世界のカラフを自認するフランコ・ファリーナ(アメリカ人テノール)ブロガーに噛みつく [オペラ歌手]
私が巡回コースにしているギリシャ人のブログで面白いことがありました。
6月1日から、アテネの野外劇場で、レナータ・スコット演出の《トゥーランドット》がはじまりましたが、その初日の感想に、なんと、カラフを歌った歌手本人(多分)フランコ・ファリーナからクレームのメール。しかもそれをブログに掲載するように求めたのです。
まず、ブロガー氏の《トゥーランドット》初日のカラフを歌ったフランコ・ファリーナに関する感想は、次のようなものでした。
フランコ・ファリーナは並みのカラフ以下だった。本当に酷かった。なんとか役をやり遂げようと頑張ったが失敗した。汚い音、高音はまるでダメ、そして何よりもまるで素人の「だれも寝てはならぬ」キャリアを積んだテノールとは絶対に言えない類。"Dilegua, o notte! Tramontate, stelle!"のところ、子音が全然聞こえなかった。母音だけだった。 "Ti voglio ardente d'amor!"では鋭く歌おうとしたけど結果は、悲鳴だった。キイキイという耐え難い騒音が、high B♭だったのは間違いない。もちろん、ここにも子音は存在しなかった。他の劇場でこんなふうに歌ったら、猛烈なブーイングがおこったことだろう。アテネでもカーテンコールではブーイングがあった。
フランコ・ファリーナの怒りのメール
(かなり頭にきたんでしょうが、言わなくていいことまで言っちゃってます)
いつもはこういうサイトに反応しない。友人がこれを私に送ってきた。私の返事を載せてもらいたい。あなたは私の歌を聴きに来る前から私を嫌いになろうとしていたようだ。あなたがそんなことをする理由がわからない。
(あら探しをするために聞きにきたのだろうということらしい)
あなたの文章にある二つに事実誤認を訂正したい。まず、カーテンコールで私に対してブーイングがあったと主張しているが、私にはとても短くて弱いブーインががひとつ聞こえただけだ。それはほとんど1秒も続かなかった。あなただったのか。他の観客はとても好意的な賞賛を送ってくれた。次の公演では、もうちょっとよく計画をねって、組織的にやるだろうね。この手紙を受け取った後なんだから。きっとそうすると思う。
もうひとつの間違いは、あなたは2幕のクライマックスの高音はhigh B flatと言っているが、high C.だ。
あなたが私の歌唱に関して思っていることについてコメントすることはできない。結局のところ「"di gustibus non disputatem est" 人の好みについては議論すべきではありません」ということだ。質の悪い音声クリップをアップしてくれたのは感謝すべきかもしれない。
(つまり、好みの問題はとやかく言えないってことかな、ちゃんとわかってはいるんですね)
しかし、私の価値をここで教えてあげよう。私がいかにカラフを得意としているかわかるだろう。メトロポリタンオペラでは異なる二つの演出で、パリで新演出、ロサンジェルスではベリオ版の新演出、ベルリン国立歌劇場で二つの演出、トーレデルラーゴのプッチーニ音楽祭でカラフを歌った。どこでもブーイングされたことは一度もないし、すばらしい批評を得ている。
おそらくあなたが無視している要素は、この劇場の音響だ。歌手にとって好ましいものではなく、ドラマチックな役にとっては特に難しい。(上の写真の野外劇場"Odeon Herodes Atticus")
以上。私はいまだかって、宣伝にお金を使ったことはない。多くの歌手たちがやっているが。これが私の間違いだったのかもしれない。
ブロガー氏のフランコ・ファリーナの抗議メールに対するコメント:
*芸術家は言葉ではなくその芸術で批評に答えるべきだ。
*次の公演で私の批評が間違いであることを証明してくれればとても嬉しい。
*私は高音が何であるかを知るべき立場ではない。しかし、あれはHigh Cではなかった。
*あなたのキャリアに関する価値証明は不要である。私はあなたのレコーディングをたくさん持っている。良いのもあれば、良くないのもある。
*私は聞きもしないで誰かの歌唱が嫌いになるつもりはまったくない。私は自分が聞いたものを判断する。もう一度言うがよくない歌唱ではなくて、素晴らしいカラフが聴ければ私はうれしいのだ。
*次には何かを組織するって?クラッカーのことを言ってるのか。今は1950年代じゃないよ(それに、君も1950年代に歌いたかったなんて思わないと思うね)
*私がお金をもらって批評を書いていると勘ぐってるのかな。そんなふうに思われてるとしたら、楽しいなんてもんじゃないね。私は自分の個人的意見と好みを言ってるだけだ。君が本当に初日の歌唱に満足しているとしたら、オペラの現状は恐るべきものになっていると思わざるをえないところだ。だけど、もし君が満足して自信満々だとしたら、ブログの批評なんかにわざわざ反論しないだろうと思うね。
以上がブログからの引用です。
このブロガー氏、演出も気に入らなかったようで、初日の公演は、全体的にひどかったとがっかりだったようですが、コメントには、良かったヨとか、期待し過ぎじゃないのとか、席が悪かったんじゃないの....というのもありました。彼は、2回目(3公演目)の感想もアップしましたが、フランコ・ファリーナについて、初日より、格段に良くなったと書いています。それでも、彼の「誰も寝てはならぬ」は嫌いだそうです....それから、トゥーランドットのジャニス・ベアード(Janice Baird)も初日よりは良かったとか、
たまたま、この件の初日の "Nessun Dorma"がYoutubeアップされていますので興味のある方はどうぞ。
ところで、フランコ・ファリーナは、いかにもイタリア人っぽい名前ですが、コネチカット生まれのアメリカ人。1978年にOberlin Conservatory of Music卒業、1990年に《ボエーム》のロドルフォでメトデビュー、その後、国際的に活躍。
いやはや、ブロガー氏の言う通り、ブログの感想にいちいち反応するとは、ちょっと....いかにもアメリカ人?....
R.ライモンディは、「熱狂的に拍手もするけれど、情容赦ない口笛を吹いたり、ブーイングしたりする大衆と、自信を失わず、自信過剰にならず、やっていく方法を体得」することが必要、と語っています。批判についても同じで「自信を失わず、自信過剰にならず」だと思います。
6月1日から、アテネの野外劇場で、レナータ・スコット演出の《トゥーランドット》がはじまりましたが、その初日の感想に、なんと、カラフを歌った歌手本人(多分)フランコ・ファリーナからクレームのメール。しかもそれをブログに掲載するように求めたのです。
まず、ブロガー氏の《トゥーランドット》初日のカラフを歌ったフランコ・ファリーナに関する感想は、次のようなものでした。
フランコ・ファリーナは並みのカラフ以下だった。本当に酷かった。なんとか役をやり遂げようと頑張ったが失敗した。汚い音、高音はまるでダメ、そして何よりもまるで素人の「だれも寝てはならぬ」キャリアを積んだテノールとは絶対に言えない類。"Dilegua, o notte! Tramontate, stelle!"のところ、子音が全然聞こえなかった。母音だけだった。 "Ti voglio ardente d'amor!"では鋭く歌おうとしたけど結果は、悲鳴だった。キイキイという耐え難い騒音が、high B♭だったのは間違いない。もちろん、ここにも子音は存在しなかった。他の劇場でこんなふうに歌ったら、猛烈なブーイングがおこったことだろう。アテネでもカーテンコールではブーイングがあった。
フランコ・ファリーナの怒りのメール
(かなり頭にきたんでしょうが、言わなくていいことまで言っちゃってます)
いつもはこういうサイトに反応しない。友人がこれを私に送ってきた。私の返事を載せてもらいたい。あなたは私の歌を聴きに来る前から私を嫌いになろうとしていたようだ。あなたがそんなことをする理由がわからない。
(あら探しをするために聞きにきたのだろうということらしい)
あなたの文章にある二つに事実誤認を訂正したい。まず、カーテンコールで私に対してブーイングがあったと主張しているが、私にはとても短くて弱いブーインががひとつ聞こえただけだ。それはほとんど1秒も続かなかった。あなただったのか。他の観客はとても好意的な賞賛を送ってくれた。次の公演では、もうちょっとよく計画をねって、組織的にやるだろうね。この手紙を受け取った後なんだから。きっとそうすると思う。
もうひとつの間違いは、あなたは2幕のクライマックスの高音はhigh B flatと言っているが、high C.だ。
あなたが私の歌唱に関して思っていることについてコメントすることはできない。結局のところ「"di gustibus non disputatem est" 人の好みについては議論すべきではありません」ということだ。質の悪い音声クリップをアップしてくれたのは感謝すべきかもしれない。
(つまり、好みの問題はとやかく言えないってことかな、ちゃんとわかってはいるんですね)
しかし、私の価値をここで教えてあげよう。私がいかにカラフを得意としているかわかるだろう。メトロポリタンオペラでは異なる二つの演出で、パリで新演出、ロサンジェルスではベリオ版の新演出、ベルリン国立歌劇場で二つの演出、トーレデルラーゴのプッチーニ音楽祭でカラフを歌った。どこでもブーイングされたことは一度もないし、すばらしい批評を得ている。
おそらくあなたが無視している要素は、この劇場の音響だ。歌手にとって好ましいものではなく、ドラマチックな役にとっては特に難しい。(上の写真の野外劇場"Odeon Herodes Atticus")
以上。私はいまだかって、宣伝にお金を使ったことはない。多くの歌手たちがやっているが。これが私の間違いだったのかもしれない。
ブロガー氏のフランコ・ファリーナの抗議メールに対するコメント:
*芸術家は言葉ではなくその芸術で批評に答えるべきだ。
*次の公演で私の批評が間違いであることを証明してくれればとても嬉しい。
*私は高音が何であるかを知るべき立場ではない。しかし、あれはHigh Cではなかった。
*あなたのキャリアに関する価値証明は不要である。私はあなたのレコーディングをたくさん持っている。良いのもあれば、良くないのもある。
*私は聞きもしないで誰かの歌唱が嫌いになるつもりはまったくない。私は自分が聞いたものを判断する。もう一度言うがよくない歌唱ではなくて、素晴らしいカラフが聴ければ私はうれしいのだ。
*次には何かを組織するって?クラッカーのことを言ってるのか。今は1950年代じゃないよ(それに、君も1950年代に歌いたかったなんて思わないと思うね)
*私がお金をもらって批評を書いていると勘ぐってるのかな。そんなふうに思われてるとしたら、楽しいなんてもんじゃないね。私は自分の個人的意見と好みを言ってるだけだ。君が本当に初日の歌唱に満足しているとしたら、オペラの現状は恐るべきものになっていると思わざるをえないところだ。だけど、もし君が満足して自信満々だとしたら、ブログの批評なんかにわざわざ反論しないだろうと思うね。
以上がブログからの引用です。
このブロガー氏、演出も気に入らなかったようで、初日の公演は、全体的にひどかったとがっかりだったようですが、コメントには、良かったヨとか、期待し過ぎじゃないのとか、席が悪かったんじゃないの....というのもありました。彼は、2回目(3公演目)の感想もアップしましたが、フランコ・ファリーナについて、初日より、格段に良くなったと書いています。それでも、彼の「誰も寝てはならぬ」は嫌いだそうです....それから、トゥーランドットのジャニス・ベアード(Janice Baird)も初日よりは良かったとか、
たまたま、この件の初日の "Nessun Dorma"がYoutubeアップされていますので興味のある方はどうぞ。
ところで、フランコ・ファリーナは、いかにもイタリア人っぽい名前ですが、コネチカット生まれのアメリカ人。1978年にOberlin Conservatory of Music卒業、1990年に《ボエーム》のロドルフォでメトデビュー、その後、国際的に活躍。
いやはや、ブロガー氏の言う通り、ブログの感想にいちいち反応するとは、ちょっと....いかにもアメリカ人?....
R.ライモンディは、「熱狂的に拍手もするけれど、情容赦ない口笛を吹いたり、ブーイングしたりする大衆と、自信を失わず、自信過剰にならず、やっていく方法を体得」することが必要、と語っています。批判についても同じで「自信を失わず、自信過剰にならず」だと思います。
2008-06-06 22:06
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コメント(9)
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おもしろい写真もあってとっても楽しいところですね。レナータ・スコットって今は舞台装置家、演出家なんですねぇ・・レナータ・スコットとイレーネ・パパスのツーショットなんか驚きの珍品でしょう^^+ まんまる顔になった衝撃のキャスリーン・バトルとか・・も・・
このお話は最近のヒットです。こんなことをする歌手ってほんとにいるのかしらねぇ・・本人だったらあきれますし、他人が名前かたってるとしたら酷いですね。
違うキャストの日に行ったんですけど、新国のヴィスコンティ原演出「ドン・カルロ」のドン・カルロでした。トゥーランドットのベアードは『サロメ」でした。こちらは行きましたけど、ブロガー氏の酷評もなっとくのお魚、すっごく良く言ってカモメでつまらなかったです。最近メトの急きょ代役イゾルデでした。いわゆる重い役で世界中を飛び回り中ということです。
by euridice (2008-06-07 07:07)
ネットですから、誰でもかたれますから、どうなんでしょうね。追っかけのストーカー的ファンがいれば、そういうのが、やらないとも限らないし......だったら、お気の毒...かえって評判を落としますものね。
オペラ歌手は、国際的に活躍していても一流とは限りませんからね。ほとんどがカモメかな....お魚もいっぱいいますけど。
そう、あのキャスリーン・バトルは吃驚でした。歌も聞きましたが.....
情報収集力すごいブログですよね。シュロットとライモンディの交代もこのブログから仕入れた情報ですが、正しかったです。ただ、れいのベルトランは出演しないだろう、という予想ははずれましたけど。
by keyaki (2008-06-07 09:13)
フィレンツェ歌劇場の2001年引越公演の時の「トゥーランドット」のカラフが、この人でした。(私もてっきりイタリア人と思い込んでいました!)
可もなく不可もないカラフ…程度の記憶しかないのですが、2006年引越の同じプロダクションのカラフのクピードの方が好印象でした…とかファリーナさんが読んだら、また怒りそう(笑)
You Tubeで聴くかぎり、ブロガーさんの書いたとおり、と思ってしまいました…
>*芸術家は言葉ではなくその芸術で批評に答えるべきだ。
これにも同意。
スカラ座の桟敷席と歌手がやり合ったというエピソードはよくありますが、ネット上で、というのが今時らしいですね。
by なつ (2008-06-08 00:36)
なつさん
>可もなく不可もないカラフ
ちゃんと歌っているんだけど、なんか足りないっていうのがほとんどですね。
しかし、わざわざ酷評されてるよなんて言っちゃうのが友人っていうのもどうかとおもいますね。
フランコ・ファリーナレベルの歌手のほうが、まあ、いいんじゃない、みたいなかんじで、酷評されることが少ないのかもしれません。スター級、超一流の歌手は、批評なんか気にしていたらやっていけませんよね。
そう、そう、思い出しましたが、数年前、○期会の公演のドイツ語がひどすぎ! というコメントに対して、関係者らしき人たちが、管理人に削除しろとか脅迫めいたことをしたらしくて、掲示板が閉鎖された事件がありました。まったく情けない話しですよね。芸術家のすることじゃないですよ。
by keyaki (2008-06-08 02:31)
フランコ・ファリーナ、ずっとフォルテで歌っていますね…。
私はブログに感想を書くときは、一応「出演者ご本人も読んでいるかも」と思いながら書いていますが…。
公演の感想というものは、お金を払って見ているのですから何を書いてもいいとは思いますが、あまり言葉汚く書かれたものは読む気がしません。その公演を良かったと思う人もいるのですし、少なくとも、やっている本人は良いと思っているのでしょうから。「"di gustibus non disputatem est" 人の好みについては議論すべきではありません」とは良い言葉ですね。
しかし、出演者本人がブログの感想に反論するとはビックリですね。
子音が聞き取れないのって、やっぱりマイナスポイントなのでしょうか?カバリエなんて、ほとんど母音だけで歌っていたときもあったけれど…。
by ふくきち (2008-06-10 00:31)
ふくきちさん
ご本人も、劇場の音響を言い訳にしていますが、あの野外劇場は、ヴェローナのように音響がいいのかどうかわかりませんが、席によって、差がありそうですね。
Youtubeのは、前半は音程も不安定ですし、やっている本人も今日は調子が悪いとおもっていたんじゃないかな。
あのメールは、自分はカラフの第一人者なんだ、大きな劇場のプレミエで歌ってんだぞ! って自慢したかっただけみたいなかんじもします。
>子音が聞き取れないのって、やっぱりマイナスポイント
どうなんでしょうね。声を遠くに飛ばそうとするとそうなっちゃうのかしら。
by keyaki (2008-06-10 02:08)
keyaki様
いつも楽しく読ませていただいております。
最近、この歌い手さんと少々接触があったので、読み返してみました。
きっと反論したのはご本人だったと思います。
ド素人の私の呟きにも反応して、メッセージを下さいました。
ちなみに現在、ワイマールで「トリスタン」を演じていらっしゃるそうです。
by jojo (2011-06-04 19:46)
jojoさん、コメントありがとうございます。
オペラ歌手、特にテノールは本当に大変だと思います。
最近マルセロ・アルバレスが「オペラ・ブロガーは、「百害あって一利無し....オペラ界の癌だ....」とまで言ってました。
http://keyaki.blog.so-net.ne.jp/2010-04-29
ファリーナ氏もついにワグナーなんですね。
by keyaki (2011-06-04 20:21)
F氏いわく、「私は評論家が正しいことを言っているのなら、それが厳しいことでも気にしない(うそ!)が、残念ながら分かっていない人達が多すぎる」のだそうです。
ひょっとして、他にもこんなケースがあったりして?
詳細不明ですが、来年またアテネ公演があるそうですよ。ぜひリベンジして欲しいですね。
by jojo (2011-06-08 20:00)