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エスカミーリョ;舞台《カルメン》その3 [カルメン]

F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その2と同じシーン、舞台だとこんなかんじ、画質がそうとう悲惨で、しかも真っ暗でよくみえませんが、ドミンゴと楽しんでやってますね。

ミラノ・スカラ座《カルメン》3幕決闘の場面
1984年ミラノ・スカラ座の開幕公演は《カルメン》、アバド指揮、ファジョーニ演出、シャーリー・ヴァーレット、ドミンゴ、ライモンディ、1980年パリと同じ演出。
※《カルメン》エスカミーリョの記録1980〜1988

ダニエル・スノウマン著"ドミンゴの世界"に1984年1月のウィーンの公演のことが書かれている。この本はスノウマンが、1981年から1984年のウィーンの《カルメン》まで3年間、ドミンゴを追いかけた記録であるが、オペラの現状にも触れられている。

1984年、ウィーンでの《カルメン》("ドミンゴの世界"より抜粋)
  ウィーンはオペラの街だ。......※1ロリン・マゼールが、総監督の地位についたとき、シュターツオーパーの総監督は、大統領、首相についで三番目の国家要人といわれたものだ。..........
  総監督に就任したマゼールは、毅然として行動しようと決めていた。最初のシーズンに手垢のついた作品はお蔵入りにし、論議の多い新作を導入し、どのプロダクションもきちんとしたリハーサル時間を割り当てて、公演を「ブロック」にまとめているーーリハーサルにろくろく出席せず、一つの役を150回から200回もこなしている古参の歌手など呪われてしまえ、というわけである。マゼールの人気のためを考えるなら、こうした措置はいずれも無益だった。彼の私生活は、ウィーンのゴシップになった。私生活ばかりか、......スタッフの選定までが噂話の種にされた。また、よその仕事をたくさん引き受けて、ウィーンではあまり指揮をしないのも非難の対象にされたーー..........
  二年目に入るとマゼールも、どんな非難を浴びても、少なくとも公衆の面前では、平然と振る舞うようになり、過去の大先輩もみんなこうした悪どい敵と闘ってきたのだと自らに言い聞かせるようになった。マゼールの役目は三つある。シェターツオーパーの芸術面の監督、運営面の監督、さらに指揮者の一人としてオーケストラを振ることだーー最初のシーズンには25回、2年目のシーズンには彼の意に反して、文化省によって40回まで引き上げられた。この責任を一人で全部負って、しかも非難を受けないなんてことはありえない。でなければ三つとも手を抜いているんだ、とマゼールは自分の経験を振り返る。彼に手抜きは断じてありえない。だからこそ、批評家連はナイフの切っ先を研ぎすまして待ちかまえている。そして今回の《カルメン》は、マゼールを狙う人間にとって絶好のチャンスなのである。
  《カルメン》のオープニングが迫るにつれ、興奮がしだいにウィーンを満たしていった。シェターツオーパーの公演には必ずといっていいほど売れ残りが出るものだが、街角のチケット売場には「カルメン、売り切れ」のチラシが貼られている。
..........
  ドミンゴのような巡回スターになると音楽生活は基本的に主題と変奏の連続で、いろいろなオペラハウス、同僚歌手が次々と順番を代えて登場する。ウィーンの《カルメン》はその典型例だ。..........キャストでは、エスカミリオ(ルッジェーロ・ライモンディ)、ミカエラ(フェイス・エシャム)がゴーモン映画の共演者だ。彼らはみな、シェターツオーパーの総監督ロリン・マゼールに呼ばれたのだが、ゴーモンのサウンドトラックを指揮したのは、そのマゼールなのである。
  ドミンゴにとって、どちらかというと目新しいのは、タイトル・ロールの歌手である。........彼が起用したカルメンは、ギリシャのメゾ、アグネス・バルツァである。........ブルネットの髪に、つぶらな瞳、ほっそりセクシーなバルツァのカルメンは、歌唱でも演技でも誇張ぎみのところがあり、それが身震いするほどの興奮を生むこともあれば、毛嫌いされることもあるだろう。..........バルツァのカルメンはけっして決定版ではないかもしれない。表現があまりにも華やかで、それゆえ下品だと評する人もいる。しかしある意味では最高のカルメンともいえる。もっと女らしいカルメンというなら、たとえばスペインでも、ビクトリア・ロス・アンヘレスやテレサ・ベルガンサがいる。しかし五感に訴える情熱という点にかけて、アグネス・バルツァは、多くのオペラ・ファンが憧れていたカルメンである。
  ..........
  《カルメン》のリハーサルは関係者以外立入禁止だが、いろいろなルートで暗い客席にもぐりこんだ人々は100人を下らなかった。白髪の小柄なカラヤンもそこにいる。側近にかしずかれた生ける伝説である。カラヤンは無言で、黒のカーディガンというカジュアルな装いのマゼールが冷静に第一、第二幕を通すのをみつめていた。..........
  ..........《カルメン》は長いオペラできちんと上演するには、相当のリハーサルがいる。グレー・フラノのズボンに、派手な色のセーターを着たゼッフィレッリは、とうてい60歳に見えないが、演出席で見守っている姿からすると、どうやらステージの出来が気に入らないらしい。彼もやはりウィーン入りが遅れて、それが気に食わない者もいるらしいが、再演にあたって※2プレミエ当時の演出家をもう一度迎えるのは、それはそれでオペラハウスにとって格別の名誉である。マゼールが少しでも来てくれるようにゼッフィレッリを口説いたのは、おそらく今回の再演の格の高さを物語っている。
  規定の三時間が過ぎ、オーケストラとコーラスのほとんどが去ると、ステージにはピアノが運ばれてきた。念入りに振り付けた場面が狙いどおり行くかどうか、あと一時間かそこら、ゼッフィレッリが主演歌手をしぼり上げようというわけだ。ドミンゴとライモンディが第三幕の決闘シーンを通す。ステージは急な勾配がつけられている上、張りものの岩が散らばっている。運動神経の盛りの過ぎた二人の男が、本物らしく、それでいて怪我をしないようにナイフで決闘するには決してやさしい場所ではない。それでも二人は、この決闘をアンダルシアの本物の山と岩の間で演じることに昨年の夏の幾分かを費やしており、やがてふうふう息をきらし、笑みを浮かべながら、手順をものにしていく。オペラの幕切れももう一度やるはめになる。バルツァは、第三幕の赤いベルベットのベストにジプシー・スカートのまま、指輪をもぎとり、ホセに投げつける。
  ..........翌日、マゼールはもう一度リハーサルを行う予定だがソリストは出席しない。明後日を今年のオペラ界でも最高の夜にすべく、休養をとり調子を整えるのが彼らの役目である。ー続くー

※1:1982年秋からマゼールが総監督に就任したが、2年で退任する
※2:プレミエは、1979年クライバー指揮、DVDが発売されている


関連記事:
2006-07-08 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その1
2006-07-09 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その2
2006-07-10 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その3
2006-07-11 エスカミーリョ;舞台《カルメン》その1
2006-07-13 エスカミーリョ;舞台《カルメン》その2
参考:
映画「カルメン」キャスト詳細

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