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ケン・ラッセル演出、グノー《ファウスト》ドイツグラモフォン発売記念 [ファウスト/ファウストの刧罰]

R.ライモンディは、1964年22歳でデビュー後、すぐにフェニーチェ座と5年契約。小さい役からはじめて、2年後の1966年、24歳で大きな役、グノーの《ファウスト》のメフィストフェレを歌う。この時、インテンダントのマリオ・ラブロカは、絶対に失敗させるわけにはいかないと、演技面での指導をピエロ・ファジョーニに全面的にまかせることにした。そのおかげで役者としても開眼することになった記念碑的な役といえる。その後もライモンディの主要なレパートリーであり、来シーズンもチューリッヒで歌う予定である。
さて、このたびケン・ラッセル演出の《ファウスト》が、大手レーベル、ドイツ・グラモフォンから発売され、やっと鮮明な映像を見ることができました。
この公演についてアンケンブランド著"仮面の人Ruggero Raimondi"でも取り上げられていますので、その部分をご紹介します。この文章の前に、ミュンヘンでは、すでにライモンディのメフィストは勝利をおさめ、みんながライモンディの悪魔のまねをするほど大人気だったことが書かれていますので、それを踏まえてお読み下さい。ウィーンでは、他で人気があると冷淡、特にミュンヘンで人気だと受け入れたくない...というなにかがあるそうです。

 ウィーンでは1985年のために、魅力的なメフィストが求められていた。それにケン・ラッセルの想像力が燃え上がった。ライモンディが承諾の返事をした。おそらく彼は自分に何がおころうとしているかそれほどはっきりとはわかっていなかっただろう。3月16日、プレミエの初日が進行した。予告されていた大騒ぎは起こらなかった。通常のブーイングだけは十分にあったが、特にどうということはなかった。1986年2月23日テレビ中継の休憩時間に、メフィストが演出と悪魔そのものについて意見を述べた
 「グノーの悪魔は感じのいい人物で、私は彼がとても好きです。悪魔の存在を信じるかどうかと言えば、私たちはだれでも自分の中に悪魔を抱えています。地獄については正確に想像することができませんが、私たちの心の中で、間違いなく悪魔が燃えています。私としては、ラッセルがこの悪魔を変化させたとは思いません。私も、あまりにも極端な置き換えが行われないように気を遣いました。ラッセルは、このつまらない台本で、観客を惹き付けることはできないと信じています。彼は音楽も平凡だと思っているのです。私は彼とは違う意見です。私はグノーのファウストはとてもおもしろい作品だし、音楽も退屈ではないと思います。舞台の上でしか、このダイナミックな楽譜の色彩は輝かないのですから、それを実行しなければなりません。演出家には多くの可能性があるのですから、時には控えめにすることも求められます。なぜならば、作品自体が自ら十分に表現しているのですから。問題なのは、考えはあっても、時に、それをどう実行するべきかわからないということです。アイディアはたくさんあるが、それらが演劇的に適切に実現するかどうか、私には判断できません。メフィストを歌うのはいつも大好きです。何故かと言うと、メフィストは信じられないほどおもしろいのです。このオペラの後は、いつもものすごく疲れて、もうほんのわずかの力も残っていません。しかし、これは役のせいではありません。非常にたくさんのことがあって、互いに合わせられないし、自分自身の周りの出来事にもの凄く精神を集中しなければならないし、何らかの間違いは簡単に起こりうるので、疲労困憊してしまうのです。それにしてもマスメディアが私たちを口うるさい鑑賞者として育てた結果、舞台に上がってただ単に歌っていればよい時代は終わりました。実際のところ、それ以上のことができるはずもないのですけど・・・。それでも、まだ、演技は二の次という歌手は沢山いるように思います。しかし、私としては、指揮者と演出家と歌手の間の真の協力関係を望んでいます。」
 ケン・ラッセルは悪魔を重く扱った。とりわけ上品で優雅なやつというのではなく、非常に芝居がかった反神(Gegengott)と見なした。その力に限界はないようだった。メフィストが十字架に対して、そして、聖水に対してはもっと激しく、嫌悪感をもよおすまでの悪ふざけをするのは奇妙だった。それでも、ライモンディがこういった人の目をひきつけようとするひどい思いつきと、恥知らずな悪魔的冷笑を伴う演出に協力したので、全体としてもあり、なのかどうかなどということは多くの人の意識から抜け落ちてしまった。だれもが悪魔にはそういうこと、例えば、十字架上のキリストの身体に風穴なんてこと、ができるのだとごく単純に思っていたのだが、そのとき、そういうことをしているのが、役者であるライモンディなのか、登場人物であるメフィストなのか、区別がつかなくなっていた....
 次々と即興的行動で駆け回るわけだから、声楽的な面は時には困難な状況に陥らざるをえなかった。一連の公演の終わりごろになってやっと悪魔はライモンディだった。だれもがライモンディを思い浮かべたみたいだった。声は再びその主人に従っているようだった。彼の合図によって現れたり消えたりする地獄の乙女たちが彼に夢中になった声とまるで同じようだった。セレナーデは、特別にすばらしい室内楽作品になった。ただ単に最後に笑ったのではなく、その笑い声は間違いなく悪魔の恐ろしい響きを伴っていた。
 教会の場面で、彼は司教に変装して、断頭台をまざまざと登場させて、マルガレーテを驚かし、悪魔の前には安全、確実な事柄も人間も全くないということをはっきりと印象づける。
 しかし、ラッセルの悪趣味を受け入れた上で、それを支持するべき必然性があるかどうかという疑問はもちろん未解決のままだ。しかし、ひとつ、こう言うことはできる。ライモンディにとって理想的な役であれば、極めていかがわしい演出も、もはや彼を直接傷つけることができないのは明らかである。まさに、むしろある程度までは有益でさえあるということだ。人を小馬鹿にするのが大好きなウィーンで、彼が公演の英雄になったことを考えるなら、観客とマスコミがほとんど例外的にひとつの意見だったということだ。

他の章でのウィーンに対する記述をご紹介します。

 ウィーンというところは、周知のように、時計が何だか別の進み方をしている。そこでは、芸術家が愛されるか、嫌われるか、あるいは、無視されるかは、他の場所とはかなり違う。これはすでにモーツァルトの時代からそうで、ウィーンの状況を知る人は、繰り返し同じことを証言している。つまり、残念ながら、だれでもある程度そういう傾向はあるものだとしても・・  あそこでは殊更に一風変わった尺度で過去が美化されているのだ。その上、ウィーンが公演をする際、特定の役は、ミュンヘンと張り合っているみたいだ。............
 どうやら「ウィーンにおける優れた芸術家の酷い体験の数々」というテーマについてより深く検討することが重要らしい。モーツァルトは正しく判断されなかったし、フィッシャー・ディースカウは、あそこで何も得ることができなかった。ライモンディの場合も判で押したように同じだ。ウィーン人のお気に入りになるのは、いつでも、そして、この人の場合は特に難しい。つまり、打ち解けようとしない無愛想な目つきで街を闊歩していたり、時々、人にぶつかりそうになっても、はじめてその人に気がついたようにみえたりする、ライモンディのような人にとってはなおさらに難しい。............
Ankenbrand著-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-※オペラ好きの友人訳
■ケン・ラッセル演出のグノー《ファウスト》1985.3.16〜1986.5.11全9公演
■今回発売のDVDは、日本仕様のプレイヤーで再生可能ですが、日本語字幕はありません。いずれ国内版が発売されるのではないかと思います。
画質は、ベルカントが発売していたものより、格段によくなっており、演出のいろいろな仕掛けとライモンディの実に細かい演技が堪能できます。顔も宝塚風な濃い化粧ですが、昨今の流行?の化け物のようなメフィストではなく、こんな頼れる兄貴っていいな...というような怖いながらも愉快なメフィスト君です。
関連記事:
2005-03-19メフィストが十字架を食べるシーンのビデオクリップが見られます
参考:
メフィストフェレ(グノー:ファウスト)主な公演 1966ー2004


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おさむ

ボローニャの公演を幸運にも見る事ができました。トロヴァトーレでフェッランド役のA・パピは大きな劇場に頻繁に出てるわりには迫力、説得力に欠けてました 映像で聴く分にはいい声だったんですが 生で聴くと頭蓋骨に響きがこもって 遠くまで声が飛んできませんでした 声質は良いですが憧れる声ではありませんでした。 アンドレア シェニエにもバスの役があるとは知りませんでした そのルシェ役のアルチュン・コチニアンは スタイリッシュで声質も良いが 声が飛んできませんでした。デッシーとグレギーナがうますぎたのもあるかもしれませんが。R・パペも聴きたかったですー。
by おさむ (2006-07-01 12:31) 

keyaki

おさむさん、幸運も幸運、よかったですね。
私も幸運にもワルキューレを見ることができましたけど。
パペのフンディングは、声はよかったですけど、なんか子供っぽかった、若いといっても、40過ぎてるんですよね。演技的に未熟なのかなぁ。

>A・パピ
どの映像で見られるのかしら? 知らないです。
「10年にひとりの美声」なんて書いてますね。イタリア人なのかしら?ドイツで生まれのようですけど。 30そこそこのようですけど、確かに、主役級で活躍してますね。いずれ聴く機会がありそうですね。
>頭蓋骨に響きがこもって
こういう声って、ロバート・ロイドとかのような声かしら。
by keyaki (2006-07-02 01:00) 

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