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ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ著《Voci parallele 》(1):ドミンゴの年齢疑惑 [オペラ関連書籍&雑誌]

 ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ(Giacomo Lauri-Volpi, 1892.12.11 - 1979.3.17)は1920年代から50年代にかけて活躍したイタリアのテノール歌手です。

♫MP3:Ella mi fu rapita!
ラウラ=ヴォルピ

↑1934年《リゴレット》から
往年の名歌手で、すっごく偉い人で、伝説的なイタリア人テノール歌手....ということくらいの認識しかありません。ローマ大学法学部卒で、「並外れた教養と文筆力を備えていた」とか、数多くの著書を残していることも知らなかったのですが、最近、《歌手対比列伝 Voci parallele "並行する声"》ルッジェーロ・ライモンディも取り上げられていることを知りました。
 この《Voci parallele 》は、1955年にリコルディから出版されました。プルタルコスの「対比列伝」に示唆を得て、様々の時代のオペラ歌手の声を2人づつ比較するというユニークな評論形式をとっている』んだそうです。
 ちょっと待って!...1955年だったら、ライモンディはまだ14才.....?? この本はその後、改訂版が2版、3版と出版され、その都度加筆されたようです。1977年に補遺を加えた第3版が、Bongiovanniから出版されました。つまり、改訂第3版の補遺にライモンディが取り上げられているんです。誰との組み合わせかは、だいたい見当がつく、やっぱり、それしかないかな、です。

 ところが、《Voci parallele》は、すでに絶版で再販の予定もなくて、古本屋さんにも無い!..とあきらめていたところ、私が巡回コースにしているなつさんのブログで、この本のことが記事になっているではありませんか....ライモンディが載っている部分をコピーして下さいました。ありがとうございます。
 ほんの数行の記述なんですが、こんな偉い人に取り上げてもらえる、ということは、ファンとしては嬉しいですね。「補遺」として加筆された部分は、1頁に二組ですが、本文は、1頁に一組だそうです。
 「補遺」の部分は、次回に書くことにして、この本をネットで検索していて、面白い記事を見つけました。プラシド・ドミンゴのインタビュー記事なんですが、みなさんご存知のように、ドミンゴ本人は、生年月日を1941年1月21日生まれとしていますが、1933年とか1934年説があって、一部辞典は?マーク付きでそれを採用しているものもあるんだそうです。今現在も元気に飛び回っているドミンゴを見ると、やっぱり、1941年が正しいと思わざるを得ないと思いますが、なぜ、そんなことになったかを、ドミンゴが語っています。どうやら、その1934年とした張本人が、ジャコモ・ラウリ=ヴォルピなんだそうです。確かに、《Voci parallele 》には、PLACIDO DOMINGO(1934)と書かれています

★2003年4月22日、ローマ歌劇場でのインタビュー:
「私は41年生まれです。私がもっと年をとっているという話は、ジャコモ・ラウリ=ヴォルピが広めたんです。スペインで、私のコンサートにご招待したことがあったんですが、彼は、私の歌を聴いて20才の声のはずがないと決めつけて、《Voci parallele》という本に、私について1934年生まれと書いたのです。この1934年というのが、ジョルジョ・グワレルツィ(Giorgio Gualerzi 音楽学者)にも引き継がれて、以来私を悩ませているというわけです。私は、お二人の紳士に、飛行機に乗って、私の出生証明書を照合するためにマドリードの役所、あるいは、洗礼を受けた教会に行きましょうと誘いたいですよ......」
※インタビューでは、ドミンゴは1935年と書かれたと言っていますが、《Voci parallele》には1934年となっていますので、1934年にしました。

 ジャコモ・ラウリ=ヴォルピが、その時の声が20才とは思えなかった...というのはわかりますが、だからといって、1934年と書いたのは......。このインタビューで、分ったことは、1934年というのが一人歩きをしたのは、ジャコモ・ラウリ=ヴォルピとジョルジョ・グワレルツィの思い込みだということですね。ドミンゴは16才で父親になっていますから、相当な早熟だったということもありますが、ここまで来ると1941年生まれで今現在、67才が妥当でしょう。ドミンゴさん、早死にしていたら、やっぱり1934年生まれが正しいと言われちゃったかもしれませんね。

関連記事:
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ドミンゴの生年についての話題もあります。

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コメント 14

なつ

>ローマ大学法学部卒
>「私は41年生まれです。私がもっと年をとっているという話は、ジャコモ・ラウリ=ヴォルピが広めたんです。

初めて知りました。こちらこそ、ありがとうございました。
私は「ラウリ=ヴォルピ先生がお書きになっておられるんだから、ドミンゴが1934年生まれというのは、ほんとうなのだろう」と思っていましたが、そう考えてしまった人が多かったんでしょうね。ドミンゴも気の毒な。。
by なつ (2008-07-02 23:08) 

keyaki

なつさん
ヴォルピ先生、本人に尋ねなかったんでしょうか.....
私は、1934年ってことはないと思ってました。
ドミンゴとライモンディは若い頃から共演が多いので、二人を並べて見る機会が多いんですけど、どうみてもライモンディより7才も上には見えません。やっぱり、同い年でしょう。舞台のカーテンコールなんかも肩を組んだりして仲良しですもの。
by keyaki (2008-07-03 00:33) 

サンフランシスコ人

サンフランシスコ歌劇場に、ジャコモ・ラウリ=ヴォルピが出ています。
「アイーダ」「ファウスト」「トロヴァトーレ」「道化師」「リゴレット」

by サンフランシスコ人 (2008-07-03 07:01) 

rosina

この方はバスティアニーニについても好意的な記事を書き残していると伝記にありました。でも、そんな高名な人の事実誤認が後々迄響いて、未だに年齢詐称を疑われるなんて、マエストロ・ドミンゴも御気の毒に・・・。
by rosina (2008-07-03 09:52) 

keyaki

サンフランシスコ人さん
ヴォルピは、アメリカを拠点にしていた時期があるんですね。アメリカを引き払ってからは、イタリア、スペインを拠点に活躍したとか。
by keyaki (2008-07-03 12:38) 

keyaki

rosinaさん
バスティアニーニは、当然、本章に載っているでしょうけど、誰との組み合わせなのか気になりますね。
ラウリ=ヴォルピは、所謂毒舌系ではないと思います。比較と言っても、どっちがいいとか悪いとかではないようです。

ドミンゴの生年の件は1、2才なら誤差のうちですけど、7才ともなると....
ローマで、《スライ》に出演の時のインタビューで、「いろいろ言われていますが、どうなんですか?」とそのことを話題にされたので、答えてたんですよ。
2003年ですから、69才で歌うのと、62才ではずいぶん違いますものね。
by keyaki (2008-07-03 12:49) 

なつ

横から失礼します。バスティアニーニは「補遺1」でローランド・パネライとの組み合わせ。
「素晴らしいレガート」「柔らかな響きの艶やかさ」と絶賛されてます。
by なつ (2008-07-03 16:44) 

rosina

ところで、ライモンディが比べられているのは、今迄の経緯から言うとやっぱりシェピ辺りですか? 

なつさん、
>バスティアニーニは「補遺1」でローランド・パネライとの組み合わせ。
「素晴らしいレガート」「柔らかな響きの艶やかさ」と絶賛

ありがとうございます。そうでした、伝記にもちょっとありましたよね。ヴォルピは褒めているのに、チェレッティ氏がそれと正反対の事を言ってけなしていっるって。やっぱり好きな歌手が褒められるのは嬉しいものです^^。




by rosina (2008-07-03 19:14) 

keyaki

なつさん、ありがとうございます。

>バスティアニーニは「補遺1」でローランド・パネライ

そうでした!
なつさんのブログのコメントで、書いて下さっていましたね。
ただ単に同年代ということかしら....
パネライは、カンポガッリアーニ先生つながりで、ライモンディが16才の時から、先輩として親しくしてるんですよね。バスティアニーニとは違ったタイプだと思います。

コレッリは、イケメン同士ということでしたけど、片や私が知らない歌手でした。
ベルゴンツィとドミンゴは、バリトン上がりのテノールということでカップリングしたみたいですし....
いずれにしても、両方良く知っている歌手じゃないと面白くないですね。
by keyaki (2008-07-03 19:30) 

keyaki

rosinaさん
ライモンディは、ギャウロフとカップリングされています。
久々の生粋のイタリア人バスとブルガリア出身のバスということなのかな。
そういえば、シェピは誰とだろう....ボリス・クリストフあたりかしら?
by keyaki (2008-07-03 19:37) 

なつ

またまた失礼しますー
シェピはエツィオ・ピンツァとカップリングされてます。クリストフは、1874年生まれのDidurという人とです。

はー、少しずつでも読まなくちゃ、と思っているのですが、どこから手をつけていいのやら。。やっぱり自分が聴いたことのある好きな歌手から、ですよね。

ちなみに「ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ」は、Voci isolateという章で、3ページも費やされています。
他に「隔絶した声」として、単体で語られている歌手は、カラス、マリアン・アンダーソン等。
by なつ (2008-07-03 21:56) 

keyaki

なつさん
>シェピはエツィオ・ピンツァとカップリング
なるほど....シェピはピンツァのようになりたかったみたいですけど....

>少しずつでも読まなくちゃ、と思っているのですが、どこから手をつけていいのやら
そう、興味のある歌手しか読む気はしないですよね。コレッリの章は読み終えていらっしるでしょうから、私からリクエストしちゃおうかな...
バスティアニーニ&パネライ
シェピ&ピンツァ

by keyaki (2008-07-04 01:19) 

サンフランシスコ人

「ヴォルピは、アメリカを拠点にしていた時期があるんですね。」

イタリアの名歌手は、全員アメリカで歌いたいかもしれません。

by サンフランシスコ人 (2008-07-10 10:51) 

keyaki

ヴォルピがアメリカにいたのは、1920年代のはじめから10年間くらいのようです。

>イタリアの名歌手は、全員アメリカで歌いたいかもしれません。

オペラ歌手は、世界の大劇場に出ることがステイタスになりますから、その中の一つということだと思います。
戦後は、戦勝国で羽振りがよかったので、ドイツ,イタリアのスター歌手たちも出稼ぎに行ったということでしょう。
by keyaki (2008-07-11 10:38) 

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