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オペラ歌手のオペラ演出:R.ライモンディ(4)その2《ドン・カルロ》 [オペラの演出]

2003年モンテカルロでの《ドン・カルロ》の続きです。キャストはこちらにあります。
雑誌でのレビューでも、歌手が、自分の役の性格をきっちりと把握している、ということが書かれていましたので、演出家としてのライモンディによって、登場人物の性格付けがきちんと説明され、指導が行き届いていたということでしょうか。

 ルッジェーロ.ライモンディによる知的でよく考えられた舞台で、これはCasa Ricordiによるドン・カルロだった。正確にスコアにあるものだけで、何も付け加えず,何も取り去っていない。
 彼は、観客に物語の筋を明快と伝えようとし、驚くほど人物像をはっきりと描き出すことに成功した。各登場人物は、自分の状況を捉え、それに立ち向かっている。あいまいさはない。もっとも強烈な場面はフィナーレだった。墓が開いて(これはちょっとしたスペクタクルで、ほんとにすばらしい瞬間だった)、カルロ五世が、まさに本物の「機械仕掛けの神deus ex machina」みたいに、包囲された(冗談じゃなくて、状況はかなり悪いようだった)孫息子を救出すべく現れる。
 そしてもっとも重要なことだが、私たちは、自分好みのドン・カルロを堪能した。これはイタリア語の四幕だったがカットなしだった。一幕ではエリザベッタのロマンツァは二節ともあったし、「異端審問火刑の場」も完全にあった(このオペラにAraldoがあるのをほとんどわすれていた)。また、忘れられない、ほんとうにうれしい驚きだったのは他でもないポーザの死の後、カルロとフィリッポの素晴しい二重唱があったことだ。フィリッポが"Chi rende a me quest'uom" を歌い始めたとき、自分の幸運が信じられなかった。これまでにイタリア版ではこの二重唱を一度しかきいたことがなかった。私はぞくぞくした。公演後、私はライモンディに「あの二重唱はどういう訳で入れたのですか」と尋ねた。彼はちょっとまごついたが、正直にさわやかに答えてくれた。「あまりにも美しい音楽だし、私はあれを歌うのが好きなので、入れました」こういう歌手たちに万歳。
 全ての場面転換はカーテンを降ろさずに行われたので、上演はそんなに長くなかった。チケット完売の劇場は、果てしない熱狂の渦だった。(ネットでみつけた感想)

歌手について
・アメリカ人歌手のマークス・ハドックは、心地よい響きの声というわけではないが、ドン・カルロの解釈は適切で、よりよい演劇的表現力によって賞賛に値する。
・ポーザ伯爵のパートは、舞台映えのする26歳という非常に若いバリトンに託された。ダリオ・ソラーリは、声の響きの自然な柔軟性はあるが、まだ不透明さを残している。"Carlo che sol"は、エレガントな表現と調和のとれた自然で上品な声で、申し分なかったが、"Io morrò"は、涙を誘うにはもう一歩であった。
・エボリのルチアーナ・ディンティーノは、迫力満点、素晴しかった。
・30才ちょっと過ぎのロシア人ソプラノ、オルガ・グリヤコヴァは、無条件にいいとは言えないが、暗い音色の声が印象的である。彼女の国のオペラのレパートリーにおいて、すでに国際的水準を確保している(事実、ゲルギエフによって愛されている声の一人)が、ヴェルディについて、よく理解しているようには思えない。声の調整のテクニックに欠けており、精根尽きたように感じた。
(雑誌からの要約)
ライモンディのオペラ演出記録
■1986年ナンシー《ドン・ジョヴァンニ》:ブログ記事はこちら
■1992年ナンシー《セビリアの理髪師》:ブログ記事はこちら
■1996年アテネ《ドン・ジョヴァンニ》:ブログ記事はこちら
■2003年モンテカルロ《ドン・カルロ》その(1)は、こちら

関連記事:
2005-11-09 フィリップ二世(オペラ、ドン・カルロ)-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-
2005-01-07 フィリッポ2世(ドン・カルロ

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