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ファジョーニ演出《ドン・キショット》2幕:ゴヤの巨人 [ドン・キショット]


↑プラド美術館の《巨人》
←同じゴヤの巨人ですが

風車を巨人と思い込み、戦いを挑む場面の演出は、ユニークです。暗くて見えにくいですが、じっと目を凝らすと舞台奥にゴヤの巨人の絵が浮かび上がってきます......
↑上のビデオクリップ、力作?ですのでぜひ、ご覧下さい。当たり前でしょうけど、寸分たがわないですよ。
♪2幕のビデオクリップ(抜粋)はこちらでご覧いただけます。→ビデオクリップ《ドン・キショット》2幕
 2幕は、皆様ご存知の風車(巨人)とドン・キショットの戦いがクライマックスとなります。
 ドン・キショットは、ドゥルシネに捧げる詩を作ろうと夢中になっているが、そんな主人に呆れて、サンチョは、ドゥルシネの悪口をいいはじめる。やがて霧が晴れるとそこには巨人が....
 この巨人、ファジョーニはそのものずばりゴヤの巨人を舞台奥に掲げました。誰でも思いつきそうアイデアですが、今までどの演出家も使わなかったようです。舞台両脇に設置したおもちゃのような小さな風車が、後のスクリーンに大きな影になって写り、ドン・キショットが馬にうち跨がり、その大きな風車に向かって行く様子が、なかなか迫力のある影絵で写し出されます。この場面の演出は、へんてこりんなのが多いようですが、これは、非常にセンスがよろしいです。
 ところで、上の右側の絵が、マドリードのプラド美術館にあるゴヤの《巨人》、絵には詳しくない私でも知っているという、一度見ると忘れられない絵です。しかし、ファジョーニが使ったのは、上のビデオクリップでもわかるように、この《巨人》ではありません。私、実は、こちらの巨人さんは見たことがないのですが、この舞台を見た途端に、ゴヤの《巨人》だと直感しました。この2枚の巨人は同一人物というか、同じ巨人ですよね。モデルがいるとしたら同じモデルさんだと思います。この座っている巨人ですが、スケールがわかりませんし、月も出ていますし、巨人というよりは変身前の狼男に見えませんか。満月にはほど遠い三日月ですので、狼男に変身はまだ先ですけど....
※この二種類の巨人の絵は、どういう関係にあるのでしょうか。ご存知の方、コメントいただけると嬉しいです。
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コメント 6

Bowles

この《巨人》については、某所でコメントしたのですが、同じゴヤの作品でもプラドのものではなく、こちらです。

http://www.metmuseum.org/toah/hd/goya/hob_35.42.htm
by Bowles (2007-07-27 09:17) 

keyaki

Bowles さん、リンクありがとうございます。
小さいもののようですが、一部を切り取ったとかかしら?
この巨人とプラド美術館にある巨人の関係がわからないのですが、ご存知ですか。
by keyaki (2007-07-27 09:46) 

Bowles

>小さいもののようですが、一部を切り取ったとかかしら?

メトロポリタン所蔵のこの《巨人》は版画です。

>この巨人とプラド美術館にある巨人の関係がわからないのですが

「関係」というのがどういうことなのか、ちょっとわからないのですが...。あまりゴヤに関して詳しくないので、ざっとごまかさせてくださいね。

プラドのものは、解釈に関していろんな説があるのですが、当時スペインに進入してきたフランス軍や、民衆を抑圧する様々な勢力に立ち向かっていく巨人、つまり民衆の側に立つものと考えられています。それに対して、プラドのものの10年程度あとに制作された版画のほうは、対仏独立戦争、そしてその後に復活した絶対主義体制というゴヤ自身にとっての苦悩の時代のなかで、人間の心の中の闇、おびえ、不安を象徴しているのではないでしょうか。

同じ《巨人》という題を持ちながら、光と闇をあらわすこの二枚。ドン・キショットが立ち向かっていくのは、彼自身の心の中の闇であったわけですね。
by Bowles (2007-07-27 17:11) 

keyaki

Bowlesさん、ありがとうございます。
はじめは、習作かなと思ったんですが、この版画の方が、ずっと後なんですね。

>人間の心の中の闇、おびえ、不安を象徴している
確かに、後ろ向きのこの姿、そのように見えます。
私は、満月になったら狼男に変身する恐怖と不安を現しているように見えましたが、当たらずとも遠からずかしら....(笑

こちらの座っている巨人の版画の存在は全く知らないで、新国でドン・キショットを見て、あっ、ゴヤの巨人だ!と直感したのですが、実際は、私の知っている絵のではなかったわけです。後日、こちらだと知ったわけですが、ファジョーニがこちらの版画を選んだのも、舞台には、こちらの方がしっくりくるという理由だけではないんですね、なるほどです。
by keyaki (2007-07-28 09:41) 

Bowles

そしてもうひとつ、守るべき民衆に取り残されてしまった孤独な巨人...というのもあの舞台に向いているとファッジョーニは考えたのかもしれません。
by Bowles (2007-07-28 13:13) 

keyaki

Bowlesさん、なるほど....ドン・キショットにふさわしいと思います。
ところで、この演出を時代遅れというか古臭いという意見もあるようですが、単に20年前が初演だということでそういう感想がでたのかどうかはわかりませんが、ドン・キショットのような生き方というか、理想主義自体が、現代にそぐわない、時代遅れということなんだと思います。
ラ・ヴォーチェの公演に便乗しての再放送でしょうが、数年前のパリ・オペラ座の《ドン・キショット》がCSで放送されましたが、こういうコミック調といいますか、電飾ピカピカ場末の遊園地の劇中劇?の方が、そりゃ古臭くはないかもしれませんけど、ドン・キショットとは言えない、ただのデブヤセコンビのコントにしかみえませんです。主演歌手に合わせた演出といえなくもないですが、ファジョーニの演出とは比べようもないです。
by keyaki (2007-07-29 22:31) 

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