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『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』《ドン・カルロ》フィリッポII [ドン・カルロ]

 先日の記事で紹介した『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』は、Ceciliaさんのブログでも「はらはらドキドキおすすめの一冊です」と紹介されています。
 小田実の『何でも見てやろう』のオペラ歌手版のようなもので、今とは、ずいぶん時代が違う、古き良き時代ということかもしれませんが、オペラに興味のある人には、面白い本です。小沢征爾の「ボクの音楽武者修行」もほぼ同じ時代ですが、この頃は、海外に行くだけでも大変なことだったんですよね、ほんと。
 岡村喬生は、日本風に言えばライモンディのことを「同門のおとうと弟子」と言っているように、年は10歳も離れていますが、同時期にサンタ・チェチリア音楽院に在籍していました。ですから、ライモンディのローマ時代の先生だったマリア・テレサ・ペディコーニ先生とか、ピエルヴェナンツィ先生の名前も出てきますし、レナート・ファザーノが、サンタ・チェチリア音楽院の学長でした。岡村氏は、このファザーノ学長には、ずいぶん便宜をはかってもらってどうにかこうにか卒業試験に受かった、というエピソードもとても面白いです。ライモンディはといえば、ペディコーニ先生からも、副科(ピアノ、体育)にも出席するように警告されていたのに、ファザーノ学長に反抗して、自主退学してしまいます。まだ、10代でしたからね、反抗期だったんでしょうか。
※レナート・ファザーノ:1902.08.21-1979.08.03 "Virtuoso di Roma"の指揮者として有名
 先日の記事でちょっと紹介した《ドン・カルロ》のフィリッポ役をケルン歌劇場で歌うまでの紆余曲折、面白いので、第15章「つれない恋人よ、ああ、淋しくも一人眠らなん」の抜粋をご紹介しましょう。


 「このアリアは素晴しいからやってみろ」と先輩から教えてもらったときから、この美しいアリアをなんとか歌ってみたかったが、全体的に音が高すぎ、特に最初と最後のクライマックスに出てくる"E"の音は、どんなに頑張ってもかすりもしなかった。しかし、バスのために書かれたこの曲、将来バス歌手としてやって行くには、いつかは必ず歌えるようならなければならない。以来、憑かれたようにこの曲に挑戦し続けた。オペラでは"E"より半音高い"F"がバスのパートにも、わんさと出てるくのである。.....

イタリアに留学して、私はレッスンでいつもこのアリアを歌わせてもらった。少しずつ、薄紙をはぐように、上の音は楽になって行った。しかし「アモール...」の"E"音は相変わらず駄目である。オーディションでも演奏会でもこのアリアを避けて、私はリンツの専属になった。その結果、私が客前で歌う機会は飛躍的に増大した。第一バスであるから、もし『ドン・カルロ』が上演されたとしたら、私はフィリッポか宗教裁判長を歌わなければならなかった。宗教裁判長も上の"E"や"F"の音を何度も歌わねばならず、しかもフィリッポよりドラマチックな声が要求される。しかし幸いにもリンツでは『ドン・カルロ』は上演されなかった。だが、難易度においては『ドン・カルロ』の二つの役ほどではないが、やはり高い"E"以上の音が出てくる『アイーダ』のランフィス、『運命の力』のグヮルディアーノ神父、『トリスタンとイゾルデ』のマルケ王等の大役を何度も本番で歌うことになり、うす紙のはがれて行く速度にも加速的にはずみがついた。人々を前に、見せたり聞かせたりしなければならない人間にとっては、本番こそ最大の師匠である。

 キールに移って、うす紙は更に一層早くはがれだした。あれほど手こずっていた「淋しくも一人眠らなん」の"E"音も、練習室ではちゃんと出るようになってきた。しかし、練習でできても、ちゃんとお客様の前で歌えなければ、ほんとうに出せたことにはならない。そんな時、ちょうど私はグノー作曲の『ファウスト』のメフィストフェレスを歌っていた。これもバスの数少ない大役の一つである。中で、悪魔メフィストフェレスが、ファウストと不義の子を宿した乙女マルガレーテを呪いたおす場面がある。キールではメフィストフェレスは舞台裏の陰歌、そしてマルガレーテだけが舞台に残るように演出されていた。「マルガレーテ、地獄へ行くのだ!」歌うメフィストの音は"F♯"で、そこにマルガレーテの「アー」という絶叫がかぶる。イチかバチか。私はその中音域の"F♯"を1オクターヴ上げて上の"F♯"で歌ってみることにした。失敗しても陰歌だし、マルガレーテの声がそれに重なってくる。大過にはならない。

 「マルガレーテ・・・」そろそろ"F♯"がやってくる。「地獄へ・・・」私は下腹に力を入れ、横隔膜で充分に呼吸を支えた。「行くのだーー」 出た! 長々と出た。見事にあれだけ難しかった上の"F♯"が本番で出た! 舞台裏で陰棒を振っていたかペルマイスターが、いつもと違った私の声に、目をパチクリした。やってみてよかった。これでやっと高音の自信がついた。それから私は、どんなに調子が悪くても、そこは上の"F♯"に上げた。

 さて次は陰歌ではまく、舞台の上で堂々と出さなくてはならない。それでやっと長年の高音コンプレックスとおさらばできる。それを私はキールでの『ボリス・ゴドノフ』の本番で試みることにした。........

 ボリスの有名なアリア「私は最高の権力を得た」のクライマックスで、書かれてはいないのだが、好みで上の"F♯"音を上げることが可能である。私は、指揮者、キール市の音楽監督ゼンダー氏とのピアノによる音楽練習で、この高い"F♯"音を歌おうとした。「書かれてない音は出さないで下さい」 すかさずゼンダー氏が私をさえぎった。残念だが仕方がない。私は機会を待った。.........

 ある日、指揮がゼンダー氏ではなく、彼の下の若手に交替した。その日、客の入りもよくなかった。.....ということでチャンスとばかり、上の"F♯"にあげ、大成功。これで、『第九』も歌える、「淋しくも一人眠らなん」の"E"音もこわくない、15年目にして、高音克服。.....その後、このアリアをオーディションで歌って、ケルン歌劇場の第一バス歌手の座に。.....最初の年は、同僚のシュタムがフィリッポで、私は、大審問官の役だったが、翌年、恋し焦がれ待つこと20年、ついにフィリッポ役を手にした。
※あれ、このシュタムさん、先日紹介したバルセロナリセウ大劇場のビデオの大審問官じゃないですか。こちらのビデオクリップ
 いよいよ初日。.....異端者火刑の場では、階段を踏み外し、自分の着ている長いマントを踏みつけころんでしまうというハプニングもあったが、かえってそれで落ち着くことができた。.....3幕のアリア「アモール ペル メ ノナ(私は愛されていない)」私は、フィリッポのなげきを、高い"E"の音に思いきり込めて歌い終わった。とたんに嵐のような拍手が巻きおこった。その中に身をひたして、私はこの上なく幸福であった。苦労に苦労をして手に入れた私の恋人は、完全に私のものになっていた。  ー『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』から抜粋ー
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※出演記録はこちら


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コメント 2

Cecilia

ご紹介ありがとうございます!
実は私は弟子というほどではないのですが、レッスンを数回受けたことがあるのです。
発声は地獄でした。
(ドレミファソファミレの音階で)い~~~~~~~え~~~~~~~ア~~~~~~~お~~~~~~~う~~~~~~~~・・・このパターンで半音ずつあげていくのをやらされましたが、非常にきつかったです。
これは岡村さん(先生とお呼びすべきですね。)がイタリアで学んだ発声のようでしたが。
又ツェルリーナのアリアやトスティを見ていただいたときは、なかなか意味深なところを聴かれお返事に困りました・・・。(高校生の子はもっと困っていたかも・・・)
ビデオクリップ、明日にでも拝見させていただいて、又コメントさせていただきます。
by Cecilia (2006-12-24 01:23) 

keyaki

Ceciliaさん、Nice!とコメントありがとうございます。
>なかなか意味深なところを聴かれお返事に困りました
なんとなく想像つきます。
by keyaki (2006-12-24 19:37) 

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