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舞台人R.ライモンディ (1)どんな子供だったか [オペラの演出]

それから、彼らはますます快活になって、三人の息子たちのことを話した。私は座って耳を傾けた。オテロの話になった。

 「十歳のルッジェーロは、演劇用品の店を見つけて、メーキャップ用品を買ったの。顔を真っ黒に塗って、赤い布にくるまって、私の前に登場したのよ。『ママ、ママはすごく不幸なんだよ。ママは今はデズデモーナなんだ。僕がオテロだからね』 って、有無を言わさないって感じで宣言したのよ。そして、私が忙しくて、彼が夢中になっているお芝居に合わせて死ぬわけにはいかなくて、あの出来事のあとも生き延びたことに、ひどく気分を害していたわ。」
-略-

 「ルッジェーロは15年間、休暇をGabicce Mareの祖母のところで過ごしました。そこで、初めて恋をしたのです。彼は情熱を込めて、ラ・トラヴィアータのアルフレートのアリア De miei bolenti spiriti…… を歌いました。そして、若いローマの女の子を追いかけたのです。おばあちゃんは、孫の風紀問題を憂慮して、脅しました。『馬鹿げたことをすると、お前を叱ることになるよ。それに、お父さんは、一体お前の頭の中はどうなってるんだって言うだろう』」
チェーザレ氏は、当時のこの大騒ぎを思うと、笑いをこらえられなかった。こういう騒ぎは、どう考えてもこの息子には似合わない感じだった。 夫人が、写真と新聞の切り抜きを持ってきた。そして、私はカラヤンからの電報も読むことができた。そこには、ライモンディのスカルピアについて感動的に書かれていた。

彼らが末っ子の天分を茶化しているのは明らかだった。私はさらにいくつかの質問をすることができた。すなわち、彼は、いわゆるいたずら小僧だったのかどうか、そして、どんな遊びをしていたのかということだ。
 「いいえ、彼はとても行儀のよいおとなしい子でした。いつも素直で言うことを聞きました。いたずらしたことはほとんどありませんでした。今もなお、何と言うか従順な息子で、重要なことは何でも両親や兄たちと相談します。それでも、感情の爆発が彼を虜にしました。私は一度、彼が居間で紙の山に火をつけたところを捕まえました。」
と、ドーラ夫人。

 再び、空想が膨らんだ。ふだんはもの静かで、青白い顔をした子どもが、頬を赤く染めて自ら燃え上がらせた小さな炎を、魅入られたように見つめてたにちがいない様子が生き生きと眼前に浮かんだ。
 「でも、何も起こらなかったわ。だって、仕事がどんなに忙しくても、私たちは子どもたちを一人にするということはしませんでしたから。そうそう、ルッジェーロは冗談を言うのが好きでしたけど、今も相変わらずやってます。読んだとたん恥ずかしくなるような冗談を、ハガキに書いて兄に送ったり。」

話が完全に勝手に流れてくので、私はまた質問を省けた。

 「子どもの彼は多くの時間、読書をして過ごしていました。そして、物事に正面から徹底的に取り組んだので、半分冗談めかしてですが、私たちを教養のない人たちだと、いつもののしっていました。なぜなら、私たちは彼がその時かかずらわっていることに対して、いろいろ言うことができなかったわけです。『あなたたちは読書するべきだよ。そうすれば、何でもわかって、教養のある人になるんだ。』って、彼は、その時、非難する気持ちでいっぱいになって、思っていたのです。で、今でも、読書はなお彼の非常に重要な趣味なのです。読書、知識、そして、理解することは、全部まとめて、彼の属性なのです。」

次第に暗くなった。ドーラ夫人がお茶を用意して、カップにお砂糖を優雅に三さじすくって入れてくれた。病気に関する質問にも答えてくれた。
「彼は首の痛みに苦しんでいて、学校へ行きたがりませんでした。彼は巧妙に嘆いてみせました。とにかく家にいることを許してもらうために『ママ、僕、具合が悪くなってるんだ』って。」

そこで、私は彼の内気さについても知りたかった。このことについてはセガリーニの著書にずいぶんとたくさん書かれている。
 「彼は子どものときから内気でした。今でもそういう印象を受けます。私たちを訪ねてくれるとき、内気な息子であるにも関わらず、非常に細やかで、もの凄く優しいです。あのビデオレコーダーは、(とその機械を指差した)彼がプレゼントしてくれました。国境でトラブルになって、あの機械のために、多額の関税を払わなければならなかったのです。そのことはずいぶんと彼を怒らせました。」

午後の時間は終わろうとしていた。キャリアについて、もっと質問したいことがあった。子ども時代のことに再び関わるために、キャリアに関しては、ピエルヴェナンツィのところで止まっていた。
「1964年にスポレートの声楽のコンクールで優勝して、ボエームで最初の役、コリーネを歌いました。モリナーリ・プラデッリが最初に息子と出会ったときに言ったように、『道が開けた』のです。」

私は満足して、録音機のスイッチを切り、もう冷たくなってしまったお茶を飲み干した。私たちはもうしばらく楽しく話した。きっかけになった言葉は『映画』で、その言葉によって、《ある歌手の内面を探る六つのアリア》というビデオを持っていることが、この家の主人たちの念頭に浮かんだのだ。私はレコードしか知らなかったので、当然大喜びで、それをもらった。別れを告げるとき、私はほんとうに大満足だった。
 Ankenbrand著-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-※オペラ好きの友人訳

Ankenbrandさんが、R. ライモンディの自宅で両親にインビューしたものの抜粋です。子供は誰でもこういうゴッコ遊びが好きですが、《オテロ》というのがいかにもですね。
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