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F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その3 [《カルメン》FILMとオペラ]


《カルメン》2幕はじめ〜闘牛士の歌
セビリア郊外の居酒屋「リリャス・パスティア」、カルメンが、仲間のジプシーや、将校たちと酒を飲み踊っている。そこに闘牛士エスカミーリョの一団が通りかかる。

ついでの話:『真実の瞬間』という闘牛士のドキュメンタリータッチの映画を昔、昔見たが、これが、フランチェスコ・ロージ脚本監督だった。ロージだからこそ闘牛士エスカミーリョをおろそかにせず、個性的に描くことができたのだろう。『真実の瞬間』とは、闘牛士が最後に牛にとどめを刺す時を表す言葉なのだそうだ。

この小柄なカルメンには、したたかな街の悪童の雰囲気と、すばらしく戦闘的な姿勢がある
  ロージは物語の時代を1875年に定め、アンダルシア地方のオール・ロケを選び、当時のセビリャに似せるため、ロンダやカルモナ、そしてセビリャの町そのものを使った。しかし、この自然の舞台はたんに自然であるだけではない。もうひとつの形式的次元がある。この舞台は演劇的であるとともに唆厳でもあり、その強烈なパースペクティブが映画化オペラに不可欠なものを提供しているーーそれは、歌手が世間並みの仕事にたずさわる世間並みの人間ではない、という認識だ。彼らは儀式化されたパフォーマンス(この場合は四幕でさらに幕間がつく)の一部である。抑えられた色彩は、シークェンスごとに色調が異なり、スクリーンはしばしば斜めに二分される。ドン・ホセ伍長(プラシド・ドミンゴ)の勤務する山頂の砦の斜面も、ドン・ホセが彼に恋する美しい瞳のナバーラ娘ミカエラ(フェース.エシャム)と歩く、曲がりくねった狭い街路も。白塗りの家と石壁が、この映画に十九世紀絵画の光沢と、二十世紀美術の半抽象的な明快さを与えている。

  映像はけっして感傷的にも、ゼフィレッリ調にもならないし、どの場面も感情過多にはならない。ロージは音楽に情熱を運ばせる。彼が提供するのは、観客がこのオペラをひとつのトータルなものとして経験するのに理想的な条件である。長年のコンビである撮影監督のパスクァリーノ・デ・サンティスと、美術監督のエンリコ.ホブの協力を得て、ロージはきわめて美しい(感情触発的な)照明を実現したため、映像が澄みきって適切に見えるーーこれこそアリアに求められるものだ。

  カルメン(ジュリア・ミゲネス・ジヨンソン)が堅苦しいドン・ホセをからかうときの灰青色の空と、ほこりっぽいべージュ色の街路。ドン・ホセが命令を受けて、タバコエ場の騒動を調べにはいっていく薄暗い迷路のような建物、そこに半裸で働くカルメンと五百人の女工。一時的にドン・ホセと恋におちたカルメンが、腕の鈍らないように闘牛士のエスカミリオ(ルッジェロ.ライモンディ)を誘惑するときの、ジプシーの野営地の夜景と、小さい焚火に色づいた闇。これらの背景は、まるで風景画の名手、パステル色のヴィジヨンを持つ神が創りだしたようだ。カルメンがドン・ホセをたらしこんで密輸人の仲間にひきいれ、四人の主要歌手が夜明け前の峠に顔をそろえるときには、山々も、かすかなオレンジ色の輝きも、壮麗な舞台装置のように見える。この映像はコローかゴヤを連想させるが、ロージはシャルル.ダヴィリエ男爵のスペイン旅行記(1873年の雑誌連載物)に添えられたギュスターブ・ドレの挿絵が基礎資料だと認めている。ロージによると、一度もスペインに行ったことのないビゼーはこの石版画を参考にしたらしく、ロージもこの映画の撮影に、ドレが描いたのとおなじ実景を何カ所か使ったという。

  最初にカルメンがドン・ホセに興味をひかれたのは、その堅苦しい小市民性ーー彼が愚直な大男であることだった。彼はひとつのチャレンジだった。カルメンの誤算は、自分なりのやりかたで彼を恋人にできると考えたことにある。この映画のロマンチックな原動力は、性的自由を確認しようとするカルメンの試みであり、プラシド・ドミンゴのドン・ホセは、動かしがたい大岩として彼女の行く手に立ちふさがる。ドミンゴのドン・ホセには自己中心的な単調さがあるーー声にも、明るい側面がない。そして残酷な側面もない。ドミンゴの声には美しい抑揚があるが、歌手としては感情を均質化しているように思えるその声は壮麗だが平板だ。しかし、物語ることにおいて、彼のテノールはたぶん比肩するものがないだろうーー叙事的アリアが、くつろぎきった感じで朗々とあふれでてくる。それに、ここでの彼の堅物らしさには、独特のオペラ的な性質がある。おまえの望みのままの男になるから捨てないでくれ、といって女を口説くような、救いようのないおめでたさがある。そんな野暮天をドミンゴは完壁に演じている。

  最初のうち、フェース・エシャムのミカエラは、幸運のお守りのように愛らしい、目を細めた微笑を見せる。彼女にはおきゃんなところがある。ドン・ホセを失ったあとではその微笑は消え、山奥でひとりになって、このオペラでたぶんいちばん美しいソプラノ・アリアを歌うとき、その声には果てしない孤独にさいなまれた若い娘の激しい悲嘆がこもる。

  華麗なバス歌手のライモンディは、長身の優雅なエスカミリオ長いあいだ大衆のアイドルをつづけ、生まれつきの貴族のように洗練された男だ。白馬に乗って山を行く彼は、すばらしい横顔を見せる。われわれにも感じられるのは、彼がカルメンを高く買う理由が、彼女の陽気さ、恐れを知らぬ大胆さーーつまりカルメンが、けっしてドン・ホセの望んでいる中流階級の女性にならないところだ。

  ロージ(と、トニーノ・グェッラ)の試みたこの忠実な映画化は、曲のあいだにふつうのセリフを使ったビゼーのオリジナル版に基づいている。(あのいまいましいレチタティーボ版は後年の"改良"である) アントニオ・ガデスの振付を得て、ロージはこれまでにわたしが舞台とスクリーンで見たオペラのどれよりも効果的にコーラスを使っている彼のコーラスの扱いは、最も流麗で様式的なミュージカル映画を連想させる。たとえば、歳月の重みにひしゃげたような短躯の、すばらしくいんぎんな老人(エンリケ・エル・コホ)が、タバコエ場の外の広場でカルメンのダンスのパートナーをつとめるところ。ロージはこうした場面にたっぷり時間をかけ、映画に厚みを添える。

  この映画の楽しみの多くは、みごとな構成にある。巻頭で、マタドールのエスカミリオが闘牛場にいるところが映しだされる。彼のクローズアップ、そして血まみれの牡牛のクローズアツプ。エスカミリオがとどめを刺しに近づき、あわれな牡牛がくずおれるところで序曲がはじまる。群集が喝采し、牡牛の死骸が砂の上をひきずられ、闘牛士はファンの肩にかつがれて場内を一周する。つぎにべつの儀式が画面に現われるーーこちらは宗教的な行列で、長い蟻燭を持った黒衣の人びとが聖処女マリアの像をかこんで進んでいく。

  第四幕ではエスカミリオがふたたび闘牛場に現われ、ふたたび牡牛の頭のクローズアップー死のように黒いものが画面を満たす。これらの場面は、ほかの場面とおなじように様式化されて儀式的だが、もっと強烈である。結末では、エスカミリオが喝采を浴びている闘牛場のすぐ外で、ドン・ホセとカルメンが最後の争いをしている。ドン.ホセは黒いスーツ、そしてカルメンはここではじめて、淑女らしい衣装を着るーー濃い薔蔽色のテイラード・ドレスに闘牛士の上着を思わせるボレロ・トップ、黒いレースのマンティラ。この因習的な衣装はーーそれを買ってくれたエスカミリオを喜ばせるために着ているのだがーーカルメンを小さく見せる。ドン・ホセと彼の体現する暴力へのカルメンの挑戦が、きらびやかな衣装によっていっそう強く心に訴えるものになる。彼女は男性支配、教会支配の社会システムに立ち向かうジプシーの腕白小僧だ。カルメンの死装束は、おそらく一生一度の賛沢な衣装だが、それは彼女にまるで似あわない。
映画辛口案内 私の批評に手加減はない ポーリン・ケイル/浅倉久志訳 

関連記事:
2006-07-08 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その1
2006-07-09 F.ロージ監督 OPERA-FILM《カルメン》その2
参考:
映画「カルメン」キャスト詳細

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コメント 6

euridice

>あのいまいましいレチタティーボ版
なるほどね。新国立劇場ではほんとにうんざりしました。カルメンには二度と行かないぞ!と思いました。

映画「カルメン」では、全ての登場人物が過不足なく、類型的な人物としてではなく、複雑で個性的な人間として、生き生きと描かれていると思います。そして、牛もあの土地と時代の習俗も・・・
by euridice (2006-07-10 20:27) 

keyaki

私もオペラ・コミック版に馴染んでますので、レチタティーヴォ版は、いまいましく感じます。
もしかしたら、また最近レチタティーヴォ版が盛り返してきてるのかしら?
フランス語で歌えても、喋るのは難しいというような歌手が歌う時にレチタティーヴォ版を採用するということかしら、、ね。

TBありがとうございます。
by keyaki (2006-07-11 00:18) 

Cecilia

お久しぶりです。(記事はちょくちょく拝見しています。)
私はレチタティーヴォ版は聴いたことがないですね。
うちにあるカルメンはテレサ・ベルガンサがカルメンのパリ・オペラ座のLD(!)とアンネ・ゾフィー・フォン・オッターがカルメンのグラインドボーン音楽祭のDVDなのですが、前者は今見れません!!(実は数回も見ていないかも・・・。もう一度観たいのですが。)後者は非常にお気に入りです。しかし・・・きわどい台詞が多いので、(こんなにすごい台詞だったっけ?)と気になっています。
手元にオリジナルの台本とかがないし、LDを見ることも出来ないので、比較ができていないのですが・・・・付け加えているかな・・・?と感じています。
by Cecilia (2006-07-11 09:29) 

keyaki

Cecilia さん、
ベルガンサのは、エスカミーリョが、ライモンディなので、VHS、LD、DVDと買い進みましたが、残念ながら結局れいのドリームさんがDVDを出しましたので、画質の改善はみられませんでした。これがライモンディのエスカミーリョ初役なんですよ。
フォン・オッターのは、私も見ましたが、マクヴィカーの演出なので、やっている事自体が....というかんじです。オレンジとか、あの変なダンスにはまいりました。そっちの方に目が行ったせいか、字幕が特別強烈だったという記憶がないです。
ナウリのエスカミーリョは、闘牛士というよりは鳩でもだしそうなマジシャン風でしたね。

いろいろなカルメンがありますが、この映画のカルメンはすばしっこくて山猫のようで、女性からみても可愛いい。映画は、やはりピッタリな人を見つけてくるな、と思いました。
by keyaki (2006-07-11 11:15) 

きのけん

>>あのいまいましいレチタティーボ版

(笑)。うん、でも、後にレチタティヴォ版が作られたのにはちゃんと理由があるんです。つまり、《カルメン》というオペラは当時のフランス式「オペラ・コミック」の様式に従って書かれている。歌の箇所と台詞の箇所が交互して出てくるという様式ですね。オッフェンバックの《ホフマン物語》もそう。ドイツでは「Singspiel」と呼ばれているスタイル。モーツァルトで言えば《後宮…》とか《魔笛》、ベートーヴェンの《フィデリオ》(まあ、これはオリジナルがケルビーニの《水運び人》というフランスのオペラ・コミックだからね)、ヴェーバーの《魔弾の射手》…、ウィーンやパリのオペレッタを経て今日あるミュージカルに継承されているスタイルですよね。当時は音楽と演劇が現在ほど分化してなかったから、歌手は同時に役者であり、役者だって多少なら歌の素養があるのが普通だった。だから、あれらのオペラの台詞の部分をちゃんと喋れたわけ。ところが、音楽と演劇の分業が進むにつれ、台詞を喋れない歌手が出てきちゃうわけよ。さらにレパートリーの国際化が進んで(…というのはもっと後のことだけれど)、フランス語の台詞が喋れない歌手だって沢山いるわけだ。じゃあ、どうしよう?…ってことで、それなら台詞の箇所を昔風にレチタティヴォにして、連中に歌ってもらえばいいじゃん!…ということで出来たのがレチタティヴォ版というわけよ。《ホフマン物語》の方も同様の問題が起こってるでしょ。一頃のレコード録音では、歌の部分は歌手、台詞の部分を本職の役者という分業をやってるのが多かったですが、あれは声が変わっちゃうから問題なんだよね。確かに、オペラ評論家の中には、それさえ気が付かなくて、何某さんはなんと立派なドイツ語を喋ること!なんて書いちゃうご立派な耳をした御仁だっているくらいなんですが(笑)、もし国際的なオール・スター・キャストでやらせようと思ったら、そりゃ、仏語の台詞を喋らなくていいだけ音楽が付いてるレチタティヴォ版の方が歌手たちにとってはやり易いというわけよ。
 そういや、僕は昔、東独時代のベルリン国立歌劇場でフェルゼンシュタイン独訳&脚色版《カルメン》というのに出会ったことがありますが、あれは実に見事なものでしたよ。全員ドイツ人の歌手たちも見事に台詞を喋っていたし…。
 それから主役を「ドン・ジョゼ」と言ってるのが仏語のできる歌手、「ホセ」と言ってるのができない歌手。例のライモンディさんの出たオペラ=コミック座版でも、表キャストのドミンゴが「ホセ」(スペイン人は「ジョ」という発音ができない)、裏キャストのアラン・ヴァンゾーが「ジョゼ」(フランス人は「ホ」という発音ができない)でした。場合によっては「ジョゼ」と「ホセ」が混在してたりしてね(笑)、あれはどういうつもりなんだろ?…。
きのけん
by きのけん (2006-07-12 01:04) 

keyaki

>ホセとジョゼ
なんとなくみなさんジョゼと言っていると思い込んでました。
映画のカルメンは、はっきり、ジョゼ〜!と言っているので。
ベルガンサのをちょっと聴いてみましたが、はっきりわかりませんね。ジョかホか。でもスペイン人だからかな。

名前だからあえてスペイン風にホセと言っているかもしれませんし、指揮者にもよるのかもしれませんから、今後注意して聴いてみます。
by keyaki (2006-07-12 10:25) 

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