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ヴェローナ《トスカ》;スカルピア転倒!(2006.7.15) [トスカ]

演出、舞台,衣裳すべてウーゴ・デ・アナのニュープロダクションの《トスカ》、舞台も素晴らしく、特に衣裳が豪華で美しいものだったようだ。スカルピアの衣装も、豪華な刺繍がほどこされていて、とてもおしゃれ(右写真)。
プレミエは7月15日土曜日。アルバレスのイタリアでのカヴァラドッシデビューという話題もあるが、実際に見に行った人たちの間では、ライモンディが「落ちた、転んだ」、トスカが2幕で着ていたマントが豪華で素晴しく美しかったが、非常に重く40キロもあり、その上、非常に暑く、チェドリンスの疲労が激しかった、という話題で盛り上がっている。
ライモンディの件は、イタリア語の"カドゥータ"は、落ちるという意味があるので「すわ!転落事故か!」とびっくりした。コテッと転んだのか、ドテッと本格的に転倒したのか、翌日のアレーナ新聞、その他のレビューをみると、おおよそ次のような状況だった。
「王様、万歳! 勝利を祝うんだ!」と聖歌隊の子供たち、見習い僧たちが大騒ぎをしているところに、突然スカルピアが現れて、『聖堂の中でこのようなバカ騒ぎとは!..."Un tal baccano in chiesa!"...』とにらみをきかせる場面、スカルピアのテーマが奏でられ、「出るぞ〜」と観客も一瞬緊張するが、この大事なスカルピア登場のしょっぱなでなにかにつまずいて転倒。"Un tal baccano in chiesa!"を膝をついたまま歌ったということなので、かなり本格的に転んだのではないかと思われる。その後、特別アナウンスもなかったので、大事にはいたらなかったというこだろう。しかし、その時点では平気でも、あとで、、ということもあるのでちょっと心配。
3幕の『星は光ぬ"E lucevan le stelle"』では、聴衆からビスの声が上がり、M.アルバレスのカヴァラドッシは、聴衆に非常に好意的に受け入れられた。
公演は全体的に満足のいくもので、最後に出演者とともに、演出のウーゴ・デ・アナは、「中東に平和を」と書かれた赤いTシャツを着て現れ、世界平和をアピール、15000人(完売!)の観客から、盛大な拍手を受けた。
M.アルバレス、チェドリンス、ライモンディの組み合わせの《トスカ》はあと2回、いずれも土曜日の上演となっている。

参考:
スカルピア(トスカ)1979ー2006年

関連記事:
■アレーナ・ディ・ヴェローナ、1984年の公演 ザッカリア. .ほか(2)パガーノ
■暑さのため、兵士の一人が倒れる最新の「ロンバルディ」と余談


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TARO

とりあえずたいしたこと無かったようで、ホッと一安心ですね。

>マントが豪華で素晴しく美しかったが、非常に重く40キロもあり、

10キロの米の袋を4つも身体に着けて歌うようなもので・・・。そんなの負担が大きすぎますよね。そういうのって歌い手は拒否してもいいと思うんですが。
アルバレスはだいぶまともに見えますが、写真のマジック?
by TARO (2006-07-20 12:06) 

keyaki

TAROさん、ほんとうに大事にならなくてよかったです。
舞台事故はこわいですから。
舞台に立てかけてある巨大なキャンバスが倒れたのが原因のようです。転んでもちゃんと歌いますってなもんで、さすがプロ根性、すばらしい、、、なんて書いているのもあります。
見に行って、一部始終を目撃したファンは、あれは、ディレクターの責任だ、、と言ってます。
アレーナは特殊なので、衣装が目立つように配慮しているようですね。見た目、そんなに重いの?というかんじですが、ビーズがいっぱい縫い付けてあって、裾をひくような長さでしょうから、40キロは大袈裟だとしても、素晴らしく美しい衣装だが、重くて、彼女の動きを妨げている、というようなことがどのレビューにも書かれてますね。

>アルバレスはだいぶまともに見えますが、写真のマジック?
マジックですよね、舞台写真をいろいろ見ましたが、ライモンディが小柄に見えちゃってますよ。(笑

今回の《トスカ》は、舞台、衣装ともお金がかかっているかんじですね。まあ、満員御礼、完売だったそうですから、十分黒字なんでしょうね。それにしても1万5千人も来ちゃうんですね。
by keyaki (2006-07-20 14:48) 

euridice

>10キロの米の袋を4つ
ルネ・コロの30キロ以上の重装備の武具+ベアトリーチェが持ち上げられなかったマントに対する抗議、「私はコートスタンドとして契約したのではない!」を思い出しちゃいます。厳重抗議にもかかわらず、この衣装たち、毛ほども軽くならなかったらしいです。
by euridice (2006-07-20 18:19) 

keyaki

重たい=豪華ということかな。
歌舞伎の衣裳もかなり重そうですものね。。
今回のトスカのマントは、ジュエリーがいっぱい縫い付けてあって、動く度に音もしたようです。女性の場合は特に美しいものを着たいという願望もありますから、ちょっとやそっと重くても我慢我慢といことかもしれませんね。安っぽい舞台衣裳より、嬉しいかも。
by keyaki (2006-07-20 22:28) 

ロンドンの椿姫

私も丸ちゃんの写真見たとき、「あらっ、1ケ月前のロンドンより随分痩せたじゃない?!」と思ったのですが、ちがうのですね。

しかし、アリアを2回歌うなんて反則だと思うんですが、時々起こることなんですか? みんながやりだしたら収拾がつかなくなって大変なことになると思うんですけどねえ。(終了時間を守るためにどっかカットしたりして? まさかね)
by ロンドンの椿姫 (2006-07-21 05:57) 

ライモンディ、何ともないといいですね。11月に聴きますので心配してしまいます。
ところで、これとは関係ないですが、クルト・モル引退らしいですね。
by (2006-07-21 23:58) 

keyaki

gonさん
>クルト・モル引退らしいですね
68歳ですね。引退宣言ですか、わざわざ宣言するということは、健康上の問題なんでしょうか。現役引退で、後進の指導にあたるということなのでしょうね。
ドイツオペラの方での活躍が多いすけど、ライモンディとは騎士長とか、大審問官で共演してますね。先日きのけんさんが、ハンブルグの「ドン・カルロ」での大審問官、すごかったよ〜、とコメントされてましたね。

11月というとコジですけど、パリですか、ウィーンですか?ガランチャお目当てですよね、ウィーンだと指揮はハーディング、パリはクーンですよね。
今回の事故は、その夜、楽屋口で会ったファンの方には、大丈夫だ、と言っていたようですが、若い人と違って、心配ですよね。
by keyaki (2006-07-22 01:09) 

keyaki

ロンドンの椿姫 さん
アレーナは、まあ、お祭りですし、マルセロ丸ちゃんのカヴァラドッシデビューのご祝儀なのかもですね。
拍手がある程度続けば、2回歌っちゃうというお約束っぽいのもあるようです。観客のお国柄もありますよね。
by keyaki (2006-07-22 01:16) 

euridice

>>クルト・モル引退らしい
昨秋のミュンヘン来日、遠出はだめのドクター・ストップとかでキャンセルしたんでしたね・・・ 代りがサルミネンだったのかな?
by euridice (2006-07-22 09:20) 

keyaki

>代りがサルミネンだったのかな?
やっぱり、健康上の問題なんですね。
なんか最近サルミネンが目につきますけど、、、
そういえば、edcさんのところで話題になっていた、パルジファルにも出てましたね、ギョロ目でトドトドと。
彼は、脇で光るバスのはずなのに、、ドン・カルロでいえば、やっぱり大審問官でしょうに、フィリッポ歌手に出世?しちゃってますね。反対の歌手もいますが、つまりフィリッポ歌手が大審問官に、、、こういうのは格下げっていうの? 
私としては、相撲並に横綱級の歌手は、横綱でいられなくなったら引退してほしいな。
でもサルミネンのフィリッポって、違和感ありだわ。じゃ,誰が大審問官やったのよ、ですが、プルチュラーゼだったみたい。
by keyaki (2006-07-22 09:51) 

keyaki

>サルミネンのフィリッポって、違和感ありだわ
憶測だけで言っちゃいましたが、ちょっと手持ちの資料で調べたところ、おっとと、ウィーンで若い時に一回だけフィリッポ歌ってますわ。でもその後、カラヤンが、あんたはやっぱり大審問官でしょ、ということで大審問官を歌ったみたいです。そん時のフィリッポはライモンディなのね。
(カラヤンは、録音ではライモンディに大審問官を歌わしてますけどね)
どっちにしろ、彼はドイツもののレパートリーで成功しているんで、ザラストロとかフンディングとかダーラントのイメージ今更フィリッポって、、、いわれてもねぇ。
by keyaki (2006-07-22 10:17) 

TARO

そりゃもう絶対ハーゲンでしょう。って、サルミネンの話はどうでもいいとして。
そうですか。クルト・モル引退なんですか・・・・。なんか寂しいですね。
ミュンヘンの「ドン・ジョヴァンニ」で騎士長歌ってますよね。あれがFMで放送された時に、おお凄い声だと思ったのがモルの名前を記憶した最初だと思います。
すごい深いというかプロフォンドのシリアスな声に聞こえたので、その時はよもやオスミンやオックスのようなコミカルな役も出来る人だとは思いませんでした。
by TARO (2006-07-22 15:40) 

たか

keyakiさんこんばんは

>サルミネンのフィリッポって、違和感ありだわ
DVDになっているカラヤンのザルツ再演(86年)もサルミネンのフィリッポですよ(ちなみに大審問官はフルラネット)。多分ライモンディもギャウロフも都合がつかなかったのでサルミネンがフィリッポに再昇格したのでしょうけど一応持ち役だと言えると思います。確かに彼はドイツものという印象ありますけどね。特に指輪の巨人族やフンディング、トリスタンのマルケなどはモルよりも上だと思います。

>モル引退
オックスはエーデルマン(古い!)の方が好きだし、フンディングはサルミネンの方が好みですが、ウイーンやメトやミュンヘンの来日公演を高いレベルで見せてくれたことに感謝です。
by たか (2006-07-22 22:01) 

keyaki

たかさん、
>DVDになっているカラヤンのザルツ再演(86年)もサルミネンのフィリッポですよ
これって、カレーラスのですよね、たかさん、勘違いしてますよ。サルミネンはやっぱり大審問官なんです。
by keyaki (2006-07-22 23:22) 

たか

あれっそうでしたっけ? 失礼しました。じゃあフルラネットがフィリッポでしたか。収録年を考えるとこの役にはちょっと若いですね。このビデオがすぐに出てこなくて、(増えすぎると整理が重要ですね)手元のカタログを見たのですがサルミネンのフィリッポとなっていたのでてっきりそうかと思っていました。このビデオはカレーラスとカップチルリは素晴らしいですが、フレーニもギャウロフもライモンディも出ていないのでCDと比べてイマイチ印象が薄かったようです(笑)
by たか (2006-07-22 23:36) 

たか

トスカの話に戻りますが、チェドリンスってずいぶん太っちゃったのですね。2004年のヴェローナのバタフライをDVDで見てびっくりしました。体が重たい上に重たい衣装を着て演技したのでは疲労が激しくなるのも仕方ないかもしれません。ちょっと気の毒です。今年のアレーナはワールドカップ決勝戦と重なった公演を延期したと聞きましたが決勝戦は7/9なのでこのトスカではないですね。
by たか (2006-07-22 23:51) 

keyaki

たかさん
>ワールドカップ決勝戦と重なった公演を延期した
のは、ローマのカラカラのオペラだったと思います。カラカラでの音楽祭は、一時期遺跡保護のため中断されていましたが、いつのまにか復活したんですね。

このアレーナのトスカは、毎週土曜日の公演なので、観客もたくさん来るんですね。8月は、スカルピアがシルヴァーノ・カローリになります。
チェドリンスは痩せてはいませんが、ちょうどいいくらいのように見えますけど。私の目も、だんだんそういうことに甘くなっているのかもしれませんけど。(笑
チェドリンスについては、トスカの役自体が、彼女本来の役ではない、という意見も多いようです。

ドン・カルロのこの公演はいわくつきの公演で、確か、フレーニがエボリを断ったので、急遽新人のフィアンマ・イッツォ・ダミーコになって、美人だけど・・・といわれたんですよね。
フルラネットは37歳ですが、この頃からやっと世界にお目見えだったんでしょうね、新人ではなく新進ということですか。
by keyaki (2006-07-23 09:46) 

keyaki

TAROさん、
ほんとに、一時代を築いた歌手がどんどん去っていくのは仕方のないことですが、寂しいですね。
>ミュンヘンの「ドン・ジョヴァンニ」で騎士長歌ってますよね
ミュンヘンで大人気だった若き日のライモンディのドンですね。
これって、FMで放送されたということは、CDの音源はそこからなのかしら。
by keyaki (2006-07-23 10:02) 

たか

>チェドリンス
このトスカの写真を見るとバタフライの時よりは少しやせたようにも見えますね。このところヴェローナの公演がTDKから出ていますがこのトスカもDVDになるのでしょうか?

>ドン・カルロのこの公演はいわくつきの公演
確かこの時期にフレーニとギャウロフはサントリーのガラコンか何かで来日していたのではありませんでしたっけ? 彼女は律儀なので先約をキャンセルしてまでカラヤンの公演に出るようなことはしなかったようですね。
ドミンゴもそうで、このドンカルロの75年のプレミエではドミンゴが歌ったのに、76年は日本でパリアッチョとカバレリアを歌う予定が先に決まっていたのでカレラスにお鉢が回り、その後はCDもDVDも全部カレラスになったそうです。ドミンゴが「残念だったけど仕方ない」とインタビューで答えていたのを読んだことがあります。
そのカレラスは79年にコペントガーデンの来日公演でカバリエとトスカを歌っている最中にベルリンに飛んでカラヤンとトスカの録音をしてからまた東京に戻ってくるという「トンボ返りカバラドッシ」で話題になったこともありました。皆さん苦労されているということですね(^^;

>フルラネット
彼が一流と目されるようになったのはカラヤンのドンジョバンニのレポレッロを録音してからだと思います。85年だったでしょうか。
by たか (2006-07-23 18:34) 

TARO

>CDの音源

多分そうでしょう。CD製作国のFM(バイエルン放送協会録音)が音源じゃないかと思います。私も昔オープン・テープに録音したのを持ってます。
プライス、ヴァラディ、ポップのトリオは最高だったのに、ショルティのスタジオ録音盤ではエルヴィーラだけシャシュに入れ替えちゃったので、一人異質な感じになっちゃってますね。

>たかさん

ドミンゴの「ドン・カルロ」の件は、ヴェローナのアレーナ出演のためだったと思います。彼の日本デビューとなったCAV/PAGは9月2日開幕だったので(初日聞いてますが)、東京でないことだけはたしか。
by TARO (2006-07-23 23:40) 

たか

>ドミンゴの「ドン・カルロ」
なるほど。だとすると来日の際のインタビューか何かで「ドン・カルロに出られなかったのは残念」という主旨の発言をしたのかもしれませんね。ドミンゴはカラヤンの録音ではトゥーランドットと仮面舞踏会と映画のバタフライに出演していますが、バタフライはパバロッティの録音の吹き替えとも言われています。舞台でも75年のドン・カルロと78年のトロバトーレぐらいでしょうか。意外に少ないだけに得意のドン・カルロをカレラスに取られたのは残念だったのかもしれません。
76年のカバ・パリを聞かれているのですか。それはすごい。ドミンゴが2役で出たのは確か2日間だけでしたっけ。初来日時に「今度クライバーとオテロをやるのがとても楽しみ。僕の声でオテロを歌えるか心配する人もいるけど周到に準備しているから大丈夫だよ」というような主旨のインタビュー記事も出ていた記憶があります。この発言は81年のスカラ座の来日公演の伏線になったかもしれませんね。
by たか (2006-07-24 23:17) 

TARO

>ドミンゴが2役で出たの

が2日だったかどうかは覚えてないんですが、後半はCAVだけ確かジョルジョ・メーリギに変ったんだと思います。
カラヤンとの「ドン・カルロ」と同じ年のレクイエムは、オーストリア放送協会の録音がいずれどこかから正規盤で出る可能性もありますね。(「ドン・カルロ」はルードウィヒさえOKを出せば。)

>81年のスカラ座の来日公演

なんでも佐々忠氏の「オペラ・チケットの値段」によれば、当初は日本公演には参加しないと言い張ってたとか。
by TARO (2006-07-25 02:37) 

きのけん

keyakiさん:
>先日きのけんさんが、ハンブルグの「ドン・カルロ」での大審問官、すごかったよ〜、とコメントされてましたね。

…(苦笑)ところが、もっとすごいのを思い出しちゃった。1976年スカラ座でのライモンディとサルミネンの対決)。ハンブルクのは、まだクルト・モルにノーブルなトーンが残っていたのに対し、マッティ・サルミネンのああいう、フンディンク、ハーゲンなんかにぴったりな「下品な」声のド迫力に対しライモンディというのは、これはまさしく、すごいコントラストだったし、すさまじい対決でした。ハンブルクの方では、なにせクルト・モルの地元だから、ちょっと無理矢理ライモンディに対抗意識を燃やして…ドイツ流バスの威力、目にもの見せてくれる!ってなところがちょっとあったよ。ライモンディさんの方じゃ、なんだ田舎者め!なんて思ったかもね(笑)。
 ただ、マッティ・サルミネンのような「下品な」声は、やはりぴったり合う役が限られてしまうよねえ…。最初に聞いたのは 1978年のバイロイトでしたが、うひょー、すごい声!なんて思ったけど、その後、やっぱり、この人限界あるよね…という印象に変わってきた。ワーグナーでも王様なんかやると、なにか威圧してるってな印象ばっかり強いんだよね。そうそう、ちょうど、ライモンディのドンとフィッシャー=ディスカウのドンの違い…というか、エバハルト・ヴェヒターもちょっとそういうところが残るけど、フィッシャー=ディスカウのドンって、なんかやたら威圧的でおっかなそうでしょう(僕は舞台では見たことないですが)。ああいうのって、あまりモテないと思うんだけどねえ(笑)…。

 そこへいくと、クルト・モルはちょっと違いました。ここに出てるブルーノ・マデルナ指揮版《ヴォッツェック》にもちょい役で出てますけど、当時ハンブルクの劇団員だった彼氏をロリフ・リバーマンがパリに引っ張ってきて、最初の頃ちょい役を随分やってたんです。初っ緒のストレーレル演出、ショルティ指揮《フィガロの結婚》なんてバルトロだぜ。ショルティ指揮《オテロ》のロドヴィコだったり…、そういう風に数年間ちんたらしてて、突然ホルスト・シュタイン指揮の《パルジファル》のグルネマンツ。これには驚きましたねえ!。初っ緒の第一声 "He, Ho, Waldhueter hier!" からして朗々と響き渡っちゃうのよねえ…。ええーっ、なんてすごい声になったの!…なんて。なんか、その後に来たグルネマンツが皆子供騙しに聞こえるんだよねえ…。

 ただ、この人が本当にすごいなと思ったのは、実はその次に来たカール・ベーム指揮《後宮からの逃走》のオスミンなんですよ。普通、あんなにヴォリュームがあって朗々と響き渡るような太い声の人は、オスミンみたいなコミックで軽快な役はできない。まさにそのマッティ・サルミネンがその好例ですが、クルト・モルってのは、あいう小回りが効かなきゃならない役ってのをものの見事にこなすんです。それも彼の声がいちばん脂の乗っていた時期に…だね。《バラの騎士》のオックスも同様。両方見事にできる人って、意外といません。オットー・エーデルマンはオックスには理想的でも、ワーグナーの深いバスにはちょっときついでしょ。やっぱり、あの時代だったらどうしてもルートヴィヒ・ヴェーバーとかヨーゼフ・グラインドルとかを使いたくなっちゃうよね。こっちでも、その次に来たオスミンが軒並み差を付けられた。その後の活躍はご存知の通り。早速カラヤン先生に目を付けられ…。ただし、彼氏、結構律儀なところがありまして、上の《フィガロの結婚》、リバーマンがパリを引退する時、初演時とまったく同じキャストで記念公演をやったわけよ。それにちゃんと戻ってきてバルトロに出てきてやんの!…。その前後、僕はミュンヒェンにいたんですが、彼はクライバー指揮の《オテロ》でロドヴィコをやってて、ちゃんと2公演の間にパリへ行ってました。
きのけん
by きのけん (2006-07-25 08:47) 

きのけん

TARO さん:
>プライス、ヴァラディ、ポップのトリオは最高だったのに、ショルティのスタジオ録音盤ではエルヴィーラだけシャシュに入れ替えちゃったので、一人異質な感じになっちゃってますね。

 それはこういう事情なんです。当時ショルティのオペラ録音は、普通パリかコヴェント・ガーデンで実演したものを基にデッカがウィーンでセッションを組んでいたわけ。だから、《オテロ》にガブリエル・バッキエ(ヤーゴ)なんかが出てきちゃうんだけれど(パリの実演でのドミンゴは使えなかった。それでコスッタ)、あれはパリのキャストが基本になっているからなの。《ドン…》と《フィガロ…》、《コジ》も同様で、本当はマーガレット・プライス+キリ・テ・カナワ(あるいはヴァラディ)とバッキエ+スチュアート・バロウズ+ポップ(+ルッジェロもロジェ・ソワイエも使えなかったんでヴァイクル)…というキャストで行くはづだったんです。そこになんでシルヴィア・シャーシュなんかが突っ込まれたか?…。
 シルヴィア・シャーシュは西側デビュー当時、カラスの再来なんて言われて、それはそれはすごい評判だったんです。確かに、彼女のハンガリー時代の録音を聴いてご覧なさい。それはそれはキレイな声だから…。そいで、デッカが大慌てで専属契約を結んじゃったのよ。1年間にオペラ全曲録音5本だったかな?…。そしたらねえ…。
 僕もその「カラスの再来」とやらをひと目見ようと、ジョルジュ・ラヴェリ演出、ミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル座管(制作エクス音楽祭)の《椿姫》ってのに行ったのよ。オペラ=コミック座。そしたらひどいのよ、それが…。声はガサガサ、なんか疲労困憊してるみたいで…。おかしいな?って調べてみたら、なんと、この週、彼女、(月)ヴェルディ《運命の力》(レオノーレ:ハンブルク)、(火)パリ《椿姫》(ヴィオレッタ)、(水)ハンブルク《運命の力》、(木)パリ《椿姫》、(金)ハンブルク《運命の力》、(土)ついにパリで病欠!…。こんな馬鹿げたスケジュール組んでて声が保つと思う?…。あっという間に声を壊しちゃって、それでもデッカ側では専属契約が残っちゃてるもんで、ショルティだろうが誰だろうが、専属指揮者に押しつけまくった…というわけだ。それでお呼びじゃないのに出てきちゃったわけよ。昔は東欧の歌手なんかで、こういう滅茶苦茶な使い方をされてあっという間に潰されちゃった歌手って結構いましたよ。大レーベルから録音を出す時点ではもう声がダメになってる…とかね。
きのけん
by きのけん (2006-07-25 20:28) 

たか

>TAROさん
75年のドン・カルロはFMでも放送されたのですよね。TAROさんはお聞きになられているのですか?オケはウイーンだしきっと素晴らしい演奏でしょう。ベルリンフィルの重い音はヴェルディには向いていないとカラヤンのCDを聞く都度に思います。ルートビッヒは1回で降りたそうですね。本当はそんなに悪い出来ではなく、初日だけで交代するのは予定通りだったという話も聞いたことがあるのですがどんな出来映えだったのでしょうか?結局カラヤンとの共演はこれが最後になったのですかねえ?
by たか (2006-07-25 23:28) 

たか

>ルートビッヒ
思い出したのですがカラヤンとは77年のトロバトーレでも共演していましたね。DVDの78年の公演ではなくてパバロッティとプライスが出た年の公演。海賊盤が昔出ていました。
by たか (2006-07-25 23:33) 

たか

>シャシュ
ハンガリー生まれのシャシュは主にハンガリーのフンガロトンに録音しており「シャシュがデッカと専属契約」という話は初耳です。1年間に5本オペラを録音したというのも本当でしょうか?ひょっとしたら見落としているかもしれませんが私が知っているのはドン・ジョバンニとバルトークの青ひげの2本だけですが?いずれもシャシュと同郷のショルティが振っており、シャシュの起用はレーベルの都合というよりも指揮者の希望だったのではないでしょうか?
by たか (2006-07-26 00:50) 

TARO

きのけんさん

私はシャシュのような美貌はかなり好きで、この人が早々と姿を消したのは本当に残念と思ってたんですが、そんな裏話があったんですね。いくらなんでも酷すぎますね、そのスケジュールは。本人だってこれじゃ駄目になるという自覚ぐらいあったでしょうに。

エクスの「椿姫」といえば、おそらく日本にシャシュの名前が最初に紹介された舞台じゃないかと思います。いまヨーロッパで凄い評判の歌手がいるということで。
でもそれがパリに客演する頃には、はやくもそんな悲惨なことになっていたんですねえ・・・

ショルティ盤のエルヴィーラは日本の音楽雑誌の批評ではおおむね誉めていて、彼女だけにすごく違和感を感じていた私は、え~~、どうして好評なんだろうと思ってました。
by TARO (2006-07-26 01:44) 

TARO

たかさん

>75年のドン・カルロはFMでも放送

されました。レクイエムも放送され、どちらも聴きました。
私もEMI盤のベルリン・フィルの音は、あまりにも威圧的に感じられ好きではありません。これに対してこちらのFMライヴはウィーン・フィルですから断然よかったと思います。(というかVPOの音を記憶にEMI盤を聞いたら、BPOの音があんまりなんで驚いたという言い方が正しいんですが。)

ルードウィヒは録音で聞く限りは、そこまで悪いということはなかったと思います。でも例えばコッソットの大理石のような美声に切れ味鋭い歌唱なんかと比べると、いかにも暗めの声でもっさり歌ってるように聞こえなくもないかも。
あとフレーにはこの時がまったくの初役だったので、後年の録音に比べるとちょっと軽い感じがあったかもしれません。

ルードウィヒは予定されていたレクイエムの出演もキャンセルしてザルツブルクを離れちゃったので、やっぱり怒ったんじゃないでしょうか。(カラヤンは急遽レクイエムにコッソットを呼び、フレーニ、コッソット、ドミンゴ、ギャウロフで上演。)
by TARO (2006-07-26 02:00) 

助六

さすがkeyakiサロン!楽しいお話と貴重な情報で賑わってますね。

>ドン・カルロのこの公演はいわくつきの公演

そうそうこの「ドン・カルロ」86年サルツ復活祭再演は、ちょうどヴィーン日本公演のシノーポリ指揮フレーニ出演の「マノン・レスコー」と重なってました。フレーニがカラヤンになびかず日本に来てくれてありがたく思ったものです。もしかしたらこの時点では彼女ももう一度エリザベッタを舞台で歌うのはためらったのかも知れませんけど、89年にはヴィーンでアバドの指揮で舞台でもう一度歌ってますしね。単なる契約の拘束の問題でしょうか。
私は92年くらいにリサイタルで彼女がエリザベッタやアイーダのアリアを歌うのを聴きましたが、危惧に反して声はヴェルディのこれらの役でも瑞々しさを全く失っておらず安心しましたが、その数ヵ月後のスカラの「フェドーラ」では「あれっ」という感じで、やっぱり舞台でオペラ全曲は負担が大きいのかななんて自問したものです。

イッツォ・ダミーコは87年くらいに一度だけリサイタルを聞いたことがあります。確かに美人さんでしたが、歌の方は「可もなし不可もなし」という感じでまるで記憶に残ってません。気の毒なくらいアッという間に消えてしまったみたいですね。

>シャーシュ

80年代初めに日本でリサイタル2回、都響定期の「青ひげ」なんか聞きました。舞台は82年にパリで「ロメオ」1回だけでした。声も姿も若かったシコフがお相手してました。あの頃の彼女は美しかったけど、既に当時も声も暗めで、発声的にも技術的にもドランマティコ・ダジリタ系統の役が歌える声とは思えませんでした。「青ひげ」はさすがに悪くなかった。
もっとも76年のデッカの最初のリサイタル盤でも、「ドン・ジョヴァンニ」と同じ頃録音されたフィリップスの「スティッフェリオ」でも、個人的にはイタリアものにはちょっと発声が異質という印象はありましたけれど。
リサイタルのドイツ・リートなんかも気ままに歌ってるという感じで、いつもアンコールで歌う無伴奏のハンガリー民謡が心に沁みましたねぇ。ここでは暗いピアニッシモが絶品でした。
フランツ・リスト音楽院で彼女と一緒だったというハンガリー人の方から問わず語りで聞いたとこでは「彼女が自分でああいうキャリアを望んだのよ」とかいうことでしたが。
エクスの「トラヴィアータ」も昔レコード屋の上映会で録画見せてもらいましたが、ラヴェッリの演出も彼女の美貌に無関心でいれなかったような。これはヴィデオになってるんでしょうかね。
彼女は引退しちゃったのかなと思ってたんですが、昨年12月にパリの小さな会場でリサイタルが組まれているのにビックリ。さすがに「コワイもの見たさ」の気も起こらず、幸い所用で行けませんでしたが。
彼女のオフィシャル・サイト(あるんですねぇ)見てみたら、今はマスター・クラスで日本に行ってるみたい。コンサートもやっちゃうみたいだけど、どなたかお聴きになってませんか。声はなくなってても円熟の芸は存分に残ってて感動しちゃうっていうことは結構ありますしね。サイトにはショルティ・バーンスタイン・カラスの顔が入った彼女の絵なんかも見れます!
by 助六 (2006-07-26 07:45) 

きのけん

 やあ、盛況ですなあ!…助六さんまで登場しちゃってて!(笑)…。

>シルヴィア・シャーシュ

 そいで今詳しいことを調べてみたんですが、僕が聴いた《ラ・トラヴィアータ》の公演は 1977年10月27日のパリ・オペラ=コミック座でした。つまり、シルヴィア・シャーシュが本格的に西側にデビューしたのが同年夏のエクス音楽祭で、この時エクス音楽祭の総監督をやっていたのがベルナール・ルフォール、つまりリバーマンの後任としてパリ国立歌劇場総監督に就任する人。助六さんがお聴きになった「ロメオ」は彼の在任中のことで、エクスで自分が発掘してきた歌手をパリに呼んだというわけだ。僕はこの制作の記憶が全然ないけど、彼氏、まだ彼女を追っかけてたんですねえ!…。

たかさん:
>。1年間に5本オペラを録音したというのも本当でしょうか?

 これはたかさんの早とちり。1年間数本の専属契約を結んだからといって、それがそのまま履行されるとは限りません。僕は上の《ラ・トラヴィアータ》1度っきりで、もういいや!ということになっちゃったもんで以後全然追い掛けなかったですが、フンガロトンはそれ以前。多分、デッカ側では、西側デビュー後の彼女の声の状態を見て、違約金を払ってあっさり解約しちゃったんじゃないかと思います。僕の記憶にあるのは、そのショルティ版《ドン・ジョヴァンニ》とアンタル・ドラッティ版《青髭の城》、あとベリーニが1組くらいあったかな?…。パリではこのオペラ=コミック座の公演の後、あっさり消えちゃって、影も形もなくなっちゃった。ただの1度も呼ばれなかったと思っていたら、さすがルフォールが呼んでいたんですね。
 そうそう、あの《ラ・トラヴィアータ》は、皆その「カラスの再来」ってのを聴きに行ったら、それが悲惨極まりない状態だったもんで(それで後で英オペラ誌を調べたら、あんなベラボーなスケジュールを組んでたのが判明したというわけ)、それこそ歴史的な野次とブーイングが飛び交った公演でした。それを一身に受けちゃって可哀想だったのがミシェル・プラッソンで、「軍楽隊!」とか「トゥールーズへ帰っちまえ!」だとか、それはそれはもの凄いものでしたよ。デッカはあの公演を聴いて、しまった!と思ったんじゃないかな。この独占契約の話は多分本当だと思います。というのは当時仏フィリップスに勤めていた奴にリアルタイムで聞いた話だから。そやつ、その後仏フィリップスの社長を経て仏DGGの社長になって、例の《アダージョ・カラヤン》の企画+プロデュースを担当しておおいに当てたの彼氏なんです。

>シャシュの起用はレーベルの都合というよりも指揮者の希望だったのではないでしょうか?

 多分違うと思います。何故なら、一度アンタル・ドラッティが彼女を忌諱したことがあったから…。ドラッティがパリ管に客演して振った《青髭の城》だったんですが、これ、確か、年間プログラムの予定ではシャーシュが出ることになってたんです。結局、ディートリヒ・フィッシャー=ディスカウとユリア・ヴァラディ夫妻になって(…ということはサヴァリッシュ盤が出た前後だね、きっと)、実は僕が実演で聞くことのできた《青髭の城》では、これがもう段トツに良かったんですが(ブーレーズでも2度ほど聴いてますが、僕はドラッティの方が比較を絶してよかった!)、その時知り合いの楽員に、どうしてシャーシュがキャンセルになったんだ?と訪ねたら、ドラッティが厭がったんだという話でした。まあ、楽員たちの噂話ってのは話半分に聞いといた方がいいんですが(笑)…。ああ、それで、ショルティだのドラッティだの、いやいやながらデッカからシャーシュを押しつけられたんだな…と思ったというわけよ(ここは想像)。そういえば、メジャー・レーベルが歌手と専属契約を結ばなくなったのがあの頃だよね。
 でも、助六さんなんかの話を聞くと、その後多少持ち直したようですね。彼女も、例えばカラヤンの庇護を受けていたとか、もっとアーティストを長い目で見ることのできるいいマネージャが付いていたら、あんなことにはならなかったと思いますが、当時は東欧系の野心家たちを食い物にしているようなマネージメントが結構あったみたいね。カラヤンなんかだと、なにせ自分の公演や録音の時歌手を最上の状態にしておきたいために、スケジュール管理なんかやたら煩かったそう。そんなところに出て声を酷使するんじゃない!…なんて他の指揮者との公演から無理矢理引きずり下ろしちゃうなんてこともあったらしい。だから、ドミンゴとかルネ・コロなんかがカラヤンと大喧嘩したんだよ、きっと…。
(字数制限(2500字)ができたみたいので続きは下↓へ)
きのけん
by きのけん (2006-07-27 19:42) 

きのけん

(上↑の続き):
>フレーニ:
>彼女がエリザベッタやアイーダのアリアを歌うのを聴きましたが、危惧に反して声はヴェルディのこれらの役でも瑞々しさを全く失っておらず

 僕は81年だか82年だかにザルツブルクで彼女のアイーダを聴いてるんですが、予想に反して…というのも、僕らは《フィガロの結婚》のスザンナとかミミのイメージくらいしかなかったから、フレーニのアイーダなんて冗談でしょ!…なんて思ってたら、すごくいいじゃないですか!ザルツブルクの大祝祭劇場の二階席奥までちゃんと声が通ったし…、あれ〜彼女、こんなにヴォリュームがあったんだ!…なんてね(笑)。そういや、1976年のスカラ座でのエリザベッタは、やっぱりちょっとキツイなあ…なんて感じた憶えがあります。
 …あっ!、keyakiさんのリストを見たら、この時の王様がライモンディだったんですかあ!…。すっかり忘れてる(笑)。
 逆に、この時最悪だったのがカレーラスのラダメスで、なんかぎゃんぎゃん叫びまくるもんで、途中でカラヤンが怒り出しちゃって(多分そうだと思う)、カレーラスが出てくる度にオケの音がグワーンと大きくなるのよ。それで彼の声をかき消しちゃうってな感じ。フレーニが出てくると、逆にオケの音が小さくなって、カラヤンも指揮棒を放り出して素手でやたらデリケートな指揮に戻ったりしてね(笑)。
きのけん
by きのけん (2006-07-27 19:50) 

keyaki

きのけんさん、フレーニのアイーダは1979年と1980年だけのようです。
1979年はややこしくて、国王がライモンディ、ランフィスがギャウロフだったのが、急病でギャウロフが2回で降板して、あとは、ランフィスをライモンディ、国王をクルト・モルが歌いました。この年は、アムネリスのマリリン・ホーンがミスキャストと騒がれたようです。
1980年は、ライモンディは最初から全部ランフィスで、国王はアゴスティーノ・フェリンです。

>カレーラスが出てくる度にオケの音がグワーンと大きくなるのよ
ライモンディによれば、カラヤンに「弱音で歌う勇気をもつべきだ」と教えられたそうです。
by keyaki (2006-07-28 01:08) 

たか

>きのけんさん
当時の東欧は国営企業優先ですので東欧の著名なアーティストが西側レーベルと専属契約を結んだとは常識的に考えられません。これはハンガリーだけでなく旧東ドイツもソ連もみんな同じです。

またショルティがウイーンでオペラを録音していた70年頃まで、キャストは実際の公演とほとんど無関係にカルショーなどのプロデューサーが決めていましたが、シカゴとロンドンに拠点を移した70年代以降は一応大家の一人とみなされるようになっていたのでデッカの都合でショルティの意に沿わないキャストを組むなどということも考えにくいと思います。
by たか (2006-07-28 07:47) 

きのけん

>keyakiさん:

 資料が出てきました。
 僕が付き合った《アイーダ》は 1980年8月29日ザルツブルク音楽祭大ホールです。
演出・指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン(演出助手:ヘルマン・ケッカイス、バルバラ・マトゥーラ、指揮助手:エド・スパンヤルド)、美術:ギュンター・シュナイダー=ジームセン、衣裳:ジョルジュ・ヴァケーヴィチ、振付:ジョン・ノイマイヤー、
ウィーン・フィル&ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ヴァルター・ハーゲン=グロル)
出演
アゴスティノ・フェリン(王)、ルージャ・バルダーニ(アムネリス)、ミレッラ・フレーニ(アイーダ)、ホセ・カレーラス(ラダメス)、ルッジェロ・ライモンディ(ランフィス)、ピエロ・カプチッリ(アモナズロ)、ト−マス・モーザー(伝令)、マリヨン・ランブリックス(巫女)

ご覧の通り、ギャウロフとマリリン・ホーンが病欠で、ライモンディさんが居たお陰で救われたって感じですね(笑)。
きのけん
by きのけん (2006-07-28 17:10) 

きのけん

>たかさん:

 …そうそう、ご指摘の通りウィーンというのは僕の方の記憶違い。1978年のショルティ盤《ドン・ジョヴァンニ》はクリストファー・レーバーンのプロデュースでいつものロンドン・フィルを使ったロンドンでの録音です。ちなみに、《コジ…》と《ドン…》の録音ではジェフリー・テイトがチェンバロの通奏低音を受け持ってますね。

 「常識的に考えられ」ないかどうかといった一般論は別として、上の専属契約の話を当時僕にした人はジル・シュヴァリエ。当時仏フィリップス社にいて、後に仏フィリップス社社長を経て仏DGGの社長になる人です。まあ当時フィリップス社の社員だった彼氏がマスコミやファンにその種の噂を故意にリークしたという可能性も考えられなくはないですが(そういうことをしそうな奴じゃないけどね)…、というわけで、以下は僕の想像ですが、ハンガリーを離れ西側に移住する気になったシルヴィア・シャーシュの専属契約を、当時ヴェルディの初期オペラの録音シリーズを企画していた(>助六さんの《ステッフェリオ》がこの企画内で録音されたものでしたね。ランベルト・ガルデッリ指揮で相手役はカレーラスだったっけ?…)まさにそのフィリップスとデッカが争ったらしいんだね(まあ、そんなことまで外部の人間にするわけがないから、繰り返しますがここは僕の想像です)、ただ、デッカとフィリップスは同じポリグラム・グループ〔蘭フィリップス系列)に属する企業だったから、当然優先権があるはづのフィリップスがデッカに譲ったということは考えられますね。だからシュヴァリエが僕にそんな話をしたのかも?…。それに歌手と専属契約を結ぶなんてのはフィリップスの企業習慣にはなくて、専らデッカでしょう(サザーランドとかパヴァちゃんとか)。
 それから、会社側が押しつけたから即「ショルティの意に沿わない」ことにはならんと思いますが(特にプロデューサーがクリストファー・レーバーンだし)、カラヤンなんかとは異なり、ショルティって人はわりと会社の意向に従順なところがあったみたいだよ。例えば、彼の1974年盤《コジ…》。これって、パリのキャストなんですよ。パリで実演を振ったのはヨーゼフ・クリップスなんですが(僕は間に合わず、その翌年亡くなっちゃったんでヤノフスキだった)、あれも最初はショルティが予定されていて、それでライランド・デイヴィース、トム・クラウゼ、ガブリエル・バッキエ、テレサ・ベルガンサ(のドラベッラは毎回キャンセルでただの1度も聴けなかった)、ジャーヌ・ベルビエまでパリのキャストなんだけれど、デッカ側が主役はスペイン姉妹で行きたいという要求を出してきたもんで、ショルティお気に入りのマーガレット・プライス(…はもうクレンペラーかコーリン・デイヴィスと録音してたっけ?…)あるいはキリ・テ・カナワが録音から外されピラル・ローレンガーになったということです。実は、僕はあの《コジ…》の方が《ドン…》よりも好きなんですがねえ…。ちょっとオトマール・スイトナーみたいで、あれを聴いて、ああ、ショルティってのは意外とクレメンス・クラウスからの影響が強いんだなあ…って思った。クリストフ・フォン・ドホナーニもそう。パリでやった《フィガロ…》を聴いて、あっこいつもクレメンス・クラウスだ!って(笑)…。
 もう一つ、「専属契約」といったってレコード会社の専属契約ってのは、歌手に限らず、専属というより優先録音契約と言った方がいいわけで、相当柔軟に例外が設けられるのが普通ですよね。例えば、リヨン歌劇場時代にエラートと専属契約を結んだケント・ナガノなんかだって、エラートが自社で録音したくないものは全部他社の録音を許してますよね。エラートと専属契約を交わした後にノンサッチに録れたジョン・アダムズとか、英ヴァージンにもあれ以後数点あったし。そうそう、一度、ケントがやりたいもので、エラートが厭がるものは全部うちが引き受けます…なんてエバってたのはカリフォルニアに米ハルモニア・ムンディを創立して、独自の録音活動をやり始めていた頃の米HMのロビナ・ヤング社長でした(仏HM元チーフ・プロデューサー:これも僕に個人的に言っただけで、公式にはそんなこと言ってないでしょ)。
 フンガロトンだって、その程度の業界の「常識」くらいは弁えていたでしょう。それに東欧の国営レコード社って自国のアーティストを独占するよりも、むしろ西側のメジャーから売り出してもらって有名にしたいという意向の方が強くなくって?…。ポーランドのクリスティアン・ツィメルマンだって、あっという間にDGGの専属になったでしょ。声楽部門ではブルガリアが特にすごかったよね。もうばかすか西側に歌手を送り込んでましたよね。
きのけん
by きのけん (2006-07-28 17:38) 

たか

私が言いたいのは専属契約が本当に存在したかどうかなどということではなくて、このように厳しく人のキャリアを非難するのであれば、それは正確な事実に基づいている必要があるということです。あいまいな記憶に基づいた厳しい非難は単なる誹謗中傷に聞こえます。

歌手の好き嫌いがあるのは当然だとしても自分の聞いた日にたまたま調子が悪かったからといってその歌手の芸術や姿勢をすべて否定するような論調で書くのは大変失礼なことだと私は思っています。

シャシュがデッカに残した2本のうち確かに78年のドンジョバンニは私もポップのツェルリーナ以外全く記憶に残っていませんが、79年の青髭はすぐに映画化が決まったほど評判だった演奏で、同時期に発売されたF=D、ヴァラディのドイツコンビより当時の評判は良かったと記憶しています。私はバルトークの熱心な聞き手でないのでどちらの演奏が良いか判断できませんが、少なくともこれで契約を解除されるようなひどい演奏でないことは間違いありません。

歌手が売れればスケジュールが過密になり、出来が悪い日も出てきてしまうというのは良くあることです。結果的にキャリアを縮めることもよくあります。たとえば後年のシェリル・スチューダーだって似たようなものです。私はスチューダーのヴェルディやドニゼッティよりはR.シュトラウスの方が好きですが、でもドミンゴやパバロッティと競演できるチャンスをみすみす逃すことは現実問題難しいことも理解しています。

ましてやシャシュのような旧東欧の演奏家の場合、西側への訪問は外貨獲得という国家任務を背負っていたということを考え合わせなければなりません。私はブーニンの亡命後のインタビューで「当局の付き人がホテルから演奏会場までずっと監視していて行動の自由はなかった。過密なスケジュールで希望しないプログラムを強要され、従わないと体罰を加えられた」という主旨の発言をしていたのを読んだ記憶があります。

もしシャシュがそのように誰が見ても無理なスケジュールを組んでいたのだとすればそれはハンガリー当局の命令だった可能性が高いと私は推測します。私はシャシュを生で聞く機会には残念ながら恵まれませんでしたが81年に来日した際のコンサートがFMで放送され運命の力のアリアなどを聴きました。好き嫌いはともかく、紛れもなく一流の歌だったと思います。しばらくカセットで良く聞いていました。私は必ずしもシャシュの熱心なファンという訳ではありませんがこのように断片的な情報が吹聴されることで彼女の評価に傷が付くのは大変残念なことです。
by たか (2006-07-28 19:23) 

きのけん

▼たかさんのユーモアのセンスに脱帽!

 いやー、たかさんがこれほどのユーモアのセンスをお持ちだとは、まことにお見それしました!

 まづ、ご自分でその点を問題にした口の端も乾かぬうち(たか :2006-07-26 00:50)、初っ緒から「私が言いたいのは専属契約が本当に存在したかどうかなどということではなくて」と来たもんでまづは大爆笑!。漫才によくあるど忘れを装うギャグでスタートですな!。
 もっとケッサクなのは、
>昔は東欧の歌手なんかで、こういう滅茶苦茶な使い方をされてあっという間に潰されちゃった歌手って結構いましたよ。( きのけん:2006-07-25 20:28)
とか
>彼女も、例えばカラヤンの庇護を受けていたとか、もっとアーティストを長い目で見ることのできるいいマネージャが付いていたら、あんなことにはならなかったと思いますが、当時は東欧系の野心家たちを食い物にしているようなマネージメントが結構あったみたいね。(きのけん:2006-07-27 19:42)

 というような箇所に、故意に知らぬ存ぜぬを決め込んだ上で、「このように厳しく人のキャリアを非難するのであれば、それは正確な事実に基づいている必要があるということです。あいまいな記憶に基づいた厳しい非難は単なる誹謗中傷に聞こえます」といきり立って見せるあたり、要するに週刊誌なんかによくある、政治家なんかの言葉尻だけを捉えて大騒ぎしてみせる、あの例のテクニックですな。相当の名人芸とお見受けしました。
 おまけに、ちゃっかり僕の上の論点を拝借なさって「歌手が売れればスケジュールが過密になり…旧東欧の演奏家の場合、西側への訪問は外貨獲得…ハンガリー当局の命令だった可能性が高いと私は推測します…」
 …とですな。僕の上の論旨をそのままご自分の主張としてお使いになっているところなんぞ、これまた盗っ人猛々しい(笑)と言いますか、相手の論点を単純化、戯画化しておいた上で、それをやっつけてみせると同時に、その論点をちゃっかりいただいちゃってる…と、ここまで来れば相当の高等技術、お見事な漫才テクニックをお持ちだと言う以外ありませんな。
 いや、お見事!お見それしました。
きのけん
by きのけん (2006-07-29 08:32) 

たか

話題を変えたほうがよさそうですね。

>ベルリンフィルのドンカルロ
TAROさんもそう思いますか。私もあんまりだと思います。EMIのトロバトーレも一番足を引っ張っているのはオケの重たい音なのに、人気歌手が揃っているドンカルロは名盤、トロバトーレは歌手が揃ってないので失敗作という評価になっているのが良く分からないところです。

>ルートビッヒ
カラヤンの舞台は81年82年のファルスタッフでも出てましたね。結構共演していますね。大喧嘩したというわけではないのかもしれません。コソットは75年のエボリも代役をやったのでしたっけ?全盛期のコソットがこんな時期によくスケジュールが開いていたものですねえ.......

>86年のフレーニ来日
ウイーンでの来日でしたか。確かカレラスもコロもキャンセルしゃった公演ですよね。カレラスは81年のスカラもキャンセルしているので79年以降しばらく来日しなかったことになりますね。何かあったのでしょうか。でもイボンヌ・マイヤーの来日は珍しいのでイゾルデをお聞きになられた方がいらしたららうらやましい!バイロイトのビデオの歌は素晴らしいですよね。
by たか (2006-07-29 10:19) 

TARO

たかさん

ルードウィヒは一人不評だったことに怒って帰ったので、カラヤンと喧嘩したわけではないんです。バルツァなんかのケースとはちょっと違いますね。
75年のコッソットはレクイエムだけです。エボリの代役はちょっと忘れましたが、ルージャ・バルダーニかエヴァ・ランドヴァーのどっちかだったと思います。

ヨハンナ・マイアーのことですね。あの「トリスタンとイゾルデ」は聞きました。バイロイト音楽祭の映像はアップがちょっとキツかったですが、舞台ではとても良かったですよ。
by TARO (2006-07-29 13:50) 

keyaki

カラヤンのサイトで調べましたら、
75年7月11日、初日はルードウィヒ、
7月16,21,30日が、Eva Randova
7月26,30日、8月12,16,26日がFiorenza Cossotto 
です。このサイトは、たまにミスもありますが、ほぼ間違いないのではないかとおもいます。
歌手にとっては、観客の反応は、けっこう気になるようですね。
by keyaki (2006-07-29 20:40) 

TARO

keyakiさん、ありがとうございます。
後半はコッソットが歌ってたんですね。失礼しました。
オーストリア放送協会がコッソットの日も録音をしてるといいんですが、無理でしょうねえ・・・。
by TARO (2006-07-30 02:03) 

きのけん

たかさん、TAROさん、あるいは keyekiさんにお訊ね。

>ヨハンナ・マイアー

 実は、昔結構好きだったワーグナー歌いで、その後行方不明になっちゃった人が二人いるんですが、どうなったかご存知ですか?…。
 一人は、このヨハンナ・マイヤー。バレンボイムの《トリスタン》で聴いて、かなり気に入っちゃってたんですが、パリ管での予行演習の時はジェシー・ノーマンだったし、その後バレンボイムのイゾルデは、パリ管での予行演習がベーレンスで、2度目のバイロイトはもう一人のマイヤー様だったし、あれ以後彼女どうなっちゃったの?…。
 もう一人は、その一世代前の人ですがウルズラ・シュレーダー=ファイネン。実は 1976年末パリでショルティが振った《ワルキューレ》のブリュンヒルデに彼女が予定されてまして、プログラムまで彼女の写真が載っていたくらいなんですが、ドタキャン。それ以後ほぼ1度も名前を耳にしないんですが〜それ以前にどっかで実演を聴いたことがあって、それで最大級に期待してた記憶があるんですが…〜あの人たち、どうなったんでしょう?…。まさか死んではいないよね。バイロイトでクライバーのブランゲーネとブーレーズのヴァルトラウテを同時にやってたイヴォンヌ・ミントンもパリの《ルル》辺りを境にいなくなっちゃいましたが、それから15年くらい経って、ひょっこり戻ってきたのにはビックリしましたが…。

>ルートヴィヒ=カラヤン

 彼女と実際に話した感じからすると、仲はかなりよかったみたい。ただ、彼女が唯一カラヤンに恨みを持っていたのが、全盛期の彼女にイゾルデを歌わせてくれなかったことだと僕には言ったんですが、彼女ともっと親しい知り合いの評論家に言わせると、なに、あれは彼女の方から断ったんだよ、ということでした。あのヘルガ・デルネッシュ盤の数年前にルートヴィヒを想定して企画だけは立ったそう。でも、カラヤンの「企画だけ」ってのはヴィッカーズのヴォツェック(外題役)とかカプチッリの《オランダ人》(外題役)とか、テレサ・ストラータスの《トゥーランドット》(外題役)とかヘンなのがいっぱいあって、眉唾だけどね…。

>コソットのエボリ

 実は今でも当時エアチェックしたカセットが物置のどっかに眠っていますが(…ということはフランスでも中継されオーストリア国営放送、あるいは欧州放送連合に録音が残っているということですね)、でも、あれは聴かない方がいいと思うけどね(笑)…。
きのけん
by きのけん (2006-07-31 00:10) 

TARO

きのけんさん

J・マイアーは90年代の半ばごろに引退したかと思います。日本公演&バイロイト以降で私の記憶にあるのは(聞いてはいませんが)、90年だか91年だかにバルセロナのリセウ劇場「ワルキューレ」で、カバリエ(ジークリンデ)と共演してブリュンヒルデを歌ったことなどでしょうか。

ウルズラ・シュレーダー=ファイネンは悲しいことに昨年、亡くなられたようです(ネットの情報だけでちゃんと確認はしてません。あしからず)。
私は生で聞いたことがないのですが、彼女はバイロイトにも出ていましたし、よく出演した公演のライヴがNHK-FMで放送されていましたね。なんとなくウルズラ・シュレーダー=ファイネンと聞くと、一緒にNHKの後藤美代子アナウンサーの声が連想されてしまいます(苦笑)。
どうして80年代には名前聞かなくなったんだろうと思って調べてみたら、なんと79年にはもう引退しちゃったみたいです。

リゲンツァもそうですが、ドラマティック・ソプラノには声が衰える前にパッと身を引くという潔い人たちも多いんですね。対照的にメゾに転向して、性格的な役柄に強烈な表現力を発揮する人もいますが。
by TARO (2006-07-31 02:39) 

keyaki

さすが、TAROさん、実は、私の知らない歌手さんばかりです。
ありがとうございます。
女性歌手の場合は、早めの引退は、家庭の事情なんかもあるんでしょうね。
by keyaki (2006-07-31 02:57) 

助六

そうそう、忘れられかけてるけど、シュレーダー=ファイネンは、70年代の重要ヴァーグナー歌いでしたね。バイロイトでもオルトルート、クンドリ、ブリュンヒルデとか歌ってたし、確かNHK・FMでも放送された75年サルツのベーム指揮「影なき女」でもリザネック、ベリー、キングなんかと一緒にバラクの妻を歌ってた。76年サルツ復活祭のカラヤン指揮「ローエングリン」のオルトルートも歌ってます。レコードではヴェイソヴィッチが起用されたけれど。
並み居る大指揮者に可愛がられてたんですね。

ドイツ通信社電が報じてるので、残念ながら本当に亡くなってしまったようです。
http://www.morgenpost.de/content/2005/02/12/feuilleton/734346.html
by 助六 (2006-07-31 07:02) 

euridice

ホフマンの伝記に『デュッセルドルフではじめてジークムントとして舞台に立ったときは、ウルスラ・シュレーダー・ファイネン、カール・リーダーブッシュという著名な歌手たちとの共演だった』とあります。何年のことかわかりませんが、1974年以降、1976年夏より前
でしょう。
by euridice (2006-07-31 08:03) 

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