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ヴェヒターのシモン:1971年《シモン・ボッカネグラ》 [シモン・ボッカネグラ]

1971年7月、バイエルン国立歌劇場、アバド指揮、オットー・シェンク演出によるヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》のライブの録音が手に入った。
ライモンディは29歳、ヴェヒターとの共演で、下記の2枚の写真、このときの公演のもので、最近になって、このリハーサル写真の謎が解決した。フィリッポに懇願するロドリーゴ? こんな場面あったかな?と悩んでいたが、フェイスコとシモンだったのだ。
ライモンディは、1968年9月、26歳でロールデビュー、現時点では、1997年11月の公演が最後となっている。インタビューで、フィエスコではなくシモンを歌いたい...と語っていたが、実現は不可能だろう、時間的に。ドミンゴまでもシモンを歌ってみたいといっていたようだが、何でも屋のフィガロと違って、さすがに実現できなかった。歌手にとって魅力的な役のようであるが、マイナーなオペラなので、チャンスはなかなかないようだ。
一時代、シモン役は、カップチッリ(アバド指揮、ストレーレル演出があまりにも有名)が一手に引き受けていた感があった。カップチッリの後は、ブルゾンに引き継がれていたが、現在、これを当たり役とする歌手は出ているのだろうか。
■公演記録参照フィエスコ:シモン・ボッカネグラ 主な公演 1968ー1997

       

プロローグ
Fiesco:♪IL lacerto spirito
切々と歌う父の苦しみ、最後は超低音で締めくくられる
こちらで別の録音が聴ける
1幕
Simon&Amelia
♪Figlia!A tal nome palpito
やっぱり感動的!

3幕の最後
♪Piango perche` mi parla
フライング拍手無し、素晴しい!
キャスト
エーベルハルト・ヴェヒター(シモン・ボッカネグラ)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(アメーリア)
ルッジェーロ・ライモンディ(フィエスコ ) 
Robert Ilosfalvy(アドルノ)
William Murray(パオロ )
オットー・シェンク演出
ユルゲン・ローズ舞台衣裳
クラウディオ・アバド指揮
ミュンヘン・フィル
1971年7月19, 21, 24, 28 ,31日

7月19日ライブ放送録音 (PremierOpera2006.6)

ついでの話:
ライモンディは、若い頃、ウィーンよりもミュンヘンで頻繁に歌っていて、演出家のレンネルトと出会ったのもミュンヘンである。ボローニャではライモンディ三兄弟として有名だったようだが、すぐ上の兄、ロベルトが、ミュンヘンに勉強に行ったまま、そこでドイツ人と結婚してミュンヘンに住んでいた。歌手がどこで歌うかは、けっこうこういう個人的理由が大きいと思う。(右写真:左からルッジェーロ、5才上の兄のラファエロ、3才上のロベルト、頭文字がみんな"R"、ライモンディの息子、長男もラファエッロ....)
■エーベルハルト・ヴェヒター Eberhard Waechter 1929.07.09-1992.03.29 オーストリア
■グンドゥラ・ヤノヴィッツ Gundula Janowitz 1939.02.08- オーストリア
■関連記事:カプッチリのシモン
■録音:一覧表


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コメント 14

たか

>ミュンヘン・フィル
これはバイエルン(ミュンヘン)国立歌劇場の公演ですよね? オケは多分バイエルン国立歌劇場管弦楽団だと思います。

アバドはこの頃からミュンヘンで振っていたのですね。翌72年のミュンヘンオリンピックの時にスカラ座の引っ越し公演でアイーダを振ったのもこれが伏線だったのかもしれません。その時のアイーダとほとんど同じキャストで74年にムーティが録音しましたが私はアバドの方が良い演奏だと思います。
by たか (2006-07-05 21:13) 

keyaki

たかさん
>これはバイエルン(ミュンヘン)国立歌劇場の公演ですよね?
アバドは、バイエルン国立歌劇場で、ミュンヘン・フィル(Münchner Philharmoniker)を指揮した、ということのようです。時期的にみて、夏の音楽祭のようですから、バイエルン国立歌劇場のオケピットにミュンヘン・フィルが入ったということしょうか。

アバドが予定していたキャストをムーティがかっさらったとかという話でしたかしら......
by keyaki (2006-07-05 23:40) 

きのけん

 そうそう、バイエルン州立歌劇場の7月のオペラ・フェスティヴァルは、なにせ、シーズン中の目玉演目の再演+新演出初演1で、オケはほぼ毎晩出ずっぱり、サヴァリッシュ時代はサヴァリッシュも毎晩出ずっぱり(ほぼ毎晩だぜえ〜!:指揮+ピアノ伴奏)という超ハードなスケジュールなもんで、毎回ミュンヒェン・フィル(特にイタリア物)あるいは、場合によってはバイエルン放送響が助太刀でピットに入ったり、演奏会形式でオペラを担当する演目が必ず一つは入ってるんです。多分今でもそうじゃないかな?…。
きのけん
by きのけん (2006-07-06 18:39) 

きのけん

 別項の《シモン・ボッカネグラ》公演記録のパリの部分の記載が正確でないんで訂正…。

▼1978年10月〜11月(新制作)
制作:ミラノ・スカラ座=パリ国立歌劇場(ガルニエ)〜つまり引っ越しj公演ではなくて新しく作り直した共同制作です。
演出:ジョルジョ・ストレーレル(ただし実際に演技指導をやったのはランベルト・プジェッリ、アンベール・カメルロとマリーズ・フラック)
美術&衣裳:エツィオ・フリジェリオ
指揮:クラウディオ・アバド&ネッロ・サンティ(11月末〜12月)
パリ国立歌劇場管弦楽団&合唱団(合唱指揮ジャン・ラフォルジュ)
ピエロ・カプチッリ(シモン)、ミレッラ・フレニ(マリア・グリマルディ)、ニコライ・ギャウロフ(フィエスコ)、ヴェリアノ・ルケッティ(ガブリエレ・アドリアーノ)、フェリーチェ・スキアヴィ(パオロ・アルビアーニ)、ジョヴァンニ・フォイアニ(ピエトロ)、マリオ・アニェッティ(水夫)、マリーズ・アチェラ(アメリアの乳母)
(僕が見たのは10月28日、11月03日、06日、09日の4度がアバド)

▼11月22日、28日が同じキャストで指揮はネッロ・サンティ

▼翌シーズンの再演が1989年10月〜11月
指揮:クラウディオ・アバド
パリ国立歌劇場管弦楽団&合唱団(合唱指揮ジャン・ラフォルジュ)
ピエロ・カプチッリ(シモン)、キリ・テ・カナワ(マリア・グリマルディ)、ルッジェロ・ライモンディ(フィエスコ)、エルマンノ・マウロ(ガブリエレ・アドリアーノ)、フェリーチェ・スキアヴィ(パオロ・アルビアーニ)、ジョヴァンニ・フォイアニ(ピエトロ)、マリオ・アニェッティ(水夫)、マリーズ・アチェラ(アメリアの乳母)
(僕が見たのは11月10日)

…ついでに、同シーズンにライモンディさんがもう一つあったぜ!(別に追っ掛けをやってたわけじゃないっす!)
1979年01月19日ハンブルク州立歌劇場
ヴェルディ《ドン・カルロ》(5幕イタリア語全曲版)
演出+美術:ジャン=ピエール・ポネル
指揮:オリヴィエロ・デ・ファブリティース
ハンブルク州立フィルハーモニー管&ハンブルク州立歌劇場合唱団(指揮ギュンター・シュミット=ボーレンダー)
ルッジェロ・ライモンディ(フィリッポ二世)、ヴァシリー・モルドヴェアヌー(カルロ)、レオ・ヌッチ(ポーザ伯爵)、クルト・モル(大審問官)、カール・シュルツ(僧)、エヴァ・マルトン(エリザベッタ・ディ・ヴァロワ)、マリア=ルイザ・ナーヴェ(エボリ姫)、オードレイ・ミカエル(テバルド)、フリーダー・シュトリカー(レルマ伯爵)、バルバラ・スポレート(アランブール伯爵夫人)、河原洋子(天の声)…。

 そうそう思い出した。ライモンディvsクルト・モルの対決がすごかったぜえ〜!!ライモンディなんてちょこさいなぁ!…とばかり、地元クルト・モルがあのオルガンの重低音みたいな声で、ガンガンやるんだよねえ…。まるでブルドーザーなんで、ライモンディさん、ちょっと可哀想だったなあ。そうそう、ブルドーザーと言えば、おまけにエヴァ・マルトンのエリザベッタがこれまた鬼瓦みたいな顔したブリュンヒルデ or ワルキューレ風エリザベッタなんで(笑)、ライモンディさん、もう踏んだり蹴ったり、しこたまなぶりものにされてました。つまり今回のイタリアvsドイツ戦の逆だったってわけだ!
きのけん
by きのけん (2006-07-06 20:30) 

keyaki

きのけんさん、情報ありがとうございます。
さっそくHPに追記しました。
過去の公演がちょっとづつでも分かってくると嬉しいです。
ドミンゴのファンはこういう楽しみはまったくないんですよね。

それにまたまた面白いエピソード,想像するとおかしいです。
1983年にもハンブルグで歌っていますが、やはりマルトンです。
by keyaki (2006-07-06 23:31) 

助六

またまた貴重な記録をありがとうございます。しかも小生の好きなナンバー3箇所!アバドの指揮は既に完成度が高いし、貴重な幕切れに拍手開始まで余韻を味わえる沈黙があるのもミュンヘンですね。フランスの聴衆はこの点では音楽性完璧ゼロ!まあイタリアもそうか。

ミュンヘン・オペラ祭では、昔はバンベルク響まで起用されてたこともあったみたいな。

やはりヴェヒターはドイツっぽいしカップッチッリほどの繊細なニュアンスはないですね。例の「フィ~リア」も苦しそう。逆にこの頃のヤノヴィッツは、噂に聞いてた通り大変清純な声と歌でイタリアものでも違和感ないですね。私が80年代初めに聴いた時はドイツものでもこれほどナチュラルな発声は失っていた気がします。この2人は70年のシュタイン指揮「ドン・カルロ」のヴィーン・ライヴでも共演してますから、当時ミュンヘンやヴィーンではこの辺の人たちがヴェルディも引き受けてたんでしょうね。

戦後90年代までのシモン歌いというと、ゴッビ、カップチッリ、ブルゾンでしょうけれど(他にもタッデイ、ウォレン、マクニール、ミルンズなんかも歌ってた)、その後はヌッチ含めシモン歌いと言える人はいないような。小生がその後聞いたのはアガーケ、ポンス、チェルノフ、C・アルバレスなんかですが、前3者はノーテンキだったりダミ声だったりで、アルバレスが群を抜いてたけど、カップチッリに較べるとやっぱり間が抜けて聞こえる印象。

この他にもヴァン・ダム、ハンプソン、C・グエルフィ、マエストリ、フロンターリ、ホロストフスキ、グルントヘーバー、ドラボヴィッチュとか現役有力バリトンは軒並み歌ってるようですが、真の成功を収めてる人はまだいないみたいですね。
by 助六 (2006-07-07 08:07) 

きんけん

 上の僕の資料 (2006-07-06 20:30) に誤りが一箇所入ってます。すぐに気が付いて訂正しようと思ったんですが、調整中になっちゃった!(笑)。

>▼翌シーズンの再演が1989年10月〜11月

は勿論「1979」年の誤りです。

>助六さん:
 …そうなんだよね、あすこで早急にブラヴォーをやられちゃったら元も子もない!…。特にヴェルディはあすこですぐは拍手して欲しくないような音楽を書いてるじゃないですか…。ただ、パリでも、それは公演日によったみたいだよ。シーンと静まり返って余韻が残った回も確かにありました。
 それからTV中継をやった晩は、テレビ写りが良くなるよう照明をガラッと変えていたのをよく憶えてます。あれ、装置、衣裳それ自体は結構派手なギンギラの色を使ってるんですよ。それが、まづ舞台前面いっぱいに張られた紗幕を通して見ることにより、次に装置や衣裳に当てられる萌葱色の照明を暗めに設定することにより、薄っすらホコリを被ったルネサンスの絵画みたいな古風な色調になるところがスゴかったんだけれど(ちなみにストレーレルは自分で照明を担当するのが常で、歌手や指揮者と喧嘩して演出家名を削っちゃった時でも照明家名にはストレーレルの名前が残ってたりします〜スカラ座でのアバドと大喧嘩した《ローエングリン》は演出:無名氏、照明:ストレーレル)、TV中継の晩は、紗幕を外し、照明も明るくしちゃったもんで、ギンギラギンのリドのショウみたいになっていたんで、ビックリ仰天(笑)。ひょっとしたらフライングの拍手はそのせいもあったかも?…。ラストの薄明の空を背景に船の帆がスルスルっと上がっていく幕切れも、背景がほの暗い薄明だからいいんで、真っ白の白色灯を全開で使ってたら、そりゃ拍手が出ちゃいますわ!…。
 それから、もう一つ。この公演シリーズで非常に気になったのがアバドで、ちょうどスカラ座での全曲録音が出たばっかりだったんですよ。もう、それこそ4回共一字一句あのディスクの演奏と瓜二つなんだよね。ああいうのを「完成度が高い」というんでしょうが、あれにはまいったなあ!…。まるでカラヤンなんだよねえ…。僕はあれからアバドという人の音楽性に疑問を持つようになっちゃった。翌 1979年の再演の時、それが楽員たちとの不興の原因になったんだ。あまりにレコード通りにやらせようとするもんで…。だから、あれ以後、アバドはパリ国立歌劇場管とは一度も仕事をしてないでしょ。《ヴォツェック》はスカラ座の引っ越し公演だったし、《カルメン》はLSOをピットに入れろと主張して指揮者がデルヴォーに代わった。…だから僕なんか、初演シリーズでアバドがネッロ・サンティに代わった時、妙に新鮮に感じちゃってねえ…。ネロちゃんにそう言ったら、我が意を得たりってな感じで、満面に笑みを浮かべて「メルシ〜ィ」と言ってくれました。当時は僕も結構オベッカ使うのが上手かったんだな(笑)。
きのけん
by きんけん (2006-07-07 17:51) 

たか

>ミュンヘンフィル
バイエルン放送響がたまに助っ人で出ているのは知っていましたがミュンヘンフィルがピットに入ることがあるのですか。それは知りませんでした。今でもそうでしょうか?

>アバド
80年のカルメンがデルヴォーに替わったのはやはり訳があったのですね。でもアバドはそんなにレコード通りでしょうか?(放送ですが)ミラノスカラ座と来日した時のヴェルディのレクイエムが素晴らしかったのでレコードも聞いてみましたが熱がこもっていない演奏でがっかりした記憶があります。スタジオ録音と変わらないようでいて実はライブの方がいい演奏をする演奏家の一人だと思っています。
by たか (2006-07-07 20:34) 

keyaki

助六さん、お楽しみ頂けてよかったです。
この公演の録音が手に入るとは思ってもいませんでした。どこからか次々、おもしろい録音がでてきます。
ヤノヴィッツ、とてもいいですね。

つい先頃、バスティーユでのシモン話題になってましたね。写真で見ましたが、最近はやりの演出ですね。これってDVDになるそうですけど、欲しくないです。(笑
メガネ、ペットボトル、ランニングシャツ、ですものね。

>マエストリ
まで歌ちゃってますか。
by keyaki (2006-07-08 03:17) 

きのけん

>たかさん:
>ミュンヘンフィル:

 僕は2度ほどピットに入ったのを聴いてます。1度はドニゼッティの…なんだっけ?…忘れた(笑)。2度目は、確かワーグナーの《恋愛禁制》か《婚礼》じゃなかったっけ?(サヴァリッシュ指揮)…逆に、僕はバイエルン放送響がピットに入ってるのは実際に目にしたことは一度もなかったと思います。それから、バンベルク管が入ったという話は話だけなら聞いたことがあります。フェスティヴァル期間中はリハーサルの時間が十分取れないんで、オイゲン・ヨッフムが州立管を敬遠したんだって…。

>80年のカルメンがデルヴォーに替わったのはやはり訳があったのですね。

 そう、《シモン》で不仲になったオペラ座管が、オペラ=コミック座(=当時はパリ国立歌劇場の第二ホールだった)のピットには他の団体は入れない決まりと主張してストをやりかけたんだけれど、本当はそんな決まりは全然なくて、僕はミシェル・プラッソン指揮トゥールーズ・キャピトル座管が入って上演した《椿姫》を聴いてるし、現代物ではアンサンブル・アンテルコンタンポランがしょっちゅう入ってました(古楽団体が入るようになったのは大分後になてから…)。つまりオケがアバドにいやがらせをしたわけよ。それにアバドの方でもオケのリハーサルをやりたくなかったわけ。それでLSOを入れろと頑張って決裂したというわけ。

>ライブの方がいい演奏をする演奏家の一人だと思っています。

 僕がアバドをしょっちゅう聴いていたのはせいぜい1980年代半ばまでなんですが、意外といい演奏に出会ってないんだよね。お話に出たヴェルディの《レクイエム》(スカラ座管)はもう文句なしにムーティ(フランス国立管&スカラ座管)の方が良かったし、文句なしにいいと思ったのはスカラ座の《ボリス》(ライモンディがヴァルラムをやったリュービモフ演出版)の休演日にミラノのサン・ステファノ教会(…だったかな?)でやったコンサートで前半がストラヴィンスキー《プルチネッラ》、後半がペルゴレージ《スタバト・マテール》というやつ。これだけは文句なしに素晴らしかったですよ。1970年代LSOと毎年来てマーラーをやってましたが、スカスカのマーラーで1度だに感心したことなし。バレンボイム時代のパリ管も同様。
 そういや、バレンボイムがアバドをぶん殴った話っての知ってる?…。バルトークの協奏曲で共演した時、アバドがすごい急速調をやるもんで、そんなんじゃ弾けないとバレンボイムが文句を付けたわけよ。そしたらアバドが、それはオメーの問題で、オレはそんなこと知らねえ!と突っぱねたのよ。そしたらバレンボイムがバシっとアバドをぶん殴っちゃった。これは当時パリ管の理事長を務めていた故ピエール・ヴォツリンスキさんから直に聞いた話です。そりゃ、バレンボイムはバルトークはいつもブーレーズとやってるんだから、コンニャロ!と思うよね(笑)。
 この人の音楽性がよく判った気がしたのはアンサンブル・アンテルコンタンポランを振った時で、ヴェーベルン、ヒンデミットその他をやったんだけど、これがまさに超セリー主義的とも言えるような、ブーレーズ以上に超メカニックな演奏で、なるほどねえ…なんて思ったんです。ブーレーズのヴェーベルンというのは、あれでいて、細部なんかを結構歌わしてて、普通ひとが考えるほどメカニックじゃないですよ。アンテルコンというのは面白くて、まあブーレーズみたいにいつも振ってる人は別として、指揮者の特徴というのがモロに出ちゃうんだよね。バレンボイムが振ると、やっぱし例によってグチャっとした感触になるし、ちょっとブ厚い感じになる。御大がヴェーベルンを振った直後に〜恥かし気もなく〜ウェーベルンを振ったのを聴いた時は、なんだ出鱈目振りやがって!なんて思ったけど、そうじゃなくて、あれはバレンボイムの体質がモロに出た結果だったんだよね。サイモン・ラトルが振った時は、ジャズみたいにスウィングしだしたし。そうそう御大だとフランク・ザッパなんかを振ったって全然スウィングも何もせんのだけどね(笑)。
きのけん
by きのけん (2006-07-08 08:58) 

たか

>バイエルン放送響
ピットに入ったかどうかは定かでありませんが音楽祭期間中にワーグナーかR.シュトラウスの楽劇を演奏会形式でやっていたと記憶しています。サバリッシュの恋愛禁制は(CDになっているプロダクションであれば)シュターツカベレなのでミュンヘンフィルではないです。

>レクイエム
きのけんさんはアバドはケチョンケチョンなのですね。(^^;
ムーティ/スカラは私も生で聞きましたが、私にとってはテレビとFMで聞いたアバド/スカラの方が数段上です。CDでもアバド/VPOの方が上だと思います。ムーティはむしろ80年頃のバイエルン放送響との海賊盤が面白い演奏だったと思います。

個人的にムーティという指揮者の音楽自体は決して嫌いではないのですが、アバドがスカラでやったアイーダのキャストを録音で横取りしただけでなく、ロンドンでやった仮面舞踏会のキャストも横取りしているのでそういうのはどうかと思っています。キャスティングというのもプロダクションの一部ですから。アバドの仮面舞踏会は輸入盤のDVDで出ていてムーティのCDより上だと思います。(ウルリカだけはムーティ盤のコソットに及ばないがこちらも決して悪くはない)
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=199968
by たか (2006-07-08 21:23) 

助六

好きな「シモン」の貴重な録音と資料、楽しませて頂き、かつ利口になりました。

お礼のつもりで表にないRRの「シモン」上演情報を。
配役は、シモン、アメリア、アドルノ、パオロの順。

*69年10月30日 ヴィーン
指揮 パターネ
タッデイ、ヴォーン、B・Morell、R・Bunger
因みに同ヴィスコンティ演出69年3月28日プレミエ時は、クリップス指揮、ヴェヒター、ヤノヴィッツ、コッスッタ、ギャウロフ(フィエスコ)

*74年7月21日 ミュンヘン
指揮 ロペス=コボス
ヴェヒター、ヤノヴィッツ、G・Casellato-Lamberti、W・Murray

*97年11月19・21・23日
指揮 オーレン
演出 サージ
ヌッチ、メシェリアコワ、メリーギ、サッコマーニ
by 助六 (2006-07-09 09:34) 

keyaki

助六さん、ありがとうございます。
さっそく追記しました。
by keyaki (2006-07-10 09:17) 

きのけん

 たかさんのお陰で、随分昔のことを思い出しました、有難う!

>シュターツカベレなので

 おやおや、ミュンヒェンの Staatsorchesterは、名称を昔風の Staatskapelleに戻したんですか!…。僕は、いつも東独が昔の王政時代の名残りの「Staatskapelle」だとか、「Kammersaenger」(宮廷歌手)だのの称号を使い続けているのが不思議で、バイエルンみたいなえらく保守的なところがモダンな「Staatsorchester」なのを不思議に思ってたんですが、ついに昔に戻りましたか!

>きのけんさんはアバドはケチョンケチョンなのですね。(^^;

 なるほど、そう言われてみると、あまりいい演奏に出会わなかったですねえ…。ただ、僕がアバドを追い掛けていたのは 1970年代後半から 1980年代半ばくらいまでに過ぎませんから…。この期間パリに来た時は、アンテルコンを振ったのとか、小澤征爾の代役で出てきたのを含め、ほぼ全回聴いてるんじゃないかな?…。ウィーンに移ってから興味を失った…というか、パリのオケを振らなくなっちゃったから。
 それに、僕がアバドに興味を持ったのは、音楽からというか演劇の方からなんです。彼氏は子供の頃からポリーニなんかと連れ立って、しょっちゅうストレーレルのピッコロ座に通っていたらしいし、そんなことから演劇的な見識が高いんだ。だから、ストレーレルをはじめ、ロンコーニだのリュービモフだのアントワーヌ・ヴィテーズだの演劇界の大家を随分スカラ座に呼んでるんだよね。それが大きかったんです。少なくとも、バレンボイムみたいな付け焼き刃の知識じゃない。それでロンコーニやリュービモフの時はスカラ座まで出掛けていく気になったというわけ。ただ、音楽的な感興がそれに伴ったかというと…ちょっと心許ないなあ…。
 ヴェルディの《レクイエム》に関しては、はっきりした理由があったと思います。僕が実演を聴いたのは1979年にパリとスカラがベルクの交換制作で、ブーレーズ=シェローの三幕全曲版《ルル》を世界初演して、スカラがアバド=ロンコーニ版《ヴォツェック》をパリに持ってきた時。その公演スケジュールってのがすごくて、水曜日《ヴォツェック》(ガルニエ・オペラ)、木曜ヴェルディ《レクイエム》(シャンゼリゼ劇場)、金曜《ヴォツェック》、土曜の朝アルバン・ベルク特集コンサート(シャンゼリゼ劇場)、夜《レクイエム》、日曜のマチネ《ヴォツェック》。イタリア総選挙のため、終演後全員即座に帰国。という超過密スケジュールで、《レクイエム》なんかは当然のことながら、やたら仕事風な演奏になったというわけだ。それに対し、ムーティの方は最初に聴いたサン・ドゥニ大聖堂でのフランス国立管との演奏が、それこそ心魂込めたような熱演で、多分僕はほぼ同時期にムーティの最上の時と、アバドの最悪の時を聴いちゃったんじゃないかと思うんです。この印象が確かだと思うのは、当時僕はムーティが大嫌いだったから(笑)。
 それから15年間くらい、ムーティはただの一度も聴かなくて (唯一聴いたフィラデルフィアの客演は、コンサート中シャトレ座の地下で出火したため中断!)、フランス国立管にしょっちゅう客演するようになってまた聴き始めたら、あれっ、これ同じ人?…というくらい違ってた。若い頃はただただド派手で、元気いいだけだったのに(僕は、ありゃサーカスだよ!と馬鹿にしてた)、あの人ほど見事に熟成した人って、他にあまり例がないんじゃない?…。ただ、昔から音だけはえらくキレイだったよね。一度、フランス国立がまるでウィーン・フィルみたいに鳴ってるんで、あんれえ!…なんて(笑)。スカラ座管だと、なにせ弦楽器が滅茶苦茶にいい楽器を揃えてるから(友人の弦楽器作りと一緒に行ったら、なにあの楽器!…なんて目を回してましたよ。それを、連中、休憩の時、椅子の上に置きっ放しで出て行っちゃうんだよね)、話がわかるんですが、フランス国立管をウィーン・フィルと見紛うばかりに鳴らしちゃった人って、カール・ベームなんかを含め、他にいたっけ?っけ…という感じなんだよね。
きのけん
by きのけん (2006-07-10 19:33) 

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