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ファジョーニ演出《ドン・キショット》4幕:ドゥルシネに求婚 [ドン・キショット]

 ドン・キショットは、山賊から奪い返した首飾りを持って、ドゥルシネのもとに。ドゥルシネは大喜び。ドン・キショットは、ドゥルシネに求婚するが、彼女は、笑い転げて、結婚なんて考えられない、自由にさせておいて、と断る。ドン・キショットの落胆ぶりに、ドゥルシネは皆を去らせて、自分がいかに彼にふさわしくない女かを打ち明け、彼に許しを請う。偽りのない本心を語ってくれたことに感謝し、ドン・キショットは彼女を祝福するが、立ち上がる気力も失っている。そんな姿に嘲笑をおくる人々にサンチョは怒りをぶちまける。そして、ドン・キショットを抱きかかえるようにしてその場を立ち去る。※→ビデオクリップはこちら
ライモンディ談:『マスネが《ドン・キショット》を書いたのは、老境に入り、しかも持病もあった晩年ですが、彼は、若いメゾソプラノと恋に落ちました。それ故、この作品は、自伝的要素も含んでいます』

   
ファジョーニ演出 ライモンディ主演《ドン・キショット》の歴代ドゥルシネ
★1982年フェニーチェ:Margarita Zimmermann(写真なし)
★1983年アヴィニヨン:Lucia Valentini-Terrani(1946-1998 イタリア)
★1983年ナポリ,1986年バルセロナ,1992年パルマ,ジェノヴァ,2000年東京:Martha Senn(1954.10.19- コロンビア)
★1986年パリ:Hanna Schwarz (1943.08.15- ドイツ)
★1992年フィレンツェ:Sicuri(写真なし)
★1992年モンテカルロ:Mariana Cioromila(1952.01.18- ルーマニア)
★1997年ローマ:Anna Caterina Antonacci (1961.04.05- イタリア)
★2000年ワシントンDC:Denyce Graves(1966- アメリカ)
★2003年チューリヒ:Vesselina Kasarova(1965- ブルガリア)
※ファジョーニ演出ではないが、1977年チューリヒで共演している
※上の左からカサロヴァ、グレイヴス、アントナッチ,セン、下の左からチオロミラ、テッラーニ、シュバルツ
  


2003年チューリヒの公演に際しての、ライモンディとカサロヴァのインタビューによれば、ファジョーニは、ドゥルシネを演じる歌手に合わせて演出をしたそうです。

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Sasha

マスネ翁が恋していたリュシー・アルベルというメゾさんは、なんと40歳も年下だったそうですね! エスクラルモンドとタイースも、同様に強い恋心を抱いていたソプラノ、シビル・サンダース嬢(タイース初演の数年後に結婚→引退)のために書いたとか。(こんなところにばかり関心がいく私って...^^) そうそう、keyakiさんには釈迦に説法だけど、ドン・キショットの創唱者はかのシャリャーピンですね。
by Sasha (2007-07-31 18:39) 

Sasha

おっと失礼、タイス初演者はシビル・「サンダーソン」嬢でした。
by Sasha (2007-07-31 18:47) 

keyaki

Sashaさん、
誰のことだろうとおもっていましたが、両方に恋をしていたってことかしらね。
>シビル・サンダースン
1903年に亡くなったので、リュシー・アルベルを写真で選んだとか...

そうなんですよ。マスネはシャリアピンのために書いたんですよね。
で、ライモンディは、子供の頃からシャリアピンの録音を聴いていて、一番好きな歌手だったので、気に入った演出でドン・キショットを歌いたかったんでしょうね。
by keyaki (2007-08-01 02:16) 

Sasha

ほ~、RR氏はシャリャーピンをお好きだったのですか...(ってまあ、バス歌手なら誰でも関心がありそうではありますね)

これもkeyakiさんご承知とは思いますが、昨晩、偶然作曲家のサイトを見つけました。http://www.jules-massenet.com/ リュシー、シビル、それから別のマスネのミューズ(恋の対象だったかどうかはともかく)、エンマ・カルヴェやポーリーヌ・ヴィアルドー=ガルシアのポートレートもあります。(バイオの中に出てくる赤字の固有名詞をクリック) 
by Sasha (2007-08-01 09:53) 

keyaki

日本語のサイトしかあさってませんでしたわ。
多分プラトニックっぽいんじゃないかな...ちがう?

>ほ~、RR氏はシャリャーピンをお好きだったのですか..
ご本人が好きな歌手として、いつも名前を挙げているせいかもしれませんが、「イタリアのシャリアピン」という記述をよく見かけますよ。
今のロシア人歌手にとっては、シャリアピンって、あんまり知らないのかもね、我々の偉大な先輩って感じじゃないんじゃないの??

ところで、最近のロシア人歌手(男)って、シャリアピンのような風貌というか、洗練された人がいないような気がしますね。イタリア人のライモンディの方が、より近い感じを受けますけど....
日本人も鎖国で、今のような、のぺっとした顔が出来上がっちゃったようですけど、ロシアも共産主義の弊害?で共産主義顔とでもいうのか、なんかメリハリのない顔になってんじゃないのかな。シャリアピンのような体格、容貌の歌手っていないでしょ、顔がのっぺり卵形が多いみたい。
最近、レイフェルクスのエスカミーリョを見たんだけど、まさに歌舞伎役者、イヨッ、○○屋〜って感じですよね。ホロストフスキーも彫りが深いという顔ではないし....
ネトレプコなんかも美人には違いないけど、妙に頬骨が高いっていうの、西洋人顔じゃないような、日本にいる美人の保母さんって感じがします。
日本の鎖国と同じで、ソ連顔というのができちゃったかもね。300年も続いたらどんな顔になったか....そういう研究している人っていないかしら。(笑
by keyaki (2007-08-01 10:48) 

Sasha

なるほどなるほど、おもしろい考察ですね。もっとも、レイフェルクスは非ロシア人で、たしかバルトのどっかだったとは思います。もっとも、ハーフだ4分の1だ8分の1だと、いろいろありますんで。近い先祖にアジア系異民族がいるロシア人はとてもとても多いのです。ラフマニノフの顔なんか、モロそんな感じがしません?

まあ、理論的に考えるなら、共産主義はたかだか70数年しか続かなかったので、精神的にはともかくとして、300年間の鎖国ほどは肉体=風貌には影響を与えてないはず、ではあります。ロシア人の外貌に影響を与えたのは、むしろ上に書いたごとく、やはり300年間近く続いたモンゴル支配(いわゆる「タタールのくびき」始まりと終わり特定するのはむずかしいが、ほぼ13-15世紀)と周辺民族を支配したその後(今も?)の帝国のあり方かもしれません。

シャリャーピンが100%ロシア人だったのかどうか覚えてませんが、出身地はカザンだから、ちょっと疑惑はあります。無論、メンタリティ的にはロシア人に違いないが。この間のボリショイの若者ボリス君(やはりカザン出身)は、外貌からしてタタール人ぽかった。アブドラザコフ兄弟はバシキールだし。

でもまあ、魅力的な現代のロシア人バス歌手は... たしかに見当たりませんねぇ。
by Sasha (2007-08-01 14:10) 

keyaki

ロシアって広いもんね。
一時期幅を利かせていたロシア人バス歌手って、みんな引退しちゃって、あとがいないみたいね。

>ボリショイの若者ボリス君
ロシアでは人気がでそうですか? 私は、全く印象に残ってないんだけど。

シャリャーピンは、63歳で亡くなってるのね。当時は早死にでもなかったのかな。ずーっと亡命生活をしていたわけだからロシアの人たちの受けはよくないってことか、それとも知らないのか、どっちでしょうね。
「人と仮面、歌手生活40年 Man and Mask: Forty Years in the Life of a Singer」という回想録があるんですね、これって、ドイツ語なんですけど、Mensh und Maskeという題のライモンディ本があるんですけど、この本の著者が、ライモンディが尊敬しているシャリアピンに敬意を表してつけたのかもしれないですね。
この回想録って、日本語訳が出てるのかしら? 自分で調べりゃいいんでしょうけど、知ってますか? それともSashaさん持ってますか?
by keyaki (2007-08-01 15:10) 

Sasha

あの若いミハイル・カザコフ君ねぇ、私も特に印象深くはなくて...さて、どこまでいくかなあ...

シャリャーピンだけど、亡命して死ぬまで帰国しなかったことで、「ロシアの人たち」はともかく「当局」としてはやはりもろ手を挙げて称揚したい存在でなかったことはたしか。ラフマニノフに対するソ連当局の態度にも似たところがあったし。。1917年の革命後は、国を去った者、踏みとどまった者、革命を歓迎したのに殺された者、望郷の念やみがたく帰国したのに処刑されたり自殺したりした者などなど、当時の知識人たちの運命はさまざまだったのですね。(おっとと...横道シツレイ) というわけで、ペレストロイカの到来とともに、早速ソクーロフがシャリャーピンを題材に映画をつくってます。エレジーシリーズのひとつで、邦題はなんだったっけ「ロシアンエレジー」(?)

おお、シャリャーピンの回想録、ご興味おありですか? 2巻ものの日本語訳が出ていますよ。たぶん今は絶版は品切れでしょう。とてもおもしろかった覚えがあります。ううむ、わがカオス的ウサギ小屋で過去に読んだ本がどこにあるかを探し出すのは至難のワザですが、今の仕事が終わって余裕ができたら探してみます。しばしお待ちくださりませ。
by Sasha (2007-08-01 16:23) 

keyaki

>シャリャーピンの回想録
見つかるのを待ってます。よろしく。
by keyaki (2007-08-02 01:05) 

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