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アバドのヴェルディRequiem( 吉田秀和氏の著書より) [レクイエム/スタバト・マーテル]

1982年のエジンバラ音楽祭の開幕を飾ったアバド指揮のヴェルディRequiemは、当時CDではなく、映像(LD)で発売されました。今はDVDで発売されています。
この映像について、吉田秀和氏が著書でとりあげているのを思いだして、今朝、図書館に行ってみつけてきました。
右のビデオクリップ:《涙の日 Lacrimosa》の最初の部分、メゾ→バス→ソプラノと印象的、感動的なメロディー

「この一枚」吉田秀和著、新潮文庫 PP398〜404の中から抜粋
この一枚 指揮はアバド(ロンドン交響楽団)。正直いって、この曲の意味を考えると、その幅と深さを充分みたすような演奏を可能にする人としては、現在の指揮者では、私にはカラヤンとアバドしか思い浮かばない。このビデオできいても、その思いは一層強まるばかり。......ー略ー
 この二人のほか、たとえばショルティでは大きさと烈しさは出るだろうが、とかく威嚇的強圧的な面が出やすかろうし、マゼールだったら死への恐れさえ神経質な戦慄に終わるおそれがある。
 だが、アバドは、最初の神秘にみちた導入部から、恐るべき静けさを通過し、最後の結びに至るまで(といっても、ここでも長い長いピアニッシモのトンネルを潜らなければならないのだが)とにかくこの曲のもつ多面性に一つ一つていねいにつきあいながら、全体のバランスをしっかり保持するのを心得ている。それに全曲至るところにちりばめられた浄福的なもの、恍惚感、それから身の毛もよだつような恐ろしさと暗い絶望の表現についても充分な目くばりがきいている。少なくも、それにふれずに通りすぎることはない。
 その演奏の素晴らしさは、また独唱者四人の高度の技術と芸術性、それからそれぞれの独特な人間的魅力とも無関係ではない。つまりは四人の独唱者の選択に成功したのだ。彼らは、二重唱、三重唱、四重唱といった重唱に高い合唱力を示すと同時に、独唱者として至難の技巧を完全に処理しながら、正しい表現の的を射当てる歌唱力が求められる。本当にむずかしい要求だ。このビデオの四人がその要求に全部完全に答えているかどうか、考えてみる余地はあるかもしれない。
 しかし、ここの四人はどの人も、実に高い能力とほかのどの人をつれてきてもとりかえられない際立って個性的な解答をしめしていることは事実だ。
 たとえば、メゾ・ソプラノにこんなに多くが要求される大声楽曲は、ほかにどういうものがあるかしらない。しかし、この曲の求めるものは、大変なものだ。それにジェシー・ノーマンは堂々と答える。いつも私の書く、あの底知れないような深みから上がってくる音楽の力を示す歌唱で。第三部の「Liber scriptus 書き記されし書物は」での独唱以下、彼女の歌には、天使的な性格と魔術的というか、ほとんど呪術的な気配さえ示す不思議な魅力(?)とがある。彼女が「この哀れな私は裁きの時、何を言い、誰に頼めるのか?」と歌うのを聞く時、私はそこに、音楽であって、音楽をのりこえてゆく声をきく思いに満たされる。有名な「Recordare 思い給え」での彼女とソプラノのマーガレット・プライスの二重唱も、ほとんどそれに近い。 以下、ジェシー・ノーマンの歌は、この演奏での深さの頂点(?)をなす。
 カレーラスの歌は美しい。文句なく美しい。「Ingemisco 私は嘆く」がオペラの一節みたいだという評は昔からあり、それは今も通用する。だが、これがヴェルディであり、「Italianità」であるのだ。神に向かって歌う時、声の限り、最も美しい歌を歌わなくてどうするの?
 右のビデオクリップ:《私は嘆く Ingemisco》
 これに対し、ライモンディのバスは、ちょうど彼の顔つきの古代イタリア的彫塑性の見事さがそのまま歌になったよう。いつみてもすばらしい男前であり、いつきいてもすばらしい歌いぶり。さらに「Tubamirum くすしきラッパ」の中でのあの印象的な「Mors stupebit死は驚愕するだろう」の中でくりかえされるmors, mors(死、死)のピアニッシモの響きのすごさ。
 ピアニッシモといえば、プライスが最後の「Libera me 私を救い出し給え」できかせるピアニッシモは、全曲の最も特徴的アンティクライマックスにふさわしい名唱と呼んでいいだろう。これまでにも幾多の名唱をきかせたプライスではあるけれど、ここは、その彼女の輝かしいキャリアの中でも一つの頂点ではなかろうか。
 ここでは合唱も良い。合唱は、すでに導入以後ずっと幾つもりっぱに歌ってきた。
......
ー略ー

ソリスト:
・マーガレット・プライス,Margaret Price 1941.04.13- イギリス
・ジェシー・ノーマン,Jessye Norman 1945.09.15- アメリカ
・ホセ・カレーラス,José Carreras 1946.12.05- バルセロナ
・ルッジェロ・ライモンディ,Ruggero Raimondi 1941.10.03- ボローニャ


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コメント 10

Sardanapalus

>《涙の日 Lacrimosa》の最初の部分
素晴らしいです!ヴァラリンさんのところでも書きましたが、とにかくこのメゾ→バス→合唱の流れが大好きなので、とっても嬉しいです!これは、DVD買ってしまうかも…。しかし、エディンバラ音楽祭は以前はこんなメンバーで開幕していたのですね。なぜか今はイタリアやスペインの人の登場は少なく、ドイツ、イギリス系の音楽家が多いように思います。

>吉田秀和
読んでいて楽しくなる批評ですね。こういう批評をしてくれる批評家ばかりじゃないのが悲しいです。
by Sardanapalus (2006-04-22 12:52) 

keyaki

Sardanapalusさん、
ヴァラリンさんはこの部分最後までアップしてくれると思いますので、ちょっと最初のさわりの部分だけですけど、お楽しみいただいて嬉しいです。

>吉田秀和
>読んでいて楽しくなる批評ですね。
これ、最初に出版されたハードカバーのを買っていたのですが、身辺整理でオークションに出品してしまったんですよ。でも、気になって、もう本屋さんにもないでしょうから、久々に図書館に行ってきました。2冊の単行本を合わせて文庫本で再出版してました。

吉田秀和氏、時々、新国でもおみかけします。
こういう文章は人柄なんでしょうね。
今の評論家と称する人の多くは、活字にすることの重みみたいなものを忘れている様な気がします。
最近特に感じるのは、プロの物書きが、自分でミーハーを売り物にしていることです。ミーハーは私達一般人の特権なのに、同じレベルで、書いてほしくない、やな感じです。
by keyaki (2006-04-22 13:39) 

TARO

これはLD時代に見て、というか聴いて、それからずいぶん長いこと聴いてないんですが、、、、
どうなんでしょう。名演だとは思うし、スカラ座とのCDだったら、むしろこっちを選びたいんですが、プライスとノーマンはやはりどこか違うような気がする。この上演は本来フレーニとヴァレンティーニのはずだったのが、二人ともキャンセルになってしまって、代役だったわけですが。(アバドは一度ソプラノ二人でやってみたかったとのこと。)
この曲だけはやっぱりフレーニなんですよねえ。ましてや二重唱だったりすると、M・プライスとノーマンという大歌手の組み合わせでも、フレーニ&ヴァレンティーニのコンビの完璧さからは、もう・・・。でも昔はちゃんと聞けてなかった可能性も大きいんですけどね。
パルマ大聖堂のライヴは全曲録音が残ってるんでしょうか?残ってるなら是非とも発売して欲しいですね。
by TARO (2006-04-22 14:31) 

keyaki

>フレーニとヴァレンティーニ
わわ、そりゃいいでしょうね。
ソプラノとメゾがその組み合わせって実現したことはあるのかしら?

>(アバドは一度ソプラノ二人でやってみたかったとのこと。)
アッ、そうか、ノーマンはソプラノなんですよね。なんか見た目に惑わされます。

>パルマ大聖堂のライヴは全曲録音が残ってるんでしょうか?
あれば、ぜひとも手に入れたいですけど、あるのかなぁ。
今まで、調べて限りでは見かけませんけど、オペラではないので、どこかで見落としているかもしれませんね。
by keyaki (2006-04-22 15:02) 

TARO

フレーニ、ヴァレンティーニの組み合わせはアバド&スカラ座の日本公演で実現していて、私も聞いています。NHKが録音を持っているはずです(消してなければ)。なおバスはギャウロフです。
2回公演でもう1回はソプラノだけがトモワ=シントウでしたが、NHKは2回とも録音・放送しました。(TVはトモワ=シントウの日のみ。)今のNHKでは考えられないことですね。

パルマのは私も調べてみましたが、見つけられませんでした。あったら凄いですね。テノールはパヴァロッティですしね。メゾだけがイタリア人じゃないのが残念ですが。(オブラスツォワはある時点から、やたら声の威力を前面に押し出して品のない歌唱を聞かせることが多くなったように思いますが、キャリアの前半はイタリア物でも非常に素晴らしい歌を聞かせてくれてたので、「吉」と出れば素晴らしいかも。)
by TARO (2006-04-23 02:32) 

助六

う~ん、プライスとノーマンは確かに「名演には違いないけど、ちょっと違う」感じします。
プライスは、フランスでモーツァルトどころかヴェルディでも評価高くてちょっと意外でした。70年代のショルティ指揮ドミンゴ主演でのデズデモーナの名演とか思い出よく耳にしました。私は多分「フィガロ」の伯爵夫人聴いただけですが、自然なレガートが美しい(このクリップでも)ものの私にはどうもピンと来ない歌い手さんでした。ノーマンも吉田氏の言わんとしてることはよく分かるけれど、私にはどちらかというと「深みの頂点」というより「中味パンパンのアンマン」とかいう言葉が浮かんでしまいます。
この曲はソリストが重要だけど、私も6回くらい聴きましたが、これはというソリストに当たったことがありません。印象に残ってるのはソプラノのスザン・ダン(僅かなキャリアの後病気とかで引退してしまった)、ヴァラディ、フリットーリ、メッツォのボロディーナくらいで、何か「ヴェルディ歌手」とは違う人が大半。フレーニだって「ヴェルディ・ソプラノ」かどうかは異論がありうるわけですから、ここ30年以上ヴェルディ上演が難しくなってることに、改めて思い当たります。
ちなみにフレーニは今月シャトレでリサイタルが予定されていて「怖いものみたさ」で恐る恐る切符買っておきましたが、やはりキャンセルで残念というかホッとした気分というか微妙でした。
この頃のカレーラスはよかったですね。

この曲「オペラなのか宗教曲なのか」という毎度の問いが再び気になってきました。個人的には聴いたあとは、感動の質は「やっぱりオペラじゃない」といつも思います。

有名なフォン・ビューロウの「僧衣をまとったオペラ」という言葉(悪口で言ってる)は、ヴェルディとイタリア嫌いだった彼が聴く前に書いて初演翌日に発表したそうで、まあ昔から聴く前から本質を分かっちゃうっていう人はいたってことですね。ブラームスもビューロウの態度には反発しています。
「Libera me」はロッシーニの死、残りはマンゾーニの死を機に書いたわけで、ヴェルディ自身はイタリア統一とイタリアの栄光を象徴する英雄への追悼記念碑の感覚だったらしい。
ヴェルディは「これでゴロツキではなくなる」とか言ってて、いよいよ真摯な音楽を書くのだという意欲と自覚ははっきりあったみたいです。
マンゾーニは熱心なカトリックだったけど、ヴェルディ自身は多くのリソルジメントの闘士同様、反教権(「ドン・カルロ」に表われてる通り)の殆ど無神論者だったらしい。でも教会での初演にはこだわり、カトリック教会から聖アンブロジオ教会(初演はミラノの聖マルコ教会ですが)での典礼特有のテキストの一部の使用許可を取ったり、教会が要求した女声合唱の黒衣とヴェール着用も呑んだり、面倒を厭ってません。結局彼は「来世」をキリスト教的というより、「イタリアの栄光が次世代に継承され永遠に行き続けること」と理解してたと思われます。まあカトリックの宗教音楽というより、内実は「世俗の精神性を標榜した音楽」とでも言ったらいいかと思います。我々が受ける感動もそういうタイプのものだと感じますし。当たり前の結論ですが。

初演のソプラノとメッツォがR・シュトルツとM・ヴァルトマン(アイーダとアムネリスの創唱者)という2人のハプスブルク帝国出身者だったことは、この曲の強い背景をなしているリソルジメントの文脈を考えると面白い気もしますが、まあそういうことは個人レヴェルでは問題にならないですよね。最初からゲルマン系歌手が歌ってたんだ!
by 助六 (2006-04-23 09:41) 

keyaki

TAROさん
NHKといえば、ネット放送もやってないですよね。そのくせ地デジなんて5局も確保しているようですね。どういう意味があるのか知りませんが。
日本はなにをやるにも規制があるんでしょうね。

パルマのもRAIで放送しているようなかんじもしますから、いずれどこかからでてくるかもしれませんね。
by keyaki (2006-04-23 13:19) 

keyaki

助六さん、面白いお話ありがとうございます。
私なんか、今回、TAROさんに言われてはじめて、ジェシー・ノーマンってソプラノだわ、、と気づいたくらいです。このLDは、異色ということですね。
NYフィルのコテコテのヴェルディ歌いを揃えたのもマゼールの意図するものだったのかしら、、と思えてきました。26日まで聞けるようですから、録音しておこうかな。

>スザン・ダン(僅かなキャリアの後病気とかで引退してしまった)
この人はヴェルディ歌いですよね。「シチリア島の晩鐘」のLDを持っていますが、その後、名前を聞かないのでどうしたのかと思ってました。

>フレーニ
キャンセル、やっぱり残念ですね。デビュー50周年以上ですよね。1955年デビューですから。
by keyaki (2006-04-23 13:55) 

TARO

スーザン・ダンは病気だったんですか。ダン、ミッロ、スウィートなどヴェルディの重めの役を歌えるアメリカ人歌手がいっせいに登場した時期がありましたが、なぜかみんな早めに引っこんじゃいましたね。
ミッロだけは最近復活したみたいで、NYで演奏会形式で「ザザ」を歌って好評だったようですが。
by TARO (2006-04-24 00:13) 

ヴァラリン

>《涙の日 Lacrimosa》
>ヴァラリンさんはこの部分最後までアップしてくれると思いますので、

…お騒がせしました(^。^; またKeyakiさんには色々とご教示頂き、本当にありがとうございました。
新たにUPしてみましたので、うまく作動するかどうか、教えて頂ければと思います。お時間のある時に遊びに来て下さいね。

>プロの物書きが、自分でミーハーを売り物にしていることです。ミーハーは私達一般人の特権なのに、同じレベルで、書いてほしくない、やな感じです。

同感です(¬、¬)
最近、久しぶりに日本のこの手の本を図書館で借りてきましたが、んーーというものが多いですね…
by ヴァラリン (2006-04-24 09:14) 

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