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ケルビーニ作曲《メデア》:Leyla Gencerのメデア [RRと女声歌手]

edcさんのブログでケルビーニ作曲の《メデア》が三回シリーズ(1)(2)(3)でとりあげられています。忘れられそうになると上演されるオペラのようです。歌える歌手が出現するのか、歌いたい歌手が出現するのか、そろそろやりますかぁ、ということなんでしょうか。edcさんのブログの(3)で紹介されているように、最近では、リスボンでギリシャ人歌手のテオドシュが歌ったそうです。
さて、めずらしいことにこのマイナーなオペラ《メデア》のCDを持っているのですが、定番のマリア・カラスのではなく1968年フェニーチェ座のライブです。言わずもがなですが、その当時フェニーチェ座の芸術監督マリオ・ラブロカの下、才能を潰さないように注意深く大切に育てられ、大きな役も歌うようになっていた若き日のR.ライモンディ国王クレオンテで出演。メデアは、トルコ人ソプラノのレイラ・ジェンチェル。メデアといえば、マリア・カラスのイメージが強く、ジェンチェルも引き受けるにあたっては、逡巡し、相当迷ったそうですが、この公演はTVでも放送され、注目に値するものだったということです。

1968年、フェニーチェ座の芸術監督マリオ・ラブロカは、レイラ・ジェンチェルにメデアを歌うことを勧めた。
《メデア》は、1797年パリのフェドー劇場初演であるが、ケルビーニの故国イタリアでは、《メデア》上演の歴史は比較的新しいものである。暗く陰鬱なヒロインは、Ester Mazzoleniによって、1909年ミラノ・スカラ座で上演された。その後、マリア・カラスが1953年に《16回フィレンツェ5月音楽祭》で復活させるまで、40年以上も忘れられていたということである。
1962年ミラノ・スカラ座公演が最後となったとはいえ、マリア・カラスのパーソナリティーによって甦ったメデアを歌うことについて、ジェンチェルは相当迷った。最終的承諾にいたるまでの彼女の逡巡の様子をフランカ・チェッラの本(左上写真)によって知ることができる。
迷った末の出演ではあったが、ピエル・ルイジ・ピッツィアルベルト・ファッシーニの演出の効果もあり、TVでも放送されたこの公演は非常に注目に値するものであった。マリア・カラス最後の公演から数年たっているとはいえ、まだ、その記憶が正当な評価を妨げかねない状況であったにも拘らず。
.......メデアのようなキャラクターの前では、他の登場人物は影が薄くなるのは当然であるが、運良く、この公演の歌手達はそうではなく、むしろうまく機能していた。その中でも若いR.ライモンディは、クレオンテとしての威厳と品位にあふれ、的確なフレージング、明快な発声と正に模範的な高貴な口調で、際立っていた。
.......ジャゾーネ(Aldo Bottion)とグラウチェ(Daniela Mazzuccato)もよかったが、単調でニュアンスに欠ける部分もあった。しかし、演劇的観点から言うと、メデアに対して、同等に重要であるはずの役であるのに、そのキャラクターを充分に描ききれていないということで、歌手の問題ではないのかもしれない。(CDリブレット参照)
▲右上写真:国王クレオンテに扮する27才のライモンディ、クリックすると全体の舞台写真が見られる。セガリーニ著:RugeroRaimondiより
ルイジ・ケルビーニ豆知識:
Luigi Cherubini(1760年9月14日フィレンツェ - 1842年3月15日パリ)はイタリア出身のフランスの作曲家。
6歳の時に音楽家の父親から音楽教育を受け、13歳までに宗教曲をいくつか作曲した。1778年から1780年まで、ボローニャとミラノで音楽を学び、1788年にパリに定住。
オペラの作品も多かったが、ロッシーニの影に隠れ、時代遅れとなり、ほとんど忘れられた。現在でもたまに上演されるのは《メデア》だけといってもいい。しかし、当時の人々には高く評価され、ベートーヴェンはケルビーニを、当時の最もすぐれたオペラ作曲家と見なしていた。
▲影の声:ベートーヴェンにオペラを誉められてもなぁ。。。どこが気に入ったのかしら?
《メデア》について
ケルビーニのオリジナルは、フランス語で、音楽と対話による形式だったが、フランスよりドイツで人気があった。特に彼の死後、フランツ・ラハナー(1803-1890) によって、対話の部分をレチタティーヴォに変えたものが頻繁に上演されるようになった。このラハナー版は、ブラームスを大いに感動させ、「劇的な音楽の最高の高さ」と言わせたとか。
イタリアで上演されたのは、1909年で、これはラハナー版をイタリア語に翻訳したものである。
《メデア》演奏形態の変遷のまとめ
・1797年パリ、フェドー劇場初演:音楽と対話によるオペラコミック、オリジナル版
・1800年ベルリン、1803年ウィーン初演
・1809年ウィーン版 :対話の部分約500小節カット
1842年死去†
・1854年ラハナー版(Cherubini-Lachner版)初演(フランクフルト):フランツ・ポール・ラハナー(Franz Paul Lachner )が、ケルビーニのスコアをカットして、オリジナルの対話部分をレチタティーヴォに置き換えた
・1909年12月30日ラハナーイタリア語版ミラノ・スカラ座初演(イタリア初演) :ラハナー版をカルロ・ザンガリーニがイタリア語に
・1953年5月7日16回フィレンツェ5月音楽祭でマリア・カラスが復活させ(ラハナーイタリア語版)各地で上演、1962年ミラノ・スカラ座の公演が31回目の最後の公演となった。
・1984年頃から、原典主義の影響かオリジナル版の上演が多くなっているようである。

Cherubini: MedeaこのCDは、再発売されたもので、私の所持しているものとは異なります。ラハナーイタリア語版。リザネクのメデア(1972年)の素晴しいボーナス付きだそうです。
参考:録音《メデア》のメデア:カラス、ジェンチェル、リザネク、シャシュ、タマール(仏)、Treigle(仏)、ゴール、オリヴィエロ、ジョーンズ
※ジョーンズはスタジオ録音、あとはライブ
※レイラ・ジェンチェル (レラ・ゲンチャ、レイラ・ゲンジェル):
1928.10.10生まれ、トルコ出身。1950年アンカラでデビュー、イタリアデビューは1953年ナポリ、1957年スカラ座デビュー。
※マリア・カラス:1923.12.02-1977.09.16
※ケルビーニ:1760.09.08/14-1842.03.15 イタリア(→フランス)
※ベートーヴェン:1770.12.16*-1827.03.26 ドイツ
※ブラームス:1833.05.07-1897.04.03 ドイツ


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コメント 7

euridice

>TVでも放送
見てみたいものですね^^!

リンクしてくださっているようですが、なぜか機能してません。
by euridice (2006-03-11 07:02) 

keyaki

ありまぁ、確認したつもりなのにぃ。原因を見つけて直しました。
edcさんのお蔭で、リブレットをやっとこさ読んで、TV放送があったことを知りました。1968年って、白黒かしら。
by keyaki (2006-03-11 09:07) 

alice

「メデア」、昨秋パリで観てきました。アントナッチがメデアの絶望と狂気を見事に表現!!最近の彼女の歌は鬼気迫るものがあります。1月に放映された「トロイ人」のカサンドラも素晴らしかったですね。

来年はミンコフスキ指揮でカルメンを歌うはずでしたが、お流れになったようです。(涙)
by alice (2006-03-20 21:43) 

alice

あらっ!イメージのてるてるぼうずがでませんね。どうして?
by alice (2006-03-20 21:47) 

keyaki

aliceさん、コメントありがとうございます。

>てるてるぼうずがでませんね。どうして?
ログインしてないと出ないんですよ。

アントナッチって、メゾ?ソプラノ? 「コジ・ファン・トゥッテ」でドラベッラを歌ってますね。
by keyaki (2006-03-21 00:37) 

助六

>アントナッチって、メゾ?ソプラノ?

私がアントナッチを初めて聴いたのは、91年ローマの「エルミオーネ」でした。当時はまだアンダーソン、クベルリ、デヴィーアら優れたロッシーニ・ソプラノが活躍中の時期だったけれど、彼女たちと比べてもフレージングのセンス、劇的感性など大変注目に値する才能に思えましたが、高音を音域的にも力感の上でも無理強いしている感じなのが大変気になりました。案の定1年も立たぬ内に「不安定で既に声が危ない」という批評を目にするようになり、本人も自覚していてメッツォに転向し声楽テクニックのリフティング中という報道も目にしました。
その後は余り名前を聴かなくなってしまい、残念に思ってましたが96年スカラ・オープニングのムーティ指揮「アルミーダ」表題役に抜擢され、00年にはヤコープス指揮ヘンデル「アグリッピーナ」でパリに登場しましたが不安定感が残り、02年のクリスティ指揮ヘンデル「ロデリンダ」は、小生は遠慮して裏配役を聞いた次第でした。進境ぶりに俄然耳を引きつけられるようになったのは03年「アグリッピーナ」再演辺りからで、特に03年の「トロイ人」カッサンドラ役は、旋律的造形の凛とした張り、圧倒的な劇的表現力に加え、声そのものの状態も正に「完全復活」で驚喜させてくれました。この成功で全欧的に一挙に注目され、04年の「ポッペア」のネロ役、05年の「ポッペア」で今度はポッペア役も悪くない出来でした。ただ期待された05年6月のシャトレの伊語版「メデア」は(小生の聞いた2日目は)今ひとつ(初日は不評、3日目は良かったらしい。先立つ5月のトゥールーズ上演は絶賛された。)だったと思います。
パリ在住とかでリサイタルやオケ・コンサートにもよく出てくれ、今月初めと数日前も歌曲を聴いたばかりですが、2年前の「トロイ人」の絶好調にも拘らず、高音の疲労とヴィブラートの広がりは覆いがたいというのが、現時点での小生の結論です。歌そのものはとっても良いのですけど。歌い手さんとしては中々美人ですけど、最近は写真よりはふっくら気味かも。
個人的にも現役ベルカント歌い(というかグルック系カント・デクラーマート型歌手というか)としては最も気になるソプラノ/メッツォ(因みに上に挙げた役は全て、通常一応ソプラノに分類されてはいますが)さんですが、安定/不安定、ソプラノ/メッツォの間を往復する不思議な歌い手さんですね。でもこれらの特徴はコルブランやカラスに共通することで、ドラマティコ・ダジリタへの可能性を孕む声の宿命なのかも知れません。ロッシーニ時代まではメッツォという声域は確立しておらず(ドラベッラもケルビーノもアニオも当時の台本には「ソプラノ」としか書いてない)、メッツォの概念も時代・国によって微妙に異なるし、音域・音色どちらを重視するかという問題もありますしね。
彼女は来シーズンはパリで「ティト」のヴィッテリアとアレヴィの「ユダヤ人の女」のラシェルに予定されてます。ラシェルは典型的な「ソプラノ・ファルコン」(仏グラントペラが創り出した暗めでドラマティックなソプラノ。仏語版「ドン・カルロ」のエリザベートもこの系統。人によってはクンドリもこれに入れたり。確かにマイヤベーアに多くを負ってるヴァーグナーにも適用可能かも)だし、ヴィッテリアもメッツォに近い面を多分に含む役だから全く論理的選択なんでしょうね。結局18世紀末から19世紀前半の仏伊オペラ(グルックからヴェルディ)を特徴付ける暗めでcanto declamatoを能くするドラマティックなソプラノ類型(つまり多分にメッツォっぽいソプラノ)によく対応した大変貴重なvocalitàだと思います。
by 助六 (2006-03-26 07:45) 

keyaki

助六さん、解説ありがとうございます。
私がほとんど聞かない分野で活躍の歌手さんなんですね。
ライモンディとの共演は、ロッシーニのモーゼとアバド指揮のコジくらいかな、、、
今、日本で、目玉が飛び出るくらいお高いコンサートをやってるバルトリのようなレパートリーかしら。彼女初日は風邪気味だったけど、ちゃんと歌ってくれたそうです。今日はどうでしょう。
by keyaki (2006-03-27 20:37) 

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