SSブログ

《ジョコンダ》アルヴィーゼ:中くらいの役(4) [ジョコンダ]

バス歌手が歌う、小さい役より、ちょっと大きい、中くらいの役シリーズ第4。
アミルカレ・ポンキエッリ作曲《ジョコンダ La Gioconda 》(1876年初演)、宗教裁判所長官アルヴィーゼ・バドエロもその一つでしょう。このオペラは、ポンキエッリの作品の中では、最も有名で、舞台にかけられることも一番多いとはいえ、めったに上演されませんが、この中の、バレエ音楽「時の踊り Danza dell' Ore 」はディズニー映画「ファンタジア」(1940年)で使われ有名になりました。カバさんが踊ったりして可愛らしい曲で、オペラの内容とは全く関係ないのがよかったんでしょうね。
めずらしいオペラということなので、粗筋を紹介します。

登場人物:歌姫ジョコンダ(S)、エンツォ(T)、密偵バルナバ(Br)、長官アルヴィーゼ(B)、アルヴィーゼの妻ラウラ(MS)、盲目のジョコンダの母(A)
1幕:ライオンの口
17世紀ヴェネツィア。歌姫ジョコンダには、今は、船乗りだが、宗教裁判所長官アルヴィーゼの政敵だった元ジェノヴァの貴族エンツォ・グリマルドという恋人がいる。彼女に横恋慕している、長官の密偵(スパイ)バルナバ、これが本当に卑劣で悪い奴、ジョコンダに言い寄り、振られた腹いせに、彼女の盲目の母が魔女だといいがかりをつけ、煽動された群衆が母を囲み騒ぎ始める。この騒ぎで宗教裁判所長官アルヴィーゼが仮面をつけた妻ラウラと現れる。ジョコンダは、母の助命を嘆願し、ラウラのとりなしで、アルヴィーゼはジョコンダの母の無罪放免を命じる。母は、感謝の印にラウラにロザリオを捧げる。バルナバは、長官の妻ラウラが、かつてエンツォの許婚で相思相愛だったことを知り、エンツォに、ラウラと会わせると罠をしかける。ラウラとエンツォが駆け落ちしようとしていると密告状を書き、「ライオンの口」に投げ込む。このもくろみの一部始終をジョコンダは見ていた。
2幕:ロザリオ
エンツォは船で、ラウラを待っている。ここでアリア「空と海」が歌われる。そこにバルナバがラウラを連れて来る。二人は再会を喜ぶ。そこに、船に隠れていたジョコンダが現れ、恋敵のラウラを刺そうとするが、アルヴィーゼが、武装した部下とともに船で近づいて来るのが見える。ラウラが持っていたロザリオで、彼女が母の命の恩人であることを知り、彼女を自分の小舟で逃がす。
3幕:金の邸宅

アルヴィーゼの豪壮な邸宅の一室。
密告状によって、妻の裏切りを知ったアルヴィーゼは、自殺用の毒薬をラウラに飲むように迫る。「そうだ、彼女は死ぬべきだ」シェーナとアリアが歌われる。(左音声ファイル)
忍び込んで来たジョコンダは、ラウラに毒薬の代わりに眠り薬を飲ませる。アルヴィーゼの合図で大広間でバレエがはじまる。有名な「時の踊り」
バルナバは邸内に入り込んでいたジョコンダの母を捕らえる。ラウラが死んだと思い逆上したエンツォは、短剣を手にアルヴィーゼに詰め寄り、逮捕される。
4幕:オルファーノ運河

遥か向こうにサンマルコ広場が見える島にジョコンダ一人。二人の男が死んだように眠っているラウラを運んでくる。その男たちに行方知れずになっている母を捜すように頼む。ジョコンダは、バルナバにエンツォを牢獄から出してくれれば、バルナバのものになると約束したことを思い出し、絶望のアリア「自殺!」を歌う。(右音声ファイル)
ジョコンダは、眠っている恋敵のラウラを殺してしまおうかとも思い悩むが、そこに牢獄から脱出したエンツォが現れ、ラウラも目を覚ます。結局、エンツォは、ジョコンダを捨て、ラウラと一緒に小舟で去っていく。そこにバルナバが現れ、ジョコンダは「この身体は、あなたのものよ」と叫び、自分の胸を刺す。バルナバは、「お前の母親は、俺が殺してやったぞ!」と叫ぶが、すでにジョコンダが死んだことを知り、絶叫し走り去る。幕。

バルナバも卑劣きわまりない男ですが、エンツォもひどいですよね。昔の恋人といっても、すでに人妻なのに、ジョコンダを捨てるわけですから。オペラのテノールが歌う男って、身勝手が多すぎ。
※参考:公演記録と歌詞
オペラ聴き始めの頃に、エヴァ・マルトン主演のをLDで見ましたが、話があんまりだ!という記憶しかありません。ご覧のようにポンキエッリ(1834-1886)は、ヴェルディ(1813-1901)とプッチーニ(1858-1924)の間なんですね、それで音楽的にも、ヴェリズモに繋がるものを感じさせると言われています。実際にプッチーニやマスカーニの先生だったそうです。CDで聴いても耳馴染みのいい音楽満載ですが、あまり上演されないのは、あまりにも話が波瀾万丈劇的メロメロドラマだからでしょうか。
原作は、ヴィクトル・ユーゴーの戯曲「パドヴァの暴君アンジェロ」ですが、台本作家のアリーゴ・ボイトは、17世紀のヴェネツィアに時代も場所も移し、登場人物も大幅に変えています。暴君アンジェロが、アルヴィーゼになったわけですが、脇役になっちゃったんですね。ライモンディは、この脇役のアルヴィーゼを1967年26歳で、トレヴィーゾ(ヴェネツィアの近く)で歌い、その後、1970年マドリッド、1971年フェニーチエ、ローマと続けて歌っています。めったに上演されないオペラですから、恐らく歌ったのはこの時だけだとおもいます。ローマでの公演は、ジョコンダは、フェニーチェ同じジェンチェルですが、テノールがジャンニ・ライモンディ、バリトンがグエルフィと、当時のスター歌手を揃えていますので、変なところで拍手が入っていたりで、観客の大喜びがうかがえます。
昨年、ヴェローナで上演されて話題になったようです。その時のライブCDが発売されていますが、紹介に、「.....かなり良いキャストです」とありますが、"かなり"というのがなんか正直なかんじで微笑ましいですね。
エヴァ・マルトン主演のジョコンダの紹介はこちら、Orfeoさんのオペラライブラリーに記事があります。

(2007.11.8上記記事一部訂正)


nice!(0)  コメント(9)  トラックバック(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 9

Orfeo

keyakiさん、こんにちは。リンク、TB、ありがとうございました。
やっぱり、スゴイ話ですよね、これ。
ヴィクトル・ユーゴーって、こんなのばっか^^;;
《リゴレット》の原作になった《Le Roi s'amuse》もぶっ飛んでるし、
本当、大変な作家だと思います(笑)。
TB返しさせていただきました。
by Orfeo (2006-09-28 19:03) 

keyaki

>スゴイ話ですよね、これ
今の恋人を捨てて、昔の恋人とよりを戻すのは、カヴァレリアだし、最後に自分で死ぬのはトスカ、仮死状態になる薬を使うのは、ロメオとジュリエット、バルナバは、ヤーゴ以上の悪人、なんで、めくらのお母さんを殺しちゃうんでしょう。坊主憎けりゃってやつですか。
これでも、かなり端折って粗筋を書いたんですけど、長いですよね。しかし、「自殺」って凄いアリアですよね。

TBありがとうございます。
by keyaki (2006-09-28 20:04) 

euridice

この記事をよい機会にずっと以前の録画を見ました。リンク&TBしましたので、よろしくm(_ _)m
by euridice (2006-09-29 13:54) 

keyaki

私も、ちゅっくらいの役シリーズなんて記事を書くために、放置していたCDを聴きました。
お話のすじはともかく、確かににヴェルディとヴェリズモの中間というかんじで、明かにヴェルディの影響も受けていて、ヴェリズモの息吹も感じさせるというか、プッチーニとかマスカーニに影響を与えていますね。
ポンキエッリが亡くなった時に、プッチーニが「かわいそうなポンキエッリ」と言ったそうですが、どういう意味なんでしょう。
by keyaki (2006-09-29 14:26) 

助六

ジェンチェル、やっぱり素晴らしいですね。彼女のトレード・マークみたいなあのフワッと持ち上がるような滑らかな跳躍音程、天に昇る心地!

小生は「ジョコンダ」好きですよ。87年にパリで演奏会形式で、04年ににベルリンのDOBで舞台上演観たことがあります。前者はガダーニョ指揮サヴォーナ、シウルカ、ラッペ、バルトリーニ、ローニといった面々、後者はオルミ指揮シャファジンスカヤ(かなり不満)、シュスター(悪くない、藤村の代役でした)、フラッカーロ、マストロマリーノ(良いバリトン)、コチニャンといった人たちで、LDにもなってるらしい古~いサンユスト演出でした。ディスクのように5人ズラリとスターを並べないと沈んでしまう作品かもと予想してましたが、上記レヴェルの配役でも、指揮が堅固な職人タイプなら、劇場では絶大な効果を発揮する音楽と思います。思わず「ああイタリア」とか呟いてしまうくらい、飛翔する輝かしいカンタービレ、幕切れで臆面なく煽り立てるオケとか溢れ来るイタリアオペラの符牒の連続に、否応なくノセられてしまいますね。そういうの好きなもので(笑)。

ヴェルディとヴェリズモの橋渡しといつも言われ、確かに何となくそういう感じはするのですが、どういう意味でポンキエッリがヴェリズモを準備しているのか、いつもスッキリしないものを感じていたので、この機会に考えてみました。

1)基本的にヴェルディ・モデルに従っている。
一聴して「運命の力」までのヴェルディ・モデルに従ってますよね。
―閉じた番号形式によりドラマの中核を担うのは歌。
―ロマン派演劇を下地にし、筋の論理的展開よりも、強烈な感情表現の連続的並置という形でドラマが進行。声の力のリアリティが物語の「真実らしさ」のリアリティを圧倒。この点で「トロヴァトーレ」と共通性が高い。

2)しかしポンキエッリは「運命の力」までのヴェルディ・モデルの革新も企てている。
―オケ書法の充実。
―仏グラントペラに倣った大バレエの挿入。
―一種のライトモティーフの使用。
でも、以上の3点はすべてヴェルディ自身が「ドン・カルロ」で試みていることですよね。ヴェルディ自身、1860年代には従来の余りに直線的な劇作法に窮屈さを感じるようになり、特に仏グラントペラを念頭にドラマの進行パターンをより多様化しようとしたのでしょう。ポンキエッリも書簡でこうした「伝統的イタリア・オペラの行き詰まり」をはっきり意識しています。

3)「ジョコンダ」に認められる「ヴェリズモを予告する手法」は限定的。
―1幕のバルナバのパルランテ「O monumento」の悪役リアリズム。ヴェルディ「オテロ」のイヤーゴのクレードと共通性がある。ヴェルディが「アイーダ」の後16年の空白を経て書いた「オテロ」にも、ヴェリズモを間接的ながら予告する「ある種のリアリズム」の要素を見るのは不可能ではないでしょう。
―2幕のアリア「空と海」に認められる「ambientazione 雰囲気描写の技法」。印象派っぽいオケ技法。.ヴェルディの直裁な旋律に代わる、たゆたうような旋律線。この技法は後にプッチーニが全面的に活用。
「ジョコンダ」に指摘しうる音楽面での「ヴェリズモ的要素」はこの2点だけのように思います。
そもそも音楽上の「ヴェリズモ」とは何かがはっきりしない訳ですが、まあ「カルメンに由来する音楽的リアリズム」と考え、その典型的手法は「白と黒、抒情と激情の急激な交替」「民謡の活用」あたりとすれば、「ジョコンダ」にはそうした「典型的ヴェリズモ手法」は殆ど認められないと思います。上記のヴェリズモを予告する2点にしても、後者はプッチーニやチレアには認められるけれど、初期のマスカーニやレオンカヴァッロにはまあ無縁でしょう(マスカーニは後には仏印象派や独後期ロマン派の影響を見せる音楽を書きますが)。

4)でもやっぱりポンキエッリは「ヴェリズモ世代の音楽」を予告している。
結局「ジョコンダ」は狭義のヴェリズモそのものを準備したというより、ヴェリズモ世代の音楽家の1890年代後半以降の展開に道を拓いたと言った方が分かりやすいような気がします。つまり、ライトモティーフ、バレエ、雰囲気描写といった技法を使って、余りに直線的・集中的に進行するヴェルディのドラマ・モデルを克服し、ドラマの進行方向をより多様に拡散させ、より装飾的でニュアンス重視の音楽へ転換させていくとでも言いますか。そうした方向はヴェリズモ世代の伊作曲家の多くが、世紀転換後に独後期ロマン派と仏印象派の影響下に辿る道でもあると思います。これはポンキエッリの意図的選択であると同時に、彼の個性の弱さにも原因があるのかも知れません。

プッチーニがどういう意味で「可愛そうな(povero?気の毒な?)ポンキエッリ」と言ったのかは知りませんけど、プッチーニはポンキエッリの愛弟子で人脈紹介まで受けており、作風から言っても師を敬愛してた可能性が高いのではないかと想像します。ポンキエッリが51歳で肺炎で夭逝した時には、同世代にはマルケッティや外国人のゴメス位しかいなかった訳だから、イタリア音楽界の受けた衝撃は、当初彼を余り評価しなかったヴェルディ含め甚大だったと言います。プッチーニも皮肉ではなく、大成前の音楽家の早死を惜しんだのではないかと。私の想像に過ぎませんが。
by 助六 (2006-10-01 09:42) 

keyaki

助六さん
詳しい分析、解説ありがとうございます。
ローマ歌劇場のライブCDには、ボーナストラックとしてテバルディのNYメトでのジョコンダのアリアを聴くことができますが、とても立派で、地声の部分なんかドスがききすぎのようで、名唱なんでしょうけれど何度も聴きたいとは思いませんが、ジェンチェルのは、ついついクリックして聴き入ってしまいます。

ひとついい加減なことを書いてしまいました。訂正です。
かわいそうなポンキエッリ云々は、プッチーニではなく、ヴェルディでした。
ちゃんと読まないで、勘違いして、先生に対して、かわいそう云々は、ちょっと失礼ね、なんて思ったんです。
ヴェルディはポンキエッリの訃報に接し、「可哀想なポンキエッリ、あんなにいい奴だったのに、あんなに立派な音楽家だったのに。 」でした。
助六さんが書いていらっしゃるようにヴェルディは、ポンキエッリをそれほど評価しないようなことを言っていたので、早死にされてかえってショックを受けたのかもしれませんね。
「ポンキエッリは音楽を知っていますが、彼のオペラには個性がありませんし、語り口にも支離滅裂なところがあります」とヴェルディは評していたようですから。
by keyaki (2006-10-01 21:51) 

サンフランシスコ人

「めったに上演されないオペラですから、」

エヴァ・マルトンは、サンフランシスコ歌劇場で、ジョコンダを歌っています。

http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id499.pdf
by サンフランシスコ人 (2008-05-29 05:57) 

菅野

Wienではこれだけ見過ごしました。ヴェローナではまだやっているのではないでしょうか?かなりやります。
by 菅野 (2008-05-30 18:25) 

keyaki

エヴァ・マルトンお得意の役なんですね。

>菅野さん
それは、残念なことをしましたね。
ヴェローナでは2005年にやっていて、NHKBS2でも放送されました。
by keyaki (2008-05-31 02:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 4

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。