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ザッカリア. .ほか(3)-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-  [Ankenbrand著RR仮面の人]

ルッジェーロ・ライモンディは、「シチリアの晩鐘」の高潔な医者プロチダを、すでに1964年12月にローマで歌った。当時のイタリアの有名なバス歌手、ニコラス・ロッシがキャンセルせざるを得なくなり、これが、スポレートの優勝者、ライモンディに大きなチャンスをもたらしたのだ。「私はロッシより病気がひどかったにもかかわらず、代役を務めました。それにしても、あのとき、キャンセルするなんて、とてもできませんでした・・・」と、彼は、ミュンヘンでファンに語った。しかし、専門家たちは、彼の実力を、「聞き取った」ようだ。観客の中に、当時のヴェネチア、フェニーチェ座の総監督、マリオ・ラブロカがいた。その結果は、海の都ヴェネチアとの契約だった。それからもずっと、プロチダを担当した。例えば、1970年ミラノ、1978年フィレンツェだ。
代役でプロチダを歌った経緯(1)代役でプロチダを歌った経緯(2)
 「マクベス」のバンコーは、美しいアリアを歌ったあと、殺されて、少なくとも肉体的には、この作品から、あっという間に消えてしまうが、ライモンディは1973年に、この役をメンフィスで歌った。それから、レコード録音もした。ほかに、美しいカンティレーナのある役は、「運命の力」のグァルディアーノ神父だ。ライモンディは、ごく若いころ、すでに1965年にヴェネチアで、1966年ビルバオで、そして、1980年ミュンヘンで、この修道院長を演じた。
 彼はこの役とも、おそらくプロチダ、シルヴァ、パガーノと同じように、長く付き合うことになるだろう。これらの役はすべてイタリアのバス歌手の定番の役だが、「アイーダ」の国王とランフィスは必ずしもそうではない。ライモンディは、この二つの役を、1979年と1980年のザルツブルクでカラヤンの下で歌った。歌手たちの間のいざこざのうわさが口づてに広がっていたが、彼もこのころのことは思い出したくないようだ。カラヤンは確か、一度彼を、フィリッポを歌わせるために、自家用機でザルツブルクに連れて行ったことがある。それにもかかわらず、モーツァルトの都ザルツブルクの「王様」について尋ねられると、「彼はマエストロのなかのマエストロです」といった決まり文句で上品にかわすのが常だ。1976年、一体だれがこんなことを思いついたのか知らないが、彼は好きじゃないランフィスを歌うためにミュンヘンにやってきた。モントレソールの衣装は、パリのナブッコと同じような効果があった・・・  ライモンディとしては、「アイーダ」問題は、終わりにしてもかまわないところだろう。ファラオと高僧は、彼にとってどうしてもやらなければならない役というわけではない。彼はこの役を、ザッカリアや他の同類の役同様、文句なくやり遂げた。-この章・完- Ankenbrand著-Ruggero Raimondi Mensch und Maske-※オペラ好きの友人訳

※《アイーダ》ディスコグラフィー

RCA Opera Treasury - Verdi: Aida / Leinsdorf, Price, Domingo, Milnes, Bumbry, et al Verdi: Aida Giuseppe Verdi: Aida Verdi: Aida
◇1970年ランフィス◇1976年ランフィス◇1979年ランフィス◇1979年エジプト王

※《アイーダ》私の録音コレクション
※アンケンブランド著「ルッジェーロ・ライモンディ 仮面の人」《ザッカリア. . .ほか》の章全文


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