訃報:チェーザレ・シェピ Cesare Siepi (1923.10.2 - 2010.7.5) [訃報]
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シェピは、1950年から1973年まで主にNYメトロポリタン歌劇場で活躍しましたが、1973年以降は、1974年ウィーンでグアルディアーノ神父、1979年ミラノ・スカラ座でフィエスコ(ギャウロフとダブルキャスト)くらいしか記録を見つけられません。1980年代にも舞台で活躍したそうですが........オペラクリックさんのデータによれば、イタリアで1985年にJerusalem、1986年にFilippo II を歌い、1994年ウィーン国立歌劇場のオロヴェーゾ(ノルマ)がラスト・パフォーマンスでした。1941年、21才でフィレンツのコンクールで優勝して、《リゴレット》のスパラフチレでデビューして、53年間、ドン・ジョヴァンニ歌手として、また《ドン・カルロ》のフィリッポとして、世界最高のイタリア人バス歌手として活躍しました。時代も関係あると思いますが、ルッジェーロ・ライモンディのように50才過ぎてからもレパートリーを増やして、第一線で活躍するというタイプではなかったようです。
また、シェピは、エツィオ・ピンツァ(1892.5.18-1957.5.9)のようにミュージカルでも成功することが夢だったそうです。所謂ヒスオタのクラシック純粋主義者の皆さんたちは、あまり語りたがらないようですが.......コール・ポーターのブロードウェイソング集のアルバムを録音していますし、ミュージカルにも出演していますが、成功したとは言えないようです。
ライモンディとシェピは、もちろん共演はありませんが、同時期、メトで1971年〜1973年の間にドン・ジョヴァンニを歌っています。48才のベテランと30才の若手ということですが、この時期は、メトの黄金時代だったんですね。
◎チェーザレ・シェピ (1923.10.2 - 2010.7.5)とルッジェーロ・ライモンディ(1941.10.3 - )
「スカラ座の名歌手達」から
『1968年にメトロポリタン歌劇場の総支配人ルドルフ・ビングが、イタリアへ新人を捜しに来たんですがね、僕の歌を聞くなりメトとの契約を申し込んできたんです。・・・1950年に当時27才だったシェピをアメ リカに紹介したのは自分だと自慢したりもしましてね、・・・君はシェピ2世だ、だから君は私の手でアメリカ人に知らしめたい・・・・』
(ライモンディは、メトにも出演しましたが、シェピのようにメトをメインにはしませんでした)
2002年ボローニャ歌劇場来日公演の時のインタビュー
『バスの音色というのは、ドラマティコとカンタービレと、その上のバス=バリトンに分類できますが、シェピはカンタービレ、僕(ライモンディ)は初め からバリトンの役も歌えないこともないバス=バリトンの声だったのです。』
関連記事:
NYメトのドン・ジョヴァンニ
ウィーンのドン・ジョヴァンニ
サンフランシスコ歌劇場でも活躍しました。
http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id1056.pdf
by サンフランシスコ人 (2010-07-23 08:11)
サンフランシスコ人さん
1968年ドン・ジョヴァンニですか.....
リンクありがとうございます。
by keyaki (2010-07-25 22:33)
1954年フィガロの結婚でも活躍しました。
http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id1613.pdf
by サンフランシスコ人 (2010-07-28 08:00)