驚異の122ロール!プラシド・ドミンゴ(2) [RRと男声歌手]
ところで、この122ロールという驚異的ともいえるレパートリーの多さですが、これは、「小さな役」も含まれていますから、オペラの数としてはもう少し少なくなります。
どんな役を歌っていたのでしょうか。好奇心で調べてみました。(それにしても"メモ魔"と言われるだけあって、充実のHPで素晴しい!簡単に調べられます)
端役専門で1959年(18才)から約3年メキシコ国立歌劇場の座付き歌手として契約し、1959年リゴレットのボルサが初仕事でした。メキシコ国内のグアダラハラとモンテレイの劇場でも歌っています。前の2006.02.24 の記事でも書きましたが、ここでは、歌手としてだけでなく、ピアノが弾けたからだと思いますが歌手のコーチの助手としても働いていました。
◆1959年〜1962年メキシコ時代のレパートリー◆
◇テノールに要求される高音について:
『ドミンゴにとって、高音の"do"は楽ではないし、全盛期のクラウスやパヴァロッティには及ばないところもあるが、"Si" の豊かさにかけては天下一品である。.........
「高音の"do"を歌うのは、《マノン・レスコー》第4幕のソプラノとの二重唱、《仮面舞踏会》の二重唱、《トゥーランドット》の謎かけのシーン、それに《オテロ》も一回出てくる。《ボエーム》と《トロヴァトーレ》《ファウスト》では、アリアを移調することにしている」そして、時がたつにつれて"do"には自信を持つようになったとドミンゴは付け加えた。』
『1969年の《トロヴァトーレ》の録音で、"見よ、恐ろしい火を"の最後の二つの"do"を出すのに悪戦苦闘したことを共演したバリトンのミルンズは覚えている。最初の"do"はうまくいったが、次が問題だった。「ドミンゴはタオルを首に巻いて、男性コーラスの前に立っていた。40人の男はみんな、たぶん自分のほうがうまくやれると内心思っていたに違いない。プラシドだって、彼らの腹の内はわかっていた。」 ドミンゴは、汗まみれで何小節か前から繰り返してくれるよう頼んでは、何度も何度も挑んだ。そうこうするうちに、突然、ほんとうに美しい声が出た。ずいぶん昔の話だが、ミルンズはその話になると今でも感嘆のあまり顔を輝かせる。「彼のガッツには恐れ入るばかりだった。いってみれば世界を前にして気力で立ち向かったんだ。汗ぐっしょりで、とうとうやってのけたんだから」』
"ドミンゴの世界 ダニエル・スノウマン著"から抜粋
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