OPERA-FILM《ドン・ジョヴァンニ》の監督として、リーバーマンとトスカンは、パトリス・シェローを考えていた。
1974年パリ・オペラ座で、オッフェンバック作曲《ホフマン物語》の演出で成功をおさめていたし、バイロイト音楽祭の《リング》の演出でも話題をよんでいた。
(edcさんのブログでも度々取り上げられている《リング》です。また、ルネ・コロとパトリス・シェローではコロが自伝でシェローについて語っている面白い話が取り上げられています)
参考記事:
シェローが語る「オペラの演出とオペラ歌手について」の記事にシェローに関するきのけんさんの興味深いコメントがあります。
一部要約転載『シェローは高校の演劇部時代からジョルジョ・ストレーレルに非常に可愛がられ、一時期ストレーレルが創設したミラノ・ピッコロ座に身を寄せていた。その時代ストレーレルの勧めで、スポレートの二世界フェスティヴァルにロッシーニ《アルジェのイタリア女》(指揮ト−マス・シッパーズ)を発表し (1969)、その次が、本格的なオペラ・デビューと言えるオッフェンバックの《ホフマン物語》(1974).....』
このドキュメンタリーの、シェローの談話をご紹介します。シェロー談:
トスカンはオペラと映画を愛した。彼は我々が二者を調和させられるだろうと思っていた。 リーバーマンはセビリアで撮影するという考えに捕われていた。彼が事務所でこう言っている様子が想像できる。「厳密に言って、あれは※1ムデハル様式(mudejar)だ」 ムデハル様式はスペインのモレスク(mauresque)が源だが、私はスコアから、それを全然聞き取ることができなかった。むしろ、イタリアの18世紀が聞こえる。私の見方ではない。私は、イタリアを撮影場所にしたいと思った。その点に関して、私はリーバーマンに言った。「ヴェローナとヴェネチアの間に美しい場所が幾つもある」それが私が言った全部だ。特にロトンダを考えてはいなかった。むしろ、ヴィチェンツァ とテアトロ・オリンピコを考えていた。それは練り上げたアイディアではなく、単なる思いつきにすぎなかった。漠然としたもので、結局私はするつもりはないと言った。私は本物の映画を制作したかった。 |
1978年のはじめ、ロージーとリーバマンはイタリアを訪れ、ヴィチェンツァを映画の主な舞台とすることに決めた。というのも16世紀イタリアの建築家パラディオの手になるヴィラ・ロトンダとテアトロ・オリンピコをはじめとするいくつかの建物が、まさに彼らの意図する《ドン・ジョヴァンニ》に相応しかったからで、全体のプランはこの街を基準に組み立てられることとなり、1978年9月中旬から11月はじめにかけて撮影が行われた。 映画パンフレット(木村重雄)より抜粋
シェローが断ったあと、トスカンはジョセフ・ロージーを考えた。あなたはああいう挑戦をするのは好きじゃなかったわけですか? シェロー談: 挑戦だとは思わなかった。オペラ映画であって、芸術の新たなジャンルではなかった。モダニズムは監督によって推進されてきたと理解している。非常に過激な視覚的置き換えを加えた。1930年代のピーター・セラーズが※2ダイナーを舞台にしたように。 しかし、問題は古い音楽的構造だ。過激な考えに合わせて変わることはないし、トラヴィアータを一掃するわけにもいかない。こういうことは論外だ。新しさは物語をするために用いられるのではない。単に大きな絵本を提供するだけではなく、本当に我々に語りかける物語をしたいと思っても、古いオペラの構造には適合しないだろう。今日、めったにオペラが書かれないのは明白だ。革新的なオペラはめったになくなってしまった。 我々にレパートリー・オペラをするように強いるものは多くはない。そして、そういうのを受け入れるということは、シェローの《コジ》やセラーズの《ドン・ジョヴァンニ》、あるいはビル・ヴィオラの《トリスタンとイゾルデ》をやることになるという意味だ。これをビル・ヴィオラは監督していないが。そして、我々はディレクターの考えに従わなければならない。
それはゆっくりと消えていくのでしょうか? シェロー談: そうは思わない、それはすばらしいものであり続けるだろう。トスカンの夢は観客を拡大することだったと思う。私に言わせれば、彼は《ドン・ジョヴァンニ》で部分的には成功した。それは多少の広がりをみせ、より多くの観客に届いた。 |
※1:ムデハル様式(estilo mudejar)はスペインの建築様式で、レコンキスタの後、残留イスラム教徒(mudajjan)の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイル。(レコンキスタ:キリスト教徒による、イベリア半島のイスラム教徒からの解放運動。711年のイスラム軍の侵攻後始まり、1492年のグラナダ陥落で完了した。この過程でポルトガル・スペイン両国家が成立した。) ※2:ダイナーとはアメリカでよくみられるコーヒーや手作りのパイ、あるいはハンバーガーなどを食べさせてくれる手軽なレストラン
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