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エスカミーリョ;舞台《カルメン》その4 [カルメン]

エスカミーリョ;舞台《カルメン》その3の続き。写真は、この公演の時の写真です。
※《カルメン》エスカミーリョの記録1980〜1988
この公演は、プレミエのものがクライバー指揮で、最近DVDが発売されましたので、ご覧になった方は、下記の舞台の様子を読めば、その情景が目に浮かぶとおもいます。


1984年、ウィーンでの《カルメン》("ドミンゴの世界"より抜粋)
  開演は午後6時30分という早い時刻である。《カルメン》は4幕芝居で、美しいが入り組んだゼッフィレッリの装置は、どの転換もめんどうだが、特に一幕から2幕への飾り変えに時間がかかる。しかも、超過勤務手当が増えるのを避け、また、翌日の出勤までに規定の休息をとらせるには、劇場のスタッフを11時に帰さねばならない。その日、人々は昼間から劇場に群がり、奇跡でも起きて余ったチケットが入らぬものかと、あたりをうろついていた。今夜の一番高い席は1400オーストリア・シリング(およそ50ポンド)だが、噂では中程度のチケットが5000シリングでやりとりされているという。そんな夜のなのに、500人ほどの立見席については、シュターツオーパーはいつもの15〜20シリングで売り出すが(オペラ界きっての超お買得品である)、その気なら、その数倍でも客が入ったことだろう。一抹の望みを抱いて凍てついた舗道に並んでいる人々を見れば、それは明白である。
  劇場には、ほとんどのキャストが早めに入っていた。ドミンゴも6時にはすでにほぼ準備を終えている。ドミンゴは鼻歌を歌いながら、ここらへんのシャドウを濃くとかメーキャップ係に頼み、鏡に映る友人にあいさつする。シュターツオーパーの男女の楽屋は、二つの長い長方形が先端でひとつの部屋に結びつけられる配置になっており、その部屋には、ピアノ(ベーゼンドルファー)が一台置かれている。ドミンゴはぶらりとその部屋に現れ、鍵盤を探って音階とアルペジオを歌い、トップCまで上がっては下げていく。声の状態は上々。もちろんすでに十分なウォーム・アップをすませている。それから廊下に戻り、自分の楽屋を通り過ぎて、今夜のスニガであるクルト・リドルの部屋をのぞく。闘牛士のルッジェーロ・ライモンディはまだ現れない。いずれにしても第二幕まで出番はない。
............
  客はすでに座席におさまっているが、20分もすれば、彼らは、その2000人の客を前に、この曲を歌うことになる。ドミンゴがもう一度アルペジオを繰り返し、マゼールが最後の声をかけに顔を見せる。ベーゼンドルファーの部屋から、今度はカルメンの声が聞こえててきた。ちょうど旅行に出かける前に切符と財布を確かめるように、アグネス・バルツァがオープニングのフレーズをさらっているのだ。............
  すでに客席は、開幕を待ちわびる人々の話し声でざわついている。客席の奥、ちょうどロイヤル・ボックスの真下は、何百人という立見客でぎっしり埋まっており、運のいい者は、ベルベットでおおわれた手すりにもたれている。ここまでたどりつくのさえ、すでにたいへんな一日を過ごしているのだから、立見客のほとんどはくたびれ果てており、これから訪れるものへの期待感でかろうじて身を支えているからいいものの、そうでなければとっくにへたりこんでいるところだ。今彼らが目にしている偉大なオペラハウスは魅力的だが、けっして派手ではない。コヴェント・ガーデンやスカラもそうだが、多くのオペラハウスで目に焼きつく色彩は、プラムのような深い赤である。ウィーン国立歌劇場にもその赤は使われているが、優勢な色彩はむしろ白、黄、金、茶である。劇場の照明は明るく、ネックレスの形をしたシャンデリアが客席に白っぽい光りを添えている。ベルベッドのカーテンは明るい茶色で、オルフェウス物語をエンボスで飾った耐火幕には、金メッキがほどこされている。プロセニアム・アーチもやはり大部分が金色で復元前の劇場とちがって無装飾である。............シュターツオーパーのオーディトリアムには質素な趣があって、それが1860年代の華やかな装飾を期待する来訪者には驚きでもある。
  シュターツオーパーはまた、場所によって見やすさ、聴きやすさともかなりばらつきがあるが、それがチケットの値段に忠実に反映され、同じ演し物におよそ20種類のもの座席区分が用意されるはめになるのだろう。深くカーブした馬蹄形の劇場では、ステージ両脇の上部の席、あるいは左右のボックス席の後からでは。歌手の姿がほとんど見えないこともある。またシュターツオーパーは全体的には音響に恵まれているが、時として強力なコーラスといえども、広いオーケストラピット(ピットが半ばステージにもぐり込んでいない数少ないケースのひとつだ)を越えて声を伝えることができないエリアもあり、場所によって弦楽器がほとんど金管にかき消されてしまうこともある。........ それなりに中央に近ければ(立見客の席も)、どの席も視覚、音響ともすぐれている。すべての大劇場と同じように、ウィーン国立歌劇場もまた、客席の明かりが消える瞬間、魔法の世界へと姿を変える。.....静寂。そして拍手。
  ロリン・マゼールが現れて一礼し、自信に満ちたタクトの一振りで、全員を19世紀のセビリアに連れていく。巨大な茶色のカーテンが二つに割れ,ゼッフィレッリがみごとに蘇らせた、ひなびたスペインの街角が現れる。..........
  ...........
  バルツァ、ドミンゴ、そしてブロンドのかつらでミカエラに扮したフェイス・エシャムが第一幕のカーテンコールに応えている頃、舞台ではすでに街角の装置がばらされ、セビリアの城壁と居酒屋のリリャス・パスティアが飾られている。休憩の間、ドミンゴは楽屋で水を飲み、客席からやってきたマルタと穏やかに話、秘書のポール・ガーナーが次々と差し出す写真にサインをする。.........
  二回目のベルが鳴り、聴衆が客席に戻る頃、暗い舞台の袖には、エキゾチックなスペインの衣裳をつけた一群が集まり、ちぐはぐなウィーン風ドイツ語で喋っている。.......舞台裏のあちこちに置かれた不鮮明な白黒テレビに、指揮台に戻るマゼールの姿が見えるが、しかし拍手とともに激しいブーイングを浴びているのまでは伝わってこない。マゼールはタクトをかまえて騒ぎがおさまるのを待ち、振り降ろす。カーテンが割れると、思い屈した目つきで,積み上げたテーブルに腰かけているバルツァの姿が視界にはいる。.......... 音楽がクライマックスに近づくにしたがって、客席の熱気も高まって行く。ようやくスポットライトがライモンディをとらえる瞬間である。かれは意気揚々と登場し、おそらくすべてのオペラでも一番有名な曲を喉をいっぱいに広げて歌う。.........
  ........
  第三幕のアンダルシアの山は、まるで本物の山を眼前にするような迫力がある。このリアリズムに加え、ゼッフィレッリは、カルメンとホセを馬で登場させるという念のいった芸を見せる。........ドミンゴ対ライモンディの決闘は、客席からみるかぎりはみごとだが、しかし二人ともほんとうに息を切らしているわけではなく、次の歌に備えて、きちんと余力を残している。「俺たちは、またいつか会うだろう!」ホセは瞳と声に殺意を秘めてカルメンに捨て台詞を残し、舞台裏に引っ込んだライモンディは、快活な闘牛士の歌を最後にもう一度大声で歌う。
  その数分後、アンダルシアの山並みが吊り上げられ、闘牛場の外壁が舞台に降ろされる。第四幕はおなじみのオーケストラの前奏抜きで始まる(これは後に舞踏曲に変えられて登場する)。代わりに、まばゆいばかりのステージが幕を開けると、あふれんばかりの活力で歌う祭りの群衆の歌声に、録音された歓声や笛の音が重ねられている。闘牛場への行列は馬が何頭か使われているが、いったん舞台を引っ込むと、大急ぎで次の乗り手に代わり、もう一度お務めに出るしかけになっている。馬の後には必ず、コスチュームをつけた男が目立たないようにシャベルと浅いなべを持って従っている。そうこうするうちにエスカミリオが登場し、群衆の熱狂も効果音も頂点を迎える。この大群衆の熱気からカルメンとエスカミリオのやさしく親密な二重唱へと、ゼッフィレッリはどうやってギア・チェンジをするのだろうか。侍者を従えた神父を登場させ、舞台の反対側のマドンナ像に群衆の注意を引きつるという単純だが、鮮やかな方策によって、である。
  やがて舞台はカルメン一人を残して、ほとんど空になる。.........ホセは繰り返し拒絶するカルメンにがまんがならなくなる。,,,,,,,,,,エスカミリオの勝利を歌うシュターツオーパーのコーラスがドミンゴの目に入る。ドン・ホセの彼は、黒い瞳を狂気に燃やして振り返るが、目に入るのは、女の情人の勝利を讃える群衆の姿だ。ほとんどお錯乱状態になって、ホセはカルメンを刺す。.............
  どうせお芝居じゃないか、というかもしれない。しかし幕が降り、客席から喝采がどっと湧き上がってもバルツァとドミンゴがいつもの表情を取り戻すまでには何分か時間がかかった。......ドミンゴはウィーンの拍手はいつまでも続くことを知っている。以前に彼がここで受けた拍手は一時間以上も続いた。「小さな街だから、みんなすぐに家に帰れる。それに終演の時間も早いし....」と、彼は説明のつもりで控えめにいう。いったんカーテンコールに応じさえすれば、あとはいつ出ていこうと、あるいはカーテンコールに応じようが応じまいが、主演歌手しだいという劇場もある。ウィーンではそうはいかない。..........客席の奥ではマゼールの登場に相変わらずブーイングを続ける客がいる。それからわずか二ヶ月後に、文化大臣がマゼールとシュターツオーパーとの契約は更新されないと発表するのだが、それを知っていたのだろうか。...........
※1982年秋からマゼールが総監督に就任したが、2年で退任する
※プレミエは、1979年クライバー指揮、ドミンゴ、オブラスツォワで、DVDが発売されている

関連記事:
2006-07-08 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その1
2006-07-09 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その2
2006-07-10 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その3
2006-07-11 エスカミーリョ;舞台《カルメン》その1
2006-07-13 エスカミーリョ;舞台《カルメン》その2
2006-07-14 エスカミーリョ;舞台《カルメン》その3
参考:
映画「カルメン」キャスト詳細


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コメント 2

楽しい写真ですね!
私でも知っている人がいっぱい♪
by (2006-07-16 21:53) 

keyaki

22年前のゼッフィレッリ、マゼール、ドミンゴ、バルツァ、RR、みなさん今も現役ですね。
このドミンゴは白髪のかつらと白い口髭で、誰?というかんじですよね。舞台に出ていても歌うまで気がつかれなかったそうで、その後は、もう少し黒っぽくしたそうです。
by keyaki (2006-07-16 22:44) 

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