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驚異の122ロール!プラシド・ドミンゴ(1) [RRと男声歌手]

プラシド・ドミンゴは、三大テノールの一人として、オペラファン以外にもよく知られています。彼の録音、映像がダントツに多いこともあり、ドミンゴファンが多いのは当然とも言えます。なにしろ、122ロールという驚異的なレパートリーですから、接する機会も多くなり、その結果、親近感もわき、ファンも多い、、という側面もあるでしょう。背も高く、押し出しもよく、舞台栄えのする恵まれた容姿で演技力もあるため、理想的なテノールと評価されています。
ドミンゴの方が年上ですが、R.ライモンディとほぼ同年ということもあり、舞台、映画、録音での共演も多く、私にとっても馴染みのある歌手で、他の三大テノールのお二人と同様に、声を聞いただけでわかります。私には、かなり濃厚な甘ったる〜い声に感じられ、あまりたくさん聞くと食傷気味になることもありますが、《煌めく,非常に独特の声、暗く官能的で"ベルベットの風合いとチェロの響き"という形容がぴったりである》ということです。
※写真左上:幕間インタビュー:ドミンゴにカルメンの曲の分析をさせてしまうアナウンサー、さすがオペラの国! 最後に一瞬見えるのはもしかしたら我が国の○○○ですか?そっくりですけど、まさかのまさか!

ドミンゴは、"記録魔"といわれるているくらいですので、彼の公式ホームページはとても充実しています。それをご覧頂ければと思いますが、世界の大歌劇場で歌うようになるまでの略歴を手元にある資料を二三まとめてみました。
1941年1月21日、マドリードで生まれる。両親はサルスエラの歌手で、メキシコで新たにサルスエラ劇団を始めたため、彼も8才の時に移住。両親の一座で子供のときから歌っていた。
14才でメキシコ音楽院にピアノを学ぶため入学。両親が、巡業で長期間家を空けることが多く、16才の時、学校で知り合ったガールフレンドと内緒で結婚、17才で息子のホセが生まれる。妻子を養うため、この時点で音楽院を退学。
16才から18才までバリトンとしてサルスエラ、オペレッタ、ミュージカルに出演し、家計のためにピアノ弾きのアルバイトもした。しかし、この結婚生活は長続きせず離婚。
そんな時に歌手の友人に勧められ、メキシコシティー歌劇場のオーディションを受ける。そこで《道化師》と《アンドレア・シェニエ》のバリトンのアリアを歌ったが、審査員達は、ドミンゴの声をテノールと判断し、"la"の音もまともに出なかったにも拘らず、劇場側は、テノールとして契約した。
1959〜1961年(18〜20才)主にコンプリマリオのパートを歌い、歌手のコーチの助手としても働く。その頃、同僚のソプラノ歌手のマルタ・オルネラスと知り合う。
1961年アメリカのダラスで、サザーランドの相手役として《清教徒》のアルトゥーロ、フォートワースで、リリー・ポンス引退公演の《ランメルムールのルチア》でエドガルドを歌う。1962年には、デル・モナコのオテロの傍らカッシオを歌っている。
1962年8月マルタと結婚。二人ともメキシコ・オペラ界では、嘱望される若手として成長し、彼はTVの音楽番組にレギュラーとして出演し、当地では名を知られるようになっていた。そこにテルアヴィヴのイスラエル国立歌劇場から主役として半年間の契約が舞い込む。ひどい条件ではあったが、チャンスとみた彼は、1962年秋、妻のマルタと親友のバリトン歌手とテル・アヴィヴへ行き、イスラエル国立歌劇場と夫婦で契約。
しかし、正式に声楽を学んだことがなかったため、いきづまる。マルタから、発声法と呼吸法が間違っていると指摘され、公演の合間にマルタとバリトン歌手の友人の協力の下、発声の矯正訓練を続け、正しいブレス、横隔膜の使い方を習得していった。その間も、契約上歌わないわけにはいかず、舞台で、高音が出なかったりで恥ずかしい思いをし、首になるのではと絶望したこともあったが、徐々に訓練の成果も現れ、声量、声の安定性、高音も改善され、テノールとしての声ができ上がっていった。半年の予定が3年近くいることになったのだが、その間、オッターヴィオ、フェッランド等モーツァルトの諸役(その後はレパートリーからはずした)をはじめ、12 ロール280公演に出演し、彼独特の技巧をイスラエル国立歌劇場専属として在籍していた2年半の間に身につけた。
1965年にテルアヴィヴを出て、アメリカへ。NYシティーオペラデビュー。公演の合間にヨーロッパにもオーディションを受けに行く。ハンブルグ、ウィーン、ベルリンの劇場に雇われ、成功し、サンフランシスコ、シカゴからも口がかかり、NYメトにも呼ばれ、1969年にはヴェローナとミラノデビュー。その後、世界中の大劇場で歌っている。
1975年35才で《オテロ》デビュー、専門家達は早すぎると警告したが、オテロは、得意のレパートリーでほぼ例年歌っている。2002年ワシントンオペラ日本ツァーでもオテロを歌った。
※写真右上:カーテンコールの合間をぬってインタビュー:歌手さん達は出たり入ったりで忙しくなかなかつかまえられません。アローラ、アローラ、
※ビデオクリップ:1984年スカラ座開幕公演、アバド指揮、ファジョーニ演出《カルメン》キャスト詳細


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コメント 7

ヴァラリン

122ロールですかw( ̄▽ ̄;)w
このお方に関しては、日本語で気軽に読める本も出てますし、インタビューもたくさんありますが、読む気になれないんですが(^^;Keyakiさんがわかりやすく纏めて下さると、ちゃんと読もうと思うから不思議ですねぇ…
続き、楽しみにしてます。

>我が国の○○○

似てらっしゃいますね(^^! まだお若い時…という感じですし、スカラ座の開幕公演だったら有り得るかも…

エスカミーリョ、かっこいいですね(^。^!
by ヴァラリン (2006-02-25 08:10) 

助六

ドミンゴは公式には41年生まれで通しているようですが、実は33年か34年生まれとも言われ、一部辞典は?マーク付きでそれを採用しているものもあります。そうだとすると現在70越してることになり、その割には確かに良く歌うよね。ちゃんと立ってるし。職業的デビューが18歳、テルアヴィヴの座付き(当時テルアヴィヴの座付き第1ソプラノをしてた砂原美智子氏と数多く共演しているらしい)になるのが21歳ってのは、いくら早熟でもちょっと早い気はしますよね。

彼が120余の持ち役中60数役について語っている本があり、小生は仏訳で知りましたが中々参考になる発言もあります。邦訳があるのか否か知りませんが、ご参考まで。
http://www.baskervillepublishers.com/store/merchant.mvc?Screen=PROD&Product_Code=1-880909-61-8&Category_Code=GVS

個人的には、彼の声はその身上だった、声の中ほどが柔らかく盛り上がるような無限の暖かみを既に80年代半ばに失ったという印象を持ってます。
by 助六 (2006-02-25 08:35) 

euridice

>彼が120余の持ち役中60数役について語っている本
日本語訳、出版されています。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30840932

>122ロール
オペラの役っていくつぐらいあるのかわかりませんけど、凄い!んでしょうねぇ・・・定番オペラはほとんど含まれるでしょうから、レパートリーじゃないのをさがしたほうがわかりやすいかも・・^^!
by euridice (2006-02-25 08:53) 

keyaki

ヴァラリンさん、今まで気づかなかったのですが、やっぱりそうですよね。
>エスカミーリョ、かっこいいですね(^。^!
アバドとファジョーニが絡んでれば好きじゃない役でも断れないですね。開幕公演なので、同じプロダクションのパリオペラ座公演より、衣裳にお金をかけてます。特にエスカミーリョですけど。
by keyaki (2006-02-25 09:49) 

keyaki

年齢のことは、サバを読んでるっていわれますが、いくらなんでも7才もですか。今までは、そうかもしれない、、と思っていましたが、そうは思えなくなりますね。
メトの暴露本にも何才とは書いてませんでしたが、絶対サバ読んでるわよ!という書き方でした。生年を疑われる切っ掛けはなんだったんでしょうか、ご存知ですか。

助六さん、euridiceさん
本の紹介ありがとうございます。
前にHPを覗いた時は、119ロールだったんですよ。ライモンディに比べて端役歌手時代が長いですから、端役含まれているので、タイトルにすればそれほどでもないと思います。例えば、リゴレットでは、ボルサと公爵、オテロではカッシオとオテロというように。
ライモンディで80位だったかな、、、
ドミンゴもライモンディもシモンボッカネグラのシモンをやりたい、、なんて言っているようですが、ダブルキャストで二人でやれば面白そう! だれか企画する人はいないのかしら。
by keyaki (2006-02-25 10:18) 

おさかな♪

私もヴァラリンさんと同じ意見です♪
keyakiさん、素晴らしいまとめの記事をありがとうございます。
声楽をきちんと学びなおしたところが、頑張ったんだなぁと思いました。
それにしても、ホントにレパートリーが多いんですね!
by おさかな♪ (2006-02-25 22:44) 

TARO

ドミンゴは初来日から聞いてますし、私がオペラに興味を持っていた時期がちょうど三大テノール(という書き方もなんですが)の全盛期だったので、好き嫌いを超えた存在ですね。
プレ・ヴェルディはパヴァロッティ、それ以後のリリコ・スピントの役は全部ドミンゴでデフォルトみたいな。

ああ、確かにこの映像だとカルメンがエスカミーリョに心を移すのもしょうがないかも。
by TARO (2006-02-25 23:12) 

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