SSブログ

フィリップ二世(オペラ、ドン・カルロ)-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-  [ドン・カルロ]

1975.7.15ミュンヘン
プレートル指揮
フィリッポ:ライモンディ
ドン・カルロ:コッスッタ
エリザベッタ:リッチャッレッリ
ロドリーゴ:ヴェヒター
エボリ:ファスベンダー
大審問官:ローニ
シェンク演出 ハインリヒ衣装

※音源はミュンヘンのではない
私は世界に平和をもたらした
血まみれの犠牲を払って・・
フィリップ二世(オペラ、ドン・カルロ)

 1975年7月15日、ルッジェーロ・ライモンディは、ミュンヘンの国立劇場の舞台で、ヴェルディの「ドン・カルロ」でフィリップ王を初めて歌った。古い演劇的観点からは問題ないのだが、ゲネプロでは、いくつかのトラブルがあった。そのひとつは大したことではなかったし、だれも気にしなかった。つまり、ライモンディが健康上の理由で、最後の場面に登場できなかったのだ。なんと指揮者のプレートルが彼の代りに歌った。

   プレミエの初日も良い星回りのもとで開催という具合にはいかなかった。ブーイングの嵐が吹き捲くった。それに対して、ブラーヴォの合唱が闘いを試みた。観客席では、ちょっとした殴り合いがおこった・・・ しかし、こういうことはライモンディとは何の関係もなかった。劇場全体を巻き込んだ騒ぎの中で、彼もいくつかのブーイングを甘受しないわけにはいかなかったけれど、結局のところ、公演期間の最後には勝利を収め、ミュンヘンは二回もライモンディの「王国」になった。

   スペインの王、フィリップ二世は、16世紀の「異端審問」の狂信的な擁護者として最も悪名高い人物だった。異端者に対する闘いではあらゆる種類の残酷な方法こそがどれも好ましく、是認できるもののように、彼には思えた。1572年の聖バーソロミューの夜こそ、いわゆる異端思想に対する一撃として大成功だったと感じた。死の間際、ルートヴィッヒ・プファンドルによれば、彼の死は50日かかったそうだが、彼のことを気にかけていたのはたったの一人だったということだ。要するに、彼が火あぶりにした異端者の数が少なすぎたということだろう。

   この人物は何度も結婚した。基本的に、政治的配慮から、ハプスブルク流とうまく調和する結婚をした。三人の妻が産褥で(あるいは、医者の「技術」のせいで)死んだことは、少なくとも彼をあからさまに非難することはできない。彼は、ヴァロア家のイザベッラを、非常に愛しており、彼女が天然痘を患ったときには、彼女の病床につきそって眠らなかったほどだった。この辺までは歴史的事実である。

   シラーによって、人間関係は大いに変更されている。狂信的な信仰心はそのままだが、比較的若かった王は老齢の人物になっていて、彼は息子から花嫁を奪い取るが、彼にとっては若すぎる王女ゆえに、嫉妬の念にさいなまれる。ヴェルディのオペラで、よりどぎつく強烈になってはいるが、フィリップの人物像は戯曲と同じである。彼はそのひ弱な性格ゆえに、教会の権力欲に抵抗できない。彼の父、カール五世はなんらかの戦争で不在だったから、スペインの宮廷の息が詰まるような静けさは恒常的なものだ。そして、母の早い死は、彼を外面的に、冷たく、とっつきにくい人間にした。彼は、そもそも自分を苦しめている因習、つまり、礼儀作法や教会にすがった。そして、他方では、とりわけ、エリザベト(すなわち、イザベッラ)の愛を求めた。しかし、彼自身は、何も与えることができないし、その気もない。だが、そういう状態に人間は長期間耐えられない。
*******************************************************

*******************************************************

*******************************************************

*******************************************************

  スペイン王妃はとにかく夫と別れることができないので、義務をはたすか、さもなければ、引き下がるしかない。王の不信感と絶望感が膨らむ。無理矢理、苦労して外面を取り繕い続けているが、それが、まずはじめに、ポーザとの口論中に、続いて、執務室の場面で完全に崩壊する。 

  嫉妬深い、悲しい愛、不信に満ちた、死に物狂いの、冷酷な、気違いじみた、救いようのない愛の形、こういうこと全てが理想的な「フィリップ」にはあり得る。オットー・シェンクの演出の下、ライモンディはこの人間を端的に描き出すことに成功した。その演技は、公演ごとに、どんどん集中度を増し、1982年2月3日のミュンヘンでは、当面の頂点に到達した。今日もなお、この上演は百年記念公演と呼ばれている。舞台には、燃えるようにらんらんと輝く、刺すような眼光のひとりの男が立っていた。そして、その眼差しは、同時に、冷たく、異端審問官的だ。彼も責任を負わなければならないちらちらと燃える火あぶりのまきの山を、公演の間中、だれも忘れることができなかった。ライモンディの声は、ポーザとの口論では権威的に、火刑の場面では強大に、独白では苦痛に満ちて絶望的に、エリザベトとの場面では皮肉っぽく、残忍に響いた。いわゆる執務室の場で、彼は、常に最高にすばらしい造形力を見せてくれるが、とにかく感嘆するほかない。なかでも、1982年3月12日と1984年10月23日は特別だった。呪われた小箱を抱きしめて、疲れ果てたうつろな目で、自分自身のことしか頭にない状態で、事務机のところまで、よろよろと歩いていったとき、彼はほとんど立っていられないといった様子だった。ビロードのように柔らかい声で、彼はあの独白を歌った。大審問官との論争中に、彼は、すんでのところで、人(「・・・ひとりの男・・・」 ひとりの人間)を求める、孤独な男の苦しみを、大声で吐き出すところだった。しかし、ひとりの人間を見つけるためにほとんど何もしない。それに対して、彼女はためらうことなく、ある観念、すなわち、彼女の個人的な復讐心を犠牲にした。それに続くハプスブルク家の結婚生活の場は 、さらに激しさが増した。王妃が告発している間、その小悪魔のように目を輝かせて、待ち構えている様子、彼女がなくした小箱を彼女に見せるときの陰険な「それはここにある」という言葉、息子の肖像画を見るときのその抑えた声、怒りの爆発ともう少しで崩壊しそうな心、こういうもの全てが上質の精巧さと微妙なニュアンスで、彼を同世代の抜群に優れたフィリップ役者のひとりにしている。加えて、彼は長い休止によって、そして音楽のごく小さな感動がゆっくりと少しずつ大きくなって行くみたいな、不気味なほどの緊張感を達成した。王はほんの一瞬ポーザの髪に触れようとして、内心硬直した。開かれていた手が握り締められてこぶしになった。「用心しろ!」 ポーザをさがらせる前に、わざととてもゆっくりとつぶやいた。この大国を意のままにした男の不器用さとぎこちなさは、彼自身にあっただけでなく、ライモンディの演技でも、苦悩に満ちた表情で妻の心のこもった意思表示を虚しく待っていたとき、ヒステリックな感情の爆発を見せた。フィリップがエリザベトを愛していたことは疑いようがなかった。そして、同時に、彼は相手の自尊心を傷つけ、彼女を退ける。更に彼は身近な親しいものたちに心を開くことができなかった。この「不可能」、この「道に自分ひとりで立っていること」がこの王の特質である。これについて、彼は印象深い言葉で表現した。彼は細やかな愛情によって、妻とは無関係の時間に移行してしまったのだ。彼は気を失った彼女の髪と顔に触れた。しかし、あらかじめ、最初の意図的な激しい口論によっても、この「他者」と対立する態度を示した。人間はその環境によって、優れて目立つか、そうでないかの、二つのグループに分けられる。彼は取るに足りない宮廷貴族アーレンブルク伯爵夫人を追放する。彼女抜きで釈明させるためだ。ライモンディは、ここでまず観客を震え上がらせる。彼の声は刺すように鋭く、冷たかった。仮面のようにこわばった顔。もし彼女が異端だということにでもなれば、おそらく彼はこの取るに足りない人物を冷酷に焼却させるだろう。だが、ポーザは、彼に非常に強い印象を与えたがゆえに、彼はポーザを救いたいと思うのだ。(二重の価値基準は、いつでも権力者の特権である) どんな場合も、信じられないとしても。
********************************************************

*******************************************************
   「私は二重の犠牲を求める」と、彼は最後の場面で言う。彼はまた息子と妻さえも斬首台に送ろうするが、それは、教会が要求するからという理由だけではない。執務室の場面での彼の態度が示しているように、個人的な復讐心も関わっていたかもしれない。

   しかし、ライモンディは舞台の上で、一人の人物の仮面を身に付けているにすぎないというわけではない。彼は、少なくともその時は、歴代のスペイン王のなかで、もっともスペイン的と言われた、フィリップなのだ。彼は、外面的にも、その身体の大きさと、ハインリッヒの、目的にぴったり合った舞台装置による火刑の場面への威厳に満ちた登場で、抜群の効果をあげることができる。

   歴史的な要素、シラーの文学作品とヴェルディの音楽がこの芸術家によって結合されている。なぜなら、三つの場合のどれも、近寄り難い人、どういう理由にせよ、殺人者にさえもなるようなあまり幸福でない、内面的に分裂した人間を扱っているからだ。分裂した人格を演じることも、ライモンディの非凡な能力のひとつである。

   1975年、ミュンヘンで、シェンクは彼の俳優としての当時の可能性を最大限引き出した。そして、なによりも年齢的な障害を見事に克服することで、劇的な信頼性を大幅に高めた。声、外見、演技の間に、何ら断絶感がなかった。1982年には、これ以上芸術的な深さや密度が増す可能性はないと思われたが、それは間違いだった。1984年、彼はさらに微妙なフィリップを描き出した。いくつかの細かい部分で、まさに最小限の身振りで、とにかくもっと単純、素朴になっているのが、さらに強烈に心に迫った。1983年のハンブルクでは、これほどの強烈さを完璧に達成することはできなかった。その理由は、すでに言われていたように、なじみのない不案内なブロダクションで歌うのは彼の本領ではないということだ。加えて、かつてのすばらしいポネルの演出の断片だったことが問題だった。その美しさと説得力は、すべてを破壊し尽くす時の力と舞台事故のえじきになった。再びブーの嵐がわき起こった。ライモンディには全然関係なかったが、雰囲気は著しく悪くなった。彼は、このハンザ同盟都市にあたかも間違って迷い込んだみたいで、気に入らないようだった。当時の彼の話では、ハンブルクではまだ二度フィリップ王を歌うことになっていた。それから、終わりにしようと。いかにも彼らしい厳しい性格もあって、声も顔も嫌われたと思ったのだった。次のフィリップ王は、ザルツブルク(1978.8.17)だった。それから、カラヤン指揮のウィーン(1979)、そして、1980年2月にレヴァイン指揮でニューヨーク。この役を克服しようとする最初の試みは、すでに1968年にボローニャで始まっていた。そのころはまだ低い音、大審問官との口論のところにあるあの低い音のことを、とても心配していた。兄のラファエッロは、音楽の才能もあり、声もあるにもかかわらず、代々続いたライモンディ商会に生まれたので、弟を全面的に援助しようとしていた。27歳のフィリップ王は、イタリアではひょっとしたらまったく普通のことかもしれないが、ドイツ語圏では、そんなばかげたことはほとんど想像もできなかった。1977年1月、彼はジュネーブで、現在のボン・オペラの監督であるJean Claude Riberの演出でフィリップを歌った。
*******************************************************

*******************************************************
   ライモンディはこの役で大成功を収め、ミュンヘンでは拍手喝采の嵐を巻き起こしたけれど、それは1976年7月12日にドン・ジョヴァンニのときのものすごい破壊的な雷鳴と稲妻のような勝利ではなかった。当時彼にとってドン・ジョヴァンニは、容易だった。最後のドン・ジョヴァンニだったシェピもこのころにはもうこの役は手に負えなくなっていたし、ミュンヘンの人たちはウィーンの人たちほど、シェピのことを知らず、それほど親しみを感じてはいなかった。しかし、今や、イタリア人、ライモンディは、ドン・カルロにおけるスラブ人バス歌手(クリストフとギャウロフ)の独占状態を少しは打ち破るきっかけをつくった。そして、彼の他の歌手にはない才能によって、舞台の外の世界にも場所を見つけた。「鳴りもの入りで宣伝するのは私の性に合わない・・」

   1975年夏、ザルツブルクでギャウロウに一ヶ月遅れて、フィリップ王を歌った。理想的な比較対照の機会と思われたから、議論は熱く燃え上がった。このイタリア人はとにかくまだ若すぎると非難する者も、今はまだあのブルガリア人との比較に耐え得ないとしても、全然不名誉なことではないだろうと思う者もいた。加えて、彼にはドン・ジョヴァンニの目に見えないレッテルが貼られていた。これはなんと今もって貼られたままだ。

   ついでにひとつのコメントを。歴史上のスペインのフィリップ二世は、皇太子のカルロが死んだ年には41歳だった。1982年、彼の最もすばらしく、おそらくは最良だったフィリップを演じたのも同じ年齢のときだ。
Ankenbrand著-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-※オペラ好きの友人訳

"Don Carlo"フィリッポ 公演記録1968〜2003
関連記事フィリッポ2世(ドン・カルロ)


nice!(1)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 8

あっ、ルイジ・ローニだ!
素敵な写真があるんですね!!ありがとうございます。
ところで、すみませんkeyakiさん、記事の右側がちょっと切れてしまって読めないです…見えるようになりますか?
by (2005-11-09 21:42) 

keyaki

枠のせいかもしれませんので、はずしてみました。
どうかしら?

>ルイジ・ローニ
よくお見かけする名前ですけど、なにに出演してましたか? すぐに思いつかないわ。
by keyaki (2005-11-09 23:02) 

Sardanapalus

わ~すごい、熱の入った解説文ですね!この著者の方も「ドン・カルロ」好きなんでしょう。実際は冷酷で実践的な王だったようですが、傾きかけている帝国を必死で守ろうとする王の悲しさと孤独が強調されているシラーの戯曲と、それをここまでしっかりとオペラにしたヴェルディは本当に素晴らしいと思います。(個人的に「フェリペ」というタイトルにすればいいのに、といつも思います)面白い記事をありがとうございました。写真もいっぱいで嬉しいです。この大審問官はまた豪華な服着てますねぇ(笑)

それにしても、ライモンディ氏のようにしっかり歌って演じてくれれば、さぞかし素晴らしいフィリポでしょうね~。若いときのほうが良く歌っていたのですか?
by Sardanapalus (2005-11-10 01:28) 

keyaki

>「フェリペ」というタイトル
確かに、低音好きとしては「フェリペ&ロドリゴ」ですね!
それにドン・カルロってなんかアリアっぽいのありましたかしら?
ロドリゴは死ぬところの歌がかっこいいですものね。

>若いときのほうが良く歌っていたのですか?
公演記録をリンクしておきましたが、1968年、27才から2003年まで、定期的に歌ってますね。
スカラ座の開幕公演で歌ったのが36才、この時はフィリッポは、ライモンディ全公演ですが、ロドリゴは、ブルゾンとヌッチですよ。みんな一番いい時だったかもしれませんね。
こんなにいろんなところで歌っているのに、いい映像がないんですよね。残念です。
by keyaki (2005-11-10 22:13) 

全文読めました♪
音源もありがとうございます!早速飛んできました。素敵ですねぇこれ!「十分だ司祭殿」って言ってる写真素敵です。ライモンディの「ノー!ジャンマイ!!」も素敵だろうなぁ!

>ルイジ・ローニ
えーと・・・とにかくよくお見かけする名前ですよね。スカラ座とかヴェローナとかで主役級じゃないけど居ないと困るバスのパートをよく。。。ルイジ・ローニとオラツィオ・モーリと・・・。76年のスカラ座のオテロ(ドミンゴ、フレーニ、カップッチッリ、クライバー指揮)でも二人でロドヴィーコとモンターノを歌ってました。ヴェローナのアトラントフのもそうだったような。
最近では、例の(?)スカラ座のマノン・レスコーで、ローニがジェロントを、モーリが宿屋の主人を歌ってました^-^

>>確かに、低音好きとしては「フェリペ&ロドリゴ」
ある解説書で「ロドリーゴ、またはフィリペ2世の憂鬱」って改名したらいいんじゃないか、って書いてあるのがありました(笑)

>>ドン・カルロってなんかアリアっぽいのありましたかしら?
えっと、えっと、いちおう、いっとう最初に「Io l'ho perduta 彼女を失ってしまった」ってアリアを歌いますよぉ
by (2005-11-10 23:51) 

ヴァラリン

早速聴かせて頂きました。
確かに…Ah!がため息っぽいですね。ジュリーニ盤ではないですよね?^^;

>いい映像がないんですよね。残念です。

ホントに残念です。ザルツブルグでカラヤンとは、結局ギャウロフの代役で一度だけ…ということでしょうか?CDでは大審問官ですし、もっとあとの映像ではフルラネットが王様ですものね。

お話に出ているミュンヘンの舞台など、是非見てみたいのに…

バスにとっては究極の役でしょうね。岡村喬生さんの本でも、この役に対する憧れの深さが伺われました。

関連記事の音源も聴かせて頂きました。3人でリレーしてるんですね(^^;
by ヴァラリン (2005-11-10 23:52) 

euridice

女声陣、
ファースベンダーのエボリ、見てみたいわ^^!
リチャレッリはもうあか抜けていたかしら・・?
肝心のカルロは知らない人・・ね。

でも、どこかから映像出てこないかしらねえ・・・
by euridice (2005-11-11 10:46) 

Sardanapalus

keyakiさん>
>1968年、27才から2003年まで、定期的に歌ってます
記録ありがとうございます。そりゃそうですよね、当たり役のひとつだし。ハンプソンと写ってる写真が面白かったです。いつでしょうね?大きな男2人に囲まれたカルロが誰だったのかとっても気になる(笑)良い映像が無いなんて、とても残念です!どこかに埋もれていそうですけどねぇ。

りょーさん>
>解説書で「ロドリーゴ、またはフィリペ2世の憂鬱」って改名したらいいんじゃないか
ははは、「憂鬱」ってところが良いですね(笑)確かにカルロは出だしでアリア歌っちゃって以降重唱ばかりだから、後々アリアがあるエリザベッタ、エボリ、ロドリーゴ、フィリポの印象が強くて「主役はだれ?」ってなりやすいかも。
by Sardanapalus (2005-11-12 01:19) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。