最後に:ドキュメンタリーOPERA-FILM《ドン・ジョヴァンニ》 [《ドン・ジョヴァンニ》FILM]
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このドキュメンタリーで、世界初のOPERA-FILMの制作が、新しいジャンルへの挑戦、ロージー監督自身が『完成にこぎつけただけでも奇跡だ。』と語っているように、いかに前代未聞の大変な企画だったかが伝わってきました。関係者の制作秘話ともいえる興味深い話がいろいろありました。なかでも気になったのは、ポール・マイヤーズ(当時録音を担当したCBSプロデューサー)の『三人の歌手』の件と、この映画の成功の鍵となったヴィチェンツァのパラディオの建物を撮影場所に選んだのは誰かということでしょうか。 『三人の歌手』は、いろいろ考えられますが、はっきりはわかりませんので、まあ、おいておくとしましょう。 さて、撮影場所を決めたのは誰か、ということですが、ロージー監督と考えるのが妥当かもしれません。流れとしては、こういうことでしょうか。 この映画制作の発案者であるリーバーマンは、セビリアで撮影することに捕われていたが、シェローから「音楽的には18世紀イタリアであり、撮影場所はヴェローナとヴェネチアの間に美しい場所が幾つもある」という意見を聞いていた。そこで、恐らくロージーから撮影場所はイタリアにしたいと言われた時も、それをすんなりと受け入れたのではないかと思います。
と映画のパンフレットにも書かれている。また、ロージー自身次のように語っている。
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★アンケンブランド著『ルッジェーロ・ライモンディ 仮面の人』"ドン・ジョヴァンニ 映画"
ジョセフ・ロージーに関するサイト:
■サイトCineKen2「追悼ジョゼフ・ロージー全作品」
■「村田憲一郎」HP"euro_jazz"シリーズより
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おっ、また新しいのが出ましたね。
そうそう、上の写真の背後に映ってる子供が重要な役割を果たしていたように憶えてるんだけど、どんなんだっけ?…忘れちゃったよ。思い出させてちょうだい!…。
それから《ガリレオ》は実際にフィルムを見た人は少ないから要注意だね。こいつ、実物を見てないで想像で物を言ってるなあ…というコメントが多いですよ。これはほとんど全部舞台中継みたいなフィルムなんで、ロージーの意図としては、むしろベルイマンの《魔笛》(1)に近いものじゃないかと思います。二人とも舞台演出家でもあるし、芝居でできないこと、映画でできないことがよく判ってるんだ。
(1):orfeo.blogへどうぞ。
http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2006/03/post_2b1b.html
きのけん
by きのけん (2006-06-29 16:47)
きのけんさん、これが最後です。
"黒衣の従者"、子供というか少年、イザベル・アジャーニの弟のエリック君ですね。あっ、でもこの写真の後の方にみえるのは、ヴァン・ダムのレポレッロです。
このドンの小型版の少年は、要所要所に出てきて、ドンのことを憧れの眼差しでじっとみつめています。
インタビューをコピペ
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無言のキャラクターの"黒衣の従者"を編み出したのはどうしてでしょうか?
JL:それは完全にサリエリのアイディアだった。私としては、同性愛をほのめかすものと誤解を招かないかと心配だった。しかしそれは避けることができたと考えている。"黒衣の従者"は、ドン・ジョヴァンニが使用人の女に生ませた私生児なのかもしれないと考えている。従者の中でも特別な身分にあるので主人の側にいつも仕えており、それでデウス.エクス.マキナ(時の氏神)のような役割を果たしてくれている。つまり、演出家が常に苦労させられる、ダ・ポンテ台本のちよつと信じ難い筋の展開のつじつまを合わせてくれるのだ。たとえば第一幕の終わりのところでは、ドン.ジヨヴァンニがどうやってオッターヴィオの手から逃れたのか、どうやつて集団リンチから抜け出せたのかよく分からないが”黒衣の従者”の何らかの手助けがあったことになっているのだ。
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>同性愛をほのめかすものと誤解を招かないかと心配だった。しかしそれは避けることができたと考えている
誤解している人も多いようです。なんでもそうとっちゃう人っているんですよね。
>ドン・ジョヴァンニが使用人の女に生ませた私生児なのかもしれないと考えている
きのけんさんは、ジャコ監督のトスカをご覧になってなかったかしら。
関係ないですけど、この映画のスポレッタもスカルピアが誰かに生ませた子供ではないかと思いました。ライモンディの彼を見る目つきにそういう雰囲気が漂ってました。
by keyaki (2006-06-29 20:31)
うん、メインのソニーじゃ見えなかったけど、iBookの液晶で見たらちゃんと見えた。うんうん、あれはヴァン・ダムだよね。
でも、ロージーはサリエリだなんていい加減なことをホザいてますが、あれはベルイマン《魔笛》に出てくるベルイマン娘の真似をしたのに違いない。自分でそんなこと白状するわけはないからね(笑)。
でも、同性愛云々というのは、そう解釈した方が面白いと思う人はそうとればいいだけの話。
ただ、ロージーがそうとられちゃ困るって思うのは理由のないことではありません。彼は昔からペドファイル的な指向がかなり強いんですよ。彼のフィルムを見てると一目瞭然。
僕が見たうちでは最も古い《A CHILD WENT WORTH 》(米、1941)という短編があるんだけど、これがなんと、米国務省の注文(!)で撮った教育映画で、夏のヴァカンス村ではしゃいでる子供たち、素っ裸になって池でキャッキャはしゃいでる子供たちを、本当に嬉っれしそうに撮ってるんだよね。長編デビュー作が《緑色の髪の少年》(1948)だろ。《M》(1951)が連続子供殺人犯の話じゃない。《大いなる夜》(1951)の男の子はもうちょっと年上だけど、《拳銃を売る男》(1952)でまたまた男の子が主人公。しばらく収まっていたと思うと、《呪われた者たち》(1962)でまたまた放射能に汚染され隔離された子供たちが主人公。《夕なぎ》 (1968)のミア・ファーロウが少女。多分ロージーの最高傑作じゃないかと思われる《恋》(1971)でまた主人公が男の子、《南への道》(1978)のミューミューちゃんと《鱒》(1982)のユペールちゃんが二人共ロリちゃん…。と子供が主人公だったり、重要な役割を果たす映画が半端な量じゃないんだよね。だからペドファイルというのは短絡だけれど、少なくともその傾向は相当強くて、それを映画的に見事に昇華させてることは確かだよね。ヴィスコンティのホモと同じだ。
うん、ホモ的傾向というのは、あまりほじくってもしょうがないと思うけど、ペドファイル的傾向というのはロージー映画のごく本質的なテーマとつながってくると僕は思ってます。
きのけん
by きのけん (2006-06-30 05:11)
事後承諾で申し訳ございませんが、拙宅にこちらのリンク張らせていただきました。
映画「ドン・ジョバンニ」実に美しいですね。
by kametaro07 (2009-09-26 19:24)