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ビルバオ(1)マジエラ氏、モデナから車でビルバオへ [ L.Magiera著:RR]

TAROさんのブログの記事 ビルバオ 〜名画と名曲・44というテーマを見て、「あっビルバオだ!」そこで便乗記事を書くことにしました。というのは、このスペインのバスク地方の都市の名前を知ったのは、R..ライモンディが若い頃にビルバオのオペラ公演に参加しているからなのです。このことが、レオーネ・マジエラ著"Ruggero Raimondi"にも書かれていますので、ご紹介します。
1961年ボローニャ音楽院の教授として勤務していたレオーネ・マジエラ(26才)はルッジェーロ(19才)の声楽の教師となり、ここではじめて出会い、年齢が近いこともあり、子弟というよりは友人のように親しくなったのです。(つい先日もローマでマジエラ氏のピアノ伴奏でチャリティーコンサートを開いています)
RRのエピソード:声楽授業(12)〜(21)にそのへんの経緯が書いてあります。

(私=レオーネ・マジエラ、1969年9月のことですからR.ライモンディ27才、マジエラ33才。マジエラの妻はミレッラ・フレーニ)

ルッジェーロがボローニャ音楽院を去って、その後再会する機会はなかったが、私は、彼の相次ぐ成功を何度も新聞で読んで知っていた。着実に重要な役柄をレパートリーにしていた。ファウスト、ルクレツィア・ボルジア、ドン・ジョヴァンニ、ナブッコ、モーゼ、エルナーニ、シモン・ボッカネグラ、、、、事実上、今ではバスの大きな役ほとんど全てといえよう。モーツアルトのフィガロはまだだったが、プレートル指揮の下1968年4月16日、26才で神話的な劇場スカラのデビューも果たしていた。
ルッジェーロが私のもとを去ってほんの数年だが、ボローニャ、モデナ間のローカル線の列車の中で、彼のキャリアについてよく考えたものだ。今、私は列車ではなく車のハンドルを握っていた。
私は、60年代の道路で、二日がかりでビルバオに着いた。運転しながらいつものようにルッジェーロ・ライモンディのキャリアについても考えていたが、もっとも優れたシステムの論理とか、精神の不滅、そしてその他いろいろなことについて、そして、私自身のキャリアについて思いをめぐらせながら車を走らせた。

ビルバオは、私を非常に信頼してくれた"居場所"の一つで、Coliseo Albia劇場ですでにたくさんのオペラを指揮していた。カバリエとの《トロヴァトーレ》、クラウスとの《真珠とり》、ラボとの《アイーダ》、ブルゾンとの《アンドレア・シェニエ》等々。
今、《ナブッコ》《連隊の娘》を指揮するためにやって来た。そして、おかしなことではあるが、ドニゼッティのオペラについては、若手のエース、フレーニ&パヴァロッティのカップルというのは知っていたが、電話のつながりが悪く、途中で切れたせいで、《ナブッコ》の歌手達が誰なのかは全く知らなかった。
しかし、私にとってそのことはそれほど心配なことではなかった。なぜならば、古参の興業主アルトゥーロ・バロージ(Arturo Barosi)は、いつも超一流のすばらしい国際的歌手達と一定期間契約したからである。
私は、ニースを通り過ぎ、続いてエクサンプロヴァンス、モンペリエール、そしてその日は結局、カルカソンヌ(写真右)に一晩泊ることにした、そこでは、威厳のある中世の街のふもとにある、素晴らしいオーリアックAuriacのシャトー・ルレchâteau-relaisに泊るのが常だった。
翌朝、私は、まだ先が長かったので早起きした。ピレネー山脈、コッピとバルターリの自転車競技のあの偉業を成し遂げた舞台を通過、パミエPamiers、白いポーPau、ビアリッツBiarritz、そしてついにスペイン国境、イルンIrun、その素晴しい入り江のあるサン・セバスチャン.....

疲労困憊したが、ついに、やっとのことで、ビルバオのカールトンホテル(写真左上)の前に車をとめた。ほとんど真夜中だったが、私の妻はまだ起きていて、私を待っていた。ミレッラも、ロンドンから数時間前に到着していた。彼女は、ロンドンで、サー・ゲオルグ・ショルティの指揮でスザンナを歌った。マエストロは、ホールでピアノ協奏曲も演奏したということで、ミレッラは、天才的な素晴しい驚くべきピアノのテクニックに感嘆していた。
「多分、あなたは、知らないでしょうね、サー・ゲオルグが、ジュネーヴのコンクールの最初の優勝者だってことを。まさにベネデッティ・ミケランジェリのようっだったわ」とミレッラは説明した。
「そうなの、知らなかったなぁ。ところで、ナブッコの歌手を知らないかな? あさって最初のリハーサルなんだけど、誰が私の前に現れるのか全くわからないんだ」
ミレッラは、爆笑した。
「まあ、どういうことかしら、あなたの元生徒さんのルッジェーロ・ライモンディを指揮するのをご存知じゃなかったの? ザッカリアのパートを彼が歌って、ピエロ・カップチッリがナブッコで、デ・オズマがアビガイッレを歌うのよ。」
ー続くー      レオーネ・マジエラ著《ルッジェーロ・ライモンディ》より
長くなったので、続きは次回にします。
※レオーネ・マジエラ著《ルッジェーロ・ライモンディ》について紹介した全記事はこちら


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コメント 3

TARO

TBありがとうございました。

電話のつながりが悪く途中で切れたなんていうのが、60年代のヨーロッパの電話と言う感じですね。日本の国内電話だったら、60年代ではすでにどんな長距離電話でもつながりが悪いなんてあり得なかったと思いますが。
続き、楽しみにしてます。
by TARO (2006-03-14 23:50) 

おさむ

こんにちわ、ライモンディはバスバリトンで比類を見ないレパートリーの広さですね・・バスでも軽めのバッソカンタンテにしてヌッチなどのハイバリも歌うイヤーゴやスカルピアをも歌うのに宗教裁判長やザッカリア、スパラフチーレなどのプロフォンドも歌うなんて 音域のまだ狭い僕にはうらやましい限り・・Sレイミーさえもイヤーゴやオランダ人には手ぇつけてないですもん,Jモリスはドイツものに傾倒してるのでEシュロットなんかがライモンディーの後を引き継ぎそうですね 僕はFフルラネットも大好きなんですが 彼はスカルピアやフランスものは歌いませんもんね 最近ボリスを歌いましたが。勝手に好き放題書いちゃいましてすいません・・さぁ彼らに1ミリでも近付ける様練習してきます
by おさむ (2006-03-16 13:59) 

keyaki

おさむさん、コメントありがとうございます。

デビュー当時から、どっちなんだ!ということだったようです。レパートリー広すぎとかで、そのことを叩く評論家達もいたようですから、その後に続いた、歌手達は、批判されないで得してますね。
オランダ人は、結局キャンセルして、「もう歌うつもりはない」と言ってます。

>Fフルラネット
そういわれれば、そうですね。

ライモンディのようにレパートリーの広い歌手が好きだとこちらもいろいろ興味が持てていいんですよ。
by keyaki (2006-03-16 14:18) 

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