (2006-05-17 20:04) 

keyaki

TAROさん、このシモン、ヴィスコンティの演出なんですよ。
クリップス指揮で、ギャウロフ、ヴェヒター、ヤノビッツが初演歌手。
1969年ということはライモンディは28歳、一回だけこの演出で歌っています。共演者は多分、ヴェヒターとエリザベス・ヴォーン。あとの16回は、ストレーレル演出、アバド指揮のです。

しかし、ウィーンこそ、データベース化しないとわけわからんですよね。
by keyaki (2006-05-17 20:27) 

ソステヌート

イタリアからの情報が入りました。ダニエル・バレンボイムが、ミラノ・スカラ座の首席客演指揮者に2007-2008にシーズンから、就任して、最低2演目、ベルリン国立歌劇場との共同制作のワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をスカラ座で採り上げるそうです。意外な展開で、驚いています。
http://un-poco.at.webry.info/
by ソステヌート (2006-05-17 21:12) 

Sardanapalus

>Sardanapalusさん、あってました!
よかった、やっぱり初演=太字でしたか。確かにキーンリーサイドのウィーンデビューはマルチェッロです。

>今回2005年までのが出た
>キーンリーサイドの公演回数は、2002年までですので4回
こういうところも不完全ですよね~。キーンリーサイドのウィーン最後のビリー(3回)は2005年10、11月ですよ(笑)こういう「欠けている情報」の注意書きってありますか?次の2015年版でカバーしてくれない限り、虚空に消える公演がいくつも出てきちゃうじゃないですか!
by Sardanapalus (2006-05-17 21:36) 

助六

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

新年早々お願いがあるんですが、いつでも時間のあるときにお教え頂ければ幸いです。

たかさんが、80年のヴィーン国立歌劇場日本公演の「フィガロ」について大変興味深いエントリを書いて下さり、読みながら77年5月にプレミエを迎えたヴィーンのポネル演出「フィガロ」について、疑問が湧いてきました。

このプロダクションは元々カラヤンが72年にザルツ用に企画したものでしたが、77年にカラヤンが長年袂を分かっていたヴィーン国立歌劇場に復帰したとき、「カラヤン・フェスティヴァル」の一環としてザルツからヴィーンに移したもので、カラヤンは77年の後78年にもう一度だけ振っています。

ヴィーンはレパートリー上演用にこのポネル演出フィガロをその後も上演し続け、次のフィガロ新演出が出たのは91年5月で、アバド指揮ジョナサン・ミラー演出でした。

80年日本公演のベーム指揮「フィガロ」は、この77年プレミエのポネル演出を下敷きにして行なわれたと考えられますが、ベームが地元ヴィーンでこのポネル演出を何回程度振り、そのときのキャストがどのようなものだったかが気になり始めました。
と言うのも、ベームとカラヤンは仲が良いとは言い難く、ベームが事実上カラヤンのプロダクションだったフィガロをヴィーンで振った回数はそれほど多くはないのではと想像し出したからです。ベームの日本公演のキャストも当然カラヤンが振ったときとのキャストとは大きく異なっています。

それで質問なんですが、

- ベームが77-81年、ヴィーンでポネル演出フィガロを振った回数はどれくらいか?
- ベームが81年8月に死ぬ前に最後に振ったオペラ公演は、81年3月ヴィーンのフィガロだったが、この時のキャストは誰だったか? マティス、プライ、バルツァは入っていたか? 
- プライが77年以降ヴィーンでフィガロを歌った回数はどれくらいか?
- マティスが77年以降ヴィーンでスザンナを歌った回数はどれくらいか?
- ポップが77年以降ヴィーンでスザンナを歌った回数はどれくらいか?
- バルツァが77年以降ヴィーンでケルビーノを歌った回数はどれくらいか?

keyakiさんがお持ちの「開けてガッカリ」公演記録では、正確なことは分からないと思いますし、面倒な問い合わせで恐縮ですが、分かる範囲で参考になる情報をお教え頂ければありがたいです。

http://blogs.yahoo.co.jp/takatakao123/28655643.html
http://blogs.yahoo.co.jp/takatakao123/28522089.html#28634757
by 助六 (2009-01-02 10:25) 

keyaki

助六さん
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

ご質問の件ですが、やっぱり「つかえねぇヤツ」ですね。この記録は。

ポネル演出《フィガロの結婚》:
1977.5.10〜1993.4.24:全139公演(ウィーン=121、東京=7、大阪=3、ワシントン=3、横浜=3、ベルリン=2)

1993.10.17〜2002.2.15:全62公演(ウィーン=58、北京=3)

2003.11.6〜2005.4.4:全16公演(ウィーン=13、東京=3)

質問の回答:

1.ベームが77‐81年、ヴィーンでポネル演出フィガロを振った回数は?
ベーム指揮=15公演(??〜1981.3.12)

2.プライが77年以降ヴィーンでフィガロを歌った回数は?
19回:1980.2.5〜1989.6.8

3.マティスが77年以降ヴィーンでスザンナを歌った回数は?
14回:??〜1986.3.3

4.ポップが77年以降ヴィーンでスザンナを歌った回数は?
19回:??〜1983.1.30

5.バルツァが77年以降ヴィーンでケルビーノを歌った回数は?
9回:??〜1980.10.28

ということで、ベームが最後に振った《フィガロの結婚》のキャストは、バルツァが歌っていないことだけは確実ですが、あとはわからないということです。
それから、この公演記録では、日本ツァーは、ポネル演出で、どさ回り用トマ演出ではないことになっているように記載されています。ポネルの代わりにトマが日本に同行したということでしょうか......

またなにかありましたら、いつでもどうぞ。
by keyaki (2009-01-02 14:56) 

助六

早速ご返事ありがとうございました。

日本公演後のヴィーンの最後の上演には、日本と違いバルツァが出ていないこと、プライがヴィーンで初めてフィガロを演唱したのは、何と日本公演少し前のようやく80年2月であることが分かっただけでも大きな収穫です。

ベームが45年以降ヴィーンでフィガロを振ったのは、55年4月のシュー演出のNeueinstudierungの時と、67年4月リントベルク新演出の時が主の模様ですから、ヴィーンで彼が振った全15公演に日本公演(確か4公演)が入っているのか否か分かりませんが、いずれにせよベームがヴィーンでポネル演出フィガロを振った回数は限られているだろうと思います。

ヴィーンのフィガロのレパートリー上演は通常オケ練習ゼロでしょうが、練習好きと言われた大物ベームを呼ぶとなれば練習組まないわけには行かなかったでしょうから、劇場側にとっては費用的にも組織的にも面倒だったでしょうしね。

ベームは日本公演があったからこそ「カラヤン企画の」ポネル演出を振ることを承諾し、たかさんが示唆されてるように、日本公演を念頭に置いてキャストを組み、特にプライを呼んだのかも知れません。

日本公演のフィガロ・プロダクションは、日本ではチラシ・プログラムともトマ演出・ポネル美術・衣装と表記されてました。
実際、ザルツ(とヴィーン)のポネル演出に比べると、舞台装置はかなり貧相で似て非なるものでしたねぇ。

ヴィーンの記録は不正確か、あるいはヴィーンとしてはこの「ドサ回りプロダクション」はポネル演出をより簡便な装置で助手が再構成するもので、ポネル演出に準ずるものだと言うタテマエだったのかも知れません。

この頃のポネルは売れっ子で、「自分の新演出にも助手を派遣し、自分は最後の仕上げにだけ来て、ギャラと拍手を独占して帰る」なんて悪口もありましたね。83年のパリのオペラ・コミックの「トラヴィアータ」もポネル演出だったはずが、フタ開けたら他の人の名前になってて、「結果のひどさを見越したポネルが助手に責任押し付けて逃げ出したんだ」みたいなウワサでした。
by 助六 (2009-01-03 09:13) 

keyaki

助六さん
>ヴィーンで彼が振った全15公演に日本公演(確か4公演)が入っているのか否か分かりませんが
日本公演も入っています。ワシントンとかベルリンでも振っていたとすればそれも入っています。

演出舞台衣裳については、ウィーンとしてはポネル演出のつもだったんでしょうに...
ちなみにトマ演出というのは、
1979.10.18〜1982.5.17 : R.Thoma演出、Dessyllas舞台衣裳(27公演:ドイツ)
となっていて、ツァーで回った町の名前が記載されています。
出演者は、全員ウィーンの専属歌手のようです。

カール・ベームについては、超有名指揮者ということしか知りませんでしたが、ベーム・ファミリーと言われる歌手がいたそうですね。しかし、これがみごとにイタリア人ゼロですね。「イタリア人嫌い」で検索しましたが、言及している記事は見つかりませんでしたけど...(笑


by keyaki (2009-01-03 10:50) 

たか

keyakiさん詳しく調べてくださいましてありがとうございます!

プライはベームが亡くなった後も89年までウイーンでフィガロを歌ったのですね。誰の指揮か教えて下さいますか?
ポップは83年1月までしかスザンナを歌っていないのですね。83年秋のシーズンから伯爵夫人に移行したのでしょうか? 
こうしてみるとフィガロとスザンナでプライとポップが重なっているのは80年2月~83年1月のわずか3年間だけだったということになりますね。
舞台装置とかはまあいろいろあるのでしょうけど、貴重な組み合わせが日本で実現してほんとうに良かったです。

by たか (2009-01-03 16:52) 

keyaki

たかさん
ご質問の件なんですが、残念ながら、指揮者の特定は不可能です。
ほんと使えない資料なんですよ。
でも何かわかるかもしれませんので、ヘルマン・プライがフィガロを歌った、1980.2.5〜1989.6.8の間に《フィガロの結婚》を振った指揮者を書き出してみます。

カール・ベーム:15回 (101回) 1948.4.27〜1981.3.12
Heinrich Hollreiser:4回 (87回)1952.12.3〜1982.6.30
Leopold Hager:10回 (43回)1966.3.30〜1997.10.24
Stein Horst:3回 (8回)1969.10.29〜1982.5.3
Silvio Varviso:6回 (12回)1970.1.10〜1986.4.9
Kurt Sanderling :2回 1980.4.17〜1981.12.12
Wirfried Boettcher:1回 1980.6.2
Christof Prick:9回 1982.11.6〜1983.2.14
Erich Leinsdorf :9回 1984.10.27〜1987.9.17
Jiri Kout:1回 1985.6.13
Peter Schneider:17回 (25回)1985.10.5〜2000.12.27
Lothar Zagrosek:8回 1985.10.15〜1987.6.28
Uwe Mund:3回 1986.9.23〜30
Theodor Guschlbauer:2回 1987.3.23〜27 
Christian Thielemann :2回 1988.5.6ー5.9
Franz Welser-Most 3回 1988.9.26〜10.3
Ion Marin:6回 1988.10.28〜1989.3.14

※回数が○回 (○回)というように2つ書いてあるのは、最初の回数が、1977.5.10〜1993.4.24の間の回数でカッコ内は、表示期間の回数です。

>ポップは83年1月までしかスザンナを歌っていないのですね。83年秋のシーズンから伯爵夫人に移行したのでしょうか? 

ポップがウィーンで伯爵夫人をはじめて歌ったのは、1985.10.5です。

ポップの伯爵夫人:14回 1985.10.5〜1989.12.2
ポップのスザンナ:19回:1977.5.10以降〜1983.1.30 (23回 1972.5.4〜1983.1.30)

ウィーンもメト並のデータベースを公開して欲しいですね。
by keyaki (2009-01-03 20:56) 

たか

早速ありがとうございます。
指揮者が特定できないということは演奏公演ごとのキャスト表にはなっていないということですね。ちょっと変わった資料ですね。でも参考になりました。

ポップはカラヤン以外の指揮でポネル演出のスザンナを19回も歌っているのですね。ポップもなぜかカラヤンとの共演が少なかったのでこれも何か理由があるのではないかと思っています。

ちなみにプライとライモンディが共演した85年のミュンヘンのフィガロで伯爵夫人とスザンナとケルビーノとバルトロは誰ですか?

by たか (2009-01-03 21:30) 

keyaki

たかさん
>演奏公演ごとのキャスト表にはなっていない
そうなんです。期間と回数だけなんです。

1985.6.23
Mozart, Le Nozze di Figaro
ミュンヘン、サバリッシュ指揮、テレサ・ツィリス=ガラ(伯爵夫人)、RR(伯爵)、 エディト・マティス(スザンナ)、ヘルマン・プライ(フィガロ)
残念ながら他はわかっていません。
by keyaki (2009-01-04 02:00) 

たか

ありがとうございます。この時期のミュンヘンですとレンネルトの演出でしょうか?

マティスはポップより早く声が重くなったように思いますが、伯爵夫人には移行しなかったようですね。ポップは90年代でも十分スザンナを歌える声だったと思いますが、伯爵夫人というキャラクターにも共感があったのでしょうね。


by たか (2009-01-04 10:40) 

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