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古い記事から:トスカン氏追悼イヴェントに出席 [RRのTV・ラジオ・映画出演]

2003年5月17日ダニエル・トスカン・デュ・プランチエ氏の追悼イヴェント


2003年といえば、手術のため2月から5月末までの全公演をキャンセルして、「オランダ人」を楽しみにしていたのに、がっかり・・だったんですね。
この記事は、カンヌ映画祭HPのアーカイヴを調べていて発見したとネットのお仲間のきのけんさんに教えてもらいました。
(きのけんさんは、老けているのでライモンディかどうか確信が持てなかったそうですが、まあ、病み上がりですしね。それに6月1日からはドン・キショットでしたからそれ用の髭でしょうね)
愛の破片上の写真(クリック拡大)のお隣の女性はフランスの女優イザベル・ユペールです。
ライモンディは、1980年と1990年にフランスのTV番組「"Le Grand Echiquier"グラン・テシキュ(名人)」に出演していますが、1980年の時にイザベル・ユペールがゲスト出演していますし、ライモンディがカメオ出演しているジョセフ・ロージー監督の「鱒」の主演女優です。彼女はオペラが好きなのか、ヴェルナー・シュレーター監督の「愛の破片」(写真アマゾンにリンク)にも出演しています。

関連記事:
※フランス在住の演劇、音楽評論家のきのけんさんのサイト「追悼:ジョゼフ・ロージー(1909-1984) 」の評論で「鱒」が取り上げられています。目次の「最後のロージー」の項をクリックして下さい。
ダニエル・トスカン・デュ・プランティエ氏の略歴ずーっとスクロールして下さい。


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Bowles

あのぉ〜、私自身全然好きじゃない監督なんですが、この催しは
トスカン・デュ・プランティエのためだけではなくて、モーリス・
ピアラのためでもあるので、一応...(^^;)。RRには関係ないかも
しれませんが。

そういえばユペールはオネゲルのジャンヌをバスティーユでやっ
たことがありましたね。
by Bowles (2005-12-01 09:55) 

keyaki

Bowles さん、ありがとうございます。
>モーリス・ピアラ
そうみたいですね。「悪魔の陽の下に」の監督さんなんですね。勝手に省いちゃいました...(^^;)。
この記事を書いた方は、ライモンディを知らないんですよね!

>ユペールはオネゲルのジャンヌをバスティーユでやったことがありましたね。
そうなんですか。この作品知らないのですが、オラトリオということですから、歌手がやるものかと思ってました。
by keyaki (2005-12-01 10:24) 

Bowles

keyakiさん、ごめんなさいね、イチャモンつけて。

オネゲルですが、ジャンヌの役は語り役なんです。
ですので、ユペールだけではなく結構な女優さんたちが挑戦しています。

そういえば、トスカン・デュ・プランティエのバタフライの映画って、日本で公開されましたっけ?
by Bowles (2005-12-01 12:56) 

TARO

凄い顔ぶれが集まった催しだったんですね。しかしけしからん(あるいは無知な)記者ですね。
「悪魔の陽の下に」、見ましたけど、まるでわけわかんない映画でした。
by TARO (2005-12-01 12:58) 

きのけん

 モーリス・ピアラ…やっぱし嫌いな人多いんですね(笑)。実は僕も大嫌いなんだ!《悪魔の陽の下に》なんか、音楽にアンリ・デュティユーの交響曲(バレンボイム指揮パリ管)を使ってなかったら見に行かなかったと思います。
 映画祭のサイトの方ではキャピュションも無し、知らん顔してるもんで keyakiさんにお伺いを立てたら、やっぱしライモンディさんでした!…。
 それから、上で触れられているオネゲル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》はチョン・ミュンフン指揮、クロード・レジ演出、1992年10月でした。あの当時こればっかりやってて、僕が実際に聴いただけでも小澤征爾(DGGライヴ録音)、シャルル・デュトワ、ビシュコフもあったかな?…。台本がポール・クローデルだから、語り手は普通ちゃんとした女優さんがやるんです。小澤版とデュトワのはマルト・ケラーだったかな?…。ビシュコフ版はカラヤンの娘、イザベル・フォン・カラヤン(結構いい役者です)が語り手だったと憶えてますが、これは僕の記憶違いかも?…。
きのけん
=============
2003年5月17日:追悼ピアラ&トスカン・デュ・プランチエ

映画祭は回顧する。5月17日クロード・ドビュッシー・ホールは、さる1月10日に亡くなったモーリス・ピアラ監督とさる2月11日ベルリン映画祭に出席中急死したダニエル・トスカン・デュ・プランチエ両氏を追悼する夕べを催した。メニューは未発表ドキュメンタリー20分に続き、トスカン・デュ・プランチエ氏制作、ピアラ監督で1987年大賞を受賞し物議を醸した《悪魔の陽の下に》が上映された。
 仏映画界の主要人物たち、クロード・ルルーシュからジャン=ジャック・アイヤゴン(訳註:当時の文化相)、《悪魔の陽の下に》で主役を演じたサンドリヌ・ボネールとジェラ−ル・ドゥパルデューをはじめ、イザベル・ユペール、ニコル・ガルシア、パトリス・シェロー、フィリップ・ノワレ、プロデューサーのダイエル・トンプソン、ブリジット・フォッセイ、ジャン・ロシュフォール、ヴァンサン・ペレーズその他そうそうたる招待客を集めた一夕の翌日、ピアラの短編作品と彼の作品に関する未発表ドキュメンタリーが上映された。
(カンヌ映画祭公式サイトより、きのけん訳)
by きのけん (2005-12-01 18:40) 

きのけん

 …今調べてみたら、セミヨン・ビシュコフ指揮パリ管でイザベル・フォン・カラヤンが語り手をやったのは《ジャンヌ》ではなくて、ストラヴィンスキーの《オイデプス王》でした。訂正。
 そういや、1987年のカンヌ映画祭で《悪魔の陽の下に》が大賞を取った時はすごいスキャンダルになったよね。あまりの悪評に記者会見でピアラ監督が激怒して、批評家たちに向かって、「オマエらがオレの映画が大嫌いというのはよく判った。オレだってオマエらが大嫌いだ!」なんてやっちゃったもんで、大騒ぎになったんだよ(笑)。
きのけん
by きのけん (2005-12-01 18:51) 

TARO

この年は三國連太郎が監督した「親鸞 白い道」も賞を受けたんでしたね。
ピアラの代わりにフリアーズの「プリック・アップ」かグリーナウェイの「建築家の腹」あたりだったら、文句は出てもスキャンダルにはならなかったと思うのですが。
「なんだよ、この映画」って感じですもんね。
by TARO (2005-12-01 20:59) 

きんけん

TAROさん:
>「なんだよ、この映画」って感じですもんね。

同感!今見直してみたらどう思うか判らないですけど、ロードショウになった時見た印象は、まったくこの言葉通りでした(笑)。以後ピアラは専ら役者として接してます(シャブロルとかウスターシュなど)。
きのけん
by きんけん (2005-12-01 23:54) 

keyaki

Bowlesさん
バタフライは公開されてないと思います。

>「悪魔の陽の下に」
どうして大賞とっちゃたんでしょう?
私も、??の映画でしたので、みなさんもそうだったと知って、安心しました。

>「オマエらがオレの映画が大嫌いというのはよく判った。オレだってオマエらが大嫌いだ!」
こういうの逆切れっていうんですよね。
《悪魔の陽の下に》を見せられた招待客、お気の毒。(笑)
by keyaki (2005-12-02 00:39) 

助六

>どうして大賞とっちゃたんでしょう?
この年審査員の一人だった当時「ルモンド」紙女流批評家のダニエル・エマンの回想によると、「下馬評も自分も、本命はミハルコフの『黒い瞳』だと思っていた。自分としてはヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』に何らかの賞を取らせたかった。自分ともう一人のフランス人審査員は、フランス映画に何らかのチャンスを与える可能性について予め打ち合わせをしていた。審査の冒頭でモンタン審査委員長が自分の本命を一本記す無記名投票を提案し、結果は驚いたことにピアラが1位だった。自分は、フランス映画はもう長くパルムドールを取っていないし、ピアラも尊敬すべき映画作家だから、フランス人審査員として、この機会を活用すべきと考えた。審査経過は、結局最後までこの最初の投票結果に条件付けられる形となった」というようなことだったと思います。記憶による引用・敷衍ですので細部は違っているかも知れませんが。

>こういうの逆切れっていうんですよね
このセリフは、最後の授賞式の最中、「パルムドール・ピアラ」の発表が客席から盛大なブーで迎えられ、客席に向かってピアラが言い放ったものです。正装の招待客によるハデなブーイングは立派なものとも言えますが。もちろんTVで同時中継中。このシーンはピアラが話題になるごとに(死んだときも!)TVで繰り返し放送されましたから、普通のフランス人はピアラで思い浮かぶのは、この「逆切れシーン」みたい。

バスチーユの「ジャンヌ・ダルク」で、ユペールは胸をはだけられて柱の上に縛りつけられていたと思います。映画でのユペールは大好きだけど、芝居のセリフ回しは今ひとつの感があり、個人的にはデュトワとやったマルト・ケラーの方が好みでした。
by 助六 (2005-12-02 08:27) 

Bowles

ピアラのことを嫌いな方が多くて、安心しました(笑)。
ボネールが最初に話題になった、もう題名も忘れてしまった映画を観たときから、嫌いでした。しかし、この年、本命がミハルコフねぇ。これも苦手...。

バスティーユのジャンヌ、そうです、胸をはだけて柱にくくりつけられていたやつです。たしかそのあたり、松本で小澤が振ったときもマルト・ケラーでした。いつもの小澤のパターンとして、ヨーロッパ公演前の予行演習ということだったのでしょう。
by Bowles (2005-12-02 09:24) 

Orfeo

keyakiさん、Bowlesさん、こんにちは。
ジャンヌの話題で盛り上がっているので、便乗しました。
TBさせていただきますね。
by Orfeo (2005-12-03 09:07) 

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