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《ジョコンダ》:二十歳代のドミンゴとRRの録音☆★MP3 [ジョコンダ]

 前に《ジョコンダ》をとりあげたのは、題して『《ジョコンダ》アルヴィーゼ:中くらいの役』
 その時点では、ルッジェーロ・ライモンディの出演に関しては、1971年のフェニーチェとローマの公演しか把握していませんでしたが、1967年ヴェネチアの近くのトレヴィーゾで、1970年にはマドリッドで歌っていることがわかりました。両方とも録音が出てきたので、出演していることがわかりました。
 ライモンディは、デビュー後、あっという間に主役級の歌手になりましたから、この中くらいの役アルヴィーゼは、若い時しか歌っていない役です。
 1970年5月、マドリッドのTeatro de la Zarzuela(サルスエラ劇場)での公演は、あのプラシド・ドミンゴのロールデビューだったそうです(本人の公式サイトより)。

せっかくですから、29歳のドミンゴの歌をアップします....
 ♪2幕、ラウラへの想いを歌うアリア「空と海」
★1970年5月14日Teatro de la Zarzuela,Madrid :
Guadagno指揮; Gulin, Domingo, Glossop,Raimondi, Casoni, Pecile

26歳のライモンディの歌もどうぞ....
 ♪3幕、「そうだ、彼女は死ぬべきだ...」アルヴィーゼは、妻ラウラの不貞に復讐を誓い歌う
★1967年11月17日Treviso:Camozzo指揮;Ross,Labó,Dondi,Raimondi,Paruto,Lago

↑上のは歌詞が4行分抜けてる....
今気づいたのでこっちにも1971年フェニーチェのをアップします。
 ←♪「そうだ、彼女は死ぬべきだ...」
1967年のは、真ん中の4行くらい端折ってます.....忘れて飛んじゃったってことはないですよね。当たり前でしょうけど、更に堂々と歌ってますね。
★1971年1月7日Fenice:Fabiritiis指揮;Genger,Zanasi,Raimondi,Nave,Pecile

右上の写真は、ドミンゴの公式サイトからもってきたものですが、これは1970年のではないですね。どうみてもエヴァ・マルトンですし、ドミンゴも二十歳代には見えませんもの..... 多分、1986年のDVDになっているウィーンの公演の舞台写真ではないかと思います。ところで、ドミンゴのサイトですが、リニューアルされましたが、残念ながら、内容が貧弱になっちゃいました。前は、全公演の記録があって、さすがメモ魔のドミンゴ!だったのに.....


参考:公演記録と歌詞

関連記事:《ジョコンダ》アルヴィーゼ:中くらいの役(4)
♪音声ファイル:1971年フェニーチェの公演、Gencerの「自殺」とライモンディの「そうだ、彼女は死ぬべきだ...」



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おさむ

若いライモンディの声はバスの重たい色合いが強いですね 二十代でこの貫禄ある声は日本人には真似できん・・
by おさむ (2007-11-08 16:00) 

keyaki

おさむさん、ほんと素晴しい響きですよね。訓練によって得られるものと、生来のものとあるでしょうけど、歌の場合は、その成熟に合わせて自分の声に合った役を歌うのがいいんでしょうけど、そうできる歌手は、少ないんでしょうね。
テノールの場合は、だんだん声が重くなるっていいますけど、バスの場合はどうなんでしょうね。
ライモンディも若い頃より、更に重くなっていたら、レパートリーが限られたかもしれませんね。
by keyaki (2007-11-08 20:13) 

たか

ジョコンダと関係なくて済みません。スカラの出演記録のサイトを前に教えて頂いた記憶があるのですがアドレスをなくしてしまいました。済みませんがもう一度教えて頂けますか? カプッチルリとギャウロフとカレーラスがムーティとスカラ座で共演したことがあるのかどうか調べたいのです。録音はあっても意外にスカラの舞台では共演していないかも?

それとカプッチルリがメットの舞台を1回きりで降りているのは何が理由なんでしたっけ? 前に誰かが何か書いていたように思ったのですが....
by たか (2007-11-08 23:20) 

keyaki

たかさん、ぜんぜんかまいません。
>スカラの出演記録のサイト
一時期あったようですが、ないと思います。あれば、いいのに...ですけど。
私が、67'〜92'までの公演記録の本を持っていますので、その間でしたらなんなりと調べますので、ご遠慮なくおっしゃって下さい。

>カプッチルリとギャウロフとカレーラスがムーティとスカラ座で共演

ざざっとみましが、カプッチルリは、共演はないようです。
ギャウロフは、すぐに思いついたのが、エルナーニです。フレーニが1シーズンで降りたやつです。
カレーラスは、67'〜92'までの共演はないようです。

>カプッチルリがメットの舞台を1回きりで降りているのは何が理由なんでしたっけ?
ほんとですね、知りませんでした。1960年に一回きりですね。私も理由を知りたいです。本人がどこかでしゃべっていそうな気もしますけど。
by keyaki (2007-11-09 01:04) 

たか

keyakiさんありがとうございます。前あったサイトなくなっちゃったのですか....

そうでしたね。ギャウロフとフレーニはエルナーニに出ていますね。あれはムーティの指揮ですがアバド時代の公演でした。でも1987年以降のムーティ時代はギャウロフもフレーニも共演なし?

ムーティのスター排除はかなり徹底的なものだったのかもしれませんね。

それとカプッチルリは自分の活動の場を厳しく選ぶ人だったように思うのです。
アバド時代はほとんど全ての作品と言っていいくらい出演していたのになぜムーティとはやらなかったのか、あるいはメットで何があったのか、本人に聞いてみたかった(涙)

少なくともアイーダと仮面舞踏会という重要な録音はあるのでムーティがどういう指揮者かは分かっていたはず。でも素顔のカプッチルリはとても人の批判をするようなタイプではなかったので本などには多分載ってないでしょうね。

きのけんさんなら何かご存知かも?
by たか (2007-11-09 01:28) 

keyaki

たかさん
カプッチルリのメトの件、一回きりという契約はないでしょうから、健康上の理由ということもありますが、そうであれば、数年後に、ということもあるはずですよね。とても気になりますね。
1970年代にはシカゴで、リゴレット、シモン、ヤーゴ、フォスカリ、ファヴォリータのアルフォンソ、パパジェルモンを歌っていますから、アメリカがダメということではないみたいですね。
シカゴは、ブルーノ・バルトレッティが芸術監督だったせいもあるでしょうね。

ムーティとライモンディは、お互い若い時は、けっこう共演していますが、2003年のインタビューで「ムーティとも仕事をしましたが、彼とは意見が違うので共演はちょっと難しい」と語っています。
by keyaki (2007-11-09 02:28) 

たか

急な代役で1回出演ということもあり得るでしょうが、でもその後30年間以上も出演しなかったというのはやはり何かありそうですね。

ムーティとライモンディも70年代の録音などはありますが87年以降の共演はすぐに思いつきません。ムーティという人は功罪ありそうですね。どこかで変節があったのかも? スカラの公演は私も聞きましたが正直非常にすごいとは思いませんでした.....

そこでリクエストなのですがムーティとライモンディの共演記録をまとめてみてはいかがでしょう? だいたいフィレンツエ、スカラ、ウイーン、ザルツブルグ、ミュンヘンあたりになると思います。主要なソリスト名もつけて並べればこの指揮者がどこでどう変わったのかが分かるかも? (お暇な時で結構です)
by たか (2007-11-09 19:27) 

たか

2005年にまとめていらっしゃるのですね。今見ました。
やはりスカラでは共演していないのですね....
by たか (2007-11-09 23:33) 

keyaki

たかさん、私もいろいろ想像をめぐらせてみましたが、この椿姫は、連続して上演されてないので、最初から一回の出演だった可能性もありますね。その後、メトからお呼びがかかったが、忙しくて行けなかったか、希望の役ではなかったので、断ったりして、なんとなく出演のチャンスがなかった、ということではないかと思います。なんらかのトラブルがあったとすれば、あの暴露本に書いてあると思うんですけど.....
メトよりスカラやウィーンで歌う方がステイタスですから、無理してメトで歌うことはないわけですものね。

そうなんです。ムーティとの共演は、一応まとめてあるんです。
若い時は、意欲的な公演をやってますよね。ショスタコヴィッチの13番って、多分イタリア初演じゃないでしょうか。
アバドのあと、やっぱり自分色を出すためには、新しい歌手を使いたかったし、それに、年齢的にも歌手の若返りをはかったということでしょうね。
ムーティと共演した歌手の一覧表を作ると面白いかもしれません。ファンクラブのサイトにそういう記録がありましたかしら??
by keyaki (2007-11-10 01:33) 

たか

声量の少ないブルゾンもメトは少ししか出なかったので結果的にメトの公演はバリトンが弱い上演が少なくないですよね。ポンスならいいほうで、キリコとかになっちゃうとちょっと違う....

有名なドンカルロのDVDもフレーニ、ドミンゴ、ギャウロフまで揃ったらやはりカプッチルリがいないと変。多分出演者もそう思ったのでは。

>メトよりスカラやウィーンで歌う方がステイタス

本当はそうなんですけど、ムーティがベテランを追い出したせいか、パバロッティもドミンゴも90年代以降はどちらかというとメトの人という印象が強くなりましたね。88年にメトが15年ぶりに来日したときは、「ドミンゴってメトのメンバーで来ちゃうんだ。変なの」って思った記憶があります。81年のスカラ座来日のインパクトは非常に強烈だったのでこの時点までは日本人にとって「ドミンゴはスカラ座の人」だったのです。

ところが90年代以降ドミンゴがオペラで来るのはほとんどメトになってしまいました。まさに様変わりですね。パワーシフトと言ってもいいと思います。ムーティは原典主義など評価できる部分もありますが、若い歌手はベテランと共演することで育つので無理に世代交代を早めた結果次の世代への文化の継承が途切れてしまったように思います。
by たか (2007-11-10 09:14) 

keyaki

たかさん、日本人って、アメリカ至上主義ですものね。戦前は、外国=ヨーロッパでしたが、戦後は、外国=アメリカってことでしょうか。最近は、文化的にはヨーロッパに回帰している感じもしますけど。

>有名なドンカルロのDVDもフレーニ、ドミンゴ、ギャウロフまで揃ったらやはりカプッチルリがいないと変。
4人揃えちゃうとカラヤンと一緒になちゃうんで独自色を出したかった...

>若い歌手はベテランと共演することで育つ
同感です。ライモンディも声だけでいえば、引退したほうがいいのかもしれませんが、彼と共演する若い歌手は得るものが大きいとおもいます。この年齢で、ルーティンじゃないというのが素晴しいと思いますし...
by keyaki (2007-11-10 11:58) 

たか

これからヨーロッパが文化的な求心力を取り戻すのか、それとも米国は米国なりのオペラ、日本は日本なりのオペラの方向性を見出すのか、どちらなんでしょうかねえ。必ずしも二者択一ではないのでしょうが、どちらかと言うと後者なのかも?

ただ、独自色と言ってもキリコでは....
せめてヌッチかブルゾンならまだ良かったのに。この演奏のネックになってしまっているように思います。ブルゾンは次のシーズンはロドリーゴを歌ったみたいですね。

ライモンディはとても立派だと思います。70年頃から一線で活躍し続けている歌手は他にフレーニとドミンゴぐらいでしょう。

keyakiさんはこれだけ熱心に追っかけているのですから現役のうちにファンクラブを作った方がいいと思うのですが? 聞いてみたいことが山ほどあるのではありませんか? 20~30人集めてエージェントを通じてきちんと話をすれば結構会ってくれると思います。
by たか (2007-11-10 21:01) 

keyaki

たかさん
追っかけは、ひそかに...が楽しいです。
40年以上も主役をはるって、バス歌手ではかなり希少価値ですね。
あと2年くらい...という話しもボチボチでているようです。
by keyaki (2007-11-11 01:59) 

サンフランシスコ人

4月18日のドミンゴのコンサート

http://www.laopera.com/press/pdf/Domingo%2040th%20Anniversary%20Gala_30day.pdf

http://www.laopera.com/productions/0708/domingo/

by サンフランシスコ人 (2008-04-16 12:12) 

keyaki

サンフランシスコ人さん
公式ホームページには、まだ掲載されていませんから、急に決まったんでしょうね。ドミンゴのためのガラコンサートということですから、出ないわけにはいかないでしょうね。4月30日からのオペラの練習の合間をぬってのようですけど、いつまでも精力的に大活躍の超人ドミンゴですね。

by keyaki (2008-04-16 15:21) 

サンフランシスコ人

「急に決まったんでしょうね。」

昨年、ロサンゼルス・タイムズに記事が掲載されていましたよ。
by サンフランシスコ人 (2008-04-19 08:13) 

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