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ベッリーニ《海賊》狂乱の場 [海賊:ベッリーニ:]


 前の記事でベッリーニの《海賊 Il Pirata》を取り上げましたが、ソプラノ、テノール、バリトンそれぞれ難しいため、めったに上演されないオペラだそうです。スタジオ録音の全曲盤は、これ(前の記事で紹介のCD)だけのようですし、ライブ録音も、マリア・カラス、モンセラート・カバリエ、ルチア・アリベルティのものがあるくらいのようです。
 しかし、上演されれば、めずらしい演目ですので、放送されているようで、ネットでも、こういうものをいろいろ聴くことができます。カラス、カバリエ、アリベルティの他、デヴィーア、ドラゴーニ、フレミングと聴きかじってみました。
 特に、表現力とテクニックが求められるソプラノの最後のアリア、10分以上に及ぶいわゆる「狂乱の場」は、歌手によって、かなり違って、へぇーなんですが、最も違うというか、異質なのがフレミングの歌唱です。狂ってんだからこうなのよ、みたいなかんじです。こういう様式無視ともおもえるような歌唱が、現代風で受けるのでしょうか。観客は大喜び、難しいオペラに挑戦したということへの賞賛なのでしょうか。それに、短縮版があるのかどうか知りませんが、20小節くらい端折ってますよね(詳しい方、ぜひコメントをお願いいします)興味のある方はどうぞお聴き下さい。狂乱の場全部ですと長いので、その最後の部分です。こちらに楽譜がありますので、見ながらどうぞ。
 220頁の一番したの段の真ん中の"Oh, sole! ti vela di tenebre oscure..."からですが、楽譜通りではありません。前半をカットしているようです。通常版の半分です。念のため、私が編集してカットしたわけではありません。
 カバリエの録音もアップします。短縮してないバージョンです。♪左の写真をクリックすると楽譜を見ながら歌が聴けます。ちょっと遊んでみましたが、ちゃんと音符を追えてなくて見づらいですね。
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini 1801.11.3.-1835.9.23): 1801年11月3日シチリアのカターニアで生まれる。24歳で最初のオペラを発表した後、翌年の第二作目《ビアンカとフェルナンド》の成功で、ミラノ・スカラ座からの依頼により、1827年に《海賊》を作曲、彼の名声を世界に広めることとなった。《カプレッティとモンテッキ》《ノルマ》など傑作を次々と発表し、イタリア座との契約により、丸一年かかって完成させた《清教徒》(34歳)を最後に、病に倒れ、パリ近郊で34年の短い生涯を閉じた。華やかな技巧を駆使し、品格と美しい旋律にあふれる彼の音楽は、交友のあったショパンや後のヴェルディ、ワーグナーなどにも影響を与えたといわれている。


タグ:フレミング
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コメント 7

Sasha

>詳しい方、解説をお願いします。

けっして詳しい方でもなく、専門家でもなく、今、楽譜と対照しながら全部を聞き比べる時間もない...のにあえて書きますんであんまし信用しないでね(大汗)。カットについて。

ベッリーニ、ドニゼッティ、あるいは初期ヴェルディなどは、楽譜上は、カヴァティーナであれ、カバレッタであれ、ほぼ同じ大楽節(っていう言葉使っていいのかどうかわかんないんですが...)が2回(ときにはそれ以上)繰り返されていることが多く、そのうちのどれかをカットすることもあれば全部歌うこともあります。(ロッシーニについては私自身があまり知らないので、沈黙。^^;;) 現代に近づくほどこの省略をしなくなる傾向があるようですが、でも、今でも慣例としてカットすることは多いはずです。

ちなみに、2回以上繰り返す場合、ヴェルディはともかくとして、それ以前の作曲家だと、1回目は楽譜のとおりに歌うが、2回目以降は、なんかしらカデンツを入れて音型をより装飾的にむずかしくしないといかんぜよ、というプレッシャー(笑)がありますね。プロにはたいしたことじゃないのかもしれないけど。

フレミング女史のカットが繰返し部分なのかそれ以外の部分なのかは、ごめんなさいじっくり聴く時間がなくてわかりません。繰り返しでない部分でもカットすることはありそうだけれど、具体的には知らないです。
by Sasha (2007-05-16 10:58) 

keyaki

Sashaさん、
ベッリーニは、歌手が勝手に歌うことを嫌って、云々の作曲家じゃなかったかしら。
歌詞は、同じ繰り返しですけど、曲は、似てはいるがまったく同じじゃないし、合唱の部分もカットしているみたい。
私は、カバリエのしか知らなかったので、ちょいと短すぎんじゃないの、と感覚的に思っただけです。普段は、楽譜なんかみないんですけどね。
この短いバージョンは、デヴィーアもでしたわ。
まあ、最後の最後で、ここで、一分長く歌うかどうかは、歌手にとっては、大問題かもしれませんね。
ドラゴーニも長いバージョンで歌ってましたが、かなり、消耗したかんじでした。聴きましたか?
by keyaki (2007-05-16 11:19) 

Sasha

そうですね、歌手の勝手を嫌ったのはベッリーニもそうだし、ロッシーニもそうだった、対してドニゼッティは鷹揚だった、歌手のカデンツを想定して楽譜を書いた、とどこかで読んだことがあります。

作曲家の時代にはたぶん楽譜どおりに繰返したんでしょうね。でも正確なところはちょっと私には答えられないので、それこそ専門家におまかせしたいですが、ことカデンツというかヴァリアンテというかについてならば、この時代のスタイルですから入れて当然。ベッリーニやロッシーニが嫌ったのは、歌手が自分の技巧を見せ付けるために原型をとどめないほどに装飾的なバリアンテにしてしまう、というようなことなんでしょう。

似ているが全く同じじゃない部分のカット、というのは、100%の確信はないですが、おそらくは繰り替えの省略だろうと思います。合唱部分もカットですか。本格的な舞台上演(リサイタルじゃなくて)だと、それはちょっと珍しいかもしれませんね。

>最後の最後で、ここで、一分長く歌うかどうかは、歌手にとっては、大問題かもしれませんね。

そう、まったく(笑)。まあそれと、19世紀前半は今より聴衆ものんびりしてた?でも、上にも書きましたけど、今またカットはなるべく少なくして楽譜に近い演奏をする傾向になっていきていますよね。聴く分には、すぐれた演奏なら長くても聴いていたいが、その逆もまた真(笑)。

ドラゴーニのイモジェーネって、例のRですか?
by Sasha (2007-05-16 11:44) 

Sasha

カデンツやバリアンテは入れても当然、と言う言い方はちょっと乱暴でした。すみません。もちろん、ほどよく品よく音楽的に入れなきゃいけません。それから、カデンツ集なる楽譜が出版されてるほど、古くから慣例になっているカデンツやバリアンテも多いです。

それともうひとつ。近年、楽譜どおりに演奏する傾向とか書いちゃったけど、これも訂正させてください。最近、初演当時のスタイルを復元しようとする努力が払われるようになった、とでもいいましょうか。だから最近は、また、たっぷりめに楽譜にない装飾を入れることが多くなってきたようです。ヴォルピーガラでのファヴォリータの"O, mio Fernando"(フランス語ヴァージョン)がすごかった記憶があります。それと、個人的な趣味から言えば、ここでのフレミング女史の装飾はあんまり好きでないですね。

長くなってすみません。
by Sasha (2007-05-16 12:34) 

助六

小生も詳しい方でも専門家でもありませんが、多少理解したつもりのことを参考までに。

【カンタービレ―カバレッタ形式の基本構造】

ロッシーニから初期ヴェルディまでの大アリアは、「カンタービレ―カバレッタ」の約定的形式に則り、次のような図式を採ります。

①シェーナ(前置き)
②カンタービレ(アリア主要部1:レガート技巧を聞かせる緩徐部)
③テンポ・ディ・メッツォ(中継ぎ部分:端役や合唱の介在で劇的状況が変わる)
④カバレッタ(アリア主要部2:フィオリート技巧を聞かせる急速部;カバレッタ内部でA-B(合唱)-A’(装飾付き繰り返し)形式をとる。)

いわゆる「ロマン派ベルカント」の大アリアの起源はバロック・ベルカントのダカーポ・アリアにあるわけですが、ダカーポ・アリアはA-B-A’(装飾付き繰り返し)の形式をとり、この形式は左右相称の均衡の取れた落ち着いた安定感に特長があります。
ロッシーニ以降のロマン派は、この安定的形式を打ち破り、A(緩・静)/B(急・動)という動的形式を作り出します。ゆっくりしたA部分(カンタービレ)で蓄積されたエネルギーが早く勇壮なB部分(カバレッタ)で解放され、前にのめり込むように進むダイナミックが音楽が成立する訳です。ここにカンタービレ―カバレッタ形式が成立します。

因みにカンタービレ―カバレッタ形式は、ロッシーニで完全に確立しているけれど、いったい誰が作り出し約定化させたのかは分かっていません。ヘンデルの「オルランド」の狂乱アリア辺りにその萌芽が認められます。要するに「狂乱」みたいな「反古典的」シチュエーションがきっかけとなって音楽形式が変わっていったと言えます。

ドニゼッティなどは、このカンタービレ―カバレッタの約定形式をもう一度意匠変えし、「ゆっくりしたカバレッタ」を創出、A(カンタービレ:静・緩)/B(カバレッタ:動・緩)と言う図式にして、単に興奮を煽るのではなく荘重な感動を与える音楽を作るのに成功しています。「ルチア」「アンナ・ボレーナ」などです。

【フレミングのは慣例的カット】

当該箇所は大アリアのカバレッタ部分ですが、このカバレッタ部分(A-B-A’)については、70年代位までの実際の舞台上演では、繰り返し(A’)を行う場合でもBの合唱部分や、A’の終わりの合唱が加わる後奏の一部を刈り込むのが当たり前、そもそも中間部Bと繰り返しA’はカットし、Aの終わりからいきなりA’の後奏(しかもその後奏の一部はカット)に続けて演奏するのが慣習でした。カラスの録音や御大ガヴァッツェーニ先生の録音も殆ど全てそうです。

つまりフレミングは、220-221のA部分のみを歌い、221-222のBの合唱部分はカット、222-223のA’の繰り返しも行わず、A’最後の後奏の最終部分(223-224)に直接繋げている訳です。リコルディ通常版でさえこうしたカットは施されていませんが、イタリア初め欧州劇場にはこうした習慣的カットを施されたパート譜が蓄積されています。

【カバレッタの繰り返しはすべきか? 装飾を加えるべきか?】

ロマン派ベルカントは、ダイナミックな音楽が直進していく、後の通作形式を予告すると同時に、バロック・古典期の落ち着いた均衡形式をも温存している「古典性」に特徴があります。カンタービレ(静)/カバレッタ(動)というダイナミックな進行の内部のカバレッタ部分にABAというダカーポ・アリアを引き継ぐ均衡形式が保たれている訳です。ですから音楽形式のレトリックからすれば、繰り返しを行った方がよいと思います。

繰り返し部の装飾については、ABA’の均衡を壊さない程度にAを「増幅」する程度という範囲内で加えるのは構わないと思います。やはりただ繰り返すだけでは退屈という意見もありますし。初期ヴェルディでは繰り返しても装飾全く加えない人も多いですし、私もそれで抵抗はありません。

ロッシーニが、ヴェッルーティの勝手な過剰装飾に怒って、以後装飾を全て記譜するようになったという話は伝説で、史的根拠はありません。ロッシーニがかなり装飾を書き込んだのが事実としても、カバレッタの繰り返し部分の装飾が全て作曲家によって記譜されているとは考えられません。

小生たまたまアリベルティの「外国人の女」や、フレミングの「海賊」演奏会形式で聞いたことがありますけど、どちらも不満大きかったですねぇ。

カバリエは、歌詞や音符をかなりごまかすことが多いなんていってよく批判されてたけれど、フレミングはカバリエ以上かもね。
by 助六 (2007-05-17 14:00) 

Sasha

なんと、助六さま、理路整然、実に勉強になります!(そうか、これからカバレッタは全部歌うぞ、なんちゃって、ウソ...^^) ありがとうございます。 

私は騒音源になってるだけのすごいヘタッピですが、そうやってオアソビで歌っていても、ロッシーニ(最後の真正ベルカント?)、ロマン派ベルカント、初期ヴェルディ、それぞれの違いを痛感します。(ってゆーか、ロッシーニはむつかしすぎ...)。でも、一番歌い甲斐があって、やっていて楽しいのがこのあたり。プッチーニのお涙ちょうだいものも悪くはないのですが。
by Sasha (2007-05-17 15:34) 

keyaki

助六さん、Sashaさん、コメントありがとうございます。

助六さん、詳しい解説ありがとうございます。
楽譜からは全く離れていて、(目で追うのさえ大変なんですが) 耳だけで楽しむ楽しさに浸っていますが、同じ曲があんまり短いと、気づいてしまいます。特にフレミングの歌い方は、心地よいとはいえず、聞き流せないので、いやでも、ちょっと短くし過ぎ、なんて思ってしまいました。
特に、このIl pirtaは、難しいから、上演されないといわれているのですから、歌うからには、気合いを入れて歌って欲しいな、なんておもっちゃいます。
このフレミングの音声ファイルは、助六さんがお聴きになった、シャトレの演奏会形式のものなのですが、観客は、フレミングマジックにかかったのか、あきれるほどの熱狂ぶりでした。私はシラケ鳥が飛びましたけど.....

たまたまかもしれませんが、今回聴いたのは、カラスもアリベルティもドラゴーニもカバリエもカット無しの長いバージョンでした。
最初のAの部分には、一気にドからレ♭に下がる部分がありますが、ここは正しく歌っていますが、2回目のA’では、みなさん上げて歌っていますが、これは慣習によるものなんでしょうね。
by keyaki (2007-05-17 22:31) 

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