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ローマ歌劇場来日公演の? その2 [オペラの話題]

注)記事中で話題の地名"Fiume"の日本語表記ですが、フューメ、フィウメ、中にはフェーメ(これは?ですけど)なんてのも見かけます。1919年のイタリア愛国詩人のダヌンツィオが、黒シャツ隊(復員軍人などの義勇兵)4000人を率いてFiumeを占領し共和国を樹立した事件は、『フィウメ事件』と言われているように、Fiume→フィウメと表記されるのが一般的なようです。但し、なぜかブリタニカ百科事典では『フューメ』と記載されています。(2006.10.14追記)


重箱の隅と言われるかもしれませんが、
題して、イタリア人というだけで価値があるの? 評価されるの?
 オペラの舞台は、各国の歌手が同じ舞台に立ち、とても国際的です。新国立劇場にノヴォラツスキー芸術監督を迎えてから、「また今回の公演もイタリア人ゼロ、彼はイタリア人歌手がよっぽど嫌いなんだね」とか巷で言われています。ほとんどのオペラファンは、適才適所、その役に見合った歌手であれば、どこの出身であろうといいわけで、イタリア人にこだわっているわけではありませんが、なんとなくイタリア人キャストが一人でも混ざっていれば、もうちょっとよくなるのかな、という無い物ねだりの期待感が心の片隅にあるのかもしれません。
 というようなことが前提にあってのことですが、今回のローマ歌劇場来日公演は、どうやら、そういう日本のオペラファンの深層心理をついて、チケット完売を狙ったのかと思えるような、キャストを揃えたようです。実際には、チケット代が高すぎてNHKホールが満席になることはなかったようですが。
 《トスカ》の公演のことしか注目していませんでしたので、以下《トスカ》に関してのことです。
 トスカ(デッシー)とカヴァラドッシ(アルミリアート)の主役二人は、紛れもなくイタリア人、指揮者のジェルメッティもイタリア人です。ところが、公演がはじまり、ちらほら個人のオペラファンのレポートが出始めた頃から、私にはハテナの現象、「全キャストイタリア人」というのが目についてきたのです。たまたま昨日の夕刊に、またまたそういう内容の寸評がでましたので、紹介します。

ローマ歌劇場「トスカ」(白石美雪・音楽評論家)
......指揮者のジェルメッティをはじめ、音楽家もイタリア人で固めた布陣。........

 こう書くからには、トスカ、カヴァラドッシ、スカルピアはイタリア人と思って書いているはずですよね。しかし、スカルピア役のスリアンは、私の頭の中では、クロアチアの出身で、イタリア人という認識はありません。スリアン自身もイタリア人とは言っていないはずです。
 そこで、どこから、いつから、スリアンがイタリア人にされてしまったのか好奇心がむくむく、私の手持ちの資料からだけですが、検証してみます。
※上のクロアチアの国旗をクリックすると地図が見られます
(1)1989年ペザロ録音CDリブレット
ドン・プルデンツィオ(金の百合亭の侍医):ジョルジョ・サルヤン
主要キャストではないのでプロフィールは無し
この頃はサルヤンだった

(2)1989年ウィーン国立歌劇場来日公演プログラム記載のプロフィール(NBS)
Giorgio Surjan ジョルジョ・スルアン(バス・バリトン)
ユーゴスラヴィアのリエカ生まれ。
リュブリアナLjubljana、トリエステ及びパドヴァの音楽学校で学んだ
リュブリアナで、初舞台を踏んだ後、ミラノ・スカラ座のメンバーとなり云々..
※この当時はユーゴスラヴィアで1991年以降はクロアチア

(3)2006年フィレンツェ来日公演プログラム記載のプロフィール(NBS)
Giorgio Surianジョルジョ・スリアン(バス・バリトン)
1954年クロアチアのリエーカ生まれ。ミラノスカラ座の研修所.....

(4)2006年ローマ歌劇場来日公演プログラム記載のプロフィール
イタリアのフューメ生まれ。1978年から1981年にミラノ・スカラ座の研修生となり、オペラ歌手としての研鑽を積み、1982年に《エルナーニ》でデビュー...
(これは、持っていませんので、知人に教えてもらいました)

以上。
この中で、おかしな記載は、お分かりかと思いますが、(4)の「イタリアのフューメ生まれ」これで、彼はイタリア人ということになったんでしょうね。
(2)〜(3)のプロフィールのRijekaリエカというのはクロアチア語で「川」という意味だそうです。フューメFiumeは、イタリア語で「川」。イタリアでは、一時期イタリアが占領していたことがあるので、クロアチアのリエカのことをフューメと言っているようです。
スリアンが戦前生まれで、イタリアの領土だった頃に生まれたのであれば、イタリア出身と言えなくもないかもしれませんが、そこまで複雑に考える必要はないわけで、オペラ歌手のプロフィールとしては、リエカ(クロアチア)出身でいいのではないでしょうか。
「イタリアのフューメ生まれ」と書いたのが、ただのいい加減仕事なのか、わかっていて「イタリアの」としたのか、真相はわかりませんが、スリアンが急にイタリア人になったのは、このプログラムの影響ではないかと思います。

 オールイタリア人キャストに価値を見出す論評があるということから考えると、今回の招聘元の単なる勘違い、いい加減、と考えるのもどうかな、確信犯かな、とも思えるのですが、どうでしょうか。
 そこで、keyakiの創作小咄「ローマ歌劇場と日本招聘元の会話」を作ってみました。

日本担当部長:「ローマ歌劇場さん、こっちでは、来日公演ラッシュで、日本のオペラファンの財布の紐は、そうとう固くなってますから、他とは違うということでアピールしないと集客は難しいですわ。新国の芸術監督のイタリア人歌手嫌いで、かなり不満がたまってますから、これがチャンス、主要キャストをイタリア人で固めれば、チケット完売は間違いなし、NHKホールは座席数3600ですから、大儲けですワッハッハ」

ローマ担当部長:「デッシー、アルミリアートは決定だけど、スカルピアはどうするかな。ちょうど、フィレンツェの公演で、マエストロ・ライモンディが同じ時期に日本にいるようだから、頼んでみよう。それから、大サービスで日本でも人気のあるプラティコに堂守をやってもらおう。彼も日本は好きなようだから。行ってくれるだろう。それにしても、土日と連日となるとダブルキャストにしなくてはならないが、そこまでイタリア人にこだわることはないだろな.....」
ローマ担当者:「マエストロ・ライモンディは、スケジュール決まっているので無理だそうですが、一緒にファルスタッフで日本に行くスリアン君に頼んでみれば、と言われました。」
ローマ担当者:「スリアンさんからOKもらいましたけど、オールイタリア人というのはどうしましょう。」
ローマ担当部長:「彼は、フューメの出身だったね。日本に渡すプロフィールにはNato a Fiume とだけ書いておけばいいだろう。」

(日本ではプログラムのプロフィール作成中)
日本担当者:「部長、スリアンですけど、 Fiumeは、イタリアですか」
日本担当部長:「 Fiumeも知らないのか、イタリア語で川だよ。イタリアの地名にきまってるだろう。オールイタリア人って言ってあるんだから、イタリアにきまってるだろ」
日本担当者:「それもそっすね。じゃ、イタリアのフューメ生まれ....」

ローマ担当者:「プラティコさんが、マエストロ・ライモンディじゃないのなら、堂守はやらないって言ってきました。」
ローマ担当部長「まあ、いいだろう。日本の知り合いも、プラティコが堂守というのには吃驚してたからな」
注)ブルーノ・プラティコがキャスティングされていたのは事実ですが、あとは、全部作り話です。

 こんな本当のようなウソの話を書いちゃいましたが、音楽雑誌を立ち読みしていて、またまたスリアンがイタリア人になっているのを発見してしまいました。浅里公三氏(音楽評論家)のDVDの推薦文ですが「伯爵夫人のエチェリ・クヴァザワをのぞいて全員イタリア人......」スリアンはフィガロ役、ガッロが伯爵、チョーフィがスザンナだったと思います。???誉めるところがないので、苦し紛れにイタリア人を持ち出したとしか思えないです。
追記10.7)もう一人ネットで発見:▼伯爵夫人以外すべてイタリア人歌手が顔を揃え、隙のないアンサンブルを展開している。岩崎和夫氏(音楽ライター)
参考:
Giorgio Surianの本名はDordo Surjan。SurjanをSurianにしたのは、最近のようですが、イタリアでの仕事が多いので、Surianにしたのだとおもいますが、まだSurjanという表記も多く見受けられます。
スリアンは、なんでも器用にこなす歌手として、主役級から脇役まで幅広く活躍、なんとレパートリーが140もあるそうです。私にとっては、《ランスへの旅》の出演者の一人、最近では、ライモンディ出演オペラのBキャストの歌手という認識です。好き嫌いの対象ではありませんので、その辺は誤解のないようにお願いします。


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なつ

邦訳の出ているイタロ・ズヴェヴォの小説『トリエステの謝肉祭』にフューメの町のことが出てくるから、100年前はイタリア領だったのでしょうか。トリエステから日帰りで行き来できる距離みたいですね。
いつからいつまでイタリア領だったのか調べてみたい気になりました。
by なつ (2006-10-07 01:08) 

keyaki

なつさん
昔にさかのぼるとかなりややこしいようですよ。最近でいえば、第二次世界大戦の時に、どさくさに紛れて、ファシストが占領しちゃったようです。その前は、オーストリア・ハンガリー同盟?かな、港町なんで、貿易とか軍港として重要な町だったようですね。
調べたら、簡単に教えて下さいね。
それに、日本では、中国のことをシナというと問題らしいですけど、イタリア人が、いまだにフューメというのは問題ないのかしらね。イタリア語に訳して言っているだけだから問題ないのかなぁ、そのへんもよくわからないです。
トリエステは、60,70キロくらいらしいですから、日帰り範囲ですよね。日本だと通勤している人もいますよね。
by keyaki (2006-10-07 08:18) 

euridice

創作小話、おもしろいです^^!

もうかなり昔のことで、記憶がとってもあいまいなんですけど、イタリア人宣教師(家族ぐるみで宣教活動をする特殊な在俗修道会所属)がいました。母国語はイタリア語です。で、出身地は?という話になったとき、クロアチアだって。まだユーゴスラヴィアがちゃんとしていた頃だったことは間違いないです。へ〜〜 クロアチアってどこ? イタリアのすぐ隣で、イタリア人がたくさんいます〜〜みたいな話をしました。クロアチアは気分イタリアの人ってけっこういるのかも・・・

ユーゴスラヴィアが崩壊しちゃった後、クロアチアの駐日大使の息子に出会いましたが、彼にイタリアっぽさはゼロでした^^;

ヨーロッパは民族入り組んでいるからなかなか複雑で簡単に割り切れないところも多いでしょうね。
by euridice (2006-10-07 09:16) 

keyaki

そうですよ、複雑なんだから、オペラ歌手のプロフィールなんて複雑にしないでほしいですよ。

もう一つ疑問なのは、Fiume=クロアチアの地名って、イタリア人なら小学生でもわかるのかしら。ちょっと信じられないですよ。イタリア人が、イタリア国内にFiumeという地名があると思っているとしたら、またちょっと違ってきますよね。
このへんは、イタリア人に聞いてみないとわからないですけど、すぐ側にイタリア人がいたらどなたか聞いていただけないかしら。

実は、北海道に富良野ってあるじゃのですか。私、かなり長い間、Furanoで、イタリアのどこかだと思ってたんですよ。だって、イタリアにはMuranoっていうヴェネチアグラスで有名な島があるじゃのですか、だからFuranoってイタリアだとおもっちゃったんですね。(笑
by keyaki (2006-10-07 09:57) 

keyaki

かなり大きな世界地図があるのを思い出したので、今ちょっと調べたら、イタリアにFiume Veneto というところがありますね。でもただのFiumeという地名はないです。
私の世界地図の索引にはFiume→Rijekaと書かれています。
by keyaki (2006-10-07 10:27) 

Bowles

出てきましたね、フィウメ問題(笑)。

>Fiume=クロアチアの地名って、イタリア人なら小学生でもわかるのかしら。

小学生でもちゃんと歴史を学んでいればわかると思いますよ。なにしろ「ダヌンツィオのフィウメ占領」って、ファシズムの歴史でとても重要なポイントですもの。

ここらあたりを見ていただくといいかな。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/freecity

ダッラピッコラがオーストリア=ハンガリー帝国時代のクロアチアに生まれたのとは、ちょっとわけが違います。またズヴェーヴォ、Italo Svevo(イタリアのシュヴァーヴェン人)もやはり帝国時代のトリエステ生まれのユダヤ人ですが、彼はイタリア語で書くイタリアの作家ですね。

トリエステから東は、実にむずかしい...。
by Bowles (2006-10-07 10:57) 

Sardanapalus

愛しのクロアチア国旗が登場しているので何事かと思ったら、傍観していたローマ歌劇場のごたごたに、こんなことがあったのですね。デッシーだけじゃなかったんだ…。

確かにリエカはイタリアから近いですし、歴史的にもイタリア文化圏の影響が強いですけど、リエカ以南はイタリアよりもバルカン半島っぽさが強いですし、何より今はクロアチア(^_^;)今のリエカの人たちに「イタリアのフューメ」って書かれたことを伝えたら、どういう反応が返ってくるか…。あの辺りはただでさえ民族やら宗教やらゴチャゴチャしているので、混乱を招く記述はさけた方がいいと思いますけどね。

>オペラ歌手のプロフィールとしては、リエカ(クロアチア)出身でいいのではないでしょうか
賛成です。どうしてもイタリアを強調したいなら、現クロアチアのリエカ出身のイタリア人、とすべきでしょう。それ以前に、スリアン本人が本当にイタリア人だと思っているのか、というのが一番重要な点ですけど(ネット上ではそういう記述は見つかりませんでした)。

>今回の招聘元の単なる勘違い、いい加減、と考えるのもどうかな、確信犯かな
確信犯かもしれませんが、100年前イタリア領だったからイタリアにしちゃえ~って、それは台湾や韓国を日本にしちゃえ~っていうのと同じくらい危険なことですよ、と誰か教えてあげる人はいなかったんでしょうかね。まあ、日本のいい加減な招聘元の言うことなんか話題にならないでしょうけど。
by Sardanapalus (2006-10-07 13:47) 

keyaki

Bowlesさん
いろいろご教示ありがとうございます。
ご紹介のサイトに、三島由紀夫もダヌンツィオに影響を受けたんだから、「盾の会」を率いて、北方領土に乗り込むくらいのことをしてほしかった....というのは面白い、あんなところで自刃するくらいなら、ですよね。

まあ、イタリア国内向けなら、Fiume出身でいいかもしれませんが、もう「イタリアの」なんてつけちゃったら、それこそ国際問題ですよね。

しかし、すでに3名、白石美雪氏、岩崎和夫氏、浅里公三氏、プロの音楽評論家がイタリア人にしてますね。イタリア語オペラの場合は、イタリア人歌手ということで、ちょこっとありがたみが増すということでしょうか。
by keyaki (2006-10-07 14:30) 

keyaki

Sardanapalusさん、
そうそう、りょーさんところでクーラがクロアチアでコンサート、という話題がありましたね。しかもリエカじゃないですか。クロアチアはおまかせ!のSardanapalusさんでしたよね。国旗にひかれて来て下さるとは、さすがです。

やっぱり、「イタリアの」ってつけるのは問題ですよね。クロアチア大使館に言いつけちゃおうかな。(笑
このプロフィールを書いた人、出てこ〜い、ですよね。

>現クロアチアのリエカ出身のイタリア人
スーリアンの場合は、はっきりイタリア人って言えないんじゃないかな。
他の歌手のプロフィールで、フェルッチョ・フルラネットがまだ日本で無名で、出身地がわからなかったらしく、ただ単に「イタリア人。」でしたよ。
スーリアンの場合、やっぱり、イタリア人とは言えないんだと思いますね。
by keyaki (2006-10-07 15:02) 

Orfeo

まあ、パトリス・シェローもイタリア人扱いされていた時期がありましたからね。いいかげんなもんですわ、この世界(笑)。

え~、長らくご不便をお掛けしていたウチのお気に入りリンク、復旧いたしました。というか、無理矢理復旧させました。疲れたあ・・・。ちゃんと記事タイトルが出ますんで、よろしくです。
by Orfeo (2006-10-07 16:46) 

>しかもリエカじゃないですか。
ハイ。
興味深いお話、ふーむ、、、と思って傍観させていただいていたら、
出てきちゃいました(^^ゞ
あのコンサートで、クーラ、
「イタリア語わかりますか?」
って訊いていて、
「Si!」(客席からの声)
「そう?じゃ、イタリア語で喋りますね」
って、その後ずっとイタリア語で喋ってましたし、
みんなちゃんとウケてました。
土地が近いからイタリア語が分かるのか?
それとも単にオペラファンだから?
と思ってましたけど、それだけじゃなかったんだ。。。

地続きですし、余計複雑そうですよね。
ほんとうにスーリアンさん本人がどう思っているのか気になります。
そもそもそうやって書かれていることを知っているのか、、、。
by (2006-10-07 23:23) 

keyaki

りょーさん
あれは、ネットでも見られて、よかったんですよね。
今は平和なんでしょうけど、あの地域はいろいろ大変だったんですよね。わたしなんか、ぐちゃぐちゃでわかりません。
1995年くらいまで内戦状態だったんですものね。
戦争終結記念コンサートかどうかしりませんが、ライモンディもスコラと一緒に1995年に首都のザグレブでコンサートをやってますよ。

スリアンさんは、ここ数年、日本で、ちょくちょく歌ってますね。日本では、イタリア人の方が受けがいいって、本人はともかくエージェントは知っているかも。
by keyaki (2006-10-08 02:12) 

keyaki

Orfeo さん
そうなんですか。ストレーレルの弟子だったからかしら。

>ちゃんと記事タイトルが出ますんで、よろしくです。
ありがとうございます。記事タイトルが出るのはほんといいですよ。
by keyaki (2006-10-08 02:17) 

助六

国籍と音楽性を結びつけて論ずるのはダッサとは言え、全く理由のないことでもないと思います。その場合注意すべきは、問題になるのは「具体的国籍」ではなく「文化的出自」だということです。スリヤンは文化的出自からすれば相当イタリアに近い人ではないかと思います。ある音楽家の文化的背景を知ることはその人の仕事を理解する上で大変役に立つと思うけれども、個人的には、国籍に拘るのは余り意味がないように思います。極端な話パヴァロッティはモナコ国籍とか言うし(未確認)。RRはどうなのかな?

【イタリア人なら価値がある?】

グローバル化が進み、外国人楽員を多数擁するようになっても、ヴィーン・フィル、スカラ管、パリ管を並べてみれば、3者が全く違った音色を維持しているのは一聴瞭然です。文化的背景が具体面では弦のボーイング法等を通じて、結果として得られる音に影響を及ぼしているのは明らかだと思います。そうした特定の文化固有の音が、それぞれモーツァルト、ヴェルディ、ラヴェルで効果を発揮することもあると思います。ドイツの音でラヴェルを弾くとやっぱり重ったるいとか。勿論逆に「フランスの音」でモーツァルトを弾いて意外な新鮮さと発見があることもありうるわけですが。
声楽については、遺伝的身体条件や(北欧からヴァーグナー歌いが続出するとか)、母語の発音構造に発声は条件付けられますし、発声法も「前から声が出る」感じでどちらかと言えば高音域に重点が置かれるイタリア系と、「奥から声が出る」感じでむしろ中音域に重点があるドイツ系では、やはり最後のところで相容れないものがあるから、あらゆる歌手でレパートリーがドイツものかイタリアものいずれかに重点が置かれる傾向があるのは必然と思います。リザネックのデズデモーナは素晴らしいけど、声にはやっぱりもう少し明るさと抜けの良さがあったらなと思ってしまいますし。アングロサクソン歌手はドサクサに紛れて、独伊両方歌っても文句が出にくい傾向はあるとは思いますが、ジョーンズはやはりヴェルディよりヴァーグナーがシックリ来るし、フレミングやガランチャ(バルト)、コッシュ(仏)も私はドイツものにより向いていると思います。
イタリアについては、19世紀イタリア音楽は総じてドイツ音楽よりも、和声法、管弦楽法が単純だから、旋律的・リズム的造形のイディオムが音楽的造形に決定的な役割を果たしますよね。あの一見単純な旋律とリズムを「あるべきように」奏するのが如何に難しいかは、イタリア文化とは質的に正反対の文化的背景を持つ我々日本人でもある程度年季が入れば、ある種の演奏を一小節聴いたとたんに「これはヴェルディではない!」と感じるようになることでも明らかと思います。パターネ、サンティ、アレーナ、ジェルメッティといった「上質の職人」たちや、やる気を出した時のイタリアのオケ(技術的には下手クソでも)は、こうしたイディオムを殆ど遺伝的にマスターしてるように思えます。外国人指揮者でもカラヤンやオーレンみたいに並みのイタリア人よりも、それらしく振る人もいますが。
リザネックのヴェルディがドイツっぽいというのはトートロジー(同語反復)にすぎず、リザネックが持てる発声技術と文化的背景を使ってイタリア音楽に様式の許す枠内でどんな新しい光を当てるかを聞き取っていくのでなければ、特に日本人西洋音楽演奏家の存在理由など直ちに吹っ飛んでしまう訳ではありますが、ヴェルディはやはりテバルディやフレーニで聞きたくもなるのも人情と思います。

ノヴォ監督の人選は、イタリアものでイタリア人歌手の起用が少ないというよりも、彼のヴィーンX流人脈を(ガランチャを起用した眼の高さもあったものの)日本で食わしてる印象も拭い難いことが問題ではないかと思います。
by 助六 (2006-10-08 12:06) 

助六

リエカ等イストリアやダルマチア地方は、ローマ帝国衰退後ゲルマン人やスラブ人、マジャール人等が入り、その後中世には沿岸部はヴェネツィア勢力圏になってイタリア語話者が多かったという事実があります(但しリエカはハプスブルク勢力圏で、直接ヴェネツィア支配下にあったのは16世紀のごく短期間だけ)。15-16世紀までにハプスブルク領になり、1861年のイタリア統一(ハプスブルク支配からの解放)後もハプスブルク領に留まります。両地域がヴェネツィアと共に「回復されざるイタリア」としてイレデンティズモ(失地回復運動)の対象になった根拠は、そうした歴史的経緯、要するに両地域におけるイタリア文化とイタリア人の存在にあります。第一次大戦でハプスブルクに一応勝ったイタリアはイストリアは得たものの、ダルマチアとフィウーメ取り戻しに失敗して大きな失望を味わい、1919年の詩人ダヌンツィオ(当時のイタリア前衛はファシズムに接近した者が多い)率いるナショナリストによる一時的フィウーメ占領、24年ムッソリーニによる併合・イタリア化政策に至ります。従ってリエカがイタリア領だったのは1924-47年とのことです。

【スリアン問題】

「スリアン問題」、面白いですね。少し深入りしてみました。

1)「クロアチア人」とは誰か
現代では、クロアチアのパスポート、つまり国籍を持ってる人がクロアチア人ですが、国勢調査では自らの「民族的帰属」を自己申告できるそうです。(因みに仏革命の遺産で「不可分の共和国」理念への執着が非常に強いフランスでは、この種の「民族的出自」の公的調査は禁じられていて、例えば「ムスリム系フランス人」の数は内務省も正確な統計は持っていないことになっています。)01年の統計では、
―クロアチア人 89.6%
―セルビア人 4.5%
―ボスニア人 0.5%
―ハンガリー人 0.4%
―イタリア人 0.4%
との自己申告結果だそうです。
この他、①政治的信条等から「民族的帰属」を明示したくない人、②通婚によるハーフのためどちらとも申告できない人がおり、この二者は、
―ユーゴスラヴィア人
と申告するんだそうです。
さらに、トリエステとリエカの中間に位置し、イタリア文化とイタリア語の浸透度が高いイストリアでは「クロアチア人」「イタリア人」といった意識が希薄で
―イストリア人
と申告する人が多いそうです。

また「クロアチア人」のアイデンティティにしても、セルビア(セルビア正教)に対峙するときには、その「カトリック」という「ラテン性」が前面に出、オーストリアやイタリアに対峙するときには、「スラヴ性」が前面に出るという二重性を持っていると言われます。

因みにフンメルさんのところに、サッカーで独vs伊だったら、クロアチア人は独を応援するというクロアチア人選手の大変興味深い証言が紹介されてます。
http://hamburg.exblog.jp/3611902/

2)リエカの場合
リエカはハプスブルク勢力圏で街並みもオーストリア風のようですが、ヴェネチア勢力圏に隣接していたため中世以来イタリア語話者が多くいたようです。1924年にイタリアに帰属した時点では、街はイタリア人地区とクロアチア・セルビア・スロヴェニア人地区に分かれていて、ムッソリーニによりイタリア人移住が促進されたそうです。第二次大戦後、クロアチアに帰属したときにもかなりのイタリア人が残存し、現在でも「クロアチア人」80%に対し、約2%が「イタリア人」とのことです。

従ってリエカの劇場でイタリア語を聞いて笑ってた人たちは
① 「イタリア人」
② 両親の一方がイタリア人の「ユーゴスラヴィア人」
③ 「イタリア人」でも「クロアチア人」でもない「イストリア人」
④ イタリア文化に親近感を持ち、自己の奥底の「ラテン性」に密かな誇りも持つ「クロアチア人」
といった内訳になるかと思います。

因みにトリエステのテアトロ・ヴェルディもオケ・合唱団員にも、セルボ=クロアチア名前が多かったのを覚えています。

イタリア名フィウーメは16世紀から存在する名称だそうですから、ドイツ人がロレーヌをロートリンゲンと呼び続けてるのと同様、イタリア人にとっては政治的記憶より歴史的記憶により結びついた呼称で、日本人が「奉天」(現「藩陽」だが、「奉天」も17世紀に遡る呼称)にそれほど抵抗感がないのと同じかも知れません。
ヴェローナ音楽祭のサイトの英語版スリアン経歴紹介も「born in Fiume」になってますから(笑)、日本側主催者は、イタリア側エージェントから渡された経歴を早トチリで訳し間違えたのかもね。http://www.arena.it/eng/front/documentiING/bio/surian.html

3)スリアンの場合
54年生まれですから、リエカは7年前にクロアチア領になってたと言っても、かなりの数のイタリア人が残っていたでしょう。しかも彼は母親はイタリア人らしいから、「ユーゴスラヴィア人」と申告する可能性が高いことになります。いずれにせよ、アイデンティティとしては、イタリア文化に相当近い意識を持っているのではないでしょうか。後は本人に訊くしかないけどね。
by 助六 (2006-10-08 12:08) 

keyaki

助六 さん、詳しい解説ありがとうございます。
オペラ歌手の場合、国籍だの、ご先祖様だのいっていると複雑になること間違いなし、なので、○○出身として、更に特定したい場合は、○○出身だが、○○系とか○○人と書くのがいいのかな、と思います。

パヴァロッティは、税金逃れに、モナコに住んでいると言ったようですけど、実際は、故郷から離れられないタイプのようですから、認められなかったんじゃなかったかしら。
ライモンディは、もう何十年も実際にモナコに住んで、モナコにもずいぶん貢献してますから、国籍はモナコなんでしょうね。でも明らかにボロニェーゼでもあるわけですし、自分でもそう言ってますね。
パヴァロッティはイタリアのモデナ出身、ライモンディはイタリアのボローニャ出身で、いいでしょう。

スリアンに関して言えば、私には、まったくイタリア人という認識がなかったのに、急にイタリア人になったので、なんじゃらほいっていうだけのことなんですが、更に、プロの音楽評論家が、わざわざイタリア人と言い始めたのに、なにか居心地の悪さを感じました。
edcさんが、フレミングのことで言及されていますが、ルサルカを歌えば、チェコ語で育ったわけではないのに、チェコスロヴァキア系ということを強調したり、レイミーなんかもフランス語のオペラを歌うと、フランス系??だからとか、こじつけとしか思えない様なことを評価に対象にしたりするわけですから、まあ、その流れなんでしょうね。

スリアンのお母さんがイタリア人というのは初耳ですが、イタリア人のオペラファンの間では、スリアンは同胞歌手という認識はないように感じます。(めったに話題になりませんが、先のヴェローナのエスカミーリョはどうしちゃったの、と話題になってました)
スリアンの両親のことで、私がみつけたのには、「1951年4月22日 Fiumeで結婚した、JasenovikのGiovanni SurjanとSmiljana Miskulin の息子」というのがありますが、どちらかというとお父さんの名前の方がイタリア系っぽくないですか。
イタリアでのインタビュー記事でもあれば、その辺は語られているのでしょうが、見かけないのでわかりませんね。
スリアンは、ドイツ語のオペラもレパートリーにしているようですから、万一日本でマルケ王とか歌うことになったら、イタリア人にしちゃった評論家達はどうするんでしょう。まあ、平気で、クロアチアは、ハプスブルク領だったから、とか言っちゃうのかしら。

>ヴェローナ音楽祭のサイトの英語版スリアン経歴紹介も「born in Fiume」
私の作り話が、本当かもしれませんね。(笑

スリアンは、今後も恐らく来日するでしょうから、注目しておきましょう。
by keyaki (2006-10-08 14:06) 

Orfeo

いつもながらの助六さんの薀蓄のある解説を読ませていただいて、とりわけそのクロアチアの件で、それと似たような話があったのを思い出しました。サッカーの話で恐縮ですが、先のワールドカップ、日本と同組になったクロアチアとオーストラリアにまつわる因縁です。

オーストラリアには、第2次大戦後、旧ユーゴスラヴィアから大量のクロアチア系避難民が移住しています。この人たちがシドニーやメルボルンに定住し、自分たちのサッカー・クラブを創設して、強豪クラブへと成長していきます。というわけで、オーストラリアにはクロアチア系のサッカー選手が非常に多い。もちろん、今活躍している選手たちは、そのほとんどが2世になります。

1991年、クロアチアがユーゴから独立して、その初代大統領になったトゥジマンが、自身が大のサッカー・フリークだったため、海外にいる優秀なクロアチア系プレーヤーを自国に呼び寄せ、ひいきのクラブ、クロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)を強化して、欧州の舞台で活躍させようとします。つまり、国威発揚にサッカーを利用しようとしたんですね。これでオーストラリアからも、クロアチア系の選手たちが喜んで自分のルーツの元へと移っている。例えば、ビドゥカといった選手がそうでした。が、その後、大統領の支持率が落ちるにつれ、そういった選手たちを取り巻く環境までが悪化。ビドゥカはクロアチアを離れ、今、中村俊輔が所属しているスコットランドのセルティックに移籍。現在はイングランドのミドルズブラというチームで活躍しています。

が、その一方で、クロアチアはその後もオーストラリアから優秀なクロアチア系選手を引き寄せ続けます。というわけで、今回のワールドカップに際しても、クロアチアとオーストラリアで選手の争奪戦じみたことが起こっている。で、例えばシムニッチといった選手などがクロアチアを選択し、オーストラリアを離れていきます。で、これでまたオーストラリア国内で批判が噴出する、という事態になるわけです。

ですから、今回のグループリーグでのオーストラリアとクロアチアの対戦というのは、実に因縁浅からぬカードだったわけですね。オーストラリア・チームのキャプテンはビドゥカ。対するクロアチアのメンバーにはしっかりシムニッチが入っていた。結果は2-2の引き分けに終わりますが、グループリーグを突破したのはオーストラリア。これで両国の明暗が分かれることになりました。

同じクロアチアにアイデンティティーを持つもの同士がこうして戦うことになる。サッカーというのは、時に残酷なものです。

長々とサッカー・ネタ、すいません。
by Orfeo (2006-10-08 14:08) 

yumemi

お久しぶりです。 ここへ来るといつもとっても勉強になります。
確かに国境の問題、入り交じった民族のアイデンティティ問題、単純ではないですね。
ヨーロッパには結構多いのではないでしょうか。 
我が主人等も国籍はアイリッシュですが父親はスコットランド人です。
そして母方の父祖は名字から言ってバイキング系です。
イタリア人で固めたキャスト(^^;)、数日前にフィレンツェで観て参りました。
単にイタリア人だけで固めたキャスト、だったら、
イタリア人以外にも素晴らしい歌手がいる最近のオペラ・シーンでは
意味は無いと思いますが、今回観た物に関して言えば、納得いきました。
by yumemi (2006-10-10 19:25) 

keyaki

yumemiさん、コメントありがとうございます。
フィレンツェの理髪師、オペラクリックにも写真がたくさん掲載されていました。
ダブルキャストで両方ともすばらしいキャストですけど、シラグーザじゃない方の伯爵さんは、ちょっと力不足だったようですね。両方ご覧になったのかしら。

バルチェッローナは、12月に新国でも、ロジーナを歌う予定なんですよ、楽しみです。伯爵は、ローレンス・ブラウンリーって、マドリードの理髪師(フローレスが伯爵でDVDのやつ)でBキャストだったアフリカ系?の歌手なんですけど、"Cessa di piu' resistere"は前回のプレミエがカットだったんで歌わないでしょうね。マドリードでも、歌わなかったようだし...

オペラはほんと国際的ですから、たまたまそうだったというだけだなんでしょうけど、イタリア人で固めるって、イタリアでもまれかもしれませんね。とてもいい舞台で、満足されたようで、よかったですね。
by keyaki (2006-10-11 00:56) 

yumemi

私はAキャストだけでした。 Bキャストも、オルフィラ(ドン・バジリオ)とスパニョーリ(フィガロ)には興味があったので、できれば最終日の15日に聴きたかったけれど、今回ベルリンで夢遊病の女を観ていたので、その日程上、初日の6日だけになりました。

ヴェルディやヴェリズモのお好きな方が観たら、つまらないかもしれないけど、ロッシーニの理髪師の喜劇としての面を強調して、抑えめに、そしてお洒落にまとめた舞台でした。
by yumemi (2006-10-11 02:10) 

きのけん

▼《ボリス》のポーランドの場がリエカでのロケです

 リエカっていえば、ズラフスキの《ボリス》のポーランドの場を撮影したのがリエカでしたね。僕はちょうど、ベオグラードでの撮影が終わる最後の数日間にルポに行ってまして(>リンク↓)、最後の撮影でズラフスキがOKを出した途端、ボリスの棺桶の中からライモンディさんがヨーデルを歌いながら出てきたもんで、全員大爆笑になってお開き。その数日後にリエカでポーランドの幕の撮影が始まるという時でした。ズラフスキの奥方ソフィー・マルソーちゃんがパリからやってきて、ライモンディさんは、ボローニャから奥さんが迎えに来て、リエカに移る数日間の休みを利用して一旦ボローニャに戻りヤニス・ココス演出版《ボリス》のリハーサル…。そういや、ライモンディさんはフューメでなくリエカと言っていたよ…。

http://perso.orange.fr/kinoken2/intv/intv_contents/boris.html

▼イタリア人シェロー

>Orfeoさん+keyakiさん:
>シェロー、イタリア人扱い

 この出所は僕の『ルカ・ロンコーニ論』(>リンク↓)なんじゃないかと思いますが、シェローはストレーレルの弟子というわけではなく、一時期シェローがフランスの演劇界から締め出されちゃった時期に、ストレーレルがミラノのピッコロ座に呼んで寄宿させていたんです。それで、あっちのピッコロ座でヴェーデキントの《ルル》をやったり、マリヴォーをやったり、さらにはスポレト二世界フェスティヴァルで初めてオペラ演出をやってたもんで、イタリアのジャーナリストたちが、「イタリア演劇界の新星」なんて喧伝しちゃったというわけよ。なにせ、シェローというのはルイ・ル・グラン高校の演劇部時代既に評判になっていたような早熟児だから、大学を出たか出ないかくらいで、パリ郊外のサルトルーヴィルの市立劇場の芸術監督なんかに任命されちゃいまして、その劇場を破産させちゃったわけ。それで巨額の借金を背負ってフランスに居られなくなっちゃったんだ。それに救いの手を差し伸べたのがストレーレルってわけなんです。ただ、向こうでもやたら評判がいいもんで、今度はポンピドゥー大統領下の文化省が、リヨン郊外のヴィラルバンヌにある国立民衆劇場共同総監督(もう一人はロジェ・プランション)なていう地位を用意してシェローをイタリアから呼び戻した、というわけ。それでこの時代にイタリアで出た演劇署なんかではシェローがイタリア人演出家ってなってるというわけなんです。

http://perso.orange.fr/kinoken2/ronconi/ronconi_acc.htm

 フランスでは、才能のある奴ってのは一度は国を追われることが多いよね。ブーレーズがそうでしょ。彼も一時期フランスに居られなくなって、イギリスへ流出して、その次がニュー・ヨーク・フィル。それを、これまたポンピドゥー大統領が呼び戻した…というわけ。モーリス・ベジャールもそうだし…。
 そうそう、ストレーレルも、確かトリエステ辺りの出身じゃなかったっけ?…。あの辺り、北イタリアも含めたオーストリア=ハンガリー大帝国の文化圏ですよね。…だからクロアチアでもイタリアでもどっちでもいい?…。
 ただ、その辺りは本人に訊いたって判らないことがあるよ!(笑)。作曲家のアンリ・デュティユーさんに、貴方はポーランド系だろう?って訊ねたら、確かに家系にポーランドの血が混じっているのは確からしいんだけど、自分じゃ判らないって言ってた。
 この辺り、もうちょっと詳しくは、以下の未完の文章をご参照ください。(「バルトかバルテスか?〜フランス語固有名詞に関する覚書」:>リンク↓)

http://magicdragon-hp.hp.infoseek.co.jp/KK/kinoken_file00/france/noms-prpores.html

きのけん
by きのけん (2006-10-12 19:50) 

keyaki

きのけんさん、
リエカでポーランドの場面を撮影したんですか。
1989年ですから、まだユーゴスラヴィアの時代ですね。

なるほど、シェローって、本当に早熟天才なんですね。

>フランス語固有名詞に関する覚書
読んできました。
フランス語って、ほんと難しいです。その点、イタリア語は、読むのは簡単ですが。やっぱり日本語で書くときは、アバドだったりアッバードだったり、いろいろですものね。オペラも国際的ですから、ほんと日本語表記をどうするか、悩ましいですね。私のような素人でも、統一されてないので悩みます。なかには、面倒だからとそのままで書く方も多いのですが、なんて読むのかわからないわけですから、困りますよね。

スリアンの件は、彼が自分はイタリア系だと言っているのであれば、それはご自由にどうぞ、ですが、「イタリアのフューメ生まれ」は完璧なウソなんですよね。それに日本では今まで、「リエカ出身」と正しい知識、情報を伝えてきたのに、ここにきて、なんでそうなるの?なんです。
きのけんさん、同業者として、なにかご意見ありますか。
by keyaki (2006-10-13 01:18) 

keyaki

yumemiさん、
ダブルキャストでも、いろいろあるようですね。
両キャスト魅力的なダブルキャストは両方見たくなりますね。
スパニョーリは、ヴェルディは歌わないようですけど、フロンターリは、最近ヴェルディバリトンとして売り出してきていますが、フィガロもお得意のレパートリーなんですよね。ヌッチのようなものかな。
by keyaki (2006-10-13 01:45) 

euridice

>イタリアのフューメ
こう言ってしまうと、問題でしょう。領土問題は、そうお気楽な問題ではないんですから・・・^^; 間違いはすみやかに訂正したほうがいいと思います。
by euridice (2006-10-13 08:11) 

きのけん

>keyakiさん:
>まだユーゴスラヴィアの時代ですね。

 …どころか、そろそろ内戦が勃発する頃で、ホテルからライモンディさんの車に便乗して撮影所に向かう途中で、すごい戦車の行列で止められたり。おっ!、戦争映画の撮影やってるぞ、なんてその時思ったんだけど、あれは本物だったんだ…なんて後から気が付いた!(笑)。ホテルのテレビで見た現地のニュースなんかではそんなこと全然やってなくって、パリに帰ってから、あっ、あっちでは何か事変が起こってたんだ!…なんて、暢気なもんでした。
 あっ、そういやポーランドの幕にはボリスは出ないやね。じゃあ、何でライモンディさんはリエカに行くなんて言ってたのかなあ?…。奥さんと二人でズラフスキはすごい、すごいってさかんに言ってたから、ボローニャの《ボリス》準備の合間にでも撮影の見学にでも行くつもりだったんでしょうかね?…。そうそう、リエカは海岸の風光明媚な避暑地ということで、僕は取材にはあっちに行きたいとエラート広報に頼んだら、あっちにはライモンディさんが出ないからダメ!って断られちゃったんだよ。

 「フランス語固有名詞に関する覚書」は当時音楽欄を担当していた白水社の『ふらんす』誌用に書いたものですが、つまり日本の仏語教師用にだね…、長くなっちゃったんで途中で止しちゃった。なにせ、日本の語学教師ってほんと言葉ができないからねえ(笑)。固有名詞の読みがあまりに出鱈目なもんで、業を煮やして書いたんだけど…。
 固有名詞の日本語表記については、今ではもう諦めちゃってて、読みたいように読みゃいいじゃん…なんて(笑)。あの文章の趣旨は、仏語に標準的な読みがあると思うのは、要するに日本の標準語的発想なんで、多種多様な文化が入り組んでる仏語には標準語なんてありません!…という趣旨だったんです。
 『レコ芸』なんかでも固有名詞の正確な読みがわからなかったら、大使館に問い合わせろ、なんて馬鹿なことをおっしゃる先生がいるんだけど、大使館に問い合わせて判るか、馬鹿!(笑)。
 Natalie Dessayが「ドゥセイ」だったり、仏語では "Nathalie"のはづの「ナタリー」が彼女の場合、何故 "Natalie"なのか?…なんて、大使館で判ると思うか?…。彼女の親父が大のナタリー・ウッド・ファンで、娘の「ナタリー」から "h"を削除しちゃった…なんてこと、在日仏大使館が知ってると思うか?(笑)。
きのけん
by きのけん (2006-10-13 16:58) 

助六

知人で「音友」10月号を持ってる人がいて、「スリヤンのインタビュー出てるよ」と見せてくれました。河野典子氏による半ページ足らずの短いものですが、本人の言葉のはずですので、紹介しておきます。

―ユーゴスラヴィア(現クロアチア)のお生まれですね。
「イタリアの東端、トリエステから70キロほどしか離れてないところで、第二次大戦まではイタリア領だったところです。皆イタリア語の方言で話していましたし、私の母はイタリア人でした。20歳でクロアチアのリエーカ劇場に籍を置きながら、スロヴェニアの音楽学校に2年通い、トリエステで7年間バリトンのマラスティーニに学び、その後ミラノ・スカラ座の研修所で…」

これだけでは、自分のアイデンティティーはイタリアに近いと言ってるのか、クロアチア人との意識の人が商業的理由で「準イタリア人」を宣伝してる形なのかいまいち分かりませんが。

両親の名前からすると、確かに父親の方がイタリア人っぽいですが、「母がイタリア人」は、翻訳ミスか、スリヤンがウソついてるのか、婚姻・習慣・戸籍手続き等の理由で名前の音韻とエスニシティは一致しないのか、どれかも分からないですね。
by 助六 (2006-10-19 07:21) 

keyaki

助六さん、そのインタビュー記事、そこはかとなく、イタリアを強調してますね。
この記事を全面的に信頼すれば、スリアン自身が、ほとんどイタリア人と同じなんだヨと言いたがっているように感じます。

たまたま昨日の新聞に作家のカズオ・イシグロのことが載っていましたが、「日本生まれの英国人作家」と書いてました。奇妙な言い方だな、、と感じました。日本名と彼の顔写真がなければ、両親がイギリス人で、日本生まれなのかと思いませんか?
Wikipediaでは、「日本生まれのイギリス作家」となっています。これもどうなんでしょう。
長崎生まれで、両親とともに5歳で渡英、1983年イギリスに帰化、英国籍で、日本語はほとんど話せない、ということですが、国籍=○○人というのも変な場合もありますし。
たとえば、ネトレプコは、オーストリア国籍をとったということですが、やっぱり、ロシア人歌手、ロシア出身の歌手ですよね。

話を戻して、スリアンですが、彼自身は「クロアチアのリエカ生まれのイタリア人」と言って欲しいのでしょうか。インタビューでは語られていませんが、イタリア国籍を取得している可能性は大だとおもいますが、二十歳過ぎまでクロアチアにいて、そこの教育を受けているわけですし、ここにきて、イタリア人キャンペーンをすることはないとおもいますけど。
イタリア人キャンペーンの片棒をかついでいる人たちのご意見を伺いたいものです。
オペラ歌手は、それこそ国際色豊なわけですから、グレーゾーンの場合は、○○出身程度にとどめておいたほうがいいとおもいますね。
しかし、どう転んでもフィウメはイタリアではないということはくつがえせませんけどね。
by keyaki (2006-10-19 17:11) 

ヴァラリン

コテコテのロシア人歌手のファンの私が口出しすると、また始まったよ~~と煙たがられそうで、防寒、もとい傍観していましたが、たまたま本屋で見かけた

>「音友10月号」

の表紙を見て唖然。助六さんが読まれたのも、この号の記事なんですよね?
(私は、表紙を見ただけで頭に血が上りましたので、中は読んでいません)
http://www.ongakunotomo.co.jp/magazine/ongakunotomo/index.html

他の人が見れば別に、どおってことのない見出しかもしれませんけど、私は正直言って、いい気はしませんね。
日本の聴衆がどういう嗜好の人が多数派なのかはともかく、出版社サイドには、明らかに「イタリア人というだけで、価値が高くなる」雰囲気を高めようという意図があるように感じました。
by ヴァラリン (2006-10-20 22:26) 

euridice

ヴァラリンさん
>>「音友10月号」
ファブリツィオもダリオも、イタリア人を売りにして稼いでいるもともと?建築専門のイタリア人ですね。オペラには口出ししないジローラモがまず学んだのも建築。偶然の一致にしても興味深いです。^^;;;
by euridice (2006-10-21 08:23) 

keyaki

>やっぱり主役はイタリア人!
おぉ、なかなかセンセーショナルな見出し。売らんかな、で見出しをつける週刊誌と変わりませんな。多分、読んだら、なぁんだ、なんですよね。
相撲の雑誌があるかどうか知りませんが、「やっぱり主役は日本人!」なんて表紙にドカーンと書いたら、問題ですよね。「やっぱり猫が好き!」じゃあるまいし。

まあ、たまたまイタリアのオペラハウスが、ボローニャ、フィレンツェ、ローマと続いた年だからでしょうけど、「やっぱり主役はイタリア!」くらいにしたほうが、見た人によっていろいろな受け取り方をしますから、ソフトなかんじになりますよね。
この雑誌の発売が9月だとすると、オールイタリア人歌手を錦の御旗にしたローマ歌劇場のお先棒担ぎ記事かとも思えますね。わざわざイタリア人を強調せざるを得ないほど、イタリアオペラが国際的になってしまったということの裏返しかな。この見出しの真意はともかくとして、なかなか難しい問題ですよねぇ。
by keyaki (2006-10-21 09:04) 

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